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    周一周

    @amaneichika

    旧どつ書くひと
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    周一周

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    小説 ホラー ささらとろしょが事故物件に住むはなし カプタグつけてるけどnot腐な旧どつ 申し訳程度の謎解き要素も入れるつもり

    2022/04/30 ver0.1
    05/01 ver0.2
    05/19 ver0.3
    05/23 ver0.4
    12/11 ver0.5
    12/17 ver0.9

    #ささろ
    sasaro
    #ろささ
    rosasa

    恐い間取り花園北にあるそのアパートは、利便性のみを評価するなら最高の物件だった。大阪環状線が目と鼻の先にあり、路線を越え通天閣を過ぎると、そうかからないうちにミナミの繁華街へ行くことができた。大阪の中心地に近いにも関わらず、大国町を境に家賃相場がより良心的なものに変わるため、学生や、難波の劇場を根城とする芸人たちが、少なからずその周辺に住むことを選んだ。おまけにその賃貸は、近辺にある似たような間取りのどの部屋よりも、安い価格で借りることができた。

    そんな好条件を有していながら、しかし件(くだん)の物件は、長らく住み手の見つからないままでいた。理由はひとつ明白に、その物件には居住する際の「告知事項」が存在していた。5階建てアパートの最上階、10畳ワンルーム、風呂トイレ別、バルコニーあり、ロフト付き。小洒落た造りをしたその部屋にはかつて、都心の大学へ通う女学生が住んでいた。その人は大学三年生を迎える春に突如として連絡が途絶え、様子を伺いに田舎からやってきた両親が、ロフトの柵で首を吊っている彼女の死体を発見した。警察が彼女の身辺調査を行った結果、当時その女性と付き合っていた彼氏が消息を絶っているという不可解な事実が判明したが、二人の関係は特別悪くなかったそうだ。彼女は果たして自死か他殺か、また彼氏はどうして消えてしまったのか、どちらも決定的な手がかりを掴めぬまま、自殺という仮の結論のままその事件は処理された。そうするとすぐ部屋には特殊清掃が施され、人が住む前のまっさらな状態に繕い直された。西日の多く差し込むその部屋は、今もがらんどうの口を開け、再び誰かが出入りするのを待っている。

    その日は予兆もなくやってきた。鍵を開け入ってきたのは、二人連れの若い男だった。ひとりは目つき鋭く手足の長い美丈夫で、もうひとりはにこやかで愛嬌のある表情を湛え、連れの男と比べるといくぶん華奢な体つきをしていた。なんだか騒々しい二人組で、細身の男が首を上げその美丈夫を叱っていた。

    「盧笙、お前なんでそんな胡散臭い頼み事引き受けたん」

    「胡散臭いってなんやねん。お前しか頼めるやつおらんて泣きつかれたら、話聞いたるのが人情ってもんやろ」

    「お前しか都合ええやつおらんの間違いや。親の脛かじって授業も受けんと遊び呆けてる金持ちのドラ息子、ひとつも信用できる要素ないやんけ」

    「俺らも人のこととやかく言える立場やない。敷金も礼金もない、はじめの一ヶ月は水道光熱費だけで、家賃も取らん言う条件ちゃんと確認して契約書作った。おまけに謝礼まで出るんや。背に腹は変えられん」

    「おかしいことこの上ないな。絶対何かあるやろ。徹底的に調べるで」

    「お前が住むんとちゃうやんか。おい簓、勝手に入んな」

    簓と呼ばれた華奢な男が先導して、二人は部屋の中をつぶさに見て回った。玄関、キッチン、風呂場、トイレ、リビング、そしてバルコニ―。簓がロフトのはしごを登り終わる途中で、クローゼットの中を覗く盧笙に声をかけた。

    「なぁ盧笙、お前この部屋についてなんて説明された?」

    「特に変わったことはないで。親の持ってる不動産で、前の住人が退去する時に何やトラブったらしいねん。悪い口コミ流されて全く買い手がつかんから、一回誰か住まわせて問題ないこと証明したいって話やった」

    「ほんまにそれだけか?」

    「おん。何か気になることでもあったか?」

    「柵が一本塗り替えられとる」

    「え?」

    観音開きの扉から顔を上げ、盧笙はロフトに近寄った。簓は階上に乗り上げ腹を下に寝そべり、代わりにはしごへ手をかける盧笙に向かいその場所を指し示した。塗料がひと膜浮き上がり、その周囲と比較して、より白色の透明度が高かった。

    「物ぶつけて禿げたか何かしたんやろ」

    「せやな。その禿げた理由が問題や」

    ここの住所教えて。そう言って簓はポケットからスマホを取り出し、ブラウザを立ち上げ盧笙が契約書を鞄から取り出すのを待った。彼が読み上げるその住所を打ち込み、検索結果に出てきたサイトをひとつ開いて盧笙に掲げた。

