初期バグ探検隊 風呂からあがると傑はまだソファーに座り、古いゲーム機のコントローラ片手にだるそうにスマホの画面をずいっとスクロールさせていた。
目の前のモニタに出力されているのは8ビットで構成された画面であり、先日までやっていた最新のゲームとはえらい違いだなと悟はつくづく思う。
「傑、風呂」
「うん、あと二つ潰したら入るよ」
「あといくつ?」
「ここはその二つで終わり」
ふーっと傑は膝の上にコントローラを置くと、モニタと見比べていたスマホをまたすいすいと操作する。傑が見ていたサイトにはこのゲームに残された初期バグの一覧とその発生方法に関するまとめが載っている。
「じゃあそれは俺がやるから傑は風呂入って来いよ」
「うーん、そうしようかな」
傑は見ていたスマホを悟に差し出すと、こきこきと首を回しながら両腕を天井へと伸ばす。
「あーあ、こんなことより傑と電脳チャイナパトロールごっこしてーな」
「この前もしただろそれ、というかそれっぽいこと今やってるじゃないか」
「いやこれはローカル空間だろ」
外に繋がってねえし。と悟は言いながら傑から受け取ったスマホを片手に、ひょいと傑の膝の上のコントローラも手に取った。選手交代である。
二人は今、この8ビットのゲームに潜む初期バグをひたすら潰す作業を交代で行っている。もちろんそれはこのゲームに隠れた呪霊を引っ張り出すためだった。
先日、二人はオカルト番組のロケのために校外にある古いゲーム屋を訪れた。
曰くつきのホラーゲームがその店においてあり、興味本位でそれを買っていった客が不幸に見舞われる例が何件も続き、結局は元の店に戻ってきてしまうという背景であるらしい。
まあよくある話だし、呪霊が絡んでいるっていうのなら祓うだけだな。と思いながら件のゲーム屋に入店するや否や、悟の目は店先のワゴンに釘付けになる。
そこでは中古ゲームのカセットがむき出しのまま投げ売りされており、価格は等しく百円だった。
中には聞いたことのあるタイトルもあったが、どれも二人の世代よりは少し前のゲームばかりだったので、悟はその中に何か思い入れのあるものを見つけたというわけではもちろんない。
だったら何なのかと言われれば、そうやって無造作に放られているカセットの中に、明らかにここにあってはいけないものが混ざりこんでいたのである。
「これか?」
「たぶんね」
悟が呟けば、一歩前を歩いていた傑から小さく返事が返ってくる。
やっぱり傑も気づいていたらしい。だが今回のロケの目的であるホラーゲームは店の中にあるという話だったのでその場は一度見送ったのだ。
撮影が始まると店主直々にそのゲームが二人の前に持ち込まれる。
そのホラーゲームの形状はCD-ROMであり、二人が学生の頃に発売されたタイトルだった。
「悟これやったことある?」
「ねえな」
「だよね、私もだよ」
なにせわざわざホラーゲームなんてしなくても、日常的にこういうものと付き合って生きているわけだからこういう企画でもない限りそう触れることはないのだ。
店のデモ機で起動されるゲームの画面を見つめ、店主からの解説に耳を傾ける素振りを見せながら二人は店の入り口のワゴンに意識を向ける。
やっぱり思った通りだった。
このホラーゲームからの微妙の呪力を感じるが、これが大元ではない。
元凶はやはりワゴンで投げ売りされていたあの古いカセットのゲームであり、こっちのホラーゲームはそのフェイクの役割をしていたのである。
「祓ったれ本舗さん、いかがですか?」
「はい?あー、まあ…じき収まりますよ」
傑がそう言えば、えっ?と店主は目を丸くする。
「収まるって、何か除霊をすればって事ですよね?」
「いいえ、このままでいいです。このまま置いておけば収まります」
「しかし…」
「私がそう言ってるんですよ」
わかります?と傑は店主の顔を見下ろし、口元だけで笑えば店主はそのまま青い顔をして口をつぐんでしまった。
悟はその様子を横目に見ながら、たたっと店の入り口まで歩いていく。
「なあ傑、なんか古いゲーム買って帰ろうぜ」
そして悟はぱっとあのゲームのカセットをワゴンから取り上げた。
「いいね、それ私もちょっと気になってたんだ」
少しばかりわざとらしいやり取りだったかもしれないが、店主は傑に微笑まれて以来黙りこくっていたし、撮影スタッフもその店主を中心とした異様な雰囲気に慌ててカメラを止めてしまう。
このままでは尺が足りないのは明確だったが、祓ったれ本舗の二人はもうすっかりホラーゲームの件は解決したと言わんばかりに入り口のワゴンに夢中だったからこれ以上掘り下げることもできないだろう。この映像は使えるのか?使うにしてもどう編集したものか?そもそもこのままにしていてもゲームによる被害は収まるってどういうこと…と落とし所のなさに制作側も頭を抱えてしまった。
だが後日、ゲーム屋の主人からテレビ局へホラーゲームによる騒ぎがぱったり止んだと連絡が入ったのでどうにかこのロケ映像は放映へとこぎつけることができたのだった。
傑の言った通り、ホラーゲームの脅威は去った。
一件落着だと誰もが思っているだろう。もちろん悟と傑以外の人間が。
真の原因であるこの8ビットのゲームは当時としてはかなり作りこまれた難易度の高いRPGであり、あらゆる人間の手を渡りながら主に攻略できないことに対する小さなヘイトが蓄積され、やがて呪霊へと変貌したようだった。
