孤独への餞 はーあ。というため息が向かい側の席から聞こえてきたが、硝子は片手に持っていたスマホから顔を上げることなくもくもくと読みかけの記事を読み、そしてパスタを巻いたフォークを口に運ぶばかりだった。
とはいえその硝子の目の前に座る悟は、そんな様子にも構わず勝手にしゃべり始めるだろう。
「順番まずったかなー」
ずずっと悟は、大学の売店で一番甘いミルクココアを紙パックからストローで飲みながら、やっぱり硝子の反応も待たずに口を開いた。
「俺好きなやつと寝てんだけどさ」
「それ聞いて私になんか得があるなら聞くぞ」
やっぱり硝子は悟に一瞥もくれずに答えたが、ええー?と悟は気にした様子もなく続けた。
「友達の悩みくらい聞けってば」
「悩んでるようには見えないな」
「まあまあ、それでさ」
相変わらず目も合わせないが特に突っぱねることもなく硝子は、はいはいと悟の話に耳だけ貸してやることにした。
まあ一通りしゃべったら満足するだろう。
どんなに興味のない話題であっても、話が上手いだけが救いだな。とこうして悟の愚痴を聞くたびに思っていたが、今回の話題についてはおおよその合点がいっていた。
そもそも好きなやつなんて濁さなくても相手なんてわかりきっている。
多分悟のほうも硝子がこの話に出てくる相手が誰のことを指しているのかわかっていることを承知した上であえて濁しているのだろう。
というかお前ら寝てるんだ?うけるな。なんて思いながら硝子は食欲が失せないうちにパスタを食べてしまおうと、フォークに巻く量をふたまわり程多くした。
「付き合いたいんだけど、タイミングを逃した気がするわけよ」
「タイミング?」
「そ」
ちらりと硝子は悟を見た。
最近はてんで噂を聞かないが、これまで悟にはその「好きなやつ」以前に関係を持っていた人間が多数いることを硝子も知っている。
そして悟が言うには、そういう相手はいつだって向こうから仕掛けてきたところをなんとなく寝て、なんとなく付き合っては別れていた。
だからこちらから踏ん切りをつけるタイミングがわからないという、クズを煮詰めたような話だったのである。
「今までの彼女はとりあえず寝たら付き合う感じになっていたわけだ」
「そういうこと」
「それはまあ、君にも問題があるな」
「なんでよ」
悟がそう首をかしげるが、そこに心当たりがないあたり、らしいというかなんというか、硝子は妙に納得してしまう。
「五条がクズなのはそれとしてさ、自分から告白したこととかはないわけ?」
「ない。誰かのこと好きになったなんてこと今までなかったし、あいつが初めて」
「重いなー」
相槌を打ちながらくはっと笑い、硝子はその重たい感情を向けられている人物の顔を思い浮かべた。
「ちょっと真面目に聞いてってば」
「聞いてる聞いてる。だったら普通に好きだって言えばよくない?」
「いいのそれ?」
「いいだろ別に」
逆になんでダメなんだよ。と硝子は言う。
「うーんでもな…なんかなあなあになりそうというか、されそうというか」
「だからそれは君が悪いんだってば」
もちろんそういうことになりそうだなという予感はある。
なにせ悟の言うあいつは、そいつなのだから。
「そんな気もしてきた」
「お?」
しかし思いのほか素直に言葉を受け取ったらしい悟がそんなことを言うので、硝子は珍しく目を丸くして悟を見た。
「だったら、いったん清算しとくか!しょーこさんきゅ」
「私は何も言ってないからなー」
念を押すように硝子は言い、そして席を立つ悟を見送った。
片手に持っていたスマホの画面はとっくに暗くなっており、次の講義までもう一時間を切っていた。
硝子は皿に残ったパスタを巻きながら、悟が姿を消したカフェテリアの入り口を見つめ、それからはーっと先ほどの悟と同じようにため息を吐く。
絶対に、少なくとも一悶着は起こるだろう。
お前らの痴話喧嘩に巻き込まないでくれと硝子は大きく口を開け、パスタの最後のひと巻きをそこへ運んだのだった。
