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    犬友いわゆる転生ネタ
    手直しはしていません

    ##犬友

    うたう深海魚 不意に腕が、うんともすんとも動かなくなる。呼吸がどうにもままならなくなる。両の脚が、たまらなく軋み疼き、とても立ってなどいられなくなる。突然、目で見るということが解らなくなる。手足と呼吸は月に一度有るか無いか程度だが、目に関しては「油断すればいつでも」という有様。
     五百友魚の体は、どうにも不便な出来栄えであった。
     それは生まれてこの方の悩み事で、それこそ幼少期には両親が随分と苦心したらしい。しかし人間とは随分とたくましいもので、当の本人は小学生の四年にもなればすっかり体質に慣れ親しみ、不便は感じつつも「ほどほど」に付き合うことをおぼえたのだった。
     動かんものは仕方がない。軋むことも、解らなくなることだって。それは友魚が足掻いてどうこうなる話でもなかったし、その頃には大概の薬を試して無駄だということも判明していた。それなりに不便もしていたが、どうしょうもないほどに致命的でもなかった。
     ただ、それらが起こるたびにたまらなく悲しくなることだけが辛かった。べつに体が動かないからでも、目をうまく使えなくなったからでもない。それはもっと、体の底の方から、あるいはもっと根本の、例えば魂だとか呼ばれるような場所から湧き上がる悲しみ。その悲しみを丁寧に剥いてやると、中から寂しさが顔を覗かせる。それは曲のような形をしていて、だから友魚は奏でることにした。
     五百友魚が、中学一年の頃の話だ。

     友魚の体は音を紡ぐ事に秀でていた。少ない小遣いとお年玉を工面して購入したアコースティックギターはあっという間に彼の手に馴染み、踊るように歌い出す。自然と声が、溢れ出る。
     音楽に触れるとき、友魚の体はずっと自由だった。
     不思議なもので、音を紡いでいる間は体の不調が現れないのだ。否、これは正確ではない。なぜなら音を紡ぐ間、友魚の目はすっかり仕事を放棄するからだ。しかし歩きながら奏でているでもなし。彼が不便を感じたことは無いため、感覚としては起きてないも同然だった。
     古く手狭な団地の、さらに手狭な自室で友魚の体は水を得たように音を奏でる。左隣の多田の奥様はいつも実に迷惑そうに布団を叩くが、下の階のお嬢さんは時たまヴァイオリンでセッションをしてくれることだってある。良し悪しなんてわかりやしないが、右隣の小島のおじさんからは好評だ。他にも、どこからか聞こえる、悪ガキのどうしようもない替歌に伴奏をつけてやることもあるし、呑気な竿竹屋の宣伝を豪華にしてやることもある。
     もちろん、体の奥底にあるものを拾って集めて音にしたためる事も忘れない。むしろその時が一番、友魚の体は上手く音を紡ぐ。物悲しくもあり激しくもあるその音楽に、魔性だと語ったのは二つ隣に住む老人であった。事実、友魚が自身の奥底から拾い上げたものを爪弾く時はアパート中の人々が手を止め口を止め、ただ静かに彼の音に耳を傾ける。人だけではない。五百家の家の前の木に住み着く喧しい小鳥だって、その時ばかりは囀りを止めるのだ。魔性の音は生き物の垣根を超えるらしい。
     音を紡ぐ友魚は自由であった。そのさらに奥の、煮えたぎるように激しく、それでいて凍えるように静寂な悲しみにさえ目を瞑れば、どこまでも自由であった。しかし、友魚の音楽の根源は其処にあったものだから、友魚はいつまで経っても悲しく寂しかった。何に悲しんでいるのかもわからぬまま。ただ何かを待っているような、それでいて其れすらも諦めているような虚しさ。
     その悲しみが、人を惹き付けて止まない。その魔性は、留まるところを知らない。
     彼が海辺に建つ古びた団地の中だけに留まるはずもなく。ただ潮風に乗り揺蕩っていた音たちはいつの間にやら文明の利器、インターネットに飛び乗る。当然、彼の音が全世界にその音が知れ渡ることとなるのにそう時間はかからなかった。

