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    yuyugaga4

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    yuyugaga4

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    ※ 冒頭部分ではなく中盤からの一部抜粋です。
    教師if五夏
    学生の頃から10年ほど付き合っていてこの先も一緒だと約束しているが、そういえば一度だけ見たことがあった悟の許嫁の存在にもやっとする傑

    今までで一番傑が安定してます。

    恋と告別 悟に許嫁がいるという話は学生の頃、悟の口から聞く前からなんとなく知っていた。
     呪術界に足を踏み入れたばかりだった傑が見聞きする物事は呪術に関わるものに留まらず、それらを取り巻く組織や派閥、または御三家なんかも例外ではなかったのだ。
     御三家と聞いただけで何となく古くから伝わる格式高い家なのかな?と傑がぼんやりとしたイメージを持っていたところどうやらあながち間違いでもなかったらしく、その渦中にある悟を取り巻く人間関係はそんなイメージよりも複雑でありながら全く見当違いというわけでもなかったのがひとつ驚きだったのだ。
     家の老人たちが決めた悟の許嫁の存在が想像ではなく本当に存在すると聞いた時はまず、やっぱり御三家ってそういうもんなんだな。と妙に納得したことを第一の印象として鮮明に思い出せる。
     その時は自分が今まで生きていた世界からの違いに驚くというよりは、知らない世界を覗くような、まだまだ物見遊山くらいの気持ちが抜けなかったのだ。
     そんなことまで決められて大変だな。と傑は悟本人にそれを言ったか言っていないかはもう覚えていないが、許嫁の話になると悟があまりいい顔をしなかったものだから傑からその話題を振ることはまずなかった。
     それも悟と付き合い始めてからはなおさらだ。
     そうなってくると傑にとって珍しいだけの存在だった悟の許嫁は、自分の恋人と将来結婚が決まっているという難儀なものになるし、実際こういう場合はどう振舞えばいいんだっけ?と問題の扱い方が変わってくる。
     普通に考えれば別れるべきなのか?
     それはどっちが?まあ客観的に考えてしまえばそれはこっちなのだろう。
     しかし本当にそれで良いのか?
     傑という一個人としては全く良くない。良くないのだが…と考えだしたらきりのない悩みに結論を出すことはまだできていなかったが、現時点で傑はまだまだ悟と別れるつもりは毛頭なかったのである。
     悟とは地獄まで一緒だと約束したのだから。
     絶対に、死んでも一緒。
     きっとこの約束が破られることはないのだと傑は信じていたから、今はまあ許嫁のことを深く考える必要はないかなとうやむやに出来ていたのだ。
     明確な根拠はなく、はたまた縛りを結んでいるわけでもなかったが、この手の約束をお互いに破ったことはなかったし、何より約束を破る理由がない。
     指切りすらしていないのにこんなに強く信じられるのは何故だろうか?と不思議になったりもするが、もうそれは大した問題ではないだろう。
     自分はこのまま悟と付き合っていても良い気がする。
     そのせいで悟が子孫を残せなくてもだ。
     だいぶ前に、御三家ではないが硝子にそんな話をふんわりと聞いたことがある。
     子孫を残す残さないの問題は大事かもしれないけど、まあ案外どうとでもなるもんだよ。と笑い、すかしたように言っていたのだ。
     きっと、五条家にはその本家のほかに分家もいるわけだし、五条家を後世につなぐという意味ではいくらでもなんとかなるということなのだろう。
     実際、無理に悟が子どもを作る必要なんてないのかもしれない。
     そう思うと傑はぐっと気が楽になるようだった。
     ただ、傑のことも良くしてくれている悟の世話係だった爺やや婆やのことを思うと申し訳ない気持ちにもなるのだ。
     あのひとたちはきっと大事に育てた悟の子どもの顔を出来ることなら見たいはずだろう。それはもうひ孫を楽しみにするかのように。
     もちろん彼らには悟との関係を公にはしていないが、はっきりとさせていないだけで気づいてはいるのだろう。
     悟のことは自分が取ってしまった。
     しかし離してやるつもりもない。
     せめて今後五条家に、悟までとは言わないが可愛い赤ん坊が生まれてくることをお祈りさせていただきたい。
     なんてことを悟に言えば、傑は余計なことは考えなくて良いと面白くなさそうな顔をするだろうからわざわざ口に出したりはしなかった。
     そうやって、内輪のつながりを重んじていそうな五条家のしかも当主が外に好い人(つまり傑のことだ)を作ってしまった以上、あらかじめ決められていた許嫁の存在はどうなってしまったのか?
