それはよく似た恋のカタチ セナが好き。
そう確信したのは返礼祭であいつがたくさん笑っていたからだ。客席を、おれたちをとらえて微笑む姿はまるで慈愛の神さま。セナのことはずっと綺麗だって思っていたけれど、あのライブのセナは一秒たりとも忘れることができなかった。今でもあの光景を思い出しては、音が雨のように降ってくる。それを一音一音五線譜に並べて、完成するのはほとんどが甘くて苦いラブソングだった。
お互いのためにもおれとセナは一回離れないといけない。これはおれの本心だし、セナが好きなあいつに言ったからこそ決心を固められたというのに。
たまたまヨーロッパで大きな仕事をすることになって、近くにいるのに会わないのもなぁなんて思って顔を見に行ったら今にも倒れちゃいそうなセナが目の前にいて。おれはセナならどこでもやっていけるなんて、過大評価をしていたのだ。いや、そう思いこみたかったのかも。セナのことだから大口を叩いた手前、本当に一人でなんとかするつもりだったんだろう。それには限度があるって、おれが一番知っていたのに。
守らなきゃって思った。あのとき守れなかった後悔を払拭できていない本能は、セナを抱きしめることで懺悔をする。それだけではどうにも救えることなんてできやしない。海外とはいえ玄関先で抱擁なんて、セナは嫌がるんじゃないかとも思った。けれどもセナは何も言わず、何もせず、ただただ必死に抱きつくおれを凍ってしまった瞳で見ているだけだった。
◇◇◇◇
「いい?これからあんたは俺の言うことに従うこと。俺と暮らすからには、俺の生活基準に合わせてよねぇ」
「はーい……ごしゅじんさま?」
「は?」
いやおまえがそう言ったんだろ。と、文句を言える空気ではなくて大人しく口を閉じる。数ヶ月ぶりのセナんちは、生活感が出てきている気がした。勝手知ったる、とまではいかないけれど今更ルームツアーをしてもらうほどのことでもないので、とりあえず座っててとリビングの小さなソファに誘導される。
落ち着かない。けれど作曲するほどの音もない。これから暫く、おれの住処はセナの匂いと温度がたっぷり感じられるこの場所になるというのに。
いっぱいの期待と、いっぱいの不安。
「はい、コーヒーでいいよねぇ」
両手に持ったマグカップからほかほかと湯気が立っている。れおくんはこっち、と来客用だったはずがおれ専用になったオレンジの線が一本入ったマグカップを目の前に置いた。おれはこれと同じ種類のマグカップがあと3つ、棚に並べてあるのを知っている。
ふー、ふー、と自分の舌に合う適温になるまで冷ましていると、セナは目を細めて見つめてくる。
「な、なに……?」
「べつにぃ?」
少し鼻で笑うセナに体温が上がる。悔しいなぁ。絶対に子どもっぽいって思われたのに。これが惚れた弱みってやつなのかも。どこか機嫌の良さそうな雰囲気に緊張が少し和らぎ、入れてくれたコーヒーをゆっくりと口にする。少しまだ熱かったけれど、気にすることなく喉を動かした。
「……元気そうでよかった」
「え?」
「あんたも、ちゃんと強くなってるんだよねぇ」
ソファの背もたれに寄りかかり、マグカップを持つ姿は様になっていた。さすが、モデルとしての己を磨き続けているだけはある。だけどセナ、今は仕事中でもスタジオでもないんだぞ。おれはカメラマンでもスタッフでもない、おまえの、おまえが初めて友だちだと思えた人間なんだろ。
見せろよ。おれ、ずっと言ってるじゃん。
「セナ、おまえはおれにどんな仕事を持ってきてほしい?」
セナが一等輝ける場所に連れて行ってやりたい。返礼祭のあのステージのような、一緒に立っているおれたちですら魅入ってしまうほどセナの魅力が溢れる場所に。セナはどんなところでも輝ける。けれどもセナが望むなら、おれはセナの行きたい場所までエスコートしてやりたい。楽しいねって笑うセナが、おれは一番大好きだから。
けれど、セナの表情は消えた。冷たく痛い空気が漂う。ため息を零しながらマグカップをテーブルに置いて、鋭く睨まれる。あのさぁ、という柔らかな声色なのにパッキリとしたセナの声は少し震えているように聞こえた。
「確かに、あのとき俺はあんたが欲しいって言った。俺より知名度も才能もあるからねぇ。だからあんたを利用する。俺を一番綺麗だねって言ってくれる、あんたを」
「うん……?」
「だから、れおくんが決めてよ。俺はまだ選り好みできるほど成功してないし。でも、あんたが持ってきてくれた仕事なら全部受けたい。言ってる意味、分かる?」
「うぅん……?」
曖昧な返事に、セナの眉はいっそう吊り上がる。
「信じてるの、れおくんのこと。あんたなら、俺か一番輝ける場所に連れて行ってくれるんじゃないかって、思ってるの」
ぶわり、と体中の毛が逆立つような感覚。そうして、一気に体温が上昇する。咄嗟に顔を隠すように俯き、バクバクと跳ねる心臓のリズムに合わせて音符が跳ねる。
なんだ。結局、おれがしたいことは間違ってはいなかった。ただ、少し互いに論点がズレていただけ。セナはおれに、おれの才能に期待してくれている。セナの力になれるなら、俺はなんでもしてやりたいから。やっと、やっと叶いそう。
「でも、俺はあんたの才能だけが欲しいんじゃない。だから、契約を結んだの。れおくんが健康で文化的な最低限度の生活……いや、最高の生活を送れるように俺が飼ってあげるから」
ほくそ笑むその表情に悪の匂いはしない。純度100%の善意だ。そういうところがセナらしい。顔を上げて一言、そっか、と相槌を打つ。
憎めない、嫌えない。ただただ、好きという感情が募っていくばかり。
そうしておれは、そのトクベツな気持ちの扉を厳重に施錠する。鎖をつないで、絶対に開かないように。セナと友だちでいられるように。
◇◇◇◇
「セナって、思ってる以上におれたちのこと大好きだよなぁ」
「あら?愛の話?」
「いや、そんなセナのことがだーいすきなおれの、恋の話」
頬に手を添え、パチパチと大きく瞬きを繰り返す。ナルとはプライベートな話もあまりしない。それでも色恋話を持ちかけたのは、たぶん、おれ一人じゃ抱えきれそうになくなってしまったから。まぁ、ドラマティカ定期ミーティング後、事務所へ移動中に話すことでもなかったけれど。案の定ナルは困ったように笑みを浮かべ、足を止める。
「ごめん、今言うことじゃなかったよな」
「違うのっ。だって、アタシとレオくんってあんまり私生活の話なんかしないじゃない?だからびっくりしちゃって。あと……アタシを頼ってくれて、嬉しくて」
照れくさそうに微笑むナルは、お花みたいで可愛い。ナルは強いしかっこいいし、周りをよく見れるからこそ騎士に相応しい人間だ。けれどもどこかルカたんと重なる部分もあり、ついついナルの前ではちゃんとしなきゃなんて兄のような態度をとってしまう。
まだ時間があるからと、ナルお気に入りのカフェへと場所を変えた。断ろうとするおれに「アタシに報告するんだもの。もちろん、根掘り葉掘り聞かれる覚悟なんでしょうねェ?」なんて言って有無を言わさず先を歩いた。
「冗談だって、思わなかった?」
「思わないわよ。アンタが泉ちゃんの話題で冗談言うはずないじゃない」
そうなんだ、と呟くことしかできなかった。ジワリと熱くなった頬を擦りながら、口を噤んでナルの少し後ろをついていく。
店内はとても落ち着いていて、微かに聞こえるクラシックがさらに居心地の良い空間にしてくれている。店員さんはナルを一瞥すると何も言わずに奥のパーテーションで区切られている個室のような席へと案内してくれた。ナルはカフェラテを、おれはコーヒーを頼めば店員さんは一礼して背を向けた。
「ナルっていろんなお店知ってるよな」
「そうねェ。アタシだってこうやってお友だちとお茶したいもの。できれば長時間居ても騒がれない場所がいいじゃない?」
気づいてくれるのは嬉しいけど、と口端を上げる。