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    chiffoncake_eat

    @chiffoncake_eat

    まとまらないことばかり

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    chiffoncake_eat

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    ペーパーをお手に取っていただいた皆様、ありがとうございます。
    こちら『ラブホに行くけど何もせずに解散した伊正』の話です。なんでなにもないんだよ。

    意は無 カーテンを少しずらして下に広がる通路を見下ろす。上からネオン、街灯、非常用の灯りとグラデーションで暗くなってコンクリートを鈍く照らしている。コンクリートの上では複数人の男が首を振って何かを探しているような動き。「何か見えるか?」振り返ると上着を掛ける用のハンガーが差し出される。
    「路地に男が三から五人、大きな声で叫んでいるようだがこの高さからは何も聞き取れないな」
    「じゃあ当分はここに居た方がいいか……」
    脱いだコートをハンガーに掛ける。ほら、と声がした先に重くなったハンガーを渡した。

    「はぁ……」重く深い溜め息が腹の底から湧いて出る。私の行動が原因で伊織を巻き込んでしまった。帰る方角が一緒だから、と共に駅まで歩いていたら金を出せと三人の男がスーツの男を囲んでいたのを私が咎めた。警察を呼ぶこともできたはずなのに伊織が怪我を負い、男らは仲間を呼んだ為にこうして逃げ出してきた訳だ。
    途中から「フードを被った方がいい」と言われ部屋に入るまで下を向いていたから通っていた道はわからない。建物に入って伊織が受付らしき者と会話をしてエレベーターに乗せられてここまで辿り着く。エレベーターから部屋までの廊下で誰かとすれ違っていたようだが伊織が視界を遮ってよく見えなかった。部屋に入ると伊織は戸に備え付けの鍵を閉め「面目ない」と小さく呟く。
    そんなことより怪我の方が心配だ、フードを外せば伊織の口元から血が滲んでいるのが見える。「少し切れただけだから、洗ってくるよ」と告げてもうひとつの扉の先へ消えて行った。
    それがこの部屋に来てすぐのこと。

    窓のカーテンを閉めて伊織の顔を確認する。汚れた口をゆすいできたのか、血は無くそれはかさぶたになっていた。
    余裕ができたので部屋を見渡す。私たちが入っていた扉、伊織が入った扉は多分洗面台のあるバスルーム、それぞれの上着が掛かったハンガー、椅子、机、ゴミ箱。壁際にはテレビとリモコン。ベッドは白く綺麗に張ってある。ベッドが大きいのか、手狭な気もするがそういうものなのだろう。ベッドの方に座ればいいと言われて腰を落とした。じんわりと沈む感覚と緊張が解ける感覚。息をつくと伊織は椅子に腰掛けて端末をポチポチと触り始める。
    「いま家にいる同居人にな、今日は帰れないなどと言わないと怒られるんだ」
    「ああ、この間話してくれた彼か」
    「遅くなるから夕飯は要らないと伝えていたが、帰れなくなるとは思わないだろう」
    「まだ電車の時間があるのでは?」
    「さっき追いかけてきた奴ら、自分の縄張りが荒らされただのなんだの言って朝方まで走りまわるタチと見た……いっそのこと帰らずにここに留まろうかと」
    「そうか、すまなかっまな……」
    「いいや、俺の方こそ正雪を家に帰せなくて申し訳ない」
    伊織の深々と下げた頭に思わず立ち上がる。寧ろこちらの方が謝らねばならない。勝手に巻き込んで場所も手配してもらい、我ながらなんと情けないことか。