     気にする必要はないのかもしれないが、気にならないと言ったら嘘になってしまう。
     傑は一度だけその許嫁の姿を見たことがあったのだ。
     それは悟に駄々をこねられた末に初めて五条家の敷居をまたぎ、次期当主として茶会に出る悟の帰りを離れの座敷で待っていた時のことだ。
     その日は傑と出かける約束をしていたところを急遽茶会への参加によって潰され、かなり悟が機嫌を損ねていたのである。
     いつも任務や授業を理由にして定例の茶会には顔を出さなくても目をつぶられていたが、今回だけは絶対に出席してもらわないと困ると高専に向けて直々に要請があったものだから送り出さないわけにはいかない。
     すまないが悟のためについて行ってくれと担任にまで言われてしまった傑はやっぱりその頼みを断ることは出来なくて、悟とともに五条家への迎えに車に乗り込んだのだった。
     生まれて初めて入る五条家の敷地内。
     滞在時間自体はほんの半日ほどだったが、茶会という関係者が集まるタイミングであったこともあり、仰々しい雰囲気に最初から息が詰まりそうになった記憶がある。
     到着するなり悟と同じような晴れ着を傑も着せられ、悟に向けて挨拶に来た五条家の人間や呪術界の関係者に愛想笑いを振りまいているだけでへとへとに疲れてしまう。
     こんな面倒なイベント、そりゃあ避けたいに決まっていると体感して初めて傑は悟の気持ちを察したのだった。
    「傑疲れたろ?離れに茶運ばせたから休んでこいよ」
     ひょいと傑の顔を覗き込みながら悟は言う。
     さっきまで澄ました顔で厳かにふるまっていた悟が、途端に高専で見せる様な同級生の顔に戻ったことに傑は少なからず安心する。
    「すまないけどそうさせてもらうよ…君はすごいね」
    「別にすごくねえよ、これがうちの普通だからさ」
     うんざりはするけどな。と悟は鼻で笑うので、傑もつられて頬を緩めた。
     悟はもう少し茶会の席に座っていなければいけないという事で傑は爺やに連れられて離れへと案内され、晴れ着のままであったとはいえようやく畳の上で足を伸ばすことができたのだった。
     静かな離れの座敷から開け放たれた商事の向こうに見える広い中庭。
     よくよく整備されており、季節の木や花はみずみずしく息づいている。
     なんだかこれを眺めているだけでも疲れがするすると抜けていくようで、茶会に出る人間は庭が目的ではないとはいえ、こんな美しいものを楽しめないのはもったいないなと思うほどである。
     どこか観光地にでも来たかのような風景を独り占めしていることへの浮足立った気持ちと、せっかくなら悟も一緒にいてくれればよかったのにと残念に思う気持ちがない交ぜになる。
     悟からしてみればありふれた実家の庭なのだから珍しくもなんともないと思うが、静かな草花を眺めることは少なからず安らぎになるに違いない。
     そして傑は、正直思っていたよりも五条家での自分の扱いが良かったことに驚いていたのだった。
     きっと悟があらかじめ口添えをしていてくれたのだろう。
     適当でデリカシーのないクソガキのように見えて、そういったところは妙に行き届いているうえに、さっきの気遣いも傑の胸にはかなりきゅんと来ている。
     そういうところなんだよなあ…と誰に説明しても恐らくわかってもらえない自分だけの惚気に傑は幾分まんざらでもない気持ちになりながら庭を眺め、そして用意してもらった茶菓子をほおばった。
     悟も勤めが終わり次第この離れに顔を出すと言っていたが、もうしばらく掛かるのだろうか?
