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    sanmenroppi03

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    sanmenroppi03

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    亥狸子の話。
    宝永(1700年〜)の江戸でのお話

    寂しい娘と優しい鬼 物心ついた時から亥狸子いりこは寂しかった。

     母親の狸沙子は朝から晩まで戻らず、父親の炎人は面倒を見てくれるものの式神にほとんど亥狸子を任せて自室に篭ってしまう。
    唯一世話してくれたのが、遠い西からやってくるマツリというお節介な風の神様だけだった。マツリが来てくれている間はとても良く可愛がってくれたのだが、頻繁に来ることができない距離なので、亥狸子は基本的に放って置かれて育った。
    たまに狸沙子の気まぐれで猫可愛がりされたり、亥狸子の頭の良さを見込んで炎人が勉学を教えたりするくらいしか、家族団欒はなかった。
    狸沙子も炎人も、自分のことの方がかわいくて仕方がない大人だったので、亥狸子は己が望まないまま、他人に期待をすることを諦めることになった。

     狸沙子と炎人の虚栄心を満たすためだけに、中国へ東洋医学を、西洋へ蘭学を学びに行ってまで健康の神様になってやった。だが思いの外これが性に合っていたようで、亥狸子の医学の腕は目を見張る出来となった。
    そのおかげで、先日ウサギに化けた大きな鬼を助けることができた。鬼は雷羅と名乗り、いたく亥狸子を気に入ったようでそれ以来亥狸子のそばに黒い子馬に化けてまとわりついている。
    雷羅は元々離れたところからやってきた鬼で、江戸に住まいが無いという。そこで初めて家である寺に連れて帰ったところ、炎人に見つかり呪われんばかりの剣幕で追い返されてしまった。
    炎人の怒り様に驚いたのか、有名な祟り神だと顔を見て気づいたのか、雷羅は慌てて逃げ帰ってしまった。
    亥狸子はこうして今まで親しくなった者たちを親に追い払われてきた。雷羅ももう戻ってこないだろうな、と慣れたふりをするが、残念そうにため息をついて戸を閉めた。

     ところが。

    「やだ!この子どこから入ってきたの〜?」

     朝ご飯の支度をしていた狸沙子の素っ頓狂な声がしたので見に行くと、玄関先に黒い子馬が大人しく座り込んでいる。呆気に取られている亥狸子を見つけると、嬉しそうに立ち上がった。早く行こうぜ、と言いたげに前足を鳴らしている。

    「ああっ、この……二度とうちの娘に関わるなと言っただろう!」

     奥の自室から出てきた炎人が怒鳴る。雷羅は途端にパッとその場から逃げるが、またパカパカと戻ってきた。炎人が唸って目を真っ赤に光らせても、知らん顔をしている。

    「畜生の癖にその態度はなんだ‼︎私を馬鹿にしているのか‼︎」
    「やめてよ炎人さん〜!亥狸子も、こんな良い馬どこでもらってきたの〜?一言言ってくれないと困るわ〜!」

     飼い馬扱いされてムッとしたような顔をする雷羅に、亥狸子はさっとおむすびを十ばかり引っつかんで駆け寄った。

    「この子は患者さんがお礼にくれたの!行こ!」

     跨って首を優しく叩くと、雷羅は張り切って闊歩しだした。狸沙子が声をかけてくる。

    「どこ行くの〜?帰りは何時〜⁉︎」
    「今日はお寺さんで診察させてもらうの〜。暗くなる前には帰るから〜」

     どうせそこまで気にしてない癖に、と母親に心の中で毒づきながら、亥狸子は雷羅の立髪に掴まった。寺の敷地からしばらく離れてようやく雷羅が口をきく。

    「で?その寺ってどこにあんだ?」
    「日本橋だよ〜」
    「腹減ったし、着いたら人に化けて一緒に屋台で飯でも食うか」

     雷羅がニコニコと笑いかけてくれるのを、温かい気持ちで見つめる亥狸子。父親の正体を見てもこうしてまた会いに来てくれたのが、本人が自覚するよりも遥かにとても嬉しかったのだ。

     雷羅はそれからも毎日亥狸子を迎えに行き、飯を食いに行ったり、人を治すために奔走したり、とにかく側にいた。亥狸子が家に帰るまでずっと一緒にいて、丁寧に扱ってくれた。亥狸子も、雷羅がいついなくなっても傷付かない、と素っ気ないフリをしつつも、雷羅が毎日会いにきてくれるのがとても幸せだった。