    「言わんこっちゃない」

    それは物件の情報公示サイトで、その中で紹介されているものはすべて、いわく付きとして知られていた。1年前、501号室にて、若い女性の首吊り自殺。そう但し書きされた物件の住所と、二人が今居るその部屋の住所と部屋番号が合致した。まさにここは、世間が俗に言うところの「事故物件」であった。


    恐い間取り


    「ものは言いようとはよう言ったもんやな」

    二人はロフトを降り、ワンルームの真ん中に膝を突き合わせ座った。先程までの態度と打って変わって盧笙はしおらしくなり、俯きがちに簓の説教を聞いていた。

    「この部屋いつまで住まなあかんの?」

    「わからん。でも一ヶ月分家賃タダっちゅうことは、最低その間は居らなあかんと思う」

    「守らんでええやろ、その約束。どうせ、そいつが欲しかったんはお前のサインが入った賃貸契約書や。誰か住んだって証明できたら言わんでようなるらしいで、前に人が死んだこと」

    「でももう謝礼受け取ってもうたんや。引っ越し費用に少し使うた。今さら反故になんてできん」

    「ほんま、ボンボンは金の使い方がよう分かっとるわ」

    簓は首を上げ、ロフトの柵をじっと見つめる。考え込むように視線をその周囲に彷徨わせながら、胡座をかいた片膝がわずかに揺れていた。

    「なぁ盧笙、この部屋の鍵、俺に一本貸して」

    「なんて?」

    「ものは試しや。腹括って住んだろやないかい。何かあったら、それはそれでおもろいやろ」

    「何でお前が居座る気満々やねん」

    「お前ひとりで住めるんか?人が死んだ後の部屋」

    盧笙は少し口ごもり、しかし何かを反論しようと口を開いた矢先、インターホンが部屋に鳴り響いた。盧笙の肩がわずかに跳ね、言葉は身体の内に呑み込まれた。そんな盧笙を差し置いて、簓は立ち上がり玄関口の扉を開くと、つなぎを着た男が大型ダンボールを背に顔を出した。二人の相談は一度そこで中断され、ともに部屋のレイアウトを整える作業に勤しんだ。途中、布団の配置場所についてまたひと騒ぎをし、結局それは部屋の隅に小さく畳んで置かれた。ロフトの上には使用頻度の低い雑貨がわずかに収納されるのみで、生活空間として利用しないこととなった。その作業は簓に押し付けられ、盧笙は終ぞロフトに乗り上がることはなかった。

    リビングスペースがあらかた整った後、二人は近場のスーパーで食料品を調達し、ローテーブルに惣菜を並べ各々好きにつまみながら、向こう一ヶ月をどう過ごすかについて話した。

    「ほんまに四六時中この部屋居る気か」

    「水道代も電気代も折半するて。言うて引っ越す前とそんなに生活変わらんやん」

    「人の家に侵入してまで好き勝手入り浸んのはお前だけや」

    「まぁそう堅いこと言わんと。ものは考えようや。ネタ合わせできる時間が増える思うたら、むしろ都合ええやろ。俺ら明日からAクラスやで。朝から晩までみっちり授業や。それなりに相談する時間作らんと、漫才もコントも数出せん」

    「まぁ、お前がぎょうさんネタ叩いてくれたおかげでAクラ行けた部分あるとは思うけど・・・」

    「うかうかしてられんで。月変わったらまた事務所対抗戦のオーディションや。金払うた分、経験さしてもらえるもんは全部貰うとかんとあかん」

    「まぁ、な。Cに行ったら発声練習しかせんようになるらしいな」

    「アコギな商売しとるわ、ほんま。てなわけで、話は決まりやな。明日服持ってくるから、今日は寝巻きお前ん貸して」

    二人は机を片付けながら、細々とした家事分担の話をした。簓が風呂に入っている間、盧笙は机を部屋の隅に置き、せんべい布団と、手当たり次第の座布団とクッションを並べ置き、寝支度を整えた。交代で盧笙がバスルームに消えると、簓は縄張りを巡回する猫のように、また部屋を一周した。再びロフトへ登ろうとはしごから半身を乗り上げたところ、風呂上がりの盧笙に見つかり、半ば引きずり下ろされる形でそのパトロールは取り止めとなった。さながら修学旅行の夜のように、二人は並んで寝床に入り、何て事ない些末な話しと明日の予定とを交互に繰り返しながら、そう経たないうちに眠りについた。

    --
    事故物件というレッテルを時たま忘れてしまいそうになるほど、その部屋は賑やかになった。難波のタレント養成所に通うその二人は自分たちの嗜好と適正をよく把握出来ているようで、長時間ともに過ごしているにも関わらず、およそ元は他人どうしと思えない距離感で、何かにつけて喋り続けた。雑談の中心はおおよそ学校に関することで、その日受けた授業について、また目に留まった興味をそそる小さなアクシデントについて、ひたすら話題を膨らませた。