     別に昼寝をしていても良いと言われているとはいえ、着せてもらった着物に皴を作るのは気が引けるし、なによりここで寛ぐにはまだまだ緊張感の方が勝っていた。
     そういえば庭や家の中は自由に歩いても良いと言われていたことを思い出す。
     いや自由に歩くなんてそんなことして良いわけあるか。と思うものの、この離れでぼんやりしておくにはあまりに時間を持て余し過ぎてしまう。
     だから庭を少し探索するくらいなら何か見聞きしてまずいものに遭遇することもないだろうと傑は、念のため部屋の外に控えていた五条家の使用人に庭に出ることを伝え、履物を用意してもらったのだった。
     高専の敷地内にも生い茂る木々が多いとはいえ、五条家の庭は隅々まで整頓されている。
     国の重要文化財の中に誤って足を踏み入れてしまったのか?と思うほどに見るものすべてが整っていて、石畳一つ踏みしめるにも慎重になってしまうほどだった。
     遠くで人の声がいくつかするので、きっと茶会の主会場になっている庭があるのだろう。
     そちらには迷い込まないようにしなければ…と思いながら傑が静かな方へと歩いていけば、ふっと先ほどの離れとは違った別の家屋が目の前に現れたではないか。
     最初に通された母屋とは違う。
     しかし、誰がいるかわからないのだ。むやみやたらに近付かないが正解だろう。
     傑はそっと足音を潜めながらその家屋から離れようとしたが、通り過ぎる際にちらりと見えた人影にはたと足を止めてしまったのである。
     座敷の上座に座る、見覚えのある着物と白い頭。
     肘置きに緩く身体を傾けて口を閉ざしているその人は、先ほど母屋で別れた悟に違いなかった。
     しまった、邪魔にならないようにと思っていたのに一番来てはいけないところに足を踏み入れてしまったのかもしれない。
     慌てて元来た方向へと踵を返そうとするが、悟の向かいに三つ指をついている少女の姿を見つけると、また進みかけていた足が止まってしまう。
     美しい模様の折り込まれた着物を身にまとう少女はきっと自分たちと同じくらいの年頃だろう。
     ブロンドの髪をアップにし、色白にほんのり透き通ったみどりの目をしている。
     西洋の色が見えるものの顔立ちは日本人のそれで、悟ほどではないがとても可愛らしい風貌をしていた。
     さとる様。と少女は少し舌っ足らずの甘い声を唇から滑らせるが、呼ばれた悟は顔色一つ変えようとしない。
     女の子相手にそういう無愛想な態度は良くないよ。と普段のように制服を着て隣に立っている悟ならば傑はそんな一喝を入れたかもしれないが、今は建物の陰に隠れてそっとその様子を伺っている。
     そしてその少女のすぐそばには妙齢の男性の姿も見えたのだ。
     もしかしなくてもその男性はあの子の父親なのだろう。
     悟を前ににこにこと愛想よく笑いながら、うちの娘が…と何やら口を開き、少女はそれに伴ってほんのりと頬を赤らめている。
     その雰囲気から傑はなんとなく察した。
     それからようやく元来た離れの方へと引き返すと、履物をそろえて座敷に上がり、べたりと畳の上に座り込んでしまったのである。
     なんだかよくわからないが心臓が妙にどきどきとしてしまう。
     もしかしてあれは…と傑はぐるぐると頭の中で明確にたどり着いてしまった答えを前に少なからず動揺を覚え、悟に確認してみたい気持ちでいっぱいになるのだった。
     だが悟はたぶんこの話題に対して難色を示すだろう。
     さっきのあの顔は明らかに不機嫌そうなそれだった。
     聞けば怒るだろうか?否怒るなんてことはないだろうけれども…とはいえ気になるな…と傑は考えながらぼんやりと離れからまた庭先を眺め、ぱしゃっと側の池で鯉が跳ねる音を聞く。
     いつの間にか用意してもらっていた茶菓子が別の種類のものに変わっており、飲みかけて冷めていたはずのお茶が新しく淹れなおされている。
     行き届きすぎてちょっと怖いな…と傑は今度こそ縁側に大人しく腰を下ろしてのどかな日差しを浴びていると、どたどたと騒がしい音が背後へ迫ってきていることに気が付いたのである。
    「傑!」
     そしてどすっと背中に衝撃を覚えると、前のめる前に後ろから回された両腕にがっちりと抱きこまれてしまう。
    「廊下は走らないよ」
    「うっせ、俺んちだからいいんだよ」
     傑の肩口にぐりぐりと額を押し付け、甘えるように体重を傾けながらあーだのうーだの唸る悟は相当疲れているのだろう。
     本当だったならば今日は二人で映画に行ったり食べ歩きをしたりするはずだったのだ。
     相当鬱憤は溜まっているに違いない。
     まあ今日は悟を労ってやるべきだなと思いながらも傑は、ぱっと振り向いた先の悟が自分の良く知るいつもの悟であることにほっとする。
     悟が自分のもとへ帰ってきた気がしたのだ。
    「もう用事は終わったのかい?」
    「終わらせた」
    「終わらせたって…まあおつかれ、少し休みなよ」
    「ん」
     そっと悟の頭に手を伸ばし、ふわふわと白い髪をなでる。
     やっぱり悟は嫌がる様子も見せず、その手に身を任せて緩やかに目をつぶっていた。
     こんな様子を五条家の誰かが見ていたら一体どう思うだろうか?
