初雪 〜первый снег〜「夜中になると、この葛籠は狼のような声で鳴くのだそうだ。どうやら元の時代のものらしい。仔細を調べよ」
陛下からお預かりしてきた古くて大きな葛籠を目の前に、私は当惑していた。
「随分と古い造りですが、金具の意匠が元朝のものとはちょっと違うようですね」
こういう少し変わった案件は、きっと調べたがるだろうと思って、わざと丁容の研究室に葛籠を運ばせた。
案の定、食い付いてきている。
「うん。しかし、私は…肝心の狼の声を聞いた事がない。お前は?」
「私も御座いませんが、国境警備に従事していた隋州や、オイラートのウユンなら知っているのではないですか」
「ほう?」
丁容自ら、隋州やウユンの名を口にするとは、珍しい。
「そうだな。では明日の朝にでも話を聞こう。手配を頼む」
「承知しました」
「その葛籠、興味があるなら今夜不寝番をしてもいいぞ?どうせ今夜も例の研究で篭りきりになるのだろう?」
「はい」
詳しくは完成してから、と言って教えてくれないが、丁容は何か面白いものを作ろうとしている。
「西廠の役に立つのなら大いに結構だが、まずはその手荒れをなんとかしろ」
私は、試薬で赤く荒れたその両手を、指差して注意した。
丁容は頷き、私は研究室を出た。
翌朝、葛籠が本当に鳴いたのか早く確認したかった私は、いつもより早めに出仕した。
丁容と一緒に飲むつもりで買った出来たての豆乳が入った器を、机の上に置いた。
立ち上る湯気が、部屋の寒さを示している。
丁容は、暖を取らずにいたのだろうか。
執務室を通り抜け、私は丁容の研究室に入った。
「丁容?起きているか?葛籠は本当に鳴いたのか?」
いつも丁容が座っている場所には、彼の官服や長靴までもが置かれていて、何故か帽子は床に転がっている。
置かれていたというよりも、中身が抜け出て、脱ぎ捨てられたと言った方が正しいかも知れない。
几帳面な丁容が、こんな風に官服一式を無造作に置いたりする筈がない。
何かあったのか?
私は丁容の帽子を拾いながら、奥へ向かって再び声を掛けた。
「丁容?」
研究室の奥に設えた、仮眠の為の小部屋を覗くと、白い大きな四本足の生き物が居て、こちらを見ていた。
私は予想外の出来事に、声が出なかった。
次の瞬間、その白い動物は、まるで私に恭順の意を示すかのように床に伏せた。
顔は細長く、耳としっぽがあり、真っ白な雪のように美しい体毛と長い四肢。
角でも生えていれば、まるで霊獣の白鹿の様だ。
「丁容!どこだ?いないのか?」
私は再び丁容の名を呼んだ。
「わん!」
白い生き物が、まるで返事をするかのように吠えた。
「いやいや、お前じゃない。私は丁容を探していて…」
突然、その白い生き物が床に伏せたまま、両前脚を私に向かって伸ばしてきた。
飛びかかってくるのか、と身構えたが、そうではないらしい。
「何だ?その脚を見ろとでも言うのか?」
私は思わず息を飲んだ。
両前脚の先があかぎれのように赤い。
昨夜私が注意した、丁容の試薬で荒れた手と同じように。
まさかそんな。
「お前、丁容なのか?」
恐る恐る尋ねると、その白い生き物は私の横を風のような速さですり抜け、小部屋から飛び出したかと思うと、何かを書き付けたらしき紙を咥えて戻り、私に差し出した。
間違いない、走り書きではあるが、丁容の手蹟だ。
「本当に丁容なのか?」
「くーん」
と鼻を鳴らすような声を出し、物言いたげな眼で私を見ながら、私の足元に座った。
何が起こったのか分からないが、丁容が官服一式を残して消え失せ、代わりにこの大きな白い生き物がいる。
信じ難い事ではあるが、どうやらこれは丁容らしい。
「お腹は空いていないか?喉も渇いただろう?豆乳ならある。飲むか?」
白い生き物…もう煩わしいから、白い丁容と呼ぼう。
白い丁容は、私の傍に来て、その頭を私に擦り付けて来た。
私が頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。
こんなに素直な丁容は見た事がない。
これは、本当に丁容なのだろうか?