    「……お見合い?」

     食べることに夢中で次々と口の中に食べ物を詰め込む手が思わず止まった。亥狸子は恐る恐る聞き返す。

    「誰と、誰が……?」
    「あなたよ、亥狸子〜!候補は十人いるから選んで欲しいのよ〜」

     狸沙子がニッコリと笑いながら手紙を十通取り出す。訳がわからず炎人を見やると、炎人は気まずそうに目を伏せた。

    「神様としては子供かもしれないけど、あなたも立派な女性だもの。そろそろお婿さんを迎えて、ゆくゆくは孫の顔も見たいな〜って!」

     狸沙子が饒舌に話を推し進める。亥狸子は混乱しつつも、段々と両親が何を考えているか理解し始めた。

     三日ほど前、亥狸子が産気づいた妊婦を診て赤子を取り上げた話をした。恐らくそれに感化されて、またもや狸沙子の気まぐれな欲が出たのだろう。本当にただの好奇心と欲だけで、「娘の花嫁姿が見たい」、「孫の顔が見たい」と思ったようだ。更にそこへ、最近ほとんど狸沙子に構ってもらえてない炎人が、もう一度振り向いて欲しくて、家族団欒をしたいがために縁談に乗ってしまったようだ。

    (この人たちは、また、私の気持ちなんて何も考えずに……)

     亥狸子は思わず下唇を噛んだ。ようやく健康の神様としての、医者としての活動がとても楽しいと思えるようになってきた頃だった。このまま全国各地を雷羅と共に回って、人々の病や怪我を治す旅に出たいとすら思っていた。見ず知らずの者と結婚して子供を産み、この狂った親の元に腰を落ち着ける気など毛頭なかった。

    (ずっと、ずっと私のやりたい事、してほしかったことなんて、やってくれなかったくせに……!)

     亥狸子の小さな体が怒りに震える。それもお構いなしにこれからの縁談の予定や、幸せになると信じて疑わない団欒の様子を語り合う狸沙子と炎人。
     だが───。

    (私のことなんてお構いなしだから、私がいくら嫌がっても、この人たちはやり通すんだ……)

     今までずっと、亥狸子の希望など聞いてくれなかったし、押し通す力がこの二人にはあった。そして何より、こんな大人でも亥狸子にとっては親である。心の中では二人に嫌われたり見捨てられたくないがために、抵抗することを諦めていた。

    (……私が我慢して、家族ごっこが続くなら)

     亥狸子は小さく息をつき、項垂れた。

    「おい‼︎このバカどもが‼︎」

     突如、荒々しい怒号が飛んできた。派手に玄関や土間が吹き飛ばされ、土煙が立ち込める。狸沙子が悲鳴を上げた。そこには、黒くて大きな鬼の姿に戻った雷羅が、憤怒の形相で覗き込んでいた。

    「な、なに⁉︎あなた誰よ⁉︎」
    「俺はそこの娘に命を助けられた雷羅だ‼︎」

     雷羅の目が狸沙子を睨むと、狸沙子は恐怖でガタガタ震えている。どうやら外で聞き耳を立てていたようで、我慢ならず殴り込みにきたらしい。

    「亥狸子がなんにも言ってねぇのに、何勝手に縁談進めてんだ!どう見てもまだやりたい事たくさんある子供だろうが!結婚なんて早すぎんだろ!」

     雷羅が吠える。今にも気絶しそうな狸沙子の前にスッと炎人が出てきた。

    「不潔な臭いがすると思ったら、鬼だったか……うちの娘の前に現れるなと言ったはずだ」

     炎人の髪がブワッと逆立ち、首にかけていたしめ縄がチリチリと焦げていく。あまりの怨念に気圧され、雷羅は思わず後ずさるが、なおも言う。

    「亥狸子から聞いてたけどよ、あんたら親の癖に放っておきすぎだろ!鬼だって子供の面倒はみんなで見るってのに、親が子供振り回して好き勝手してどうすんだ!」
    「黙れ、部外者が我が家の事情に口を出すな!」

     炎人の真っ赤な目が雷羅を捉える。炎人の呪いで床が腐り始めた。狸沙子も炎人の後ろに隠れながらも、そーよそーよ!と野次を投げた。
    雷羅は炎人の恐ろしさに怯みつつも、それ以上の怒りでワナワナと体を震えさせ、

    「だったら!俺が亥狸子の婿になる‼︎」

    と怒鳴った。
     炎人と亥狸子は思わず目を瞬いた。雷羅が言った言葉の意味を考えていると、狸沙子が悲鳴のような声で反対した。

    「ダメダメダメ‼︎何考えてるのよ‼︎可愛い娘を鬼なんかにあげるわけにはいかないわ‼︎立場をわきまえて‼︎」
    「俺は鬼の島の副棟梁だ!その立場を加味して、なんとか‼︎頼むよお義母さん‼︎」
    「お義母さんて呼ばないで‼︎厚かましいわねぇ‼︎」
    「ああ⁉︎てめぇの方が厚かましいんだよっ‼︎亥狸子の優しさにつけいって好き放題しやがって‼︎」

     雷羅に言い返されて狸沙子は真っ赤になる。

    「私は亥狸子の母親だもの!亥狸子が言うことを聞くのは当たり前だし、私がこの子をどう扱おうが勝手でしょ⁉︎」

     亥狸子はそれを聞いて息が止まるかと思うほどショックを受けた。多少でも母親としての愛があるとばかり思っていたのに、まるで都合の良い道具のようにしか認識されていなかったようだ。炎人もフォローを入れることなく亥狸子と目を合わせない。亥狸子のつぶらな目に、ジワジワと涙が溜まるのを見て、雷羅は牙を剥き出した。