     そんなことを考えながら、ふふっと傑が口元を緩めると、ぱちりと突然その悟の目が開いたではないか。
    「ねえ、髪触らせて」
    「え、髪?」
     突然悟にそんなことを言われたものだから、傑はきょとんとする。
    「良いけど…今からかい?」
    「そ、いまから」
     ちょっと待ってろ!と悟はすくりと立ち上がると、どたどたとまた大きな足音を立てて座敷から出て行ってしまった。
     かと思えばそれを見送ったと思わないうちに片手に小さなかごを抱えて戻ってきたのである。
    「これさ、傑に良いと思ってたんだよね」
     どさっと傑の後ろに座り、悟はかごの中から琥珀色の小瓶と漆塗りの黒いくしを取り出して見せた。
     きっとそれは髪に使う油なのだろう。
     瓶を開けるとふんわりとキンモクセイの香りがした。
    「いい匂いだね、どうしたんだいこれ?」
    「婆やに教えてもらった」
    「婆や…?」
     まだ傑には耳慣れない言葉だったため思わず聞き返してしまったが、なるほど、この家に来てから何人か見かけた使用人のうちの誰かが悟の言う婆やなのだろう。
     今朝、着付けの時に綺麗に結ってもらった傑の髪から髪留めをしゅるりと抜くと、ぱらっと肩より少し下までを覆う髪が首裏を隠してしまう。
     ずいぶん伸びたがまだ切るつもりはない。
     なぜなら悟がこうやって髪に触りたがるからだ。
     悟は束になっていた傑の髪をゆっくりと解き、少量からそっとくしを通していく。
     これもその婆やにやり方を習ったのだろうか?
     悟は手先が器用であるとはいえ、ここまで丁寧に触られるとなんだか気恥ずかしくもなってきてしまう。
     照れる気持ちを抑えながら黙って悟に髪を触らせ、そして触れるその手のぬくもりの心地よさにうつらうつらとしていると、「なあ」とまた後ろから声を掛けられた。
    「傑さ、見た?」
     含むような問いかけに傑はぱちっと目を開ける。
    「何を?」
    「金髪の女」
    「だからそういう言い方はやめな」
     そして傑は、見たよ。と答えたのである。
     十中八九、先ほど通りがかった母屋とも離れとも違う家屋での出来事だろう。
     息を潜めていたとはいえ、偶然立ち会ってしまったものだから傑もうまく気配を消し切れていなかったのだろう。
     髪にくしが真っすぐに通る感覚を覚える。ふわっとあぶらから華やかな匂いも香ってきた。
    「あれさ、許嫁」
    「許嫁?それって、悟の?」
    「そう、俺の」
     予測していたとはいえ、やっぱりその答えに傑はどきりとした。
     もしかしなくても。という事だったらしい。
     あのブロンドの、透き通るようなみどりの目をした美しい少女は悟の許嫁としてこの茶会に呼ばれていたのだろう。
     きっと今回の茶会絶対に出席しろと言われていた理由はそれに違いない。
    「許嫁かー、悟にもやっぱりそういう相手いるんだね」
    「やっぱり?」
    「私の勝手なイメージだよ。御三家っていかにもいそうじゃないか」
    「そういうもん?」
    「だから勝手なイメージだよ」
     ぺらぺらと傑は言葉を連ねるが、心臓は先ほどから嫌などきどきがやまなかったし、このあと自分はどう反応して、何を言えばいいのか今一つ正解がわからない。
     なんとなく感じていた許嫁の存在がここで明らかになってしまった。
     だとしたら、現在進行形で悟と付き合っている自分は一体どうなるのだろうか?