    「Aクラスになったらもうやらん思うてたんに、まだダンスの授業受けなあかんのか」

    「なんや簓、何か気に入らんところでもあるか?」

    「大ありや。入ったときからずーっと同(おんな)じことやらされとるだけやないか」

    「確かにちんこちんこ叫んで踊るんは同じやけど、ダンスの種類は毎回違うで」

    「なんでお前はそれで納得できんねん。向こう半年で一生分のちんこ言うたわ。これ以上いらん」

    「羞恥心を捨てる訓練、て大義名分があるやん。先生、ちゃんとキャリアのある振付師やし、まだみんな捨てきれとらん、て思われとんちゃうか」

    「うんざりしてるだけやて。ちんこはちんこでも、俺はもっとこう、スマートなちんこの方が好きや。そやなぁ、例えば、下積み中の芸人と掛けまして、童貞のちんこと解きます。その心は」

    「どちらも将来の”せいこう”夢見ていっそう磨きがかかるでしょう、って何言わすねん。それにこの芸、もうとっくにやっとる人おるやないか」

    「確かにな。綺麗な顔した姉ちゃんが言うから、余計におもろいってとこあるわ」

    そんな与太話を繰り返しながら、しかし心のどこかでは、死んだ人間の気配のようなものに些か過敏になっているようで、古い型の冷蔵庫が気まぐれに発する唸りや、棚中の本が倒れる音を察知するたびに会話は止まり、そして気まずそうに顔を見合わせ、また話の続きを始めた。時間が経つに連れその気苦労も次第に緩和されると期待していた様子だが、引っ越しから一週間ほど経過したある日、盧笙が明示的に簓の不健康な変化について指摘した。

    「お前、夜ちゃんと寝れてるか?最近顔色悪いで。授業中も居眠りしとったし。前までそんなこと無かったやろ」

    「ちょっと授業準備に気合入っとっただけや。前のネタ見せ、あんなようわからん構成作家にこき下ろされたんが気に食わんかってん」

    「確かに言い方キツイなぁて思うたけど、ヤケになりすぎちゃうか」

    「大人になったやんけ、盧笙。お前がいつ啖呵切るか、ヒヤヒヤして見とったわ」

    「馬鹿にしとんのか。確かにテンポ早すぎて何言っとんのかようわからん言われたけど、ネタの内容にはいちゃもんつけられんかったやろ。二人でもうちょい練習すればええ話や。お前ひとり夜更かししてネタ詰める必要ない」

    「ぶっちゃけ、テンポ早いんが悪いことや思っとらんねん。お客さんがついてきてちゃんとウケたら問題ないやろ。早い早い言われとったストリート漫才師が新人賞取りまくった挙げ句、M-1優勝までしとるやん。そういうことや」

    「どっかで見たことある言われたん、その前例があるからかもな。破天荒なやつが好きなんやろな、あの構成作家」

    「褒めてたやつ、言うほどメチャクチャなことしとらんやんか」

    「あぁ、破天荒って、本当は豪快なことする言う意味ちゃうんやで。今まで誰もせんかったようなことをする、が正しいんや。誤用してた芸人が売れたから、それが広まってもうただけで」

    「そうなんや。よう知っとるな。でも余計に難しゅうなったわ。目新しいことなんか、そうそうポンポン出てこんわ」

    「根詰めすぎてたら余計に出てこんで。ネタ帳見して。二人で考えようや」

    盧笙が簓の広げたネタ帳を自分の側へと引いたとき、ロフトの階上からゴトリとなにかが落下する鈍い音がした。二人の首がロフトを仰ぎ、そして互いに視線を重ねた後、簓が腰を上げてロフトの上に上半身を乗り上げた。

    「ダンボールが傾いたっぽいな」

    「ほんまにそれだけか」

    「おん。別に変なとこないで」

    「・・・なぁ簓、ほんまにこの部屋、何ともないて思うとるか。お前の寝不足の原因て、ほんまは」

    「お前が何ともないやんけ。俺ら霊感、あるとしたら、たぶん同(おんな)じくらいしかないで。むしろお前の方がちょい気にしいのビビりやろ」

    「ビビっとんちゃうわ。お前の体調、心配しとるだけや」

    「ほーか。わかった。ほんなら、ネタ合わせの続き付きおうてや。喋り疲れたら勝手に寝入るて」

    二人はルーティンに習い、テーブルを立て床に布団を敷いた。簓が寝袋を持ち込んだことにより、寝床の窮屈さは解消し、起き抜けに互いの寝相について小競り合いをすることも減った。引っ越しによって行き場のなくなったデスクライトをダンボールから引っ張り出し、二人並んで腹を下に寝そべり、草臥れた大学ノートと向き合った。