    お互い様だと言いつけて少し笑う。始発前にここを出て、それぞれ電車で帰ればいいと計画を立てた。
    先程、伊織が入って行った先は予想通りバスルールだ。シャワーでも済ませるといいと言われ、戸を閉めた。今日着ている服と下着は帰るまで同じだと思って手のひらで払う。シャワーの先から出るお湯は冷えたバスタブを温めて湯気を立てながら排水口へ流れていく。足、腕、背中、首と流れるお湯をかけていけば重く伸し掛かっていた荷が降りるような軽い気持ちになった。
    一通り洗い終えて洗面台の上に置かれた物を確認する。歯ブラシや櫛、綿棒といった簡易的なアメニティ。タオルが数枚、ドライヤーもある。寝巻と呼べるものはバスローブしかなく、それを羽織って髪を乾かすことにした。火照った顔にドライヤーの冷風が当たる。耳元に流していくと髪と首の隙間を気持ちよく撫でていくのが涼しい。時々、櫛で形を整えて完全に乾き切るまで丁寧にかける。髪は下ろしたままでいいだろうと思って戸を開けると同時に「時間が掛かって申し訳ない」と伊織に声をかけた。

    顔を上げた伊織は私を見て「問題ないよ」と小さく告げる。疲れていたのだろうか、軽く背伸びして欠伸未満の動きを見せた。
    椅子から立ち上がり「明日は早いから先に休むといい、端末の充電器を見つけたからテーブルの上に置いておいた」指先で黒いケーブルを示す。コンセントはベッドサイドに見えたぞ、と言ってバスルームの方へ消えていった。閉まる戸を見送ってから充電器のケーブルを掴む。
    ベッドサイドと言っていたので枕元に近づいてコンセントを探す。見つけた、と同時に視界の三分の一を見慣れぬ袋が通り過ぎた。見慣れぬとは思ったが私はそれを知っている。記憶の片隅の、まだ制服を着ていた時、学校で雛の羽毛のような私たちに黒板の前に立つ保険医の先生が話していた。朧げだった記憶を引き上げて充電器をコンセントに差せぬまま後ろに下がる。

    彼は知っていたのだろうか。きっと私にフードを被せた辺りで行き先は決めていたのだろう。繁華街の先から二人で走って走って、行き着いた先がここだった。受付の対応もやり、鍵を受取り、廊下ですれ違う男女を私に見せないように。目的があっての場だと私にバレないように。
    ああ、部屋に入ってすぐ『謝っていた』のはこのことか。
    充電器をコンセントに差して端末に充電中と表示されるのを確認する。時刻はまだ日付が変わらない。

    充電されていく端末をベッドの上でぼんやり眺めていたら伊織がバスルームから帰ってきた。髪は濡れていたのが気になってドライヤーは?と尋ねる。
    「自然に乾くからいいかと……」
    「それでは風邪を引いてしまうだろう?ドライヤーがあったはずだぞ」
    「でも」
    「でもじゃない、ここに持ってくるといい」
    ほら早く、とベッドの縁を叩いてここにドライヤーを持って来いと催促する。伊織の押しに負けた横顔がなんだか面白くて目を細めた。
    伊織の下ろした髪は長く癖がついている。ベッドの縁に座っているのに対し、私は膝立ちで櫛とドライヤーを手に後ろに回っていた。きっと正面から見ることができないから、今でも声が手が震えていないかずっと不安だ。平静を装って彼の髪を乾かしている。ドライヤーの温風が手に当たる。熱い手へさらに熱が加わって溶けてしまうのではないかとありもしない心配をしてしまった。
    伊織は乾ききった毛先をふよふよ靡かさて「ありがとう」と振り返る。気にするな、部屋は暖房を入れてて温かいが髪を乾かさないと冷えてしまう。ドライヤーのコードをまとめる手元を見ながら喋り続けようと努力する。言葉は続かなかった。頭の中は空っぽで何も出てこない。なんのために今まで勉強し教えてきたのだろうか。ベッドの上で座り込んだ膝を見る。ベッドに沈む膝はシーツに影を落とすだけでお喋りをしてくくれるわけじゃない。自分がどんな顔をしているのか、頭を上げて彼の顔を見る勇気が無い。