     傑は急に何もない場所にぽんと投げ出されたような気持ちにもなる。
     だがそれよりも、次に聞こえてきた悟の声が、なんだか自分よりも落ち込んでいるようだったのだ。
    「別に隠してたわけじゃない」
    「うん、私も尋ねてないしね」
     そりゃそうだよ。と傑がくるりと振り向けば、まっすぐにこちらを見つめる悟の青い目と視線がかち合った。
    「俺は傑と生きてくってもう決めてる」
    「うん」
    「信じて」
    「信じてるよ」
     するっと傑の髪からくしが抜け、悟の手が傑の頬にそっと触れる。
     微かに一度唇が触れたかと思えばそれだけに留まらず、ゆっくりと具合の良い角度を確かめるように唇が重なり合った。
     周囲に自分たち以外の気配はなく、悟が人払いをしたのだろうか広い座敷の真ん中で本当に二人きりしかいない。
     どこかまだ緊張の解れなかった傑の気持ちもようやく緩んだのか、唇が離れるととすんとそのまま悟の胸の上に頭を傾けてしまった。
    「傑、帰ろうぜ」
    「もう帰れるのかい?」
    「俺がやることは終わったしな。帰って飯食って傑の部屋で寝たい」
    「なんで私の部屋なんだよ」
     悟の言葉に眉間に浅くしわを寄せながら、別にいいけど。と傑は呟く。
    「それに家の連中にも傑の顔覚えさせたからな」
    「へえ…えっ、なんで?!」
    「なんでってそりゃ…」
    「いやいやいや!というかそういうことは先に言えよ!」
    「ええ、だってさ…」
     何がだってだ!と傑がむにっと悟の頬をつまめば、悟はいひゃいと間抜けな声を出しながら、拗ねたような表情を浮かべた。
     ほんの少し前の次期当主の顔はどこへやら。
     おおよそ傑にしか見せることはないだろう子どもっぽい駄々がこの頃愛しくてしょうがないのである。
     悟の言葉は信じてる。それに対する自分の答えにも偽りはない。
     それに妙に安心した傑はもうすっかりと許嫁の存在が気にならなくなっていたし、この日は悟の希望通り高専に帰った後は傑の部屋の狭いベッドの上でぎゅうぎゅうになりながら眠ったのであった。
     この日以来傑はまた何度か五条家に連れていかれることはあったものの、あの少女の姿を二度目に見ることはなかったのである。
     茶会が開かれているときは傑がもう庭の先まで散策しにいくこともなくなったというのもあるのかもしれないが、そもそもあの少女が五条家に招かれているのかすらわからなかった。
     もちろん傑はそれを悟に尋ねたりはしない。
     実際あの少女がどう過ごしているかなんてもう傑には微塵の興味もなかったのだ。
     二人の間で許嫁の話が出てきたことは、後にも先にもこの時一回きりだったのである。


     学生の頃から数えてもう何度参加したかわからない茶会から帰ると、悟は一目散にベッドへと飛び込んでいきそのまま動かなくなってしまう。
     五条家の定例の茶会に悟がちゃんと顔を出すのは数回に一回。そのうちの三回に一回は傑も連れていかれるので、並の分家よりは出席している可能性だってあるのだ。
    「寝転ぶ前にシャワーくらい浴びな」
    「傑が頭洗ってくれるなら浴びるかも」
    「あいにく私も横になりたいんだよ」
     ほらどいたどいた。と広いベッドの中央の、わざわざ悟が大の字で手足を広げているすぐそばに傑はどかりと座ると、ぺしんっとシャツが捲れて少し覗いている悟の腹の上を指先で弾く。
     本当は二人だけの席で茶菓子と庭を楽しむはずだったのに、やっぱり悟は当主としてあれこれ挨拶したがる関係者の対応に忙しく、傑は傑で五条家の使用人たちに妙な人気を誇っているものだから、あれをご覧ください、声を召し上がってくださいとそれぞれ引っ張りだこだったのだ。
    「というか思ったんだけどさ、当主の権限で茶会なんて廃止にしても良くない?」
     ふと悟は思いついたかのように言った。
     しかし傑はその悟の顔を覗き込みながら、少なからず驚いた顔をするのである。
    「今頃気づいたのかい?」