「ちょっと待て。いいか、この部屋から出るなよ?」
豆乳が入った器を取ってきて目の前に置いてやると、私と豆乳を交互にちらちらと見ている。
「お前がお腹を空かせているかと思って買ってきた。そんな細長い顔なら、顔を突っ込んで飲めるだろ?さあ」
と促した。
白い丁容は、最初は遠慮がちだったが、たった今、空腹を思い出したかのようなすごい勢いで、豆乳を舐めている。
しっぽを見ると、嬉しそうにゆらゆらさせている。
こっちの方がよっぽど分かりやすいな、といつもほぼ無表情の丁容と、しっぽを持つ白い丁容を心の中で比べながら、その様子を椅子に座って眺めていた。
しばらくすると全部飲み干してしまったようだが、口の周りについた豆乳が気持ち悪いらしく、前脚でしきりに拭う仕草をしている。
仕方なく、私の手巾で口の周りを拭いてやったが、まだ豆乳の匂いが残っている。
「待ってろ、水で濡らしてくる」
「くーん」
あれが本当に丁容だとしたら…。
陛下に何と説明をすればよいのか。
それに、いつまでも丁容の不在を隠し切れる筈がない。
そもそもあれは何と言う生き物なのか。
狼?
あれが夜毎鳴くという狼なのか?
私は手巾を濡らしながらあれこれ考えたが、全く考えがまとまらない。
「丁容。ほら、口を拭いてやる。こっちへ来い」
小部屋の隅に座っていた白い丁容に声を掛けると、優雅な足取りで私の目の前までやってきた。
「噛むなよ?」
まずは濡れた手巾で口の周りを拭いてやり、乾いた手巾でもう一度拭いてやった。
「どうだ?もう気持ち悪くないだろ?」
白い丁容は、お辞儀をするようにぺこりとその頭を下げた。
「さて、この書き付けを読めば何か分かるのだな?よし、こっちへ来い」
私の席のすぐ横に毛布を敷いてやると、白い丁容がくるくるとその場で回り、大人しくその上に座ったのを確認してから、丁容の走り書きに目を通した。
葛籠に納められていたのは、どうやら元の時代に投獄されていた俄罗斯(ロシア)人の所持品らしい事、その中には日記らしきものと、小さな木箱がふたつあり、ひとつは人毛と思われるもの、もうひとつには動物の体毛と歯が納められており、恐らく大型の狩猟犬のものではないか、と書いてあった。
「真夜中に何かが起こったのだな?そしてお前がその姿になった、と」
すると、白い丁容が急に立ち上がり、低い唸り声を上げた。
門衛が扉の向こうに来ていたのだ。
「督公。錦衣衛の隋州殿がお目通りを願っておりますが」
「通せ」
「承知しました」
私は横にいる白い丁容に言った。
「隋州がお前を見たらどうするだろうな?そこに伏せてろ。びっくりさせてやる」
彼は黙って床に伏せた。
「汪督公。火急の用件とは一体何でしょうか。ご指示通り、ウユンも連れて参りましたが」
隋州は、軽く一礼をしてから、訝しげに言った。
「隋州もウユンもご苦労。少々尋ねたい事があってな。お前達は狼を見たことがあるか?」
「狼?国境警備の任務中に見かけたことなら」
「ウユンはどうだ?」
「…ある。督公、そこに何か居るだろう?獣の匂いがする」
ウユンが私の横、いつもの丁容の定位置辺りを指差したので、私は白い丁容にそっと手で合図をした。
音もなく立ち上がった白い生き物を見て、流石に隋州とウユンは騒ぎ立てはしなかったが、二の句が継げずにいる。
「これを見たことがあるか?」
「いいえ、私が知っている狼とは毛色も違っていて…ここまで大きくはありません」
自然、私と隋州の視線がウユンに向かう。
「それは……もしかしたら俄罗斯の犬では?国境の市場で高値で取引されていたのを見たことがある」