     友魚の音が世界に響いて早三年。
     すっかり人気ミュージシャンとなった友魚ではあったが、未だ古びたアパートから出ずに、手狭な部屋で音と戯れていた。もとより体の不便がある身故に慣れた環境から出辛い事、さらには一年前に父親が急死したことも重なり、すっかり飛び出す気が失せてしまったのだ。
     音楽の方面だって、運良くメジャーデビューこそしたものの顔を出す気も起きず、そもそもライブができる体でも無いため完全に素性を隠して活動を続けている。
     これで仕事が成立するのだから、いい時代に産まれたものだ。友魚はインターネットの神様に手を合わせた。どこにいるかは勿論知らんので、とりあえず固定電話の隣でホコリを被っているWi-Fiルーターを拝んだ。
     結局、音がどれほど遠くへ流れ着こうとも友魚の生き様はほとんど変わりがない。潮の香りが満ちる団地で、埋もれるように息をして音を紡ぐ日々。前述の通りの事情もあったし、また彼の魂も「そう有るべきだ」と囁いていた。
     友魚の住処である団地はといえば、住人の面子はそう大きくは変わりないが、時折セッションしていたヴァイオリンの人はいつの間にやら居なくなり、今は何やら若い男が入っているらしい。年々増々、目に仕事をさせる努力を諦めている友魚がその男の顔を「見る」ことはきっと無いだろうが、合えば「解る」だろう。そう確信できるほどには彼の視覚以外の感覚は鋭さを増していた。
     ただなんとなく、その男に友魚が拾い上げてきた音達を聞かせるのが気に食わなくて、近頃はじいっと耳をそばだてては男が居ないと確信できた時だけ、魔性の音を紡ぐようになった。団地のあらゆる住人から「いじわるしなさんな」と叱られ、ついには小鳥にすら手の甲を啄まれた友魚だが、彼の決意は硬かった。とくに意味はないが、しかし頑として男には聞かせなかった。なにせ、彼の魂が「やめろ」と喚くものだから。
     あえて言うなら、それだけが彼の生活の変化だろうか。
     可哀想な男が一人。それ以外は全く相変わらず。それでいいと思った。友魚の願いは、ただひっそりと、誰と深く交わるでもなく、しかし死ぬその瞬間まで音を紡ぎたい。たったそれだけだった。

     だから、この邂逅は友魚にとって実に不本意であった。
     油断していた。調子に乗っていた。随分と酔っ払っていた。団地の住人数人と行った賭け麻雀で程よく儲けて気分が良かった。たまたま、ギターケースを持ち歩いていた。
     他にも、色んな理由があるような、ないような。
     とにかく友魚は気分が良くて。それでちょうどさっき、手足が駄目になったから色んなものを拾い上げた所で、しかも丁度いい感じのベンチがそこにあって(もちろん、住んでる団地内なのだから今生えてきたわけではなく何時でもあるものだが)。
     だから友魚としては当然の流れでベンチに腰掛け、ギターを引っ張り出し、思うがままに弾いて歌ったわけだ。夜も大概深かったが、今更友魚の歌でどうじゃこうじゃと文句を垂れる住民などいない。酔でほてった頬に潮風がゆるゆると当たり、なんと気持ちの良いこと。ジャカジャカ。海の底に還ったような心地。ここでずっと、紡いでいたい。誰に邪魔されるでもなく、誰も害することもなく、害されることもなく。ジャカジャカ。竜宮城すら見えるかもしれない。ジャカジャカ。ジャカジャカジャカ。
     兎にも角にも、友魚は随分と気持ちが良かった。水底に沈んでしまうほどに気持ちが良かった。その上、目は相変わらず仕事を放棄していて、他の感覚はぜんぶ水の底、泥の奥へと沈み込んでいた。
     だから、一体だれが忍び寄っていたかなんてもちろん気づきやしなかったのだ。
    「友有」
     釣り針のような声だった。あるいは、無粋な子供の手のひらのような。
     友魚の意識は急速に水面に引き上げられ、突然肺呼吸を要求された感覚たちは大いに混乱した。何かに引き上げられた。不快ではなかったが、不本意な声だった。聞いたことのない言葉だった。聞き覚えのある響きだった。
    「友有、俺だ、犬王だ。随分と探したぞ」
     それは溌剌とした男性の声だった。夜中のはずなのにやたらと眩しい、活力に溢れた男。それに、随分と馴れ馴れしい。友魚の奥底に潜む魂が竦み上がるのを感じた。しかし恐怖ではない、むしろ…
    「ピー!」
     突如、二人のそばに立つ木の中から小鳥がつんざくように甲高く叫んだ。
     それでようやく友魚の体が動き出して、ギャー!ともピャー!ともいえぬ叫び声が喉から飛び出す。代わりのように掴みかけた感情の輪郭は霧散した。バネ人形のように手足がピャンピャンと動き出し、かたわらのギターケースを引っ掴むと、自身の部屋がある棟の階段を勢いよく駆け上がる。
     相変わらず目は仕事をしていないが、もう二十数年過ごした場所。考えずとも体は覚えているものだ。
     とにかく、その日は友魚の逃げ切りで終わった。
     あんな失礼な態度で終わったのだ。もう接触することもないだろう。そう自身に言い聞かせ、ギターとケースを床に放り出し、万年床へと体を横たえる。はやく水底に帰りたい、その一心で。
     もちろん、その時の友魚に次の日の夕方には件の男が自宅に押しかけられる事など予感できるはずもなかった。ましてや、男の無駄に高いコミュ力に押され曲を目の前で披露する羽目になるなど。さらには、男の無駄に広い顔を活用されどんどんと世界に羽ばたかされるなど。
     長年愛用している布団に包まりまどろむ友魚にはもちろん、予感することすら不可能であった。
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