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    ebizou_1127

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    容植
    雲鬢花顔

    雲鬢花顔「丁容、馬車の用意を。出かける」

    「今からですか?こんな夜遅くにどちらへ」

    「お前が知る必要はない」


    督公は冷たい声でそう言うと、少し稚さの残るその白い顔をふいと背けて黙り込んでしまわれた。

    ああ、まただ。

    私はつい、余計なひとことを言ってしまう。


    私がお仕えする西廠の提督である汪督公は、決して不必要なことは口になさらない。

    幼少の頃から、宮中でご奉仕されていたので、余計な言葉が命取りにやるかもしれないことをよくご存知なのだ。

    これ以上何か言うと、ますますご機嫌を損ねてしまうことは重々承知しているので、慌てて馬丁に指示する。


    「馬車が参りました。督公」


    私の声に促されるように、督公はゆっくりと立ち上がると、そのまま部屋を出て、中庭へと続く階段を降りていった。

    私は督公の外套を携え、後を追う。

    先刻より部屋の外で控えていた側仕えが、手付きの木箱を持っている。

    督公はその前で立ち止まると、後ろの私を確認するかのように振り返った。

    追いついた私は、いつものように督公に外套をお掛けする。

    督公はほんの少し顎を上げ、私が外套の留め具を掛け終わるのを待っていらっしゃる。

    月明かりの中を、督公の外套をぼんやりと眺めながら付き従い、馬車までお見送りをする。


    「道中くれぐれもお気をつけて」


    そうお声掛けすると、御者の手を取り、馬車に乗り込む督公が私を振り返り、「分かっている」とでも言うように小さく頷いた。

    その時、満月の光が督公を照らし、その白皙をますます白く浮き上がらせた。

    その清冽な美しさに私は思わず


    「雲鬢花顔…」


    と呟いてしまった。

    聞こえていなければいいのだが、と恥ずかしさから頭を垂れていたが、馬車の中からコツコツと引き戸を叩く音がして、私は仕方なく顔を上げた。

    馬車の中では、督公が私を面白そうに眺めていらっしゃる。

    やはり聞こえていたのだ。

    目を合わせられるはずがない。


    「丁容」


    と呼ばれ、引き戸の近くに顔を寄せると、


    『芙蓉帳暖度春宵』


    と囁いて、私をからかうようにくすくすとお笑いになった。

    私は気まずさのあまり、目を逸らしたまま、御者に出発を告げた。

    西廠の門前から馬車を見送ったが、先程の督公のご様子が頭から離れない。

    私は悶々としながら執務室へ戻り、室内の蝋燭の始末をするように指示をしなくては、お戻りの頃には何かお夜食は必要だろうか、などと全く別の事を考える事で、気持ちを切り替える努力をした。

    ふと見ると、文机に小さな紙片が、無造作に置いてあった。

    督公が執務室を離れる時は、文机の上には何も残さない。

    もしや、大事なものだったのでは、と慌ててその紙を見る。

    【余府】

    と、水茎の跡も麗しい手蹟で書かれていた。

    私は思わずあっと声を出しそうになり、慌てて手で口を塞いだ。

    督公は、先日から内偵を進めていた余府へ向かわれたのだ。そしてあの箱には…。

    そう、確かに私が知る必要のないことだ。

    万が一を考えての書き置きであることは分かっているが、結果的に私にだけは、行き先を教えてくださったことに、つい口元が緩んでしまう

    それにしても、この書き置きは一体いつ書かれたのだろう。

    その様子を想像しながら、私はその紙片を蝋燭の火に近付けた。

    そして、督公の美しい手蹟を惜しみつつ、紙が燃え尽きるのを、ただ見つめていた。
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