「そういうことか」
「督公。出来れば分かるように説明をして頂けないか」
隋州が、いつもより更に深い皺を眉間に寄せながら言った。
前朝である元の時代のものらしい葛籠と狼の鳴き声、俄罗斯人のものと思われる遺髪、狩猟犬の歯と体毛。
丁容が消え、代わりにこの生き物がいた事と、丁容の書き付けについて、手短に説明した。
「元の時代には俄罗斯と交易を行っていた筈だが、投獄される程の何かがあったのか、その理由も、いつどのように死んだのかも分からない」
再び、白い丁容が低い唸り声を上げた。
「誰か来たのか?」
「唐泛でしょう。後から来ると申しておりましたから」
門衛も、慣れた様子で唐泛を連れて来た。
「汪植!ウユンを呼び出すとは一体何を調べるつもりだ!」
「相変わらず騒々しいな。調べるも何も。狼のことについて聞いていただけなのだが」
「狼?何だ、その白いの…狼?犬?」
「どうやら俄罗斯の犬らしい」
白い丁容は、唐泛にだけ激しく吠え立てた。
「どうした?煩いぞ、静かにしろ」
私は思わず白い丁容の長い鼻を掴んだ。
「きゅーん…」
「随分と可愛い反省の声だな。もう吠えるなよ」
掴んでいた手を離すと、白い丁容は大人しくなった。
「なんだよ!私にだけ吠えるなんて酷いぞ!あっ、私が美味しいものを持っている事に気付いたな?実は今、豚のすね肉を持っているんだ。少しならやってもいいぞ」
隋州が『またそんなものを買い食いして』と渋い顔をしているので、私は思わず笑ってしまった。
そんな隋州の気持ちも知らずに、唐泛は手に持った大きな包みから肉を取り出し、白い丁容に見せた。
白い丁容はくんくんとそれを匂ったが、ぷいと顔を背け、椅子に座っている私の膝に顎を預けるように頭を乗せてきた。
横目に唐泛を見て、もう興味はないとでも言うように視線を外してから、私を上目遣いで見てきた。
「えっ、いらない?何だ、せっかく分けてやろうと思ったのに。腹は減っていないのか?」
「いや…多分、唐大人の手からは食べない。汪督公からなら食べるだろう」
ずっと黙っていたウユンが、ニヤリと笑いながら言った。
「ふーん?じゃあ、汪植。これやってみて」
私は唐泛から肉の塊を受け取ると、白い丁容に見せた。
「腹が減っているのなら食べろ。さっきの豆乳だけでは身体はもたないだろう?」
私の言葉に納得したかのように、白い丁容はゆっくりと肉の塊に齧りついた。
「本当だ。何故私からではなく、汪植からなら食べると分かったんだ、ウユン」
不満げな声で尋ねる唐泛を見て、ウユンはその巨体を揺らして笑った。
「何故って?この白い俄罗斯の犬が、誰よりも汪督公に忠実な、あの丁大人だからだ」
「何を馬鹿な事、言ってるんだ?あ、そう言えば丁容が居ない…」
唐泛は目をぱちくりさせて、執務室を見回した。
腕組みをした隋州は、
「仔細は分からないが、どうやらこの白い生き物が丁容らしい。手掛かりは元の時代の俄罗斯人の囚人とその所持品らしい葛籠とその中身くらいしか」
と髭を撫でながら呟いた。
「元の時代?囚人?だったら、あの氷室のことか?」
皇室専用の氷室が、元の時代に作られた牢屋を改築したものである事は、氷の紛失事件の折に知った。
「汪植。だったら今からそいつを連れてあの氷室へ行ってこいよ。その間、私は俄罗斯人の葛籠の中身を調べておく。ウユン、俄罗斯の事で知っている事があれば教えてくれないか」
「少しなら」
肉を平らげ、私の傍に控えている白い丁容の口を手巾で拭ってやった。
