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    kaji_tate

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    kaji_tate

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    現パロ尾月。日向燗軸ですが単品でも読めます。

    風花と揚げ雑煮 客を迎える時間でもなく人気のない店内は、余計な雑音がない分大根を擦り下ろすよく響く。
    さり、さり、さり、と。
    こんもりと小山のように盛られた大根おろしではあるが、いつも残るようなことは無い。
    「こんなもんか」
     指先でようやくつまめる程に小さくなった大根を、ひょいと口に放り込む。さくさくと歯触りがよく、ぴりりとした辛味がありながらも甘さもある。今年から畑を借りて試験的に野菜作りを始めてみたが、やはり鮮度がいいものは旨味が違う。作れる量は限られてしまうが、続けていく価値はあるだろう。
     少しでも、美味しく食べてもらいたい。
    料理人なら誰しもが願うことであるが、俺にはほんの少しの下心もある。この小さな店にわざわざ足を運んでくれる客は勿論だが、ただの客ではない、たった一人の大切な人に誰より美味い料理を振る舞いたいのだ。
    「大根が終わったら、春キャベツの種をまくか」
     あんたの為にと言ったら、素直に喜ぶだろうか、困ったように照れるだろうか。どんな反応だろうが可愛いことには変わりがないのだから、俺にとってはどんな反応だろうが嬉しいものなのだが。

     さっと手を洗い、冷えて赤くなる指先に血を通わすように揉みこみながら、暖簾を手に引き戸を開ける。瞬間、ふわりと白い小さな粒が目の前を掠めていく。一歩外に出れば、他にも小さな粒がふわりふわりと晴れた青空の下でキラキラと舞い飛んでいる。それは、小さな雪の粒だ。
    「珍しいな……確か、風花と言ったか」
     晴れた日に風に吹かれて舞う雪は、もう少し先の暖かな日差しに舞う桜の花びらにも似ている。その美しさゆえか、それとも桜舞う春が待ちきれなかったのか。風花と名付けた先人の、なんとロマンチストであろうか。数年前ならそんなことを気にも止めなかったろうが、今なら四季の小さな移ろいに胸を躍らせてしまう気持ちがわからないでもない。
     もうすぐ、春が来る。あの人と出会った、春が来る。初めてこの店に来た理由が、店先の菜の花が懐かしかったからだと後から聞いた。何を思い出したのかまでは詮索しなかったが、どこか寂しげな姿は今でも覚えている。初めて来た客に注文とは違うものを出すなんて、常連にすらしないようなことをしたのも。それでも、ぬるめの日向燗を口にしたあの人の顔が綻ぶさまは、それこそ日向のように温かく柔らかで、ああよかったと俺まで温かなものが胸に満ちた。思えば、これはもう一目惚れというものだったのかもしれない。
    「さて、今日は何個食べるやら」
     一月で終わるつもりだったメニューも、彼が気に入ったなら一年中でも作ってやろう。そうして、腹も、心も、満たしてやりたい。そんなことを願いつつ、店先に暖簾をかけた。

    ■■■■


    『土日だけでもランチやってもらえるのは、俺としては嬉しいしな』
    『昼間から俺の顔が見れるから?』
    『言ってろ』

     ランチ営業を始めるにあたり、試食をお願いしたいつかの春の日。月島さんの瞳に満ちた柔く温かな光を、今も鮮明に思い出せる。身を焦がすような激情ではなく、ゆっくりと大地に水が染み込むような優しさで自分の中も満たされていく。それは月日を重ねた今も変わらず、ずっと内側から温めてくれているような優しい思い出だ。あの人に出会ってから、そんな思い出をいくつもいくつも貰っている。だから、同じようにあの人にも満ち足りて欲しいから、丹精込めた料理を振る舞う。二度とあの海松色の瞳に、寂しさが揺れないように。腹も心も満たせる、居心地のいい場所でありたいのだ。ランチだって、あの時は月島さんをからかうように誤魔化したが、本当は俺が昼間も月島さんの顔を見たかったから始めたものなのだから。
    「ありがとうございました」
     最後の客を見送り、暖簾を下げる。時間は午後一時、他の店に比べれば早い店じまい。午前中はジムに行ったりランニングしたりと体を動かし、一度家に帰って長風呂をしてから少し遅めの昼飯という月島さんのルーティンに合わせた結果だ。仕込みもなく、手持ち無沙汰なのでカウンターの端から二番目に腰掛けて文庫本を手に取る。ページをめくる音だけが響く静かな店内でゆっくり過ごす時間は、これはこれでいい物なのだ。月島さんのおかげで、この店は生きるための手段ではない、居心地のいい場所に変わっていた。