    「正直、居るか居らんかわからん状態がいっちゃんしんどいわ。いっそおもっくそ脅かしてくれたほうが、心置きなく逃げられる」

    「お前のリアクション一級品やもんな。ドッキリ好きのテレビマンに目つけられたら、すぐ仕事貰えると思うで」

    「想像するだけでしんどなる。家ん中までは流石に勘弁して欲しいわ」

    「そんなドッキリあったな。ベッドの下にずーっと仕掛け人隠れとって、何も知らんと生活しとんのモニタリングされるやつ」

    「確かにおもろいけど、あの人、番組に好き放題されすぎやろ。家ん中のドッキリ多すぎて大体の物の配置覚えてもうたわ」

    「売れるんは、あれくらいのことやる度胸と根性ないとあかんっちゅうことかもしれんで。この生活も、そのための修行や思うたらお得やん」

    「お前ほんま前向きやな。けど、いい加減今日はお開きや。もう寝るで」

    「あともうちょい。ここ、新しく付け足したから見て」

    なんだかんだ口実をつけてずるずると会話を続けていたが、布団に入って一時間も経たないうちに盧笙の声は聞こえなくなった。身体を横倒したまま寝息を立てる盧笙の様子に気づき、それ以上付き合わせることを諦めたのか、簓は掛け布団を彼の首上まで引き上げた。一方、盧笙から再三忠告を受けたにも関わらず、その日も簓の夜更かしは続いた。時折思い出したように首を回し、光るその目をぐるりと部屋の四隅に凝らしながら。

    --

    緊張感を維持するにはそれなりの疲労が伴うもので、たとえひとつひとつが小さなものでも時間に比例して累積され、ある日を境に無視できない量になった。先にタガが外れたのは盧笙の方で、その週末、バイト先から戻った簓の襟首を捕まえて、力任せにその体を家の中に引き摺り込み、座布団へ腰を下ろさせた。

    「何やいきなり」

    「何やもなにもあるか。お前、俺がおらん間に女連れ込んだやろ」

    「はぁ?いきなり何言い出すねん」

    「すっとぼける気か。証拠は上がっとるんやぞ」

    盧笙が机の盤面を手のひらで叩く。そこに置かれたのは、二人のどちらのものとも異なる色をした、複数本の長髪だった。

    「俺に覚えがないっちゅうことは、お前しかおらんやろ。正直に吐いたら恩赦したらんこともないで」

    「冤罪も冤罪やで刑事さん。やってもないこと、はいやりましたなんて頷けるわけない」

    「今までの自分の行動よう思い返してみぃや。俺のプリン散々盗み食いしよって。今日もまたひとつ無くなっとったわ。自分にまだ信用残ってるとでも思うとるんか」

    「前科者やからって無闇に悪者にしたらあきません。今週入ってからまだ一回も食うとらん。もちろん女も連れ込んどらん。俺は徹頭徹尾、無実やて。盧笙、後生や。堪忍してやぁ」

    「ふざける余裕あるやんけ。今すぐ吐け。俺のプリンも吐いて出せ。腹を切って罪を詫びろ」

    「死体がもう一個増えてまう。あっ、ちゃいます、嘘です、お許しくださいませお役人様」

    解消しきれぬ気疲れが身体に蓄積している中、そんな力みがかった押し問答が長く続くはずもなく、掴み合いに間もなく息を切らした後、ふたりは再びは各々の座布団に胡座をかいて一息ついた。

    「俺、もう限界やもしれん。この部屋絶対なんか居る。お祓い行って、その後すぐ契約破棄してくる」

    「そんな金あったら別のことに使い。引越し先もまだ決まっとらんのに。何も居らんて。居ったとしてもこの二週間、俺らに何もしてきとらんやんか」

    「目の下にでっかいクマ作ってるやつの言うことか。簓、お前も一緒に行くで。間違いなく取り憑かれとる」

    「そんな訳あるかー言うても、信じてもらえんやろな。しゃあない。ほんなら、こうしようや。明日一緒にゴミ拾い行くやつの家に泊まらせてもらお。喧嘩の仲裁もできて、クラスの空気も良くなる。俺らはこの部屋から離れてリフレッシュできる。一石二鳥や」

    先日、二人は違う議題で今日と同じような言い争いをしていた。簓が授業中にうたた寝をしていた様子を咎められ、その養成所で慣例となっている、駅前のゴミ拾いを罰則として与えられた。同じペナルティを課された組が他にもいた。曰くその人達はどちらも「古風でロック」なやつらで、コンビ間の小さな価値観の相違が殴り合いの喧嘩に発展し、居合わせた複数人で事態を収める羽目になったとのことだ。何であいつらと同じなん。自分の素行を棚に上げ不満を零す簓の頭を、そうすることが自然であるかのように盧笙が叩(はた)いた。