「犬はなかなか不便だな。自分で口も拭えない。よし、すぐ行こう。隋州、氷室の管理人と知り合いだったな。付いてきてくれ」
「承知した」
「わん!」
白い丁容は、出掛ける汪植の為に外套を取ろうと、それが掛けてある壁際にいち早く駆け寄ったが、自分では取れない上に、いつものように汪植の肩に外套を掛けられない事に気付いた様子だった。
汪植が自分で手を伸ばして、外套を取った時、申し訳なさそうに「くーん…」と鳴いた。
「あぁ、気にするな。自分で出来る」
汪植の言葉に、唐泛はびっくりした。
「汪植、犬の丁容には随分と優しいんだな」
「『には』とは、どういう意味だ!」
汪植が外套の金具を留めるのに、不慣れな様子でもたもたしている様子を見上げている白い丁容は、落ち着きなく、汪植の足元をウロウロしている。
唐泛は何かを思いついたようで、薄ら笑いを浮かべながら汪植に言った。
「ふふん、いつも丁容にしてもらってるから出来ないんだろ?」
「う、うるさい!」
「ほら、じっとしてろよ!汪・督・公♡」
唐泛が、ニヤニヤしながら汪植の金具を留めてやっているのを、白い丁容は鋭い犬歯を剥き出して睨みつけていた。
「潤青、あまり嫌がらせをするな。噛み付かれるぞ」
黙って見ていた隋州が、苦笑いで注意した。
流石にあの白い丁容を外部の者に見せる訳にはいかないので、身支度を整えた我々は裏門から馬車に乗った。
氷室へ近付くと、白い丁容は明らかに落ち着きがなくなった。
出入口の木戸を開けさせると、驚くほどの速さで中へ入ってしまった。
薄暗さにやっと目が慣れてきた頃、白い丁容の白い体毛がぼんやりと浮かんで見えた。
くんくんと匂いを嗅ぎ、何かを探して氷室の中を走り回り、一番奥まで行くと哀しそうな声で鳴き、今度はガリガリと前脚で石壁を掻き始めた。
その様子を見て、私は後ろから声を掛けた。
「お前は一体、何を探している?お前がもし、元の時代にここに居たかも知れない人物を探しているのなら、残念だがもう年月が経ち過ぎている。何とかしてやりたいが、その壁を壊す訳にはいかないのだ」
それでも壁を掻き続ける白い丁容、いや、白い生き物が可哀想になってしまった私は、隣にしゃがみ込んで、その身体を横からぎゅっと抱きしめた。
「お前が誰かに会いたいように、私もまた、お前と入れ替わったかも知れない丁容に会いたいのだ。出来る限りのことはする。一旦引き上げよう」
彼の身体を撫でてやると、壁を掻くのを止めてくれた。
立ち上がって外へ出るように促し、出入口へ向かおうとすると、白い丁容も付いてきた。
外で待っていた隋州達が、心配そうに私達を見ている。
「何か分かったのか?」
「いや。ただ、あいつはここで何かを探して、一番奥の壁を掻いていた。あの辺りが最も古い区画だと聞いているが、資料は残っていないし、それ以上の事はもう誰にも分からないだろう。後は葛籠の中のものを調べるしかあるまい」
西廠に戻ると、唐泛とウユンが待っていた。
「丁容が調べていた以上のことは分からなかったが、残されていた本の表紙が二重になっていて、その中に俄罗斯人とその犬の肖像画のようなものが隠されていた。裏には俄罗斯らしい言葉と蒙古の言葉が書いてあった。俄罗斯の言葉は判読出来ないが、蒙古の言葉はウユンが読んでくれた」
「正確かどうかは自信がないが、『忠実なる僕、友、初雪』その後には意味が判らないが、そのまま読むと『ぺぇるびぃ すにぇっく』と」
ウユンの『ぺぇるびぃ すにぇっく』という言葉に反応したのか、白い丁容が立ち上がって、突然、吠えた。
これが『狼のような声』か。
