まだ青い君たちへ(仮)「ふぁ~あ」
誰かが大きな欠伸をした。本当に文字通りの声を出して。だいたいそういうことをする奴の察しはついていて、その声の主をわざわざ探そうとする者もいない。それくらい見渡せば馴染みある顔ぶればかり。そこそこ田舎にあるなんの取り柄もない公立学校の宿命だ。高校生になったってほとんど顔ぶれが変わらない。今まで一緒だった奴。顔は知ってる奴。そんな感じ。
今、壇上で話している校長だって、そんな空気に呑まれたように中身のない話ばっかりしている。いや、もしかしたら大抵の生徒が自分の話なんか気にしてないことをわかっているのかもしれない。世の校長たちが皆そうかは知らないがうちの校長は特に、そこら辺を思い知らされているんだと思う。彼によって。
『次は、在校生から歓迎の言葉。生徒会長、徳川カズヤくん』
「はい」
低く、それでもよく通る返事がした。この場にいる全員の視線が1人に集中する。ほんものだ。と女子の声がした。
我が校の3年生で生徒会長を務めている、彼の名は徳川カズヤ。ハッキリとした鼻筋、切れ長の目に締まったフェイスラインという恵まれた容姿と約190cmという抜群のスタイル。品行方正で成績優秀。運動神経は抜群どころの話ではなく、U-17テニス日本代表として選抜されテニス世界大会にも出場し、当時高校2年生ながら決勝戦のs1(いわゆる大将格らしい)として選ばれた程だ。そんな彼がどうしてこんなスポーツに力を入れている訳でもない学校に通っているのかはよくわからない。彼の追っかけをしている女子によると、何やら彼の親や親戚やらがこの学校の役員とかと仲が良く、テニスの強化合宿への参加や海外留学に関して柔軟に対応してくれるからではないかという噂があるらしい。
彼が壇上で俺たち新入生に向けて歓迎の言葉を読み始めれば、ほとんどの生徒がうっとりとその言葉に耳を傾けている。おそらくだが、この学校には2種類の人間しかいない。徳川カズヤのことが好きな奴か、嫌いな奴か。嫌いな奴は本当に少数で、なおかつその中で声も上げられぬ偏屈者ばかりだろう。そのぐらい彼は有名人だ。スポーツに力を入れている地域でもないので、彼のように名を挙げた地元の人間はほぼ居なかったのだ。それゆえ、彼が出場するとなった世界大会の試合は高校の体育館で公開応援会が行われ、地域の人間が皆この体育館に集まって彼を応援したりした。
俺はというと、彼のことは好きではない。見ているとなんだか自分の矮小さを思い知らされる気がしたからだ。チビで目つきも悪くて明るくもない。そんな俺に彼は眩しすぎた。
『__年度生徒会長、徳川カズヤ』
彼の歓迎の言葉が終わる。あーほんとにかっこいい、なんて女子たちがコソコソ話しているのが聞こえていた。
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新しい教室に着き、皆それぞれ自分の席を確認して座りだす。その後は、皆ほとんど顔見知りなので前からのコミュニティに自然に集まり、教室内では既にいくつかのグループが作られていた。俺はそれを座ってぼーっと眺める。そう、つまり俺はそういう奴なのだ。1人1人の距離が近いことでお馴染みの田舎でも、馴染めない奴はちゃんといるもんです。でも、もう俺と同じようにあぶれた奴らの顔は確認したので、もしものときは身を寄せ合うことは出来るはずだ。そんなことを考えていると、ふと右隣の席が気になった。入学式が終わってそのままみんな教室に来たはずなのに、俺の隣はまだ誰も座った形跡がない。これは一体どういうことだろうと眺めていると、教室の前の扉が開いて、既にクラス内でヒョロカリとあだ名がつけられた俺たちの担任が入ってきた。
「ほれ席に着けー。一応自己紹介するから」
えー?そんなのいるー?なんて声が上がるくらい
停滞した人間関係の中に、彼は急に飛び込んできた。
「っギリセーフ!」
スラッと伸びた足に寝癖が跳ねるくせっ毛。入学初日だというのに学ランの下はパーカーで、これでもかと着崩された制服。唐突に現れ教室を見回し、茶色く透き通った目が俺の方を見たかと思えばズンズンこちらに向かってくる。驚いて身構えると、彼は俺の横を通り抜けて、あの空席にドカッと腰を下ろした。少し大きいなと思っていた教室の机が、彼の前では少し小さく見える。
「ものの見事に入学式をすっぽかしておいて、セーフとは。出席は式の前に取っているんだがな?」
「すんませーん」
「全く……以後気をつけるように」
「はーい」