    「受け入れて貰えるか?あいつら、相当敬虔な信仰者やで。気持ちわからんでもないけど」

    「偉大な一期生やからな。ほな、作戦会議しようや。彼を知り己を知ればなんとやらっちゅうやろ。分析は大事やで」

    「あんな血気盛んなやつらと百戦もしたないわ」

    「ヤンキーの言う台詞とちゃうな。まぁ、俺も同意見やけど。ほら、はよあるある言うて~。お前も読んどる言うとったやろ。芸人の『聖書』」

    「そんな引き延ばして説明するつもりないわ。えぇと、まずお笑い至上主義。おもろければ何やってもええ思うとるかもしれん」

    「それが所謂(いわゆる)、斜め上に行ってるってことや思うけどなぁ。これ、ゴミ拾いに引っ張り出すところから始めなあかんかもな。はい、もっとあるある言うて~」

    「いざ冷静に挙げるとなると難しいな。あえて言うなら、人を応援しない。自分がいっちゃんおもろいのは当然として、戦いに身を投じているから、人を応援している余裕なんてない」

    「あいつらどうしもそうやけど、ネタ見せの授業、他のやつらので絶対笑わんっていう気迫感じるときあるわ」

    「他あるとしたら、ネクラ・貧乏・女好きの三原則は意識しとるかもな。入学したての頃、ボケの方と話したことあるけど、ダウナーに見えて意外と喋るやつやった」

    「なんやふたり一緒に居るから変なシナジー生まれて厄介に見えただけか。最悪、ボケ側は捕まえられるな。念のため女の話も用意しときたいとこやけど。盧笙、おまえ都合つくやつおらん?」

    「おらんからお前を疑うとるんや」

    「ぎゃひ、ぼ、暴力反対・・・」

    そこで作戦会議は一時取りやめとなり、騒ぎの発端となった髪の毛については、その持ち主が幽霊なのかそれ以外か、追々の検証に利用できるかもという簓の口車に盧笙が渋々乗る形で、未使用のジップロックに収められ、ロフトの隅に放置された。その過程で、二人の話題はそのクラスメイトの喧嘩の原因に移ろった。

    「むしゃくしゃして喧嘩するほどしんどい課題やったか?キャラ立ててみるって」

    「ええ感じにポップなギャガー出来た言うて、何も捻らんと文字通り親父ギャグ連発してくるとは思わんかったわ」

    「お前はシュールと世界観を作り込みすぎや。けどまぁ、ふたり足して割って丁度ええんちゃう?案外戦える気ぃするで。あいつら、キャラ芸を馬鹿にしすぎや。自分らを売り出すためのプレゼンとして十分ありやろ。時代が時代なら、それしか求められんようになることもある」

    「あるある言いたい人の相方もそうやんな。ふたりとも、もともとれっきとした漫才師や」

    「賞レースもええとこまで行っとった。実力あんねん。でも劇場とテレビで求められる役割全然ちゃうなんてこと、ざらなんや思う」

    「もっと言えば、一時期キャラでしかテレビ出とらんかったんに、今や両手で収まらん数のレギュラー抱えとる芸人もおる。何やったかな。『アナタガ、スキダカラー』」

    「あったあった。むしろ銅鑼叩いてカタコトの日本語喋ってた印象のほうが薄いんちゃうか?」

    「キャラ芸、向き不向きあると思うけどな。ああいうので跳ねるひとって、自己分析ちゃんとできて、かつ器用やねん。誰でもできることちゃう」

    「その言葉、そのままあいつらに言うてやり。プライドと理想だけで飯が食えたら、芸人誰も苦労しとらん」

    飯食うて風呂はいろ。簓はそう盧笙に提案し、これまでの諍いの間机上に放置されていた手提げから、膨れ上がり歪んだ四角錐のコンテナを取り出した。魯肉飯(ルーローハン)。簓がそう言い蓋を開けると鮨詰めにされた豚肉の塊が顔を出し、指の腹に付いた飴色のタレを啜った。食いきれるかなぁ。小さく弾んだそのぼやきは杞憂に終わり、一時間もしないうちにふたりは明日の朝食の下準備を始めた。簓が自分を贔屓にしてくれているバイト先の中国人店主のモノマネを始めるとまた話は着地どころを見失い、不文律的に設けていたおおよその就寝時間を少し過ぎて、盧笙が先に寝息を立てた。

    --

    週末、ふたりは朝から部屋を開け、そして夜半過ぎにふたり揃って帰ってきた。夕方頃から予報を外れて空がぐずつき、日が落ちてからもずっと雨水が家の窓を叩いていた。いの一番に盧笙がリビングルームのドアを開け、部屋を突切りバルコニーの外へ出た。そこには残暑の終りに、そろそろ今年最後の収穫を予定していたミニトマトのプランターがあった。

    「新聞紙あるか」

    「そんなもんないで」

    そっけない相槌を打った簓だったが、ふと思い立ったようにロフトを上がり、いくつかダンボールを抱えはしごを降り窓口に立った。引っ越しに使う予定のもんやけどええか。そのダンボールを下敷きに鉢の避難場所を部屋の隅に拵えた。作業の合間にまたふたりは雨に濡れ、勢いづいたくしゃみが何度か室内に響いた。風雨に吹きさらされた上着の色が斑に変色していた。

