その声を聴かせてひゅーいは基本的に考えが読めない。悩んでいるときや、楽しそうなときは分かるけど。
工房にいるときすごく暇そうなのにニコニコしてたり、体調が悪いのに倒れるまでヘラヘラしていたり、色々と気になることが多い。
野良オオカミだなんて言うくせに、俺にはその姿を見せたことはないし。まつりは頻繁に狼姿を見ているらしいから納得がいかない。
好きな食べ物とか、どんな趣味があるのかとか、自分のことはほとんど話そうとしない。向こうは不法侵入してくるくせに不公平じゃないか?
本当にいつもどんなことを考えてるんだろう。小さなことでいいから、もっと知りたい。
「あら、それなら聞いちゃえばいいのよ」
「え…?うわっ⁉あなたはたしか…」
「アーレイ!お久しぶりね」
背後から声をかけられた方を向くと、青いドレスにテンガロンハットを被った女性が立っていた。前にひゅーいと魔法界に行ったときに会った人だ。
「えっと、ウンディーネさん…でしたっけ。どうしてここに?」
「あなたの願いが聞こえたから」
彼女がパチンと指を鳴らすと、俺の耳にさざ波が走った。波にのまれて、深海に沈められたような深い水の音。聞こえたのは一瞬だけで、すぐ元に戻ったけど。
「その魔法、効果は一日だけだから大事に使ってね」
彼女はそれだけ言うとどこかに消えてしまった。耳に何か魔法をかけられたらしいけど、全く分からない。音が大きくなった感じもないし、鏡で見ても変化はない。
「一体何だったんだ…?」
自分では全く分からない、考えても仕方がないか。いい人だと周りから聞いてるし、危ない魔法はかけられていないはずだ。
後でひゅーいが工房に来るだろうし、その時に聞いてみたらいいか。そう決めて、特に気にせず自分の修行に専念することにした。
◆ ◆ ◆
(今日は修行の日なんだ)
ハッキリとひゅーいの声が聞こえて振り返ると、少し驚いた顔で立っていた。思いっきり話しかけてきたのに変な反応だな。
「気づくの早いね、気配消してたんだけどな」
「…は?」
(微かにマジの痕跡があるけど…みゃむ?にしてはうまい気がする)
目の前のひゅーいは口に手を当てて何かを考えている。どう見ても口を開いてないのに、俺の耳にはしっかり声が聞こえてきた。なんだこれ。
「声が…」
「ん、なんて?」
「……ごめん、なんでもない」
「ねぇ橙真、今日って師匠とか魔法界の人来てた?」
「いや、別に」
(うーん、橙真は何かあれば自分で言うだろうし…気にしすぎかな)
「俺にすぐ気づくなんて、愛のテレパシーってやつ?」
「何言ってんだ」
なるべく平静を装って対応しながら頭を整理し始めた。これ、ひゅーいの心の声が聞こえているんだな。十中八九あの人が掛けた魔法の効果だろう。
そりゃ知りたいとは思ったけど、こんな盗み聞きみたいなことをするのはよくないだろ。
ひゅーいに相談して、解除できそうならしてもら……でも、なんでこの魔法かけられたのかも説明しないとダメだよな。
ひゅーいのこともっと知りたいんだって言うのか?そんなこと面と向かって言うの抵抗あるな。
(今日のご飯なんだろう、橙真の家のご飯はどれも美味しいからなぁ)
母さん「橙真が家に美人さん連れてきた!」って大はしゃぎで、ひゅーいにご飯いっぱい食べさせてるもんな。で、どっちが本命なの?って聞かれた時はお茶吹いたけど。
(今夜はテレビで気になる映画があるんだった、一緒に観てくれるかな?)