すっかりと手になじんだ合鍵を使って悟はアパートの扉を開ける。
もう目を瞑ってでも辿り着ける、この傑の部屋を訪れるのは昨日ぶりたった。
留守でもこうして勝手に開けられるのだから傑が今日バイトに行っているとわかっていても大学から直行して昼過ぎに訪ねればよかったのに、どうしてか傑がバイトを終えて帰宅しているであろう時間帯を狙い、夜が更けるまで自宅で待っていたのである。
すんなりと開いた扉の先の部屋は暗かったが玄関には見慣れた靴があり、やっぱり傑は帰っているんだろうな。ということがまず分かった。
悟はそこから特に傑へと呼びかけることはなく靴を脱いでずかずかと家の中へ上がっていくと、キッチンなどから一枚隔てられた扉を開き、いつもふたりでだらだらと過ごしている部屋に入っていった。
暗い部屋でテレビだけがついており、ベッドの上で膨らんだ布団の端から黒い髪の毛が見えている様子から傑は寝ているのだろう。
テレビをつけっぱなしで寝るなんて珍しいな。と悟は思いながらそっとベッドの端に腰かけ、ゆっくりと傑の顔を覗き込む。
壁際に向いた寝顔が布団から少し見える。
なぜか眉間にしわを寄せているようにも見えたが、うなされている様子もない。
なにか夢でも見てる?だったらすぐに起きるだろうか。
なんとなく悟は傑を起こそうとはせずにじっと寝顔ばかりを見つめ、それから自分も布団の中に入ろうかと手を伸ばそうとした時だった。
ぱちりと傑が目を開け、それからぐるんとこちらを見上げる。
ぱちぱちと瞬きをしているがどこかまだ寝ているようで、寝ぼけた表情がなんだか可愛かった。
「寝落ちた?テレビついてんぞ」
「え…ああ、うん」
そうかも…と傑はゆっくりと起き上がると、光りを放つテレビのほうをぼんやりと見ていた。
「バイト終わって今まで寝てたわけ?」
「…そ」
「おつかれ」
そう言って悟がくしゃっと傑の頭をなでると、傑はそれをはねのけることもなく寝ぐせのついた髪をおとなしくくしゃくしゃにされた。
寝起きが悪い傑は口数が少ないが、なんだか今日は極端な気がする。
どうしたんだこいつ?なんて思いながらも悟は、まあそれは後で聞けば良いかと自分の当初の目的を思い出す。
「あのさ、傑。今日ちょっと話があんだけど」
「…なに?」
ゆっくりとこちらを向いた傑から聞こえる低い声。
不機嫌というよりは、どことなく身構えるようなその傑の返事に、悟は目をぱちくりとさせるのだった。
悟のことが好き。
一方通行に向けているその気持ちを傑は口にしたことはなかったし、この先も口にはできない。
だから付き合うなんてこともないだろうと思いながらも、どうしてだか身体の関係だけは持っていたのである。
しかし、自分たちの間にあるのはそれ以外に友情だけだったから、それが何かに発展することはまずなくて、当然のことながら日常的にキスするなんてこともなかったのだった。
目が合った時にどちらからともなくキスを仕掛けるような、じゃれあうよう唇を交わす機会なんてない。
だって別にしなくても良いのだから。
今までは傑もキスなんてセックスの手前も手前の工程で、誰とでもできるものだと思っていたのに、こと相手が悟となると全くそういうわけにもいかなくなってしまうのである。
悟とキスをする意味を深く考えてしまう。
したことはないけれど、何よりも特別であることはわかっていたのだ。
気持ちのない相手と寝ても、キスしなきゃセーフ。なんていう線引きも何となく理解できる。要はニュアンスの問題なのだが、傑はまさにいまそれらを身をもって感じているのだから。
セックスするにしてもキスがあるのとないのとじゃ全然話が変わってきて、逆にキスだけ交わせるのならばそれだけで良い気だってしてくるのだ。
キスはただ唇と唇がくっつくだけの行為じゃない。
少なくとも傑にとっては、悟とそうすることは単なる接触以上の意味を持つのである。
悟は気持ちのない相手にはキスをしないたちなのだろうか?
