切り取れなかった日曜日 石化復活してから、しばらく俺はこの世界を哀れだと思っていた。発達した便利な文明は時の流れで消え去って栄華を極めた痕跡だけが空しく残った世界。長らく生物の頂点に座していた人間が作り上げてきたものが自然に淘汰された有様を過去に想像したことがなかったわけではないが、こうして目の当たりにしてみた印象と感情とはかなりの差があった。
日々のなんでもないような、それこそ気付きもしないささやかな日常の変化を趣がある、風情があると慈しんで楽しむ感覚を忘れたわけではない。狩猟時代に戻った日常には新鮮さはあったし、体験したことのないことを体験していく発見もあった。
ただ飽きてくるのである。
元々、芸能界で人間相手に仕事をしてきた俺としては物足りなさが少なからずあり、つまりは飢えていたのだろう。渇望する心に仕方ないと折り合いをつけて、要求されるままに俺を復活させた男の命を聞いた。最初は復活させてくれた礼もあり、服や食料を分けてくれるなどの恩に対するギブアンドテイクの気持ち。ただ、彼の場合は少し行き過ぎていて、どういうわけかたった一人、自分の世界を脅かさんとする相手に執着して消そうとまで考えていた。
暴力での解決も辞さない考えを受け入れがたく思ったが圧倒的な力の前と、だけでない賢さにどうにか丸め込んで自分の倫理を突き通せる望みが薄いのを悟り、ならば争わない方が良いと判断を下したまで。
それがどうだろうか。
石神千空。彼との出会いを俺は長そうでもしかしたら短い生涯の中、きっと最後の最後まで忘れることはないのだろう。
道端に花が咲いていた。名前も知らない花だ。白くて淡い緑色の儚そうな花。思わず浮かんできた少年の姿を重ねた花を静かに摘み取って指先で転がす。きっと誰かに聞けば正体がわかるだろうが、今は知らないままで構わない。
朝露で袖を濡らさないように手を伸ばして摘み取ると、期待せずにクンと花の香りを吸いこむ。そしてやっぱり感じられない香りに小さなため息をついた。
「おい、ゲン! 遊んでんじゃねぇ! さっさと行かねぇと戻るころには陽が登って頭が煮えちまう」
くるくると見つけた儚さを弄ぶ俺に怒声が飛んでくる。キリッとした眉をさらに吊り上げた少年が右手をサッとあげて先を急ぐ仕草をした。逆立った白い髪。その毛先にかけて濃くなる緑色がまるで白菜のように見える不思議な色と髪型の少年。真っ赤な瞳も珍しく、額には左右の眉から髪の生え際にかけて伸びた罅が二本刻まれている。
「ちょっとくらいいいじゃない、千空ちゃんたらせっかちなんだから~」
「そのちょっとも積み重なるとちょっとじゃなくなるだろうが」
石神千空。俺を復活させた獅子王司が探せと依頼し、消したいと思っている相手だ。
正直、この少年のどこを危険視したのか。詳しい話を聞くよりも本人を見て俺が判断しようと思った。情報の欠片を拾い集めるうちにまだ見ぬ彼の残した軌跡。木の幹に刻まれた、失われたと思っていた日付の記録。
それを見た瞬間、俺の中で石神千空という男に対する好奇心と興味は格段に膨らんだ。そして会ってみたい、話してみたい。彼がどんな人物なのかこの目で見て確かめたい欲に突き動かされ、出会うその日を楽しみにしていた。
「だ―って、俺マジシャンだよ~。マジックのタネになりそうな植物に目が引かれちゃうの仕方ないじゃない」
「なーにが仕方ないじゃない、だぁ。そんなもん今じゃなくったっていいだろうが。帰りにしろ、帰りに」
エンタメを否定はしないが、彼には早く目的地にたどり着きたいらしい。まだ湿っている土の匂いや咲いた花を感じる余裕はないようだ。言い換えれば気持ちが前しか見えてないということか。
「帰りならいいんだ」
遅れを取り戻すかのように歩を速めた彼に小走りで追いつく。
「ぁ? 用が済んだ帰りならテメーがどこで道草喰ってようが関係ねぇからな。あ、ただし荷物は運んでもらうけどな~」
クククと咽喉で含み笑いを付け加えて、意地の悪い笑みが返ってくる。
「絶対それ、俺にドイヒー作業用意してるんでしょ? 全く俺は手先の器用さは千空ちゃんよりも自信はあるけど、人間だからね。仕事した分の対価は欲しいっていうか、タダじゃ働かないからね」
「働かざる者食うべからずで飯にはありつけてんじゃねぇか」
「いやいやいや、俺が要求したいのはプラスアルファのカンフル剤になるようなご褒美ですぅ~」
駄々を捏ねる俺にうるせぇなと舌打ちをした千空ちゃんが俺の大好きな飲み物をくれはしないかと期待する。なかなかに面倒臭いのは自分でもわかってはいるが、これくらいの甘えは許して欲しい。
「……ぞ」
もぞもぞと口が動いて千空ちゃんの顔が赤くなっていく。同時に歩みが止まった。
「え?」
「いや、やっぱりやめとくか」
聞き返した俺を一瞥して千空ちゃんが背中の籠を背負い直すとさっきよりもさらに早いスピードで前に進んでいく。もはや競歩である。
「そんなに急いだら、帰りは歩けなくなるよ」
「ククク、問題ねぇ。帰りは川下りで帰る」
トントンと額を指でつついてドヤ顔している横顔はすでに元の色に戻っている。
「ワイルド過ぎない?」
「ぁ?」
摘んだ花をそっと袖に忍ばせて、開いた距離を縮めていく。司帝国と石神村を行き来している俺だ。千空ちゃんよりも脚力はある。
事も無げに隣に並んだ俺に千空ちゃんが目を丸くしたがすぐに小さく舌打ちをしてさらに速度をあげた。負けず嫌い過ぎて合理的な判断がどこかにいったらしい。
帰りにクタクタになっている彼を想像で思い描いて聞き逃した振りをした言葉を思う。先の言葉と引き換えならば彼のワガママに譲歩してやってもいい。
ただ前だけを見て突き進む彼の隣という特等席。憐れみを感じた世界が色づいていく、というよりも俺の物の見方が彼に触れて変わっていく。
「千空ちゃん、俺さぁ~」
石の世界も悪くないと言えば贅沢言うなと言われてしまうだろうか。
願わくばこの先何が起こるかわからない未来を憂うわけでないけれど、今この瞬間を切り取りたい。切り取ったこの世界の中で何にも脅かされずに君とずっと過ごしたい。到底、彼には聞かせられない思いを飲み込んで俺はいつものように偽りを口から吐き出した。
・庭にヒョウタンの花が咲いていたのでモデルにしてみました。花言葉は幸福、繁栄、平和、夢らしいです。