墨で描かれたと思われる人物と犬の絵を、白い丁容に見せてみた。
身動ぎもせず、絵を見つめている。
私は毛布の上にその絵を置いてやった。
「どうやらこいつは初雪という名前らしいな。我々が出来そうなことは、冥福を祈って回向するくらいか。皆、すまなかったな。後はこちらで何とかする」
その後、私は通常業務をこなしたが、夕刻になっても初雪は絵を見つめたまま、毛布の上から動こうとせず、あの食いしん坊の唐泛が置いていってくれた肉も全く食べようとはしなかった。
本日最後の文書に公印を押したところで、私は初雪に問いかけた。
「『ぺぇるびぃ すにぇっく』というのがお前の本当の名前なのか?」
「わん!」
「よし、ぺぇるびぃ すにぇっく、一緒に来い」
私は西廠の裏庭の片隅を掘り、あの絵と遺髪、犬の歯、葛籠の中身全てを埋め、念仏を唱えた。
陛下にお叱りを受けるかもしれないが、どうしてもそうしてやりたかった。
「ぺぇるびぃ すにぇっく、これでいいか?これからも時々、お前とお前の主人のことを思い出して供養してやる。だからお願いだ。丁容を返してはくれないか」
彼はじっと私を見た後で、撫でてくれと言わんばかりに私の手の辺りにその頭を持ってきて甘えるような仕草を見せた。
これは丁容なのか、初雪なのか。
まあいい。
結局その夜は、執務室に敷いた毛布の上に並んで座り、蝋燭の薄明かりの中で、初雪をずっと撫でてやりながら、誰にも話した事がない思い出話を聞かせてやった。
私が三歳になった頃、素読と共に筆の練習を始め、「文」の字がとても上手に書けたと先生に褒められた日に、我が家の庭に大きな雄犬が迷い込んで来た。
小さな私にはとても大きく見えたからか、私はその犬に「哥哥」と呼び掛けたらしい。
そして、その日から「文哥」と名付けられた犬は、私の友となった。
何処へ行くにも付いてきて、私を守ってくれた。
寂しくて眠れない夜は傍に居てくれた。
寝台には決して上がろうとはしなかったので、結局私が床の上で文哥と毛布にくるまって寝た事が何度もあった。
そして、今夜久しぶりに犬と一緒に毛布にくるまっている。
毛布は暖かくて、こいつの体毛がふわふわで気持ち良くて、もう目を開けていられなくなってきた。
そう言えば、今の私にも文哥のような者がいつも傍に居る。
あいつ、と言うか、こいつ、と言うべきか。
「督公。起きてください」
聞き慣れた、少しぞんざいな口調。
「丁容」
目の前にはいつもの官服を着た丁容がいた。
私はあのまま寝込んでしまっていたらしい。
丁容が運んでくれたのだろう、あの小部屋の寝台にいた。
「お前、元に戻れたのか!良かった…」
「ええ、何とか。ご心配下さっていたのですか?」
丁容があんまり嬉しそうに微笑むので、私はバツが悪くて下を向いてしまった。
「あ…いや…お、お前が居ないと色々と不便だから……」
「そうですね。これからもそうであるように努めます。しかし、あのように頭を撫でて頂けなくなってしまったのは、大変に残念です」
「何だそんなことか」
「そんなことまた撫でて下さるのですか?」
「…考えておいてやる」
「では、毛布の件もご一考下さい」
「床はもう懲り懲りだ。何だか身体中が痛む気がする」
「では…床でなければ良い、と言う事ですか?承知しました。今、お白湯をお持ちします」
「えっ」
私の返事を待つことなく、丁容はいつも通りの顔をして、部屋から出ていってしまった。
陛下には、葛籠の中身の持ち主とその忠実な僕をねんごろに供養した所、狼のような鳴き声は止みました、とご報告するしかないだろう。