そして当時はちょっと話題になったRPGだったおかげで、いまだにマニア人気の高いそのゲームはこの手の攻略サイトもいまだ閲覧できる状態だったのである。
二人はまず正規ルートを攻略したが、当然それだけで呪霊がしっぽを出すわけもない。
なので次はこうして初期バグにおける隠し要素を一つ一つ検証しながら、ゲームの内部を掘り込んでいていたのだった。
現在参照している攻略サイトに残るバグはあと二つ。
これでだめなら今度は掲示板から拾ってきた情報をもとにバグを踏んでいくしかない。
なんでこんなにバグが多いんだ?と思わないでもないが、古いゲーム以前に呪霊が巣食っている状態なのだからどこで何が改変されていてもおかしくはないだろう。
「ハードごと吹っ飛ばせれば楽なのにな」
「まあこれ自体は入り口みたいなものだからね、これを逃すとこいつは今度はどこに現れるのかわからない」
この手の呪霊はゲームの中にいることは間違いないが、何も基盤に乗っかっているわけではない。組まれたプログラムの中に潜んでいるので物理的に破壊しても意味がないのである。
「そう思うと全然ローカルじゃねえよな」
はーあと悟がソファーから立ち上がる傑と入れ替わる様にどさりと腰を下ろした。
「今日はここまでやったら寝んぞ」
「せめて日付変わるまで進めさせてよ」
「俺といちゃいちゃする時間は?」
「昨日しただろ」
傑がそう言いながら風呂へと向かっていこうとすると、今日もしたいんだよ!とその背中に悟の叫びが投げ込まれた。
悟の言っていた通り、今夜はあそこまででやっぱり終わろうかな…とすっかりと湯船で身体を温めた傑がリビングまで戻ってくると、まだバグ潰しをやっていると思っていた悟がソファーにもたれかかりながらじっとモニタを見つめていた。
特にコントローラを操作している様子もない。もしかしてと思った。
「傑」
傑の気配に気づいたらしい悟がソファー越しに振り向いた。
「ビンゴ」
「え、まじで?」
目をぱちくりとさせて傑がモニタに顔を向けると、悟は結んでいた指先の角度を浅く変える。
すると悟に押さえつけられていたらしい呪霊が見る見るうちにモニタに広がっていったではないか。
途端にハードに刺さっていたカセットからも禍々しい雰囲気が漏れ出てくる。これが万が一あのゲーム屋で発生していたら、それこそロケどころではないだろう。
「たぶんこれこいつだけじゃねえわ」
「は?本体じゃないってことか?」
「いや、本体っちゃ本体。あのゲーム屋で悪さしてたのはこいつだし」
「…ということは、どこかに同じような特性のやつがいるってこと?」
「そゆこと」
通りで思ったより低級なわけだよな。と悟は言った。
ゲームに隠れていた呪霊はこの個体一体。しかしその一体だけで完結しているわけではなく、ひとつのものが複数に散っている状態であるらしかった。
「細切れになってもこの狭いカセットの中では好き勝手出来てたんだな」
「多分な。どうするこれ、集める?」
そう言いながら悟はソファーにだらしなく座ったまま、モニタから呪霊をずるずると引っ張り出し始めたではないか。
人間の影のように黒いそいつはぎょろりとした目をひん剥き、時々砂嵐のようなノイズで姿を騒めかせながらどうにか悟の指先から逃れようとしていた。出来るわけもないのに。
「まあ、念のため」
「おけ、よっと」
そして完全にゲームの外へと引きずり出されてしまった呪霊は唸るような声を上げて天井へと張りつこうとするものの、ひょいとそれを見上げた傑によって早々と手のひらサイズの呪霊玉に変えられてしまう。ゲーム屋で数年暴れ散らかした割にあっけない最期だった。
「それ集まったら完全体になんのかな、ほらあの…なんだっけ」
「エグゾディア?」
「そうそれ」
「それはちょっと見たいかもな」
五体集めればいいんだっけ?と傑が言って悟を見ると、悟は見上げた傑に手を伸ばした。そして傑の腕をつかむとそのまま自分の方へとぐっと引っ張ったのである。
不意を突かれた傑は、わっとあっという間に体勢を崩し、ソファーに突っ込むように頭から悟の上に落っこちていった。
「危ないだろ!」
傑は悟の胸の上で頭を上げてじっと悟を睨む。
だが悟は悪びれる様子も見せず、まだ濡れている傑の髪を撫でながらにんんまりと笑った。
「呪霊も祓ったし、日付変わるまでいちゃいちゃしようぜ」
「日付が変わったらすぐ寝るならいいよ」
「それは場合によるな」
ここ数日は持ち帰り仕事のバグ潰しのせいでふたりでゆっくりと過ごせなかったのも確かだ。
だからこそ一方的に伸びてきたようにも思える悟の手を傑は振り払わないし、こうして大人しく悟の胸の上に寝転がっているのである。
「明日の入りだけ確認させてくれ」
「朝の八時」
「はは、結構シビア」
そう言いながら傑はすくっと上半身を起こし、悟の腰にまたがるように座った。湿った髪の房が首に張り付いている。ごくりと悟の喉が鳴った。
「とりあえずベッド行こうか」
「行く」
「いい返事」
にこりとしながら身を乗り出し、傑から浅くキスをすると背中に悟の手が差し込まれて一気に抱きしめられる。ベッドに行こうと言ったのにこれじゃああと数歩の距離も我慢がきかないかもしれない。
そんなことを思いながら傑はちゃくっと口の中で悟の舌を甘く噛み、圧し掛かる身体を抱きとめた。