〈序章〉偶像崇拝じゃダメですか?アイドル戦国時代。
さまざまなコンセプトを持ったアイドルグループが、生まれては消えていくという現状を戦国時代に例えた言葉である。英語では「偶像」を意味するアイドルは、昔と比べると随分と親しみやすい存在へとなり、「会いに行ける」「いま会える」なんてコンセプトで、頻繁にライブ活動を行うアイドルグループが増えていた。
そんな言葉が当たり前になって、もう何年経っただろう。最近では、オーディション番組として取り上げるメディアも増えており、アイドル志望の子を何人か集め、デビューの座という椅子取りゲームを行うテレビ番組が人気だったりする。オーディション番組をきっかけにアイドルを目指す人も増えてきており、地上地下、男女関係なくアイドルグループが生まれているのだ。
「今日の話ってなんだろう」
かくいうオレ、花垣武道もアイドル志望の一人である。もともとアイドルに興味はなかったんだけど、友達に連れられて見に行った夏フェスで見たアイドルに衝撃を受けたことがきっかけだった。それまでは、アイドルって口パクで歌ったり、ダンスもそこまで揃っているわけではないのかなと思っていた。だけど実際に見た時、それまでの概念を全て覆されて、無意識的に「オレもこの人たちみたいになれるのかなぁ」と思うようになっていた。それから色んなアイドルのライブ映像を見るようになって、オレはとあるアイドルグループを推すことになるのだが、まぁその話は後にしよう。そしてその人たちに憧れ、気づけば夢は「アイドル」になっていたというわけだ。
我ながら行動力はあると自負しているのだが、アイドルという夢が決まってから、オレは手当たり次第にオーディションを受けまくった。書類選考で落とされるものもあれば、最終選考まで残ったものの落ちたものまで、受けた回数で考えたらかなりの数になっていると思う。やっと受かったのが、いまオレが所属している事務所だ。小さいところだし、有名な人は一人もいないけれどアットホームな雰囲気で社長とも話がしやすく、また色んなことに挑戦させてくれるからオレはこの事務所に入るために今までのオーディションに落ちてきたのかなと思うくらいには、良い事務所だと思っている。だからいつか売れて恩返しがしたいという一心で、毎日レッスンに励んでいるわけだ。
今日もいつも通り、学校が終わって事務所併設のレッスン室でダンス練習とボーカルトレーニングをしていたところ、マネージャーから社長室へのお呼び出しがかかった。「いよいよオレもデビューかなぁ」なんて思い、心の中ではニヤニヤしながら社長室の大きめな扉をノックする。
「失礼します。花垣武道です」
「どうぞ、入って」
中からの声を待ち、扉を開ける。他の部屋と変わらないのに、社長室というだけで重たく感じるのは何故なのだろう。
「失礼します」
「うん。レッスン終わりで疲れてるのに、呼び出して悪いね」
「いえ…。それで、お話って」
社長室には、オレと社長の二人きり。なんとなく緊張して、扉のそばに立ちっぱなしになっていると「どうぞ座って」と、ソファに案内される。
座って最初に響いた言葉に、思わずオレは耳を疑った。
「武道くんには、女装アイドルとしてデビューすることが決定しました」
「え?」
「ちなみに、他にもメンバーはいるんだけど、その子たちは女装なしでバンドメンバーとして出ます。入っておいで」
社長室の奥にある扉が開かれると、四人の同世代くらいの男の人たちが入ってきた。よく見ると、今話題の読者モデルやタレントなど、最近人気が出ている人ばかりだった。人当たりの良さそうな顔をしており、この人たちが悪いことをするような人ではないと分かっている。
けれど、それでも納得がいかない。
「嬉しい、ですけど。どうして、女装しなくちゃいけないんでしょうか。今のままじゃ、デビューできないんでしょうか」
アイドルになりたいと、ずっと思っていた。だけどそれは、結果的にアイドルとしてデビューできればいいってわけじゃなくて、なりたかったアイドル像がちゃんとあったから。
「社長にはすごく、お世話になったとは思っています。だけど、オレは自分の信念を曲げてまで、アイドルデビューしたいわけじゃないんです」
ごめんなさい、とその場で頭を下げる。
女装アイドルとしてデビューするくらいならば、いっそ辞退した方がいいのではないか。頭の中でグルグル考えていると、赤髪の人が「あのさ」と口を開く。
「急に口出すようで申し訳ないんだけど、花垣さんさ、社長も何も考えずに話してると思ってる?」
「あ、当たり前じゃないですか」
だからこそ色々チャレンジさせてくれたのは知っているし、オレもそれに答えたいと思っていた。でも、それが性別を偽ってデビューするという結果になるとは誰が思うのだろう。
「うん。じゃあさ、この世にはデビューすらできずに芸能界を去っていく人がどれだけいるか知ってる?華々しいデビューを飾ることが、この業界どれだけ難しいかってこと」
「何が言いたいんですか」
「どうにかしてでも、花垣さんのことをデビューさせたかったから、社長はこういう形を選んだんだぞ」
社長の方へ顔を向ければ、苦笑いしながら頭をかいている社長がいた。一つ小さなため息をこぼすと、「ごめんね、武道くん」という枕詞とともに、社長の考えていることをこぼし始めた。
「女性としてデビューすることが、武道くんの魅力を一番引き出せる方法だと思ったからなんだ」
社長は手に持っていたスマートフォンを操作すると、ある画像を見せてくる。画面に写っていたのは、事務所に所属している俳優、アイドル、研究生含め全員で参加したハロウィンパーティーで強制的にやらされた女装コスプレ写真。ノリノリでカメラに対して決めポーズをするオレは、金髪のふわふわしたロン毛のウィッグに同じくアイドル研究生の橘日向から借りた女子制服を着ている。画像に写っているのはどう見たってオレなのだが、我ながら最高にかわいい一枚が完成したと思っている。だがそれは、ハロウィン当日にしかSNSにアップされず、ファンの中では幻の一枚と呼ばれているらしい。
でも、どうしてこれが…?