    「えらい目に遭うたわ」

    そう言うと簓は洗面台へ消え、頭と手にタオルを下げまた盧笙の側へ戻ってきた。収穫を待っていた青い実のうちの一つが落ちてしまったようで、盧笙はそれを暫く眺め、そうしないうちに何も言わずに手近なゴミ箱へ捨てた。

    「あかんかったん」

    「一度落ちたらもう無理や」

    手渡されたタオルで頭を掻きつつ盧笙は簓の隣に腰を落とした。髪を固めていたワックスが剥がれ、持ち上げていた前髪の何房かが頬の上に垂れた。

    「あんなお節介な講釈真面目に聞かんと、早う帰ってきたらよかったな」

    「しゃあない。付き合いも仕事のうちや。ゆくゆくのな。飯まで奢ってもろた。文句言えん」

    「一日中イベントの手伝いさせられたにしちゃ、やっすいお駄賃やで」

    「その代わり全ステタダで見さしてもろたやろ。勉強代と足して引いてトントンや」

    疲労を帯びたふたりの会話は普段と比べ緩やかに流れ、言葉言葉に小さな隙間が空いた。なぁ。そんな空気が落ち着かないのか、伺うような声色で簓は盧笙に問いかけた。

    「盧笙、お前どう思う?」

    「何?」

    「養成所の主席になったコンビは売れんっちゅうジンクス。だいたい芸人辞めるか、解散たりしてそのまんまの状態で生き残っとらん」

    「あれは主席に限って売れん、ちゅうことやなくて、そもそも成功する芸人の数が絶対的に少ないねん。ひょっとしたら、養成所の先生や生徒に評価されることと、世の中で評価されることは少しずれとるんかもしれん。もちろん時の運もある。世の中とうまく噛み合ったやつだけが売れる」

    はは。弾けるような笑い声が部屋の空気を押し上げた。幾分真面目な面持ちで考察を述べた盧笙が、些か不服そうな視線を簓に送った。

    「あんなシュールな持ちネタあるやつの言う事ちゃうて」

    「自分がおもろい思うとることくらい大事にしてもええやろ。それはそれ、これはこれや」

    「おぉ。芯持っとくんは大事やで。おかんが言うには、ずっとこれや思うたスタイル十何年貫いて、ようやっとどでかい一発当てた芸人がいるって言うねんな」

    「もう分かったわ。答え言うてもうとるようなもんやないかい。忍耐は必要やし、もしかしたらほんまに奇跡みたいなもんやったかもしれんけど、あれを知ったら芸人誰でも夢見てまう。いつか時代が認めてくれるんちゃうかって」

    簓は鼻から長い息を吐き、ふと片膝を起こして立ち上がり、紙くずの上に鎮座したトマトを拾って盧笙に投げた。反射的に盧笙が腕を伸ばし、それは両の手のひらに収まった。

    「大事にしとき。うまく売れたら、ある程度自由にさしてもらえることも増える。おもっくそ自分の世界観押し出して、個展できるくらいぎょうさん惚れ込むファンがつくことあるかもしれん。ゆくゆくな。」

    「誰がナス科仲間やねん。別にアーティストになりたいわけちゃうわ」

    「世界観あるとこは変わりないやんか。養成所ん時から天才て評判やったらしいで。お前の目指すところのひとつやろ」

    「難しいこと言うな。それ、青いままやからどっちにしろ食えん。捨てとき」

    盧笙がトマトをぶっきらぼうに投げ返すと簓はそれを胸で器用に受け止めて、再びゴミ箱へ収めた。机上のリモコンを浚い、盧笙の隣に座る傍らテレビの電源を付けた。チャンネルを数回切り替えると、ふたり御用達のバラエティが映った。近年賞レースで評価された、芸歴の若いお笑いコンビの冠番組で、深夜帯ということもあってか、時たまBPOを気にしたくなるような過激で実験めいた企画が多く、ふたりはそのスリルある自由さを気に入っていた。はよ売れたいなぁ。足を投げ出して壁に寄り掛かり、薄い腹を掻きながら簓が小さくぼやいた。

    「十年かかるって嘘やん。気ぃ遠くなるわ」

    「あっちゅうまに過ぎるんかもしれん。オーディション受けて、うまく行ったら劇場出れるようになって、コツコツ営業先と劇場出番増やせるよう努力して。同時並行で賞レースの準備して。もちろん生活するためにバイトもせなあかんやろし」

    「みんなそんなん言うから怖いねん。最初はみんな必死や。でも2-3年したら売れへん状態に慣れる。同じような状態のやつらとバイトして、飲んで、たまに劇場出て、また飲んで、気ぃついたら賞レースの芸歴制限終わってて。後輩に八つ当たりした挙げ句俺芸人辞めなあかんかなぁてメソメソするん見てられん」

