天気予報夕方の傾いた陽射しが向かいに座る彼女に差し込む。綺麗に流れる前髪からはいつもと変わらないきらめく瞳が漏れて目尻は今にも踊りだしそうに揺れていた。彼女の話に相槌も返事もせずに見ていたからか「みよ、どうしたの?私の顔になにか付いてる?」と不安そうな顔を向ける。
「違うの、バンビが今日も楽しそうだなって思って……」
「そう見える?」
「うん、とても」
そっかー、と呟いてティーカップを傾けるバンビを見守りながら自分は手元のストローを回して氷がコロコロと滑るのを指先で感じていた。
学校で初めて会ったときから彼女を中心に星が沢山回っていて、月日が経つ度に星の数も輝き方も変わっていくのをずっと観測していた。いつからだろう。彼女を取り巻く星たちの中で二つの星が一等星のように輝き始めて目が離せなくなったのは……
確か雨の日に美術部の部長が「今日は屋外スケッチを中止して校内スケッチに変更します」との宣言で描くものを探しに廊下を歩いてたとき。私の学年が並ぶ教室から見慣れた影が三つ、楽しそうに廊下に並ぶ。私を視界に入れたバンビの「あ、宇賀神さん」の声に左右から「本当だ」「おう」と挨拶と形容しがたい声があがった。
「美術部の活動?」
「そう、今日は校内のスケッチ」
「スケッチブック持ってる、みよちゃん何描いてんの?」
「ゼッタイ見せない……」
「えーなんで」
「嫌」
スケッチブックを両腕で抱え要望は受け付けない体勢をとる。「そんなこと言わずに〜」とにこにこ笑う弟の琉夏の目は表面に小さい子のような光の膜がひらめくのを感じた。「いじわるなことしないの」と叱るバンビの背に隠れるように移動すれば「はーい」の返事で大人しくなる。遠くでは兄の琥一が待ちくたびれた表情で「早く帰るぞ」と催促の声を上げ、こうしてスケッチブックの中身は守られた。
声をかけられた二人に「呼ばれたから行くね、宇賀神さんばいばい」「みよちゃん、描けたら見せてね」と言われ「バイバイ、絶対に見せない……」と返して背を向ける。ふと、視界に入らない場所が輝いた気がして二人が歩き出した方角を追った。
バンビの後ろに箒星のような長い尾の輝きが二つ。衝突することもなく、規則正しい動きはなく、ふよふよと心地良さげに飛ぶ星は新しい母天体を得た様に周る。見たことのない周期。不思議に思っていると私の視線に気がついた兄弟と目が合った。それにびっくりして目を逸らす。
スケッチブックを抱え直して歩き出せば兄弟からの視線は外れ、廊下の角を曲がり切った瞬間「ふぅ……」と息が出る。目を逸らす直前、ぼんやりとした最後の視界にはバンビが兄弟の間でそれぞれの手を取っていた。彼女の顔は見えなかったけど満足そうなオーラが遠くからでもわかる。そういう星の周期もあるのか、なんて思いながらスケッチブックを開いて鉛筆を握る指先は集中という言葉を忘れていた。
そんな懐かしいことを思い出しているとセットでついてきたケーキを楽しんでいるバンビが喋りだす。
「今度、大学の友だちに誘われて飲み会に行くんだ」
「へぇ」
「いろんな学科やサークルの人たちが集まるからーって、まだお酒飲めないけどね」
「そう……」
曖昧な返事をしてしまう。さっきからバンビを中心に周回する星がバチバチとサイレンのように響く。それがやかましくて話に集中ができない。バンビは一流、私は二流と通う大学が違うから互いに知らないことを話す。普通の話題には星の輝きに強弱がついているのに今日の、いまこの話題のときにやかましい星たちは滅多に見ない輝きだった。
あのね、と話を遮るような切り出し方でバンビを私の言葉に集中させる。不思議そうに見つめる瞳に申し訳無さ半分、もう半分は同情で告げる。
「その日の天気は火の粉だよ」
それから数週間経った。また同じ喫茶店で彼女と向かい合わせでお喋りをする。いまやっている課題のレポートのこと、近所にいたかわいい犬の話、最近流行りの服を買った、他色々。楽しい話題で笑う彼女が思い出したかのように、突然冬の海を散歩するような顔つきに変わった。
「前に天気予報で『火の粉』だー、ってみよ話してたよね」
「そうね、当たった?」
「まぁ、はい……」
そういえば、火の粉予報を出した日から少し後。大学の帰り道で弟の瑠夏と偶然会って喋ったとき『何か』を悟られた気がした。あれはバンビ限定のセンサーのようなもの。夜に目が効くフクロウのような、賢くて鋭くて音が無い。
そんなことがあったと述べればバンビは額に手を当てて「そこからかな〜?」の小さな呟き。
バンビ曰く、兄弟には飲み会に行くことは伝えてないのに当日の集合場所にいたらしい。私との会話で何か嫌な予感を感じてか、同じ一流に通う紺野先輩に連絡をとって飲み会の存在を知った。大学の友だちと一緒に集合場所に向かったら幹事らしき人が見覚えのある背丈に絡まれていて、慌てて駆け寄ったら「インカレサークルも行けるなら俺たちも参加可能かなって」との無茶振り。今日のところは参加できないと謝って三人で帰った……
「コウくんとルカくん『参加費は男が多く払うべきだろ』って幹事さんにお札差し出してた、お金ないっていつも言ってるのに……」
「バンビ、気にするのはそこじゃない」
「こんなことしちゃ駄目だよ!って叱ったあとに三人でごはん食べに行ってきた」
「そう……美味しかった?」
「うん!」
嬉しそうに目尻を下げる彼女は午後の陽射しに当てられて無敵の存在に感じられた。
今日も彼女を母天体として二つの星が周る。つつが無く、安定に、きらきらと。