宗徳と寧々さん「今日はお時間ありがとうございました」
「こちらこそ、今後ともよろしくお願いします」
社交辞令に見送られ、乗り込んだエレベーターが重々しく扉を閉じる。下降を始めると同時に、思わず溜息が出た。
普段なら全レースが終わればすぐ帰宅していたのだが、今日に限って運悪く、帰る直前にオーナーの集団と鉢合わせてしまった。これが勇将や親父なら上手いこと立ち回れただろう。残念なことに俺には回る舌も愛想もない。断る間も無くあっという間にホテル内の鉄板焼屋に連行された。それからは、薦められる酒を何とか躱しながら相槌を打ち続け、今に至る。祝勝会やレセプションは何度も出席しているが、やはりこういう場は得意になれない。
腕時計を見ると、短針がもうすぐ八を指すところだった。足早に鉄の箱を降り、車を探す。薄暗い地下駐車場は、上階とは打って変わって、空気が停滞したように静まり返っている。方々に響いてはいくつも返ってくる靴音のせいで、何だか今の自分の位置がわからなくなりそうだ。遠隔キーを押したら、数歩後ろで解錠音がした。
運転席に乗り込んだところで、ポケットのスマホが震える。こんな時間帯に掛けてくるとしたら、調教師かエージェントか。しかし、ポケットを探ってみると、着信を受けたのは仕事用ではなく、あまり使っていないプライベート用の方。それならば、実家ないし親友二人だろうか。どちらにしろ今日はもう帰りたい。適当なところで切り上げさせてもらおう。そう思いながら、画面を開いた。表示された名前に指が止まった。
この番号から、この日、この時間帯に連絡が来たのは初めてだ。普段なら、俺が休みの月曜か、追い切り終わりの水曜に掛かってくる。何かあったのだろうか。いろいろな考えが頭を巡るが、まずは出ないことには話も出来ない。小さく咳払いをしてから、ゆっくりと通話マークをタップした。
「もしもし、寧々さん?」
『あ、あの、我妻さんすみません……八雲です』