    「さっきの飲み会そんなにしんどかったん」

    「そのせいでお前も俺も風邪ひきそうや。食えたはずのトマトも消えた」

    「全部事故みたいなもんやんか」

    「事故でも嫌や。辞める想像なんこれっぽっちもしたない」

    盧笙の視線がテレビ画面から外れ、簓の頭へ流れた。頭から被ったタオルに遮られ、簓の表情は見えなかった。

    「俺は辞める気ないで」

    デビューもしとらんやつが言う事やないな。画面を超えて届いた笑い声につられ、テレビへ視線を戻した盧笙は少し含羞(はにか)んでいた。

    「先輩のこと容赦したりや。予告もなしに突然今年から芸歴制限設けますぅ貴方もう出れませんなんて言われたら、ヤケ酒のひとつも煽るやろ」

    「お前に飲ませようとしたんは許さんで」

    「結果飲まんかったからええねん。居酒屋ついてった時点で同罪や」

    「勘弁してくれや。なんのためのソフドリやねん」

    「珍しくめっちゃ愚図るやん。終わりや終わり」

    脱いで待っとれ。盧笙は立ち上がり、クローゼットに向かった。その様子を驚いた表情で追う相方にはまるで気づかぬ様子のまま、スウェットを二着抱えて元いた場所へ戻った。

    「お前がドスケベ大魔王やん」

    「なんや唐突に。風邪引く言うたんお前やろ」

    「唐突なんはお前や。R-1の話ししてたら毎年楽しみやった芸人のこと思い出してん。そういや同(おんな)じ理由で大会出れんくなったなぁて。考えたらちょっと同情できるようになったわ。俺なりに寄り添う努力してんで。褒めてや」

    「偉いやん。ちなみに俺は禿げとらんし、禿げる予定もない」

    「理系芸人の先輩やん。お前もデコからくるで」

    「それだけで一緒くたにすな。はよ着替え」

    二人が着替え終わらないうちに給湯器のアナウンスが鳴った。しかし二人はテレビの前を動こうとしなかった。バイトを理由に譲り合いが始まったが、どちらも大差ない時間に家を出ることが決まっていた。結局、ジャンケンに負けた盧笙が先に風呂場へ消えた。

    --

    借用主とはどうにか退去の合意を取れたものの、彼はその部屋に寄り付くことを嫌ったそうで、彼の親の予定が空く別日に退去立会いをする運びとなった。盧笙は幾分弁明する姿勢を見せたが、借用主のその態度が決定打となり、距離を置くようにという簓の忠告を強く拒否することができなかった。

    退去当日、天気は先週末と打って変わって快晴となり、乾燥し始めた空気が窓口から拭き入れて二人の髪を揺らしていた。二人は週中から引っ越しの荷造りに着手した。入居初日に退去の予定が決まっていたので、使用頻度の低いものはダンボールに詰めたままロフト上に放置しており、部屋が片付くまでさほど時間はかからなかった。最後に残ったキッチン周りの小物の梱包を盧笙に任せ、簓はバルコニーで暫く誰かと通話していた。簓がバルコニーから戻る頃にはすべての梱包が完了しており、盧笙はその過程で出た紙くずをまとめてゴミ袋に投げ入れていた。

    「あいつら13時半過ぎに着くて」

    「絶妙な時間やな。飯どうする」

    「悩むなぁ、腹減っとらんこともない」

    「菓子パンの余りあるで。それで繋ぐか」

    「おん、食う。頂戴」

    簓は盧笙が持ってきた袋の中から、もういくつも残っていない詰め合わせのパンを鼻歌まじりに指差し選び取り、バルコニーとの境になる大口窓の桟に腰掛けた。盧笙も袋から一つ取り出して、徐に包みを広げながら簓の側に座った。