    「え、じゃあ傑はずっとそう思ってたわけ?」
    「そうだよ」
    「言ってよ!」
     なんでえ!と悟はがばりと起き上がったかと思えば、またしおしおとベッドの上に転がってしまう。
     ああ起きないんだ。と思いながら傑ははーあとため息を吐いた。
    「とっくに気づいているのかと思ったんだよ」
    「気づいてないよ!気づいてたらその瞬間から廃止してるわ!」
     なんでこんな簡単なことを!と悟は思うも、実際日々の忙しさの中で実家の茶会なんかに構っている余裕なんてないのだ。
     それに言えば傑もついてきてくれる場合もあったので、そう悪いことばかりでもなかったのが正直な部分もある。
     だからこそ悟の優先度としては後回しになっていたのだが、そろそろ決着をつけるべきだろう。実家に引っ張られる口実はやっぱり少ないに越したことはないのだから。
    「あーもう僕の代で茶会は終わり!これで終了!お疲れさまでした!」
    「ここで宣言してどうするんだよ」
     少なくともここで叫んだとしても茶会は廃止になんてならないだろう。
     それに何百年も続いている五条家の茶会をそう簡単に廃止になんてできるものなのだろうか?と傑は思うが、まあこの悟が言うのだから出来るのかもしれない。
     術式も相伝である上に六眼持ちの当主なのだ。五条家の意思と言っても良いことの男の言葉が通らないはずがないのである。
    「ああでも、いきなり茶会を廃止にしたら君のところに出入りしている菓子屋が困るんじゃないか?」
    「茶菓子が余るからってこと?そんなのうちに全部送ってもらえば…」
    「いやどれだけの量になると思ってるんだよ」
     それはやめろ。ときっぱりと言えば、悟はちぇーっとあからさまに口を尖らせる。
     この様子だと本気だったのだろう。
     先に傑が気づいたから良かったものの、ここで釘を刺しておかなければしばらくもしないうちにこのマンションへと大量の和菓子が届いた後に悟に拳骨を食らわせることになっていたかもしれないのだから。
     だが茶会の廃止は決定だろうし、万が一茶菓子の発注が全部うちに来たとしたらうち半分は五条家に送り返して、それから高専の関係者や生徒たちにも分けて…と傑が算段を立てているのをよそに、悟はもう茶会の話題に飽きたのか、ねえとベッドの上でぐるんと頭だけ傑に向けて言った。
    「腹減ったしシャワー浴びたらどっか食べ行く?冷蔵庫なんもないでしょ」
    「確かに、そうしようか」
     言われてみれば今日は朝食をとってからまともに食事をしていない。
     茶会に出る日はいつも昼を目まぐるしく過ごし、実家に長居したがらない悟のためにさっさと帰ってしまうので夕方まで茶菓子以外口にしないということがざらだったのである。
     ぐう、と空腹に気づいた腹が鳴る。
     いい具合の減りようだった。
     そして昨日まで二人はそれぞれ出張で家を空けていたものだから、冷蔵庫の中はほとんどからっぽで、開いてみても悟の栗羊羹と傑の缶ビールくらいしか冷えていなかったのである。
    「何が良い?和洋中、米パン麺」
    「うーん米かな…私昨日ラーメンだったし」
    「え、いいな。僕もラーメン食べたい」
    「だから私は昨日食べたんだってば」
     別に二日続けてラーメンでも良かったが、今はそんな気分ではない。
     それにこっちははっきり米だと言っているのだからその希望は通してほしい所だ。
    「じゃあ天ぷら…いやとんかつは?」
    「とんかつか、いいね」
    「おっけー、何時に予約する?」
     傑の返事を聞いきながら悟は寝ころんだままズボンの尻ポケットからスマホを取り出すと、すいすいと画面で指先を滑らせ始めた。
    「早めで良いよ、夕飯時は混むだろうし」
    「だね。だったら十八時とかは」
    「ちょうどいいんじゃないかな」
    「よし決まり!」
     とんとんと画面に触れながら店の予約を進めていく悟を眺めながら、傑もごろりとベッドに転がる。