「反応数だよ。目付いてんだからちゃんと見ろよ」
「おお、」
赤髪の側に立っていた黒髪オールバッグの男が、半ば強引にオレの頭を引っ掴み、画面の前に持っていかれる。
(反応数…?)
画像下には、目のイラストアイコンとハートマークのアイコンが並んでいる。目は視聴数、ハートマークは高評価数を示しており、昨今の芸能界ではこの表示がかなり大事なものとされている。このアイコンのおかげで、全くの一般人が芸能界のトップランナーの仲間入りをするなんて、今じゃ珍しくない話だ。
「じゅう、けー」
「一万人が、武道くんがかわいいって思った証拠だよ。大体一時間の間にね」
「一時間で、一万人…」
すごい。ほぼ無名なオレにとって、一万人の興味を引くことがどれだけ難しいかなんて、オレ自身だって充分に分かっているつもりだ。
「武道くんの歌は、高音が綺麗だよね。感情もこもっていて、聞く人を魅了する声の持ち主だと思ってるよ。そして、武道くんは笑顔がとても似合う。愛嬌もある。笑顔と愛嬌を兼ね備えた人物は、どんな人からも愛される存在にあなれるんだ」
「あ、ありがとうございます」
一生分くらいの褒め言葉に、思わず顔が暑くなるのを感じる。曇りのない目でまっすぐ見つめてくるから、オレはその視線から逃れるようにそっと自分の足先を見つめる。あ、社長のハンカチが落ちてる。
「この画像を見つけた時、私は運命だと思ったよ。これなら、武道くんの魅力を全て集結させた、一番ベストな状態でみんなにお披露目ができる、って」
ハンカチを拾おうと屈んだ瞬間、その隙間を縫うようにある人の後頭部が視界に入る。思わず視線で辿ると、それは紛れもなく我が事務所の社長で、オレの方へ身体を向けて土下座をしているのだ。
「え、社長、待ってくださいっ顔を上げてください…」
「武道くんの憧れたアイドル像とはかけ離れていることは分かっている。もちろん断ったって構わない。だけど、武道くんがこの道を選んでくれるなら私はキミの華々しい芸能生活を約束するよ」
社長の言葉尻は震えていて、これが嘘偽りのない言葉ということがよく分かる。オレのことをよく考えてくれて、オレが一番に輝ける舞台をオレのために用意してくれるというのだ。断る理由があるのか?
けど、これを承諾したらオレはオレの思うアイドルを諦めなくてはいけなくなる。妥協した上で勝ち取った夢に、オレは本気になれるか?
答えはほぼ決まっている気がするのに、どうしてもあと一歩が踏み出せずしばらくその場に佇む。社長ももう無理と悟ったのか、顔を上げ正座状態のまま「そうだよね、ごめんね」なんて呟く。違うんですと声をあげたいけど、魚の骨が引っかかったかのように言葉が出ない。声にならない音が、ひゅうと喉を通る。
オレは、どうなりたい?
「花垣さんがアイドル目指した理由は、性別が変わったからって変わるわけ? オレはそっちの方が大事だと思うけど」
「…っ、そんなわけ、」
「じゃあ答えは決まってんだろ。答えが出てるのに、無駄な時間使わせんな。明日の二十時に新曲の打ち合わせするから事務所集合な。じゃ」
軽く手を上げ、去っていく赤髪の人。え、名前聞いてないんだけど。そんな風に戸惑っていたら、一緒に来ていた三人までいなくなってしまっていた。
「言い方きついけど、間違ったことは言わない人なんだ」
「あれ?どういうこと?」
ただ一人、状況が理解できない社長だけを残して。
キョロキョロと周りを見回す社長に声をかけ、今決意したばかりの気持ちを言葉にして宣言する。
「社長」
「ん。なに?武道くん」
スゥ、と小さく息を吸い込む。
「オレ、社長の案に乗ります。女装アイドル、やらせてください」
この場で何もせずに燻っているより、動いていた方が何倍もいいに決まってる。理想と違っていたって、オレの目指すアイドルになってやる…。