そう返事をすると彼はあちー、と言いながらパーカーの首元をパタパタをはためかせる。ゆったりとした服装でわかりにくかったが、チラリと見えた首元は並の運動部よりもしっかりしていて、ドキリとして思わず目をそらす。体育会系の人間は嫌いだ。隣のよくわからない新顔を早くも苦手なヤツリストにぶち込む。彼の席は壁際で、クラスのみんなが彼を見ようとすると必然的に俺の方を見るような形になるのも気に食わなかった。
自己紹介が始まって彼は、越前リョーガと名乗った。
「ねぇ、中学はどこだったの?」
「うーん、どこって言われてもな。世界中歩き回ってたから、ここって言える場所はねぇよ」
外国だって。じゃあリョーガくんって帰国子女?教室がにわかにどよめく。HRが終わってすぐ、注目の的である彼の周りには人だかりが出来ていた。俺はそれを遠くから壁に寄りかかって眺める。
「本当かよ?でまかせじゃねぇだろうな」
そう言ったのは、中学のときからガキ大将のようなことをしていた奴だった。ちなみにそいつは今、図々しく俺の席に座っている。
「証明って言われても困るな……。まぁ、世界回ったときの話なら出来るぜ。それでもいいか?」
「は、してみろよ」
リョーガの話が本当だって嘘だって、この場の1人も判断することなんて出来ないのに。この中も誰も日本、いや、四国すら出たことがない人間ばかりなのだから。だからか、リョーガの異国話は皆の耳に魅力的に響き、すぐさまみんな虜にした。
「災難だな」
そう声をかけられて振り向けば、先程教室を見回したときに、どこにも所属せず手持ち無沙汰な様子だった奴のうちの1人がこちらを見ていた。
「もうお前の席、あの異邦人の話を聞くための特等席にされちまってる。ごしゅーしょーさま」
異邦人なんて、まどろっこしい言葉を使う奴だ。でも、外国人というよりは、そう言った方が越前リョーガの形容詞としてはしっくりきた。いほーじん。
「まぁ、授業の時間になれば戻れるし」
つい強がりが出たが、正直授業の合間の10分間自分の机が使えないのは結構キツい。しばらく気疲れしそうだと今から気が重い。全部、越前リョーガのせいだ。そう、例のガキ大将の背中越しにこっそり睨んでやるのだった。
その後、今後の授業のガイダンスのような時間が終わり、またもや自由時間が与えられる。また人が集まりだす前に、せめて座って喉をうるおしたいと、自販機で買ったグレープ味のポンタの蓋を捻った。プシュッと音を立てて口から炭酸が溢れそうになる。急いでいるのに最悪だ。炭酸をこぼさないように、飲み口の横から口をつけたときだった。隣のリョーガがこちらをじっと見ていることに気がついた。目が合ったリョーガは、ああ、と気さくに声をかけてくる。
「ポンタ、好きなのか?」
「え?」
朝、急ぎながらなんとなく選んだだけで、別に好きなわけではない。でも、嫌いなわけでもないので素直に頷いた。
「うん、まぁ……」
「俺も好き。俺が好きなのはオレンジ味だけどな。グレープ味は弟が好きなんだ」
「へぇ、弟いるんだ」
「まぁな」
そんなことを話していると、いつの間にか集まっていた女子が声を上げる。
「ねぇ越前くん!さっきの話の続きしてよ!」
「おう」
俺の机に大きな手のひらが置かれた。見上げれば、例のガキ大将と目が合った。どけ、ということだろう。俺は慌てて立ち上がろうとした。そのときだった。
「ん?その席お前のじゃねーの?」
決して責め立てるような声色ではなかった。ただ俺が席を譲るのが不思議という感じ。その瞬間、一斉に俺とガキ大将にクラスの視線が集まる。このクラスで今、1番力を持っているのはこのチンケなガキ大将じゃない。越前リョーガだ。ガキ大将は俺から視線を外し、俺は静かに腰を下ろした。
「どこまで話したっけな……」
そして、何事もなかったようにまた越前リョーガは話し出した。ガキ大将はもう席を譲れというような素振りは出さなかったが、図々しく俺の机に体をもたれかからせているのが不快だった。
学校が終わり、いざ下校となると、みんな越前リョーガに着いてきた。たった1人を取り囲んでのほぼ丸々1クラスの大移動は傍から見れば壮観で、滑稽だっただろう。俺もなんだかんだ言って着いていったのだが。
越前リョーガの家は、自転車登校が認められるほど遠くもなく、いうほど近くもないところらしい。それでも、少しでも話していたいクラスメイトたちはたとえ家の方向が真逆でも健気に着いていった。しばらくすると、車1台分の幅しかない急な坂道に差し掛かった。
「え、越前って家そっちなんだ。金持ちじゃん」
「そうなの?よくわかんね。来たばっかだし」