もし自分がキスをねだっても断られる?
それとも、キスくらいお安い御用だと言ってしてくれる?
そんなのどっちでも嫌に決まってる。
前に傑は、悟が当時付き合っていた彼女からせがまれてキスにこたえていた場面に遭遇したことがあったが、その時の悟はいったいどんなキスをしていたっけ?
そう記憶を探るとぐるぐると思考は曇り、何も鮮明に見えなくなる。
悟が恋人にしていたキスを、じっくりと思い出したい気持ちとやっぱり忘れてしまいたい気持ちがないまぜになる。
なんとなくだが、いま悟に付き合っている相手はいないだろう。
割と日常的に自分と寝てるし、さすがにこの頻度の隙間に女の子と会う時間を差し込もうとするほど付き合いにマメでもない気がする。
たぶん、おそらく、きっと…
確証はない、ほとんど望みにも近い思いに傑は何度も堂々巡りをしていた。
もし、悟と付き合えればキスもできる?
でも今の自分たちはその関係に近いようで程遠いのではないだろうか。
セックスしているとは言っても所詮それはただの行為であり、実際はゴム越しに粘膜を擦り合い、気持ちよくなって終わり。
傑がこころを隠す限り、これは効率の良い発散でしかないのだ。
キスをしたいと傑が思う気持ちは、できれば悟からの愛がほしいということであり、それこそただ唇を重ねるだけではむなしいに違いない。
でも悟からの愛なんてどうやったらもらえるんだっけ?
もちろん傑には皆目見当もつかなかったのである。
悟とは同じ大学の違う学部に所属していたが、空き時間にはそれぞれ課題をやったり食事をしたり、どちらかの家に行ってゲームをしたりなど二人で過ごす機会は多かった。
それも主に傑の部屋に集まることのほうが多く、部屋の合鍵もいつの間にか悟のキーケースに収まっていたのである。
悟と最後に会ったのは昨日の夜。
泊まっていくのかと思ったら帰ってしまった悟を見送り、傑はひとりでベッドに入ったが、なかなか寝付けず結局微睡の中で夜明けを迎えてしまった。
そんなコンディションだったものの昼過ぎにはバイトに出かけ、昨日悟を送り出したのと同じ時間帰ってくるとひとりでまたベッドに横になりながらテレビをつけた。
するとそこでは少し前に流行った映画が流れていたので、なんとなくリモコンを置き、チャンネルはそのままにしておいたのである。
いま画面に映っている人物はどんな名前でどういったキャラクターなのか、その一切が分からないままぼんやりと画面を眺めていると、あれよあれよいう間に場面はキスから始まるラブシーンに突入していったのだった。
思ったよりも濃厚なそれらに傑は、役者は身体を張るな…とぽつりと考える。
あんなキスをして情が移ったりしないだろうか?
