懐かしい香り昔から時々見る夢がある。
その夢の中では父は昔のまま優しく強い炎柱で、弟と三人で穏やかに暮らしているのだ。
目が覚めると大抵自分は泣いていて、虚しく胸にぽっかり穴が空いたような気分になるのだった。
だからこの日も目を開けると精悍な父が魘されていたぞと心配そうに見下ろしていたので、ああ、あの夢だと杏寿郎は思ったのだった。
夢だと分かっていても、父に優しくされるのが嬉しくて今この一時だけでもと、起き上がった杏寿郎は槇寿郎に抱きついた。
父は驚いたようだったがぎこちなく抱きしめ返してくれた。ああ懐かしい香りだ。そうだった。貴方はこんな匂いがするのでしたね。
酒の匂いなど微塵もない清潔な石鹸や微かに香る整髪料の香油が混ざった懐かしい匂いに酷く安心する。何という臨場感。まるで現実のようだった。
逞ましい父の胸に顔を埋め、込み上げる郷愁のような切ない思いに身を震わせる。そんな杏寿郎に父は困ったようにどうしたんだと問うので子供のように、怖い夢を見たのですと囁く。
「父上が酒浸りで鬼殺隊をやめてしまう夢です。俺や千寿郎に辛く当たって……稽古もつけてくれなくなって……」
ただの夢なのだから何も我慢する必要などない。ずっと秘めていた苦しい胸の内を吐露すれば抱きしめる腕が強くなる。
「そうか、もう大丈夫だ。夢はもう終わったんだ。稽古ならこれから嫌と言うほど付けてやるから」
そう低い安心する声で囁かれ、顔を上げれば優しい父が見下ろしていた。
頭をわしゃわしゃと撫でられ、夢とは言えさすがに気恥ずかしくなる。
「お前はいつも我慢してばかりだから、こうして甘えてくれて嬉しかった」
ニコニコと抜けるような青い空を連想させるあの懐かしい笑顔に、杏寿郎は夢でも構わないと幸せな気持ちになったのだった。