みんなが顔を見合わせた。さすがに、ここから着いていく程の度胸は無いらしい。この先は金持ちが住んでいたり、またはその別荘だったりが立ち並んでいる地区である。頭が凝り固まったローガイが多いと子ども達の中では有名で、そこらでちょっと騒げばすぐさま警察が呼ばれるという物騒な場所である。地元の子供はまず近づかないところだった。そんな場所に、ほぼ1クラスの分の人数が騒ぎながら入るなんてもっての他だ。ここでほぼ全員がギブアップした。
「じゃーな!」
離れて行くみんなに手を振った後、越前くんはくるりとこちらに向き直った。
「お前は行かないの?」
「俺も……家こっちだから……」
嘘ではない。ただ、だからうちが金持ちだというわけでもない。自由奔放で、資産をほぼ使い切って死んだ祖父が遺した唯一のものがあの家だっただけだ。
「勿体ないし、丁度いいから」
なんて、俺が産まれる前に親父が言ったもんだから、俺たち家族は質素な身なりで、こんな車を出さなきゃ買い物するのも苦労する海辺に住んでいる。そう説明すると越前くんは、へ~と適当な相槌をうった。
「いいとこじゃん、ここ」
「でも不便だよ」
「そっか~。俺は木陰が多くて昼寝出来そうなとこ多いし好きだぜ」
言われて見ればそうだけど。同い年でも世界を回るとものを見る目が変わるのだろうなんて思った。
「そういや、お前、明日からの部活見学どこ行く?」
「え?……決めてない。越前くんは?」
「リョーガでいいぜ。俺も全く決めれてねーんだよな~」
「え、テニス部じゃないの?」
「は?」
「え?」
そこでリョーガが足を止めた。
「俺、テニスの話はしてねーはずなんだけどな」
「え、でも……世界大会出てたよね?スペイン代表で」
「あーそうか、ここ、アイツのファン多いからな」
「あ、いや、みんなほとんど気づいてないと思う。みんな徳川さんの試合しか見てないし。俺はただ、スペイン代表結構好きだったから」
「へぇ?なんで?」
「……俺は漫画読むとき、主人公チームより敵チームの方好きになるタイプなんだよ」
「……カッカッカッ!」
何がそこまでリョーガの琴線に触れたのかわからないが、まさに抱腹絶倒という風に声を上げて笑う。俺は、人をそんなふうに笑わせたことなんかなくて、嬉しいような気恥しいような気持ちでいっぱいになってつい調子に乗った。
「だって、色とか、ロングジャケットのユニフォームとか、まさにラスボス!て感じで」
「確かに確かに!悪人面も多かったろ?」
「そう!それがなんかかっこよかったていうか、リーダーのちょっと仰々しい感じとかなんか、グッとくるっていうか……」
リョーガが楽しそうに話を聞いてくれるのが嬉しくて、つい俺は喋るのに夢中になってしまった。大人2人がギリギリ並んで歩けるくらいの幅しかない歩道を塞いでいることを忘れて。
「スペインってランク的に日本より全然上だったんだろ?やっぱそういうチームのプレーの方が安心感あって……」
そこまで口に出したとき、俺はすぐ側に立って俺たちを見下ろす影にやっと気がついた。口を閉じて、恐る恐る見上げると、こちらを冷たく見下ろす目と目が合う。
「うわぁぁぁぁ!!!」
「うぉっ!?」
思わず叫んで、ついでに腰が抜ける。その悲鳴に驚いたのか、影の主も軽く仰け反った。リョーガはそんな俺たちを見てまた笑った。
「あー、おもしれー。徳川、そんな睨んでやるなよ」
「睨んでない。これがいつも通りだ」
「そうだっけ?カッカッカッ!」
徳川さんは、全く、というふうにリョーガを見やった後、地面にへたり込んでいた俺に屈んで手をのばしてきた。その手を掴むと、潰れたマメがざらざらして、思わず手を引っ込めそうになる。それを堪えて立ち上がった。
「驚かせてすまなかった。邪魔するつもりはなかったんだが」
「いや!邪魔なんて、その、そんなこと」
「黙ってつっ立ってることねーだろ」
「せっかく新しい友達が出来たのに、俺が割って入るのは良くないと思ったんだ」
「んなこと気にすることねーよ」
「そうか。なら君、せっかくだから、これからうちに来たらどうだい?冷たいお茶や茶菓子も用意があるはずだから。リョーガの友達になってくれたんだし……」
「待て待て待て。母親かお前は!あーもういい帰るぞ!」
「いやしかし」
「ほら歩け歩け!」
そう言ってリョーガは徳川さんの後ろに回り込むと、グイグイ押して歩かせた。去り際、リョーガが俺の名前を呼んだ。
「また明日な~!」
俺はただ、リョーガの友達だと認められた事実が嬉しくてたまらずニヤけが止まらなかった。なんだかこれからの高校生活がとても楽しみで、胸がいっぱいになる。まさか自分にこんな転機が訪れるなんて、朝学校に向かう時点では微塵も思わなかった。踏み出す一歩が軽い。吹く風が心地よい。確かに彼が言ったように、ここに吹く風は他より涼しく昼寝にはピッタリかもしれないなんて思った。