    「畜生以下だぜ、ババア」
    「私の妻になんてことを……!」

     雷羅の言い草に炎人が絶句すると、

    「娘に酷いこと言った時にババアに怒れよ、父親だろうが‼︎」

    と叱りつけた。そしてズンズンと何処かへ向かい始めた。

    「この縁談、向こう百年ほど無しにしてやるからな‼︎」

     雷羅はそう吐き捨て、一羽の鷹になって飛び去ってしまった。あとには嘘のような静寂が残る。

    「信じられない……家を壊して、私たちに口出しして……鬼ってこれだから野蛮で嫌いよ〜」

     狸沙子がぶつくさ言いながら瓦礫を片付ける。炎人も何体か式神を呼び、家を修理し始めた。
    ボンヤリとしている亥狸子に、狸沙子が縁談の手紙を差し出す。

    「とりあえず、読んで良さそうな人を選んでちょうだい。いなかったら、また調達してくるから!」

     狸沙子がニッコリと笑いかけてくる。亥狸子は、生まれて初めて自分の母親を殴りたいという衝動に駆られるも、ガックリと肩を落として手紙を受け取った。



     素早く風を拾い、長距離を飛ぶ。

     場所は駿河の富士の山。雷羅は鷹から鬼に姿を変えて峰に降り立ち、怒りで息を荒げている。
    そこから更に大きく大きく体を変化させ、九尺までになった。固く結んだ肉付きの良い拳を、愛おしい女の子に酷い仕打ちをした者たちへの怒りを込めて、思い切り全力で打ち込んだ。
    その衝撃は凄いもので、地面に大きなヒビが入り、そこを中心に穴が開くかのように思い切りめり込んでしまった。衝撃波は富士の山の深層部まで響き、そして───。



    「大変だ‼︎地震だァ‼︎」

     大きな地鳴りと共に激しい揺れが江戸の町を襲う。江戸中が悲鳴の様な大きな音を立てて、地面が派手に波打ち、家も人も揺さぶられた。
    亥狸子たちは慌てて身を守り、地震が収まってから恐々町に出てみた。家屋の倒壊や激しい火事、怪我人の呻き声などでめちゃくちゃになっており、見渡す限りの焼け野原となっている。
    亥狸子たちが唖然と見渡していると、

    「うわあぁ!富士の山が‼︎」

    という悲鳴が上がった。美しかった富士山の峰から激しく溶岩と灰が吹き荒れ、空は徐々に黒い分厚い雲に覆われていく。

    (あれ……?雷羅、富士山の方向に向かっていったよね。まさかこれは、雷羅が……?)

    そう思案しつつ、亥狸子はすぐに怪我人の手当ての為に奔走し始めた。
     富士の噴火が治るのに二週間かかり、そこから大量の灰が降ったり天候の変化が起きたりなどで不作が続いて、人々の生活が完全に安定するまでに九十年は有した。これが一七〇七年に起きた、「宝永大噴火」である。



     ある日、実に久しぶりに黒い子馬がひょっこりと現れた。亥狸子は待ちに待ったその姿を見て嬉しくて堪らず、その首に抱きついた。雷羅は驚きつつも、柔らかく笑いかけた。

    「富士の山を噴火させたのがバレちまってさ。ずっと国中の神々の説教を食らってたんだ。幸い、黄泉にいた弟が弁護してくれて、身元も引き受けてくれてよ……小さな女の子に入れ込むなんて、と小言言われたけど」

     雷羅が鼻を鳴らす。

    「縁談どころの話じゃなくなったろ?」
    「うん、江戸中大騒ぎだから、ママもパパも忙しそうで、忘れちゃったのかも」

     亥狸子はクスクス笑う。しかしふと顔を曇らせた。

    「でも多分、思い出したらまた縁談を進めようとすると思う」
    「なら、俺と結婚すりゃいいじゃねーか」
     
     雷羅がニマニマと言った。あの言葉は冗談じゃなかったんだ、と亥狸子は思わず目を丸くした。正直なところ、嬉しかった。しかし、

    「ダメ。だってタイプじゃないもん」

    とプイとそっぽを向く。雷羅は残念そうな声を上げたが、

    「じゃあ好きになるまでずっとそばにいるからな!」

    と足を鳴らした。雷羅ならそう言ってくれると思っていた亥狸子は小さく笑うと、

    「ま、頑張ってね。あ、今日は四ツ谷に診察行くから早く乗せてよ」

    と跨って首をポンポンと撫でた。雷羅が気前よく返事をする。



     その言葉通り、雷羅は現在も亥狸子のそばで過ごしている。
     実はもうとっくに想いは叶っているが、亥狸子は親を振り切り独り立ちしてからようやく、雷羅のもとへ嫁にいってやっても良いかなと考えているのだ。
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