     今日は一日、授業や任務とは全く違う疲れがしっかりと溜まっていたので気を抜くとこのまま寝てしまうかもしれない。
     いやもう寝てしまってもいいだろう。
     出かけるまでもう少し時間があるし、なんだかんだ悟だって起こしてくれる。
     くあっと大きく口を開けてあくびをしていると、こしょっと何やら腹のあたりにくすぐったさが生まれてた気がしたではないか。
    「…悟」
    「うん?」
    「うん?じゃあないよ」
     なに?と傑は自分のシャツの裾の下に入ってきていた悟の手をそこから抜き取ってしまう。
    「しないよ」
    「えー良いじゃん」
    「悟はね!夕飯前にすると私が入らないんだってば」
     それこそラーメン一杯くらいならば問題ないのだが、これからしっかりとんかつを食べるのだ。内臓はなるべくベストな位置に、良きコンディションで整えておきたいのである。
     だから今は我慢しな。と掴んだ悟の手が抵抗をやめるまでぎゅっと握りしめれば、さすがにあきらめたのかしおしおと悟の手は引っ込んでいったのである。
     非常に良い子である。
    こういうところがあるから後々ちゃんとご褒美なんかをあげたくなってしまうのだった。
    「君が締めパフェをはしごせずに帰るって言うなら明日の朝一緒に寝坊してやってもいいよ」
    「えっ、それ本当?!」
    「私の気が変わらなかったらね」
    「わかった締めははしごしない!というかもう行こう!」
    「それはまだ早いだろ」
     ちょっとくらい仮眠取らせろってば。と起き上がろうとする悟の袖を引いて笑いながら、傑はもう一度、今度は小さくあくびをしたのだった。


     乗ったかと思えば知らぬ間に目的地に到着していた新幹線を下り、忙しい改札を抜けたところで傑がスマホの画面をぱっと見ると、そこには一件の不在着信が残されていた。
     非通知ではない。表示されていたその番号は登録されてもいない見知らぬ番号だったが、誰か個人の連絡先という事が市外局番からわかる。
     心当たりはない。
     この頃誰かと連絡先を交換した覚えはないし、誰かに連絡先を教えたと言われた記憶もなかった。
     もしかしたら間違い電話だったかもしれないと思い、傑はその番号に特に掛けなおすこともせずに駅前のコーヒーショップでコーヒーを買って高専からの迎えの車に乗り込むと、またスマホがその番号を表示して着信を知らせてきたではないか。
     間違い電話である可能性は一気に薄くなる。
     着信元は傑の電話番号を指定して電話をかけてきているのだ。
     もう一つ考えられることとしては、実際に電話に出てみれば向こうが掛けたと思っていた相手と間違っていた。という線だが、それもやっぱり電話に出てみないことには証明しようがない。
     この電話には、気づいた今この場で出なければならない気がする。
     六コール目に差し掛かるところで傑は車を運転する補助監督に着信に応じることに対して断りをし、そして十コール目が鳴り終わる前に電話に出たのだった。
    「はい、夏油です」
     息を深く吸い、ゆっくりと呼び掛けた。
     するとその電話の向こうからは知らない女の声が聞こえてきたのである。
     落ち着いた声音だったが、その端々に印象的なかわいらしさの名残がある。
     電話の主は意識的にてきぱきとしゃべろうとしているのだろうけれども、どことなく舌足らずな語尾を隠し切れずにいた。
     傑にはそれが誰だかすぐにわかったのだ。
     もちろん話したことはない。
     この声を聞いた覚えだって、あの一回きりだ。
     しかしこうして電話越しにでも聞いてみると、ほんの一瞬の記憶がぶわりと傑の頭の中に蘇ってきてしまうのである。
     あの悟の不機嫌そうな顔と一緒にだ。
     通話自体はほんの数分もかからずに終わり、傑は相手が電話を置くのをまってスマホから耳を離した。
     とっくに切れた通話画面をぼんやりと見下ろし、そして画面が暗くなってしまっても目線はそこに落ちたままだったのである。
     何かが起ころうとしている気がする。