まあしないんだろうな、だってこれは彼らにとっては仕事でしかないのだから。
それにそもそもの根拠となる気持ちがないのである。
だからきっと自分が悟にキスをねだったとしても結局は同じなのだ。
どんなに舌を絡めて息が苦しくなるほどのキスを交わしても、悟に気持ちがなければその行為が発生した事実だけで終わりになってしまう。
画面ではまだラブシーンが続いていたが、傑はそこから背を向けて壁を向くと布団にくるまりながらぐっと体を丸めた。
なんとなくテレビは消さず、遠くの物音を聞きながら目をつむっていると、次第に意識が枕元に転がっていくような心地を覚える。
そうやっていつの間にか眠ってしまった傑が目を覚ますと、どういうわけかこちらを覗き込む悟の目と視線がかち合ったのである。
「寝落ちた?テレビついてんぞ」
「え…ああ、うん」
傑はむくりと布団から起き上がり、そうかも…と、つけたままだったテレビの光りに目を凝らす。
あの映画は終わっていた。結局タイトルも何もわからないままだった。
「バイト終わって今まで寝てたわけ?」
「…そ」
「おつかれ」
そう言った悟の手がこちらに伸びてきたかと思えばそのままくしゃりと髪をなでられる。
前髪も横の髪もくしゃくしゃめちゃくちゃにされる勢いだったが、寝起きの頭ではもうそんなことどうでもよかった。
手の温かさが心地よいけど、どことなく胸の中はざわざわとする。
昨日はもうこの部屋にいなかった悟がここにいてくれることは嬉しい。
嬉しいんだけど、なんだか変に落ち着かないのはなぜだろうか?
そうやって傑が幾度か瞬きをしながら悟をじっと見つめていると、悟は口を開いた。
「あのさ、傑。今日ちょっと話があんだけど」
「…なに?」
どきりとして思わず返事をする声が掠れる。
悟はきょとんとしていたが、まあ寝起きの声だということでスルーしてくれるだろう。
間違いない嫌な予感がしたのだ。今は心臓をちわちわと端から焼かれているのかと思うほど胸の奥が熱くて苦しい。
まだ何も言われていないのに。
まだ昨日までの自分とは何ら変わりないはずなのに。
否、まだ昨日までの自分と変わらないというのは間違いだ。
もうこうして逃げられないところまで追いつめられてしまっているのっだから。
だってわざわざそうやって切り出そうとするということは、今後決定的に何かが変わる前触れではないだろうか。
たぶんこういう予感はベタ中のベタで、仮にさっきの映画にそんな展開があったとしても、分かりやすすぎてカットされてしまうかもしれない。
「あのさ、俺らの関係いったん清算しねえ?」
「清算?」
「そう、振り出しに戻したいんだわ」
テレビはまだついていたが、傑の耳にはもう悟の声しか聞こえなかった。
どきんどきんと胸の中で心臓が嫌なほど跳ね、じんわりと首元や手のひらに汗が滲んでくる。
放たれた悟の言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡り、どうにかわからないふりをしようとしているらしかったが、傑は残念ながらこの言葉の意図を理解できてしまっていたのだ。
どうやら自分たちはこれで終わりということらしい。
「私はいいけど、わざわざ清算なんて改まったものだね?さては好きな人でも出来たのかい?」
「出来たっていうか、ずっと好きだったからそろそろ…みたいな?」
「ふーん」
傑は、まるで昨日食べた夕飯の内容を聞くかのようになんでもない風で悟の話を聞いていた。
心臓は口から出てきそうだったし、気を抜けば声が震えてしまう。
わかっていたけど馬鹿みたいだった。
さっきまで呑気に悟とキスしたいなんて考えていたのにこうもあっけなく振られてしまうなんて。
やっぱり悟にはちゃんと好きな人がいた。
その上ずっとって、なに?
こっちはずっと悟のことが好きで、そんな気持ちを燻ぶらせながら抱かれていたけれども、悟は別の誰かを好きでいながら自分を抱いていたということ?
そんなのって、あんまりにも笑えるじゃないか!