    「えらいご機嫌やな」

    「最高やん。前の部屋そのまま戻れるんやろ?あそこの大家さんほんまええ人やったんやなぁ」

    「相談しに行った時、家出した息子が帰って来たみたいやわぁ言うとった。申し訳ないことした」

    「ええ菓子折り持ってこうや。おばちゃん何好きやったっけ。これからもお世話になりますぅて、もっかい挨拶しに行こ」

    「なんでお前が行く気やねん。ええ加減自分家(ち)帰れ。まだ居座る気か」

    「はよ会いたいわぁ。こんなおっかない家とっととおさらばしよや」

    「無視すんな。結局何もなかったやん」

    「運が良かっただけやで」

    「ビビらすんやめぇや。霊感同(おんな)じくらいしかない言うとったやんけ。俺が見えてへんっちゅうことはお前も見えてへんやろ」

    せやなぁ。簓はパンを包んでいたビニールをくしゃりと潰し、ゴミ袋の中に放り込んだ。

    「引っ越したら鍵交換しよな」

    「なんでやねん。お前にやる必要ないやろ。いつも勝手に入ってきよって」

    「そっちやない。玄関の鍵変えるんや。お前、ここに越してくるときも鍵交換代ケチったやろ」

    「あれで数万浮くねん。別に俺は気にならんし、好き好んで男の家入ってくるやつなんおらん」

    「こないだBクラスのやつが空き巣入られたって漫談してたで」

    「空き巣は窓とか割って入ってくるから鍵関係あらへんやん」

    「なんやその偏見。嫌ぁやぁ、俺も出すから変えようやぁ」

    「しれっと鍵もらう口実作んな」

    玄関の呼び鈴が二人の会話を割って入った。開いてるで。リビングドアを開けて男がふたり入ってきた。見たところ簓や盧笙とさほど年齢の変わらない、若い男たちだった。

    「邪魔すんで」

    「邪魔するんなら帰って」

    住人二人揃って同じ返事をしたものだから、声をかけたひとりが呆れたように鼻で笑った。

    「お前らそのテンプレなんぼ擦んねん」

    「ええやん。今まで何億人これで笑てる思うとん」

    「盛りすぎやろ。ええからはよ荷物寄越せ」

    「駐車場見つからんくて横付けしてんねん。駐禁切られる前に出ようや」

    この前はありがとな。後から部屋に入ってきた方が、荷物を運び出しながら盧笙にそう呟いた声が聞こえた。リビングルームに積まれたダンボールは一時間もしないうちになくなった。最後は簓と盧笙が床を簡易に水拭きし、雑巾を残したゴミ袋に入れて盧笙がそれを捨てると言って先に部屋を出た。残った簓は忘れ物を確認してから行くと背中越しに彼に伝え、入居初日と同じように、目を凝らしながら部屋を巡回した。彼はロフトへ上がってきた。白く塗装された木材の張る床を一巡見渡して、その首がぐるりと天井を向いた。そこでわたしは、初めて彼の顔を間近で見ることができた。聡い目をした青年だった。彼は数回瞬いた後、首を下げ半ば急いた様子でロフトのはしごを降り、振り返ることなく部屋から出て行った。玄関を抜ける際にブレーカーを落としたのだろう、眼前のモニターが暗転し、イヤホンからは何も聞こえなくなった。しまった、と思った。それと同時に、ついている、とも思った。少なくとも簓の方には感づかれしまっただろうから、泥棒猫を吊るし上げるために仕掛けて、そのままそこに残したおもちゃをすぐにでも回収しなければならなくなってしまった。しかしそれはあくまでついでの話で、今日のうちにあの家に行けば、彼らが捨て残した可燃ごみのいくつかを、そっくりそのまま手に入れられるであろうことの見当はついた。運が良ければその中に、彼らの次の行き先の手がかりがあるだろう。仮になかったとしても、通う学校と取り巻きの事情は凡そ把握できたので、辿り着くのにそう苦労はしないだろうことは予測できた。ただ、男の処理は一度経験あるものの、いかんせん今度は二人―うち一人は、相当勘と注意が働くので―前より頭を使う必要はあった。それは数駅の移動中に考えることにして、わたしは鍵を取って家を出た。
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    周一周

    PROGRESS小説 ホラー ささらとろしょが事故物件に住むはなし カプタグつけてるけどnot腐な旧どつ 申し訳程度の謎解き要素も入れるつもり

    2022/04/30 ver0.1
    05/01 ver0.2
    05/19 ver0.3
    05/23 ver0.4
    12/11 ver0.5
    12/17 ver0.9
    恐い間取り花園北にあるそのアパートは、利便性のみを評価するなら最高の物件だった。大阪環状線が目と鼻の先にあり、路線を越え通天閣を過ぎると、そうかからないうちにミナミの繁華街へ行くことができた。大阪の中心地に近いにも関わらず、大国町を境に家賃相場がより良心的なものに変わるため、学生や、難波の劇場を根城とする芸人たちが、少なからずその周辺に住むことを選んだ。おまけにその賃貸は、近辺にある似たような間取りのどの部屋よりも、安い価格で借りることができた。

    そんな好条件を有していながら、しかし件(くだん)の物件は、長らく住み手の見つからないままでいた。理由はひとつ明白に、その物件には居住する際の「告知事項」が存在していた。5階建てアパートの最上階、10畳ワンルーム、風呂トイレ別、バルコニーあり、ロフト付き。小洒落た造りをしたその部屋にはかつて、都心の大学へ通う女学生が住んでいた。その人は大学三年生を迎える春に突如として連絡が途絶え、様子を伺いに田舎からやってきた両親が、ロフトの柵で首を吊っている彼女の死体を発見した。警察が彼女の身辺調査を行った結果、当時その女性と付き合っていた彼氏が消息を絶っているという不可解な事実が判明したが、二人の関係は特別悪くなかったそうだ。彼女は果たして自死か他殺か、また彼氏はどうして消えてしまったのか、どちらも決定的な手がかりを掴めぬまま、自殺という仮の結論のままその事件は処理された。そうするとすぐ部屋には特殊清掃が施され、人が住む前のまっさらな状態に繕い直された。西日の多く差し込むその部屋は、今もがらんどうの口を開け、再び誰かが出入りするのを待っている。
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