各駅停車 はっと目覚めた先にまず見えたのは自分の膝。
揺れる座席に座っていることに気づくと、しまった寝過ごした。と傑は真横にいる悟を見た。
「起きた?おはよ」
悟はひょいと傑の方に顔を向ける。背後の車窓から外を見ていたらしい。
「悟、いまどこ?」
「さあ…これどこなんだろ」
「は?」
そしてまた車窓へと目を向けてしまうので、傑もそれにつられるように後ろへと振り向いた。
本日の現場は都内ではなく地方都市のライブハウスであり、移動もその地域のローカル電車で何か所かを回っていた。
当然見える風景も見知らぬ街並みには違いなかったので窓の外を見るよりは素直にスマホから現在地を確認した方が確実だっただろう。
だがそれを思いつく前に目に飛び込んできた流れゆく風景に、傑は首を傾げた。それこそ横に座る悟と同じように。
「え、どこ?」
「な?」
俺もさっき起きた。と悟は言い、真っ暗になっている普段は広告なんかが表示されているであろう電車のモニタを見上げた。
窓の外に見えているのは一面の星空のような風景で、絵本で見た銀河鉄道の夜のワンシーンにこんなのがあったな…と傑はぼんやりと思う。
明らかにこれは地方都市の風景ではない。
それから電車の中は妙に静かだった。
乗り込んだときはそれなりに人は乗っていたし、そもそも自分たちは吊革につかまって立っていたはずである。こうして座った状態で目覚めるなんてことはあり得ない。
電車だけは何食わぬ顔で次の駅に向かっているようだったが、車内はだんだんと靄がかかるように空気感があいまいになってきている。
ちょうど現実とそうじゃないものの境目を走っているのだろう。
「これは噂が当たったってことかな」
「多分な、傑の勝ち」
「ふふ、やってみるもんだろ?」
座席に寄りかかり、はーあとため息をつく悟に、傑は満足げに笑った。
この地方の電車に乗って、現実には存在しないはずの俗称「異界駅」にたどり着いたという報告例が主にインターネットに多く流れており、もちろん傑はそれを目ざとくチェックしていたのだ。
世の中で起こる不可解な出来事はだいたい呪霊のせい。
中でもより不可解なものはそれだけ強い呪霊が核となっている可能性が高いものだから、そういったものはできるだけ採取しておきたかったのである。
今回も移動に電車を使い、異界駅にたどり着けるかチャレンジしたいと傑の方から提案していた所、そんなうまくいくもんかね?と思いつつ悟もそれに付き合っていたのである。
結果としては大成功。
二人は無事に異界駅へと招かれていったのだった。
「見て悟、駅の名前。スレで見たのと一緒だ!」
「俺あんまスレとか見ねえからわかんねえけど、有名なやつ?」
「まあそこそこ?一番有名なやつではないけど」
「ほーん、でもまあ思った通りだったな」
停車した電車から駅のホームへと降り、駅名の書かれた看板を見上げながら悟はうーんと伸びをした。
ホームにあふれているのは呪霊から放たれる澱んだ呪力であり、この場が核となっている呪霊の領域であることは確かだった。
だからこの異界駅を出たければ、また電車に乗る必要も、線路を歩く必要もなく、悟が領域展開をしてこの領域に押し勝ってしまえばいいのだ。
異界駅とは要は何らかの領域なのではないか?という仮説を二人の間で立てたのはもうずいぶん前のことだったが、このケースに関しては間違いではなかったらしい。
「一応完成はしてるっぽいけど領域としては全然だな。ヨユーよ」
「それ絶対?」
「絶対。あたりまえだろ」
俺が押し負けるとでも?と悟がじとっと傑を睨めば、傑はからかったように笑って「いいやまったく」と返事をした。
「せっかくだからちょっと探索しようよ、駅の外とか見たくないかい?」
「いいけど、オマエまじで楽しんでんなー」
異界駅に到着したことがよっぽど嬉しかったのだろう。
傑はもはや好奇心の赴くままに動いていた。
呪霊の仕業とはいえ、傑が楽しそうにしている様子を見るのは悪くない。とりあえずこのまま好きなようにさせるか。と悟は無人の駅の改札を抜けていく傑の後をついていった。
「やっぱり電波はあるね、スレとかに書き込んでみようかな」
よくある都市伝説みたいにさ。と傑は悟を振り向いてにこりとする。
うわ可愛い。と口から出てきそうになったのをぐっとこらえ、悟は言った。
「でもああいうのって結局どうなったかわかんねー部分も面白いんだろ?俺ら絶対帰れるしその辺の臨場感は欠ける気がする」
「まあ確かに。じゃあやめとこうかな」
そう言って片手に握っていたスマホを傑はスーツの内ポケットに仕舞ったが、それで機嫌を損ねるようなこともなく駅の周りをなぞるように歩いていく。
先ほどまで見えていた星空のような風景から一変して、どこにでもあるような駅前の風景が改札の外には広がっていたが、やっぱりどこにも人の姿はなくて不気味なほどに静まり返っていた。
小さな駅の裏側を覗き込めば先ほど乗ってきた電車が停まった線路が伸びており、その先はぼやぼやと暗くて何も見えない。
おそらくあの辺が領域の行き止まりなんだろうなと傑は思った。
思ったよりも何もないし、都市伝説で見るような不審な人影もない。
その代わり、地面には白骨がちらほらと見えたので、迷い込んだ末にこうなってしまう場合もあるのだろうなと傑は思った。
「あれみてえだな、カリオストロの城の地下」
「あーこの前見たやつ?」
線路沿いのフェンスに並んで寄りかかり、動かない電車を眺めながら悟が言うのは先日二人で見たアニメの映画の話だ。
「面白かっただろ」
「かなり」
「というかもう飽きたかも。領域展開していいよ」
「うい」
まるで家電のスイッチを押すかのような手軽さで傑がそう言えば、悟はぎしっとフェンスから身体を起こしてすっと背筋を伸ばす。
片手で掌印を結び、もう片方の手で傑の腰をつかんでぐっと自らに引き寄せた。
「これ取り込む?祓う?」
「まあ貰っとこうかな?都市伝説の手持ちが増えるのも悪くないしね」
「口裂け女と喧嘩したりして」
「まさか!」
はは、と笑いながら傑がぽすんと悟の肩に頭を乗せると、途端に目の前から駅の風景が消え失せた。
がたがたっと揺れる足元に気が付くと、片手で吊革をつかんだ姿勢のまま、車窓にうっすらと映る自分の顔を目が合った。
電車には絶えず人が乗り降りし、車内アナウンスが断続的に流れている。
「次、降りる駅っぽい」
「ああ、うん」
横で同じように吊革をつかんでいた悟に言われ、傑は目元を擦った。
そして自分の腰に回された悟の手を見て言う。
「いつまで掴んでる気だい?」
「あ、ばれた?」
悪びれもせずにそう言いながらも悟は、一向に傑の腰を抱く手を引っ込めようとしないのである。
しょうがないな。と思いつつも傑は次の駅までその手を払いのけることはしなかったので、満更でもなかったのは言うまでもない。