    「こんにちは」
    「開いてますよ」
     引き戸の向こうから、月島さんの声がする。暖簾は下げても、鍵は開けてありますからと伝えても、毎度必ず声をかけ、こちらが招いてから入ってくる。律儀を通り越して頑固の部類に入るとは思うが、そんな融通の利かなさすら愛おしく感じるのだから、惚れた弱みといったところだろうか。
    「まだ揚げ雑煮食えるか?」
     引き戸が開いた瞬間、固唾を飲むように真剣に聞かれて、軽く吹き出してしまう。月島さんは、俺は真剣なんだとばかりに口をへの字にする。意外と子供みたいなところもあるのを、他の誰にも知らないでくれと思わずにはいられない。俺だけの秘密で、俺の前だけで見せる顔であってほしい。
    「用意してますよ。今仕上げますね」
    「そうか!ありがとうな。あと、これ」
     満面の笑みの後、ずいと差し出されたのは何度も使い回しされたのだろう、しわくちゃな白いビニール袋。受け取り、中を覗けば、大きなボールのようなアルミホイルの塊と、小さなタッパが入っている。アルミホイルはおにぎりで、タッパの中身は卵焼きだ。毎週土曜日のランチはお代をもらわない代わりに、月島さんに俺の昼飯を用意してもらっている。最初にお願いした時は、釣り合わないとばっさり断られた。それでもなんとか食い下がり、出来る範囲で作るということで了解を得た。とはいえ、毎週決まっておにぎりと卵焼きのリクエストをしているのだが。
    「今日は自信作だぞ」
    「それは楽しみだ」
     月島さんも作る楽しみを覚えたのか、最近は少しアレンジしたものを作ってくれるようになった。おにぎりは焼きさけを真ん中に入れるスタンダードなおにぎり常だったのに、おかかやこんぶと中身が変わるようになった。卵焼きにしても、塩梅はその日の気分で元から甘かったり塩辛かったりしたが、ネギを刻んだものやアオサを混ぜて焼いたものも作ってくれるようになった。

     少しでも、美味しく食べてもらいたい。

     いつも俺が抱く思いと同じものを抱えて、手間暇かけていてくれるならこれほど嬉しいことはない。聞いたところで素直に答えてくれないだろうし、答えられても勿体なくて食べられなくなりそうだから、これは俺の希望的観測でしかないのだが。

    「駅の近くの河津桜、満開だったな」
    「お客さんも言ってましたね」
    「なんだかあっという間に春だな.......あ、春でも揚げ雑煮食うからな。ちゃんと用意しとけよ」
    「はいはい」
     塩キャベツにしてもそうだが、この人は一度気に入るとずっとそれを食べ続ける。米と梅干しがあればいいという人だから、食べ物へのこだわりがないのかもしれない。だが、そんなこだわりがない人の琴線に触れるものを作れていることは、自分への自信にも繋がっている。
    「餅、何個にします?」
    「2つ.......いや、3つで」
    「了解」
     月島さんが来た時点で火を付けて温めていた油に、切り餅を3つ落とす。もう片方のコンロで、出汁を入れた片手鍋を火にかける。待っている間に、月島さんから受け取ったビニール袋から俺の昼飯を取り出し、皿に移し替える。今日は味噌握りと、カニカマを割いて混ぜた卵焼きのようだ。期待に胸を踊らせながら、油から餅を引き上げ油切りをし、大きめの椀に移す。餅の上にはたっぷりの大根おろしを乗せ、その上から出汁をかける。最後に、彩りに三葉と茹でた小エビを乗せれば完成だ。
    「お待たせしました」
    「これだよこれ!週末にこれが待ってると思うと、仕事頑張れるよ。あ、雑煮に嫉妬したか?」
    「.......してませんよ」
     割り箸を手にニヤつく月島さんの隣の席に俺の皿を置き、調理場からカウンターへ回り込む。椅子を引いてくれる優しさはあれど、顔は意地の悪い悪童そのものだ。
    「いただきます」
    「いただきます」
     これ以上この話題を続けても、月島さんを一方的に喜ばせるだけだ。手を合わせて食事の挨拶をすれば、月島さんもそれにすぐ倣う。じゃれあうことは飯の後でいくらでも。月島さんには熱々のうちに食べてもらいたいし、俺自身も口には出さないが月島さんのように一週間待ちに待った昼飯なのだ。
    「やっぱり美味いな、この雑煮。こういう雑煮は初めて食べたが、いくらでも餅が食えそうで怖いくらいだ」
     珍しく饒舌に語る月島さんだが、餅の一個は既に胃袋の中。
    「揚げ餅の周りがサクサクで、中がとろっと柔らかいのがたまらんし、大根おろしと出汁がまた美味いよな」
    「月島さんの味噌握りも美味いですよ。味噌の塩味が米の甘さを引き立てるし、米の味をしっかり楽しめる。俺も焼き味噌にぎりはよくたべてますけど、生味噌は初めてです。美味いもんですね」
     一般的な握り飯よりもずっと大きなそれを、一口ごと噛み締め、味わい楽しむ。
    「ん?」
     丁度真ん中あたりたどり着いた頃、また別の味が口に広がる。
    「これは.......漬け卵黄ですか」
    「なんだ、すぐバレたか」
    「一時期流行ってましたし、一応流行も気にしますからね」
    漬け込まれた卵黄は、ねっとりとまろやかで、味噌や米とも抜群に合っていた。
    「この前出張先で入った店で出されてな。あんまり美味いから、作り方調べたんだよ。調べてみたら、意外と簡単に作れるしな」
     俺が感心している間に、月島さんは完食したようだ。のんびりと緑茶を啜っている。
    「ただ卵白がな.......冷凍してあるんだが、何か使い道あるか?」
    「いくらでもありますよ。レシピ、いくつか書き出しましょうか?」
    「そこは『何か作りに行きますよ』じゃないのか?」
    「あんたなぁ.......」
     摘もうと箸を伸ばした卵焼きに、勢い余って箸を突き刺してしまう。頬杖ついて、またあのニヤつく顔で見られるのが憎たらしい。そして、こんなありふれた時間が愛おしい。
    「出張料理は高いですよ」
    「いい日本酒、用意しておくよ」

     積もり積もった雪が、大地に染み込み花咲かす春先のとある日。この日の思い出も、きっと雪解け水のように俺の奥深くまでずっと潤してくれるのだろうとふと思った。
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