7 現状の容疑者の一人でもあるレオの元妻・マーシャに話を聞くため、Mr.ミステリーが照会情報を元に彼女の現住所(隣の州だ)の電話番号に掛けてみたところ、誰かしらが電話口に出はしたのだが、名乗りもしない。
沈黙に耐えかねる、というよりはこのまま黙り込んでいたずら電話とされても困るという心地から、Mr.ミステリーが「こちら、マーシャ・レミントンさんのお電話で間違いないですか」と当たり障りのない文句を唱えてみると、聞き良い程度にハリのある男の声が、しかし不躾な調子で「誰だ?」と言う。
問われてしまっては仕方がない。Mr.ミステリーが渋々、「……こちらMr.ミステリーの探偵事務所」と続けるや否や、「しつこくかけてくるようであれば、通報を検討する」という旨を早口に告げられた後、にべもなく電話を切られた。向こうは受話器を叩きつけたに違いなく、ガチャン!と轟くような終話音に、Mr.ミステリーは顔を顰める。
とはいえ、探偵業に対して協力的な態度を取るものばかりではない(むしろ、探偵に進んで協力するような者は相当のゴシップ中毒か、そうでなくとも“物好き”の区分に入る)、取り付く島もない態度を取られることは彼にとって何も珍しいことではなかった。そんな彼が顔を顰めたのはむしろ、自分の名乗りの方だ。もう少しまともな名前にするべきだった。夜中にこんなふざけた名を名乗られれば、にべもなく電話を切るだろう。
彼が、マーシャの再婚相手であるフレディ・ライリーの事務所にまで向かったのには、一種の焦りも働いていた。
用件も聞かずにべもなく電話を切るような、言ってしまえば冷徹なタイプで、しかも法曹関係となると、Mr.ミステリーのように後ろ暗い“本業”を持つものとしては、できる限り距離を置いておきたい相手ではある。しかし、レオの依頼を巡る状況は、早くも詰みに入りつつあった。
警察の伝手から提供されるデータベースによると、「リサ・ベイカー」について検索したところで、事件なり事故なりの芳しい結果を得られなかったのだ。しかも、肝心のレオ自身の記憶が曖昧なことこの上ない。状況は、その他の関係者の証言を集めるためならば、多少の労力は辞さない段階である。
青地のインバネスコートに鹿撃ち帽、片眼鏡という「いかにも」な出で立ちで事務所に現れたMr.ミステリーを前に、フレディ・ライリーは表情を引き攣らせもしなかった。いくらか鈍い性質か、或いは流石の「仕事柄」もあり、多少のことには動じないという事だろう。
見たところ誠実そうな――前歯が覗いている分整いすぎない容姿が、かえってその「誠実らしさ」を引き立てている――その男は、感じの良い程度の笑顔を口元に「ナワーブ・サベターさんですね」と言う。それは傭兵としてのMr.ミステリーの名前である。Mr.ミステリーは「そうだ」と首肯した。
「興信所ビジネスの拡大に当たり、専門弁護士を雇いたいとのことでしたね?」
Mr.ミステリーがフレディ・ライリー弁護士事務所の問い合わせフォームから送ったアポイントメントの内容を確かめるライリーに、Mr.ミステリーは眉一つ動かさず、視界に入った羽毛を払う程度に中空で手を払って言葉を遮ると、改めて用件を伝えた。
「レオ……いや、リサ・ベイカーの名前に聞き覚えはあるか。マーシャ・ベイカーの実子だ。……こっちも仕事でな、娘の行方を探している。」
ライリーの顔が露骨に歪むのを察したMr.ミステリーは、すかさず――この手の人間に会話の主導権を握られてしまうと、頭を撃ち抜きでもしないと黙りはしないだろう。しかし、戦場ではない場所で問題なく通る穏健な手立てを考えていれば、その内に追い出されるに違いない――いささか唐突の感があるほどの強い語調で、「俺は、あんたたちの暮らしをどうこうしたいわけではない!」と、はっきりと主張をした。
「……ただ、もし知っているのならば、レオの娘がいなくなったのはいつか、その行き先に心当たりはないかを知りたいだけだ……おたくで引き取っていると言うなら、まあ、話が早いんだが」
フレディ・ライリーはMr.ミステリーからの質問に対して、何度か抵抗を試みた――例えば、脅すように声を荒らげたり、通報を仄めかしてみたり(しかし、なぜか電話線が切れており、これは上手く行かなかった。Mr.ミステリーも流石に前準備はしておいたということだ。)した。
しかし、どうあっても、依頼人のソファにしっかり腰を下ろし、膝を肩幅に広げてどっかりと座って、応か否か、とにかく答えを得るまでは動く気のないことが目にも明らかな依頼人ナワーブ、もとい、Mr.ミステリーを退かしようがないことを悟ると、ライリーは苛立たしげにメガネのブリッジを押し上げ、「知ったことか」と吐き捨てた。
「あの後は、私達も大変だったんだ。顔も知らないやつらが、略奪だなんだのと騒ぎ立てる始末で……」
「いや、そこに興味はないから安心してくれていい。ただ自分の娘のことで、あんたの奥さんは、何か言ってきたりしなかったのか」
Mr.ミステリーが顔色一つ変えず、まさしく能面のような様子のまま――アジア系の顔立ちの彼は、ヨーロッパ系に多い堀の深い顔立ちの中に居並ぶといっそう、「表情が読めない」と評されるところだが――話題を変えようとする様を、ライリーはかえって警戒するように、分厚い眼鏡の奥からいたって鋭く睨んだ後、「気にかけてはいたようだ」と、思いの他率直に、彼が知っていることを口にすることにした。探偵業が何だと言っていたが、得体が知れないこの手の人間には、下手に証言に細工をして再三確認を取られるよりは、さっさと知っていることを洗いざらい口にしてやったほうが、話が早いだろうと踏んだのである。
「彼女は、私と一緒になってくれると同意してくれた後にも、あの男――間抜けなレオに連絡していたよ。リサの面倒をちゃんと見ているかと言ってね。彼女がそうしたいというなら、俺はレオの娘ぐらい養うつもりだったさ。だが……」
「彼女の方が嫌がったんだ」と続けながら、ライリーは事務所に備えているコーヒーメーカーに視線をやるものの、コーヒーを入れるほどの長話にもならないだろうと思い直し、腰は上げずにそのまま続けた。
「あの子はパパっ子だから、私の都合で引き離すのは可哀想だと……無論、裁判所での離婚調停を経ずに、言ってしまえば駆け落ちをして、親権をめぐっての裁判を起こされたら面倒になるだろうという思慮もあったんだろう」
我が妻の思慮を思い、やや遠いところを見るライリーの顔色を窺うでもなく、Mr.ミステリーは「連絡というのは、最近まで?」とさらに問いかける。およそ人の心情というものに気を払わない様子のビジネスライクなその態度に、ライリーはただでさえ渋々話を受けているところ、一層気を悪くした風に眉間に薄いシワを寄せつつ「いや、」と、これもまた端的に返した。
「しばらくごたごたと引っ越しを繰り返していた頃だからな、どれぐらい前になるだろうか。ここに越してから、は、もう七年になるから……」
指を折って数えていたライリーはそこで、我が事ながらに驚くようにやや目を瞠ってから、自嘲めいた笑みを浮かべると、「14年前のことだ」と言った。