     だが何が起こるのかはわからなかった。
     このことを悟に言っておくべきなのかもわからない。
     もし傑が考える様なこと、考えもしないことが何も起こらなければわざわざ悟に言わなくても良いに違いない。
     スマホを握りしめたまま傑は腕を組み、うーんと眉間に深いしわを掘って考えていると、ふと運転席の補助監督が不安そうな顔でルームミラー越しにこちらの様子を伺っていることに気づいた。
    「ああすみません、なんでもないんです」
     そう言って傑はすっと眉間からしわをなくす、緩やかに笑って言った。
    「今日の夕飯に干物を焼こうかと思ったんですが、餃子でもいいなと思いはじめましてね」
     どっちがいいと思います?なんて投げかけをしているうちに、もうすぐそこに高専の建物が見えていた。
     悟も今日は出張だったが、そのまま直帰すると言っていたのできっと高専にはいないだろう。
     本当は残っていくらか事務仕事をしようと考えていたがどうやら自分はそんなことをしている立場ではないらしい。
     高専に到着した車から降りた時に傑は補助監督から餃子と干物だったら、どちらかといえば…ともらった返事をもう覚えていなかった。
     頭の中はさっきの電話でいっぱいで、そして悟に会う事ばかりを考えていたからだ。
     新幹線までの待ち時間で作ってしまった報告書をさっさと提出すると、喫煙所で一服する間もなく傑はまっすぐに自宅へと向かっていく。
     悟には今から帰るというメッセージを送っていなかった。
     電話を切って以来スマホは上着の中にしまい込んでいたので、それを取り出すことなく今は帰ることに集中していたのである。
     電車やタクシーでのんびりと帰ることすら煩わしかったから、今は急を要すると傑は呪霊に乗ってマンションの屋上まで飛んでいく。
     実際二人の住む部屋は上からアプローチした方が早かったのでかえって帰宅時間を短縮できたものの、傑が部屋に帰ったら帰ったで中は何やらあわただしかったのである。
     ばたばたと足音がする。
     リビングに行くと悟がいたが、何やら苛立った様子で書斎や寝室、それからこのリビングを行ったり来たりとしているではないか。
    「あ、傑。お帰り」
     傑の帰宅に気づいた悟が、充電器の上からスマホを持ちだすと上着の中にしまいこんでしまった。
    「ただいま…悟も帰ったばっかりだろ?」
    「うん、そう。でもまた出なきゃ」
    「え?」
     出かけるのかい?と傑が目を丸くして尋ねれば、悟は渋い顔をして頷く。
    「ちょっと実家にね」
    「実家って今から?!」
    「そ、用事が終わったら秒で帰るけど…今夜は先に寝ててよ」
     ごめんね。と悟は言うと、ぽんと傑の頭に一度手を置いてそのまま肩の横をすり抜けて玄関に向かっていってしまった。
     だから傑は慌ててそのあとを追いかけて出かけていく悟の姿を玄関から見送ったものの、胸の中は先ほどから妙にざわざわとして落ち着かない。
     さっき取ったばかりの電話の話。
     呼ばれたと言ってあわただしく実家に帰って行く悟。
     普段ならばただ呼ばれてもなかなか帰らないくせに、今日は一体どうしたんだろうか?
     それくらい、よっぽどの要件が発生したという事なのだろうか?
     なんとなく傑にも心当たりがあるような、ないような。
     関係ないと思いたいのに、あの電話がこの件と密接につながっているようなきがして落ち着かない。
     傑は帰るまでに一度も触っていなかったスマホを取り出すと、ぽんと今まで悟のスマホを充電していた充電器の上に置き、自分はソファーにどさりと座り込んでしまった。
     何事もなければいい。
     だが、何事もないはずがない気もする。
     それに悟は秒で帰るなんて言ったけれども、正確にはいつ帰ってくるのだろうか?
     傑の中でじわっと湧き出る嫌な感じは、みるみるうちに大きくなっていったのだった。
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