胸の内に息づいていた悟への恋がどんどん萎れていく心地がする。
大事に大事に今まで誰にも、悟にも見せないように守っていたのに。
そしてあの悟が、こうして近辺整理までしてその相手に向き合っているのだから、これはよっぽどのことなのかもしれない。
今まで適当に作っていた彼女なんかとは違う。
なあなあに繋がっていた生ぬるい関係をすべて断ち切ってしまおうと思い切れるくらい、本当に悟が向き合った、真剣に好きになった相手なのだろう。
「付き合うの?」
「付き合う。まだ告ってねえけど、たぶん俺のこと好きだろうし」
「なるほどねえ」
たいしたもんだな。と傑はふっと笑う。
しかしそれと同時にうつむき、揺らめく視界を遊ばせながら布団のしわばかりを目で追っていた。
今ちゃんと息ができているのかわからなかった。
もうしばらくもしないうちに、というより明日にでも悟にはちゃんとした恋人ができてしまうのかもしれない。
本命も本命、大本命の相手。
悟が真剣に好きになった、悟に選ばれた存在なのだ。
そして悟はその人と幸せなキスをするだろうし、ふとしたタイミングで自分はそれを目撃してしまうかもしれない。
同じ大学に所属する学生であればその確率はぐっと上がるし、もしかしたら悟は付き合えるようになったとその恋人を紹介しに来るかもしれない。
後者は十中八九その通りになるだろう。
もしそうなっても月並みなセリフを吐くことは得意だったからそれなりに冷やかしてその場をやり過ごせればあとはどうなったっていい。
その時だけ、ただの同級生の顔をしていればいいのだから。
「君のことは応援するよ、まあその分だと勝ちは固いんだろうしされるまでもないとは思うけどね」
顔を上げて部屋の電気をつけようとした。
しかし傑はその両方をやめてしまった。
もう目の奥はだいぶ熱くて、息も苦しくてたまらなかったのだから。
「その代わりにさ、私のお願いもひとつ聞いてよ」
「お願い?」
「うん、すぐ終わる。まあ断ってくれても良いよ…聞いてから決めて」
くしゃくしゃになった髪を少しかき分け、暗がりの中ゆっくりと傑が目線を上げる。
悟の顔を見ようとしたけどなんだから見れなくて、まつ毛の端や耳たぶをちらりと見上げて傑は言った。
「最後にさ、私とキスしてよ」
途中で少し声が掠れてなんだか情けなかった。
けれどももう取り戻すことはできない。
ほんの一瞬、触れるだけのキスでいい。
もし構わないのならば、最後にそれだけほしかったのだ。
こんなことを言ってもう自分の気持ちが悟にはばれてしまったかもしれない。
でも断っても良いといったし、応援するとも伝えてあるから、これもひとつの清算なんだと理解してくれるだろう。
まだ合わせられない視線の端で、悟がこちらをじっと見つめていることが分かる。
あえてどんな表情をしているかを頭で認識しないようにしていた。
でもやっぱり、引き込まれるように傑は悟を見ると、悟は「わかった」と返事をしてぐっとベッドの上に手のひらをつき、こちらへ身を乗り出してきたではないか。
ああちょっと待った!と傑が言う前に唇にやわらかい感触が生まれる。
自分で言い出したとはいえ、心の準備もままならないうちに自分がこれから先一生もっていくつもりのキスが終わってしまうなんて。
でも実際はそういうものなんだろう。
悟にとってはその場しのぎの、きっとすぐに書き換えられてしまうキスなのだから。
だからせめて、悟が離れていってしまうまで…と傑は目をつむるが、重ねられた唇はむにむにと押し付けられたまま、一瞬にしてはあまりにも長すぎる時間がすでに経過している気すらした。
何かがおかしい?と傑がようやく気付いた時にはもう悟の舌先が傑の唇を割って中に入ってこようとしており、被さるような悟の身体にいつのまにかそのままベッドに押し倒されようとしていたのである。