気になる映画ってあれか、内気な男の子とワンちゃんが出会って仲良くなって、犬は何度生まれ変わってもその子に会いに行くハートフルなやつか。
ああいう映画が好きなんだな、家に帰ったら宿題終わらせておくか。あと風呂も早めに入ろう。
(…レッスンやステージもいいけど、修行してる時の橙真が一番かっこいいなぁ)
あ、これまずい、もう魔法のこと言い出せないやつだ。突然の爆弾発言に手元が狂って、完成しそうだったニャンコ飴を落としてしまった。まな板にベショっと音が響く。
「あら、珍しいね」
「…手が滑った」
「ふぅん、それもらってもいい?」
「失敗したやつだぞ」
「でも美味しいよ、橙真が作ったものだもん」
歪になった飴を口に含んでうん、美味しい!と言ってニコリと笑う。ひゅーいの心の声は聞こえない。本気で言ってくれているんだな。
罪悪感もあるけど、好奇心が勝るのと、言い出しにくいこともあって今日はもうこのまま過ごすしかなさそうだ。
よく考えたらこっちは不法侵入に私生活覗き見、魔法界へ誘拐など色んな被害を受けてきているんだから、ちょっとくらいやり返してもいいだろう。
なんとか自分に言い聞かせながら、もう一度ニャンコ飴を作り始めた。
心の声が聞こえると、それに反応しそうになるから大変だ。修行中はひゅーいに目線を向けてない分、話しかけられてるのかどうか分からない。
何度か反応しかけては誤魔化してきたけど、ついに(今日の橙真なんか挙動不審だな)という声が聞こえてしまった。
それでも工房ならなんとかなったけど、家に帰ってからはひゅーいが良くしゃべるから余計に反応が難しい。声が気になって宿題が進まないし。
(早く宿題終わらないかな…寂しい)
「…………」
(ずっと見てたらこっち向かないかな?)
「………………ひゅーい」
「あ、こっち見た(気づいてくれた、嬉しい)」
ずっとひゅーいの声を聞いてて分かったけど、想像以上に俺のことが好きだな。修行中も宿題中も、橙真とうま、好き、大好き、構って、こっち見てって何度も聞こえてくる。
しかも聞こえる声がどれもこれも甘くて聞いてて申し訳なくなってくる。本音を言えば、ものすごく懐かれている自覚はあるけど、まさかここまでとは。
…だめだ、このままじゃ宿題が終わらない。シャーペンでノートに吐き出せない羞恥をデタラメに書き殴りたくなる。集中しよう、外部の音は全部消して問題だけを見よう。
「ねぇ、あとで一緒に映画観ない?テレビでやるみたいなんだけど……橙真?」
とにかく目の前の宿題に全ての神経を注ぎ始めた俺は、ひゅーいが何度か話しかけてきていることに気づけなかった。
ようやく宿題を終えて時計をみれば、一時間も経っていた。ふう、と一息ついてベッドを見れば、ひゅーいは掛け布団を抱きしめてまん丸になっている。
(どうしよ…何か怒らせることしたかな?話しかけても無反応だし、迷惑だったのかも)
あ…そうか、ひゅーいからしたら完全無視されたことになるんだ。丸まって寝転がる背中から悲壮感が漂っている。狼の耳があればシュンと垂れ下がっていそうだ。
(今日はもう家にいない方がいいかも。外で寝よう…)
「あ…っひゅーい!」
何も言わずに去ろうとするひゅーいに焦って、結構な勢いで腕を掴んだ。移動魔法は発動すれば一瞬で消えてしまうから。
「えっ、あ、宿題終わった?(びっっっくりした)」
「終わった。ひゅーい、あとで映画観よう」
「へ?」
「さっき言いかけてたやつ。ごめん、全然話きけてなくて」
「課題に集中してたんでしょ?気にしなくていいのに」
(よ、よかったぁ~~無視されてなくて。橙真と映画鑑賞できるの、嬉しいな!)
爽やかな笑顔なのに心の声がうるさすぎて笑いそうになってしまう。何とか耐えたけど。
ちょっと可愛く見えてきて思わずワシャワシャ頭をなでると、動きが止まった。
(わ……気持ちいい、撫でるのうまいなぁ。あの人みたいだ…優しい)
目を伏せてじっと頭をなでられ続けている。やっぱり本能的なものは狼っぽいんだな。
あの人って、前に話していたことだろうか?大切な思い出の人くらい、優しいって言われるのは悪くないな。
階段から、夕食だと呼ばれた。手を離した時に(もっと撫でてほしかったなぁ)と聞こえてきて、ひゅーいは存外甘えたがりなのかもしれないと思った。