田中 櫂たなか かい
25歳。誕生日は9月5日。
生まれは関西だが、親の仕事の都合で小学生の時に関東に引っ越してきた。
好きな物は実家で飼っているトイプードルを筆頭とした犬全般。
あと眼鏡。目がすごい悪いわけではないが、眼鏡は半ばコレクションとして集めている。
嫌いなものはあまりないが、バスだけは何故かよく酔う。なのでいつも移動は電車。
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中学の時、高校の説明会を見学した時に演劇部の劇に感動し、演劇部に入る事を決意した。
ただ、自分の演技力には全く自信がなかったため主に照明係や大道具係をやっていた。
そのうち演出や脚本に興味を持ち、2年の時の文化祭での出し物の脚本や演出を担当し、自分の想像した世界が目の前にあることに感動し将来は脚本家か演出家になることを決める。
大学は商業系の大学を選んだが、演劇に関連するサークルに所属してそこでも脚本や演出を担当した。
20歳のある時、自分の担当する劇で主人公の敵役の人が骨折してしまい、登場回数が少ない事、元々サークル人数が少ない事から急遽役者として舞台に立つこととなった。
今までも自分の考えを固める時や、それを役者に伝える時に自分で演じてみたり、台詞を喋ったことが多々あったからか演技は大成功。
役者が1人増えるだけでもやれる話が大幅に増えたことからその後も役者として舞台に立つことが増えた。
今までの経験や周りのサポートなどにより櫂は役者の才能を開花させ、サークル以外にも地域の劇団に役者として入り、さらに経験を積んでいった。
そんな中、とある劇団に演出家としてスカウトされる。
思いのほか「役者」というものにハマってしまった櫂は散々悩んだ末にスカウトを断る。そして今後役者として生きていくことを決める。
その後は地域の劇団ではなく事務所に所属しながら新人役者として経験を積んでいった。(22歳)
この時、周りの多数の人が自分より若い頃から役者をしていたことを知り、今まで以上に稽古に精を出すようになった。
ちゃんと役者を初めてから今までも何回か舞台には立ったことがあるが、実は柧紙弊役が初めてこんな長く舞台に立つ役だった。そのため舞台に上がる時はめちゃくちゃ緊張している。
「よく僕の顔は平凡顔、どこにでもいる顔って言われるんですね。」
「だけど、僕はこの顔に感謝してます。」
「どこにでもいる顔、ということは逆に役を演じる時になんにでもなれる顔なんだって思ってますから。」
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ファンの間では「なんでも出来るのでは」という噂があるが、そうでも無い。
運動はそこそこ。バク転は頑張ればできるけどバク宙は無理。
持久力が本当にない。ただ、瞬発力はある。50メートル走は早いけど持久走は遅いタイプ。
勉強に関しては本当に中の中。文系。大学は主に経済学的なものをやっていたが、適性がなかったのかあまり頭に入ってこなかった。
芸術系はものによる。
小さい頃書道教室には通っていたが、中学に上がる時にやめたのでめちゃくちゃ字が上手い訳では無い。
絵は下手な方。何を描いてるのかは伝わるけど、全体的に違和感の塊。
音楽は舞台の経験から少し分かるようになったが、作曲家はベートーヴェンとモーツァルトとバッハしか知らない。滝廉太郎は政治家だと思ってた。
ゲームを作れるという噂がたったこともあったが、それは本当に噂だけ。ゲームはやる。育成系のをするのが好き。
ただ、茶道はできる。小さい頃親が茶道教室に行っていたのでそれについて行くようになった結果自分もできるようになった。今も月一程度通ってはいる。
基本的に丁寧に話すのもこうした親が少し関わってきている。
家族構成としては父、母と自分。一人っ子だが、親戚の子供の中では1番年上なので少し大人びている。
反抗期も来たが、無事に乗り越え今は家族みんな仲が良い。父親と母親の仲もよく、よく舞台に2人で見に来てくれる。
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マネージャーさんは実は高校の時の部活の先輩。
同じ大道具係の先輩だったけどどっちかと言うと何か作って怪我した時とかにお世話になった。弟がいて面倒見がよく、怪我以外の相談事にものってもらっていた。
櫂だけでなく他の部員も怪我したらその先輩に手当してもらっていて、保健係のような存在だった。
何をするにしても上手くいかず怪我ばっかしてた櫂は先輩が卒業する前に自分で自分の怪我を治せるように色々教えて貰っていて、先輩が卒業したあとも色々と相談に乗ってもらっていた。
その後、役者になると決めたこと、事務所に所属した事を話した時に相手からマネージャーの提案をしてくれた。
今は先輩というより親戚のお姉さんみたいな感じで接している。
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また追加するかもです。