「っは、ちょっ…さとる!」
唇と唇の隙間から傑が叫ぶが、悟は答える様子もなく完全に傑の身体を背中からベッドの上に沈めてしまった。
執拗に唇を舐められ、息継ぎもままならない。
何度も角度を変えられながら唇を攻め立てられ、滑り込まされた舌が傑の口の中をぐるりと舐めるとその艶めかしさに頭が真っ白になろうともする。
考えるより先に身体が熱く、先ほどとは違って生理的ににじみ出てくる涙で頬を濡らしながら傑はもう一度、さとる!と叫んだ。
すると今度こそ悟はそれに応え、ゆっくりと唇を話したかと思えば依然傑を押し倒したまま熱っぽい眼差しを向けてくる。
ついーっと、唇から垂れる銀の糸はゆっくりと二人の唇の間を伸びて消えていった。
「…最後じゃねえし」
「は…はあ?」
ぼそりと呟かれた悟の言葉に、まだ完全に呼吸を取り戻しきれていない頭のまま傑は首を傾げた。
「最後じゃねえ!最初!俺はお前と付き合いたいの!」
「…なんで?」
「なんで?!」
眉をひそめた傑の返事に悟は信じられないとでも言いたげな顔をするが、傑からしてみればこれまでの悟との関係ややりとりで、ピンとくる要素が殆どなかったのである。
「お前のことが好きだからなんだけど…」
「え、なんで?」
「いやなんでなんでってさ!」
伝えた気持ちが誤弊なく届いているはずなのに、なんだかかみ合っていないのは何故なのか。
まっすぐに告白したつもりなのに、傑はどうしてそんな腑に落ちない顔をしているのか?
「だって、あんまり急じゃないか…」
「そりゃ急だったかもだけど…急にもなるくない?」
「…意味がわからん」
「だってさ!今のまんまじゃずっとセフレの気がして…」
だから最初から始めたかった。と悟はだんだん俯き気味になりながらそう言った。
急にしおらしくなった悟に傑はきょとんとするが、どうやら押し倒した態勢のまま退くつもりもないらしくそのままじっと傑を組み敷いたままベッドに両手を沈ませている。
「あー、それで清算ってことか」
「そーだよ」
「なんだ…私、悟に振られたんだと思った」
「そんなわけあるかよ」
少し首を傾けて、布団に髪を散らしながら上目遣いにこちらを見上げる傑の、ふっと緩んだ唇になんだか目がいってしまう。
正直、さっき傑にキスしてほしいといわれたときにやっと勝ちを確信した。
自信がなかったわけではないが、決め手に欠けていたのも否定はできなかったのである。
でも前に、当時付き合っていた彼女にごねられるがまま適当にキスをしたら、キスは特別なものなんだよと?と傑が説教を垂れてきたことがあった。
その傑が、最後にキスをとねだってきたのである。
そんなのもう特別以外のなにものでもないだろうし、飛びつくほかないだろう!
「別に清算なんてしなくて良いんじゃないか?続きから付き合えばいいんだし」
「え、傑…俺と付き合ってくれんの?」
「うん、まあその流れだろ」
「まじで?言ったな!」
あー良かった!と悟はしなしなと傑の身体の上に項垂れると、どさくさに紛れて両手を背中に回してきたではないか。
いきなり大胆だな?と何度も肌を重ねた行為を棚に上げて傑が悟の顔を覗き込もうとすると、ぱっと悟は顔を上げて言った。
「一生大事にする」
「一生?気が早いよ」
「早くねーよ。一生!ここで約束したからな」
悟が両腕に力を籠めると、傑の背中が布団から浮いて悟の身体との間に挟まれながら強く抱きしめられる。
すると傑はその悟の背中に両腕をまわし、しがみつくように抱きしめ返した。
こういう体勢をセックスの最中にもとったことはあるが、今はその時のいつよりもずっと満たされているようだった。
悟の顔を見つめ、ふっと触れるだけのキスを下から頭を持ち上げて施すと、ぼっと悟は顔を赤くする。
なんだかそれがあまりに愛しくて、破顔したまま傑は両手に悟のシャツをきゅっと握りしめたのだった。