    ずっと俯いていると「疲れただろう、もう寝たらどうだ?ベッドは正雪が使うといいよ」と天から言葉が降ってくる。目を合わせることは難しいので頭だけ上げると「俺はやりたいことあるから」そう続けてベッドの横にある椅子に改めて腰掛けた。部屋の端に置かれていた鞄からは本と紙、ペンケースを取り出して机の上に並べていく。
    「まだ課題が終わってなくてな、期限は大丈夫なんだが余裕を持って提出したい」
    「そうか、余裕を持っての行動は良いことだ」
    「これが終わったら俺も休む、正雪は気にしないで眠ってくれると助かるよ」
    そう、という声がハッキリ出なかったが頷いて二つ並んだ枕元の端から羽毛布団を捲る。下のシーツは上に乗っていたせいで少し歪んでいたが問題はない、足を滑り込ませて充電中の端末を確認する。アラームをここを出る数分前に合わせて画面を閉じた。端では本を捲る音が止み「おやすみ」と告げる声、それに応えて私は頭をすっぽりを布団で覆い固く目を閉じる。耳を済ませると布団の外ではペン先が紙の上を走る音が聞こえた。



    己が如何に不誠実であるか、部屋の鍵を閉め最初に出た言葉が相手の安否確認よりも謝罪だった。向こうはこの場を理解してなくて、俺の血を見て動揺した。そう仕向けたのも俺。
    薄暗い中の人たちを確認して見せないように上着のフードを被らせた。消えそうな看板をいくつか通り過ぎ、偶然目に入った今にでも強く握れば取手を取れそうな扉を開ける。古い建物だがカウンターの奥には人が居て、手短に会話を済ませて鍵を受け取る。頭を上げる素振りはないのでこのまま押し通そうと思った。廊下ですれ違う男女はそれぞれ肩と腰を抱いていて、ヒールと革靴が柔い絨毯を食んでいく。互いに視線は合わなかったが何かしら思われただろう。そこを気にする暇はなかった。

    部屋は綺麗に整えられ、バスルームは最低限の物が並んでいた。口を濯いで排水口に血と唾液が混ざった水が吸い込まれていく。鏡で傷口を確認すると自分の視線が酷く刺さった。さらに顔を洗ってタオルで拭くと血は付かず、このままでもいいかと思って部屋に戻る。
    正雪はカーテンを少し開け、視線は下に向いていた。追いかけてくる男たちがおっかないのか、入るまでにすれ違った人は鳴りを潜め隠れているらしい。まだ上着を羽織っていたのでハンガーを渡すことで意識を無理矢理こちら側に向けさせる。重くなったハンガーを壁際に掛け、部屋にある物を目視で確認した。

    ベッドの端に置かれた椅子に座り、正雪にはベッドを譲る。そのまま使ってくれて構わない。追い掛けてきた奴らの傾向から明日の早朝に出たほうが良いと提案して端末を取り出す。帰宅時間を伝えたのに帰ってこないと心配する同居人の彼に連絡を入れ、この状況や無理をさせていることに謝った。正雪も立ち上がって「私も悪い……」とオロオロしている。じゃあお互い様だと手を打って「明日は早いから休むといい、さっきの扉からバスルームに入れるよ」と教えて消えていく彼女を見送った。

    改めて椅子に座り直す。後ろに体重を掛ければギッと木目は鳴く。手元の端末がポコンとなり、同居人からの返信だと悟る。確認と同時に現在時刻を確認した。
    日付はまだ夜中が始まったばかり。
    正雪が出てきたので入れ替わりで入る。使われたタオルは端に置いてあり、未使用のバスタオルは最初に入った時と同じ場所に鎮座していた。シャワーを終えてバスルームを出るとベッドの上でぼんやりと手元を眺める正雪。声を掛けようか迷っているとこちらに振り返って俺の乾かしていない髪を指摘する。俺は気にしてないから……と言っても彼女は譲らず、終いにはドライヤーをここまで持って来いと催促された。
    ベッドは正雪に譲り、触るつもりは一切ないと決めていたのに「ここへ」とベッドの縁を指定され諦めて座る。後ろではコードをコンセントに差し、これから流れる風の確認をする音がした。

    ドライヤーの音が大きく、会話はしにくいと思って敢えて声を出さなかった。温かい風と冷たい風が一定の感覚で後頭部を流れる。さわさわと櫛を梳かれて幼い頃、妹の髪を乾かしていた自分を思い出した。
    ぼんやりと風を浴びながらこのあとどうしようかと考える。正雪が満足いくまで乾かせたのか「終わったぞ」と告げてドライヤーのコードをまとめる様を立ち上がって観察した。コンセントからコードを抜いてまとめる手付きは落ち着いている。長い髪を下ろしているから表情はハッキリとわからない。ふとコンセント横に鎮座する箱が視界に入る。
    あっ、終わった。なにがどう終わったのか上手く言語化ができないが、兎に角終わったことだけは言える。正雪がシャワーで消えた後すぐに部屋の配置を見ておけばよかったものを見逃していた目の節穴具合に嫌気が差す。彼女は気づいてしまっただろうか。きっと俺よりも純粋で賢いから気付いただろう。ここがなんの目的で存在する部屋なのか、弁明する余地はない。非はこちらにあるのだと白旗を上げることしかできない。上げたとして決して許されることではない。沈黙が何よりも重く、彼女がどんな顔をしているのかわからないのが証拠だった。

    今できるのは自分に意は無いこと。「もう寝たらどうだ?」これ以上近づくことはないと後手の椅子に近寄りながら提案する。頭は上がるが視線は合わない。合わせられないのだ。
    壁際に置いたままの鞄を引き寄せ椅子に座る。底から借りた本とペンとメモ代わりの紙を取り出して「やりたい課題があるから」と無理矢理理由を作り出す。本当は借りた本だけじゃ資料として不十分で判断材料に欠けるが仕方が無い。欲しい情報のページを探し始めると正雪はいそいそとベッドの白い隙間へと潜って行った。
    程なくして意識を手放し寝息を立てる音。走らせていたペンを止め、本を閉じて部屋の灯りのスイッチを探す。光の減った暗い部屋で窓の下から夜中の街の光が少しだけ差し込んでいるのがわかる。
    また椅子へ戻ってぼんやりと浮かぶ白いシーツに目を向ける。起きる気配は感じられないことに安堵して首を垂れた。

    離れた場所から規則正しい音がした。そのまま意識を失い眠っていたようで背中が痛い。伸びをして部屋を見渡すと窓の隙間は夜明けを迎えておらず人工的な光が差し込んでいた。ベッドの方でモゾモゾ動き手が伸びる。掴んだ端末から鳴る音を止めた白い頭がのっそりと浮び上がった。伸びをして目元を擦る彼女に「おはよう」と声を掛ければ眠たげな視線が飛んでくる。
    「おはよう伊織」
    「よく寝れたようでなによりだ」
    「早く準備しなければ……」
    「始発までまだ時間はあるぞ?ゆっくりしてもいいんじゃないか?」
    「お互い何も食べてないだろう、何か食べた方がいい……」
    「外に出てすぐの所にコンビニがあった筈だ、ここを出たら寄っていこう」
    「うん」
    もそもそとベッドから出てくる正雪を見下ろす。昨晩のような反応はなく、寝起きながらもキビキビとした動きを見せる。畳まれた服を掴んでバスルームに消えていくのを見送ってもう一度伸びをした。

    部屋を出た廊下は明るくて目に染みる。何度か瞬きをしてエレベーターの下りボタンを押した。正雪には先に外へ出てもらい鍵を受付に置いて出る。夜に通った道はぼんやりと朝日に照らされて見えなかった配管や看板が露わになっていた。足元に散っているゴミと袋を漁るカラスを横目に早足で繁華街を抜ける。
    「それで足りるのか?」の声に振り返るが歩きながら食べるのは行儀悪いと自覚があった。始発で乗るのに少し余裕がない。コンビニで買ったおにぎりを放り込んで飲み込む。
    「家に帰ったらちゃんと食べるさ」
    「前もそう言って実は食べてなかったと聞いたぞ?」
    「そんな話誰から聞いたんだ……」
    「君の同居人と妹情報だ、信憑性がある」
    「わかった、わかったからそんな顔をしないでくれ、ちゃんと食べるから」
    正雪の本当に?と言わんばかりの顔が痛く刺さる。本当だから、勘弁してくれと困った視線を向けると陽に照らされる正雪は笑っていた。
    駅の改札口で始発の時間を確認する。「私はこちらの方だから……」と告げて俺に背を向ける彼女を見送った。

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