けんか天と陸はとっても仲の良い双子である。
同じお腹から、同じ日に誕生した二卵性の双子だ。
生まれつき持病を持って生まれた弟の陸を、兄である天は支え、守りながら、二人は同じ時を同じ様に生きた。
大きな声で歌えない弟に代わって、様々な歌をたくさん覚えて、陸のためだけのコンサートをたくさん開き、
華麗なステップを踏めない弟の手足となって、たくさん身体を動かして、陸のためだけの舞踏会を毎日開催した。
天の行動全部が、かわいいかわいい弟のため、守ってあげなければならない陸のためであった。
弟を愛し、弟からも同様の愛を返される、まさに理想の兄弟。学園の華である双子。そんな相思相愛を体現している双子の兄弟にも、ごくごく普通の日常が日々流れている。毎朝起きて歯を磨き、学校へ通い勉学に励む、普通な日常。
そんなとっても仲の良い双子にも、普通の兄弟と等しくすれ違いが存在する。お互いしか見えていなくとも、立っている場所が違う。見えている景色が違う。陸にとっては天が、天にとっては陸が。一番の理解者が目の前にいてくれるからこそ、自分を理解ってくれるだろうと理想を押し受けてしまう。
それらが今まで些細な喧嘩として受け入れられていたのは、ただの奇跡であった。
視線は目の前の本へ固定してあるが、目の端にちらちらと映る赤色に、どうしても意識はそちらへ向いてしまっていた。
随分と長いことページを捲れていない。それをわかっていて、こちらに声をかけることもせず、天の周りをうろちょろするだけの弟。思わず声を発せようかと口を開きかけるが、寸前で思いとどまる。そうだ、まだ許していないんだ、と。
パタンと開いていた本を閉じ、さっと帰り支度を済ませて、立ち上がって図書室のカウンターへ移動する。
そわそわと忙しなかた赤色は、急に立ち上がった天の後を慌てて追いかけて、カウンターの内側へと入っていく。
陸がカウンターを挟んで天と向き合った時には、天は手にしていた本の貸し出し許可の申請をほとんど終えた状態であった。
「これ、借ります」
「あっ、ありがとうございます…。じゃなくて、天にぃ!」
つい反射程に普段の業務をこなしてしまった陸を、図書室に置いてけぼりにして天はそそくさと昇降口へ向かう。
靴を履き終える頃に、聞き慣れた足音が追ってきた。ふう、と小さく息をつく。
「待ってよ天にぃ!一緒に帰らないの?」
「陸、図書室の戸締まりはした?」
「…あ」
「…10分だけ待つから」
わかった、と元気よく返事を残して、陸は早歩きで元来た道を引き返す。
図書委員長である陸は、特別に開館時間外でも図書室を開けれる許可を得ている。生徒会の仕事で夜遅くまで学校に残る天を待つ陸は、この特権を度々有効活用していた。
条件はきちんと戸締まりをすること。当たり前のことだが、今日のように天がいなかったら何度その特権を失っていることか。
「天にぃ、お待たせ」
「うん」
実際に、陸が戻ってくるまで5分も掛からなかった。それでも倍の時間を指定した天は、どこまでいっても弟に甘かった。七瀬陸の兄は、そんな生き方が染み付いて、離れなかった。
しかしそんな天にもどうしても許せないことはある。
それも、溺愛する弟であったって例外ではない。
「それでね、天にぃのクラスの子がね〜…って、天にぃ?」
いつもなら、陸の話を笑って聞いてくれる天の姿が、そこにはなかった。代わりに影を落として、感情が消え去ったかのように俯き歩く兄がいた。
「天にぃ、聞いてなかったでしょ!」
「……」
「……もう、せっかく隣並んで一緒に帰れてるのに」
「……りく…」
ぽつりと陸が放った言葉に、天はびくりと反応してしまう。
コロコロ変わる陸の表情。怒ったかと思えば、途端に淋しそうな顔をする。大抵の人間は、ここで七瀬陸という男に堕ちるが、天もまた七瀬陸の兄である。同じく淋しそうな声と顔で対抗されてしまった。
「っ、だって天にぃなんか朝から怒ってるし…」
「……」
そう、天は何か朝から様子がおかしかった。
正確には、昨日の夜。陸が先にベッドの上で舟を漕いで意識が遠ざかる最中、おやすみ、を言いに来た天の顔を思い出す。その時からもう…。
「ねぇ、オレなにかしちゃった…?」
「陸…」
「もしなにか天にぃにとって悪いことをしちゃっていたらごめんなさい…。天にぃ、いつもの天にぃに戻ってよ…」
明るく元気な印象を与える真っ赤な瞳に、涙を浮かべ潤ませる陸。天もそれきり黙り込んでしまった。
沈黙を従えたまま、帰路を辿る。
家に辿り着き、手洗いうがいを済ませて、リビングのソファに2人隣り合わせで腰掛ける。そうして、やっと口を開いたのは天の方だった。
「昨日…、ね。とっても大変な1日だった」
「…?うん、そうだったね」
「陸は朝から具合が悪くなっちゃうし、学校でもどうしても参加しなくちゃいけない会議がとっても長引いて、お母さんとお父さんの仕事のお手伝いも頼まれた。…それだけならいい」
「…うん」
「全然苦労はしてなかったし、疲れてもいない。ただ楽しかった仕事もあるし、いつものことだから」
「…?」
未だ天の話は要領を得ない。いつもなら言いたいことをはっきり相手に伝える話し方をするのに。
「でもね…昨日のボクはミスばかりした」
天が失敗するなんて珍しい。たしかに昨日、朝食時に牛乳が入ったコップを天が倒したときから、どことなく天の調子が悪いように見えた。
「…疲れてもいないって言ったけど、本当は疲れていたのかも…」
「…天にぃ?」
陸の肩に天が凭れ掛かる、それだけならいい。天は陸に体重をかけながら、陸の頬を優しく包み込む。
至近距離から真正面で向き合う2人。
「て、天にぃ…」
思わず目を瞑って天にされるがままになろうとする陸。そんな陸を、無表情の仮面のまま見つめる天。
「ねぇりく」
「ん…」
うっすら目を開けようとしたそのとき。
「いっ、いひゃい いひゃい」
「……」
「もう天にぃ!何するの」
頬を思いっきり両側から抓られた。
涙目になって天に抗議するが、それでも天は無表情で陸を見下ろす。
「ねぇりく」
「…なに」
つられて陸も不機嫌になる。せっかくいい感じの雰囲気だったのにと。
「そんな落ち込んでしまった日には、約束があったよね…」
「…?」
あったっけ?と首を傾げる陸。些細なことから、大きく大事なことまで、天との約束事なんて星の数だけある。うーん、と頭を抱えて必死に思い出そうとする陸。
「あ…っ、ドーナツ!」
ピンと閃いて人差し指をビシっと天に向ける。そうだ、どちらかが落ち込んでいたら2人で好きなものを一緒に分け合おう、という約束があった。
だからか、昨日の天はドーナツを1つだけ買って帰ってきた。体調を崩してずっと家にいた陸は、それが自分のために買ってきてくれたんだと嬉しくなって、天がお風呂に入っている間に食べきってしまった。このまま寝たらいい夢見れそうと、すぐにベッドに入って目を瞑ったっけ。
「……うん、1つきりしか買ってなかったボクも考えなしだったね。でも分け合う約束だったから、大好きな味を陸と一緒に食べたかった」
「うぅ…」
「ふふ…本当はそんなに怒ってないんだよ、ただ少しイジワルしたくなっただけ」
そう言って天は笑う。
でも、陸には分かる。分かってしまう。
天のこの表情は必ず裏がある、絶対まだ怒ってる。こんなときの天は数日間とてもとても、いつも以上に陸に優しくなるんだ、今浮かべている笑顔を貼り付けたまま一週間ほど。
でも陸はその優しさに甘えるだけの弟ではない。もう18歳だ、世間的にはもう成人となる歳である。周りからいつもブラコンと言われるが、それも今日でおしまいだ。いつまでも天に甘える訳には…。
「天にぃ…」
甘えた。
甘えてしまった。
だってあんなに優しくて、陸大好きだよって顔なんかされてしまったら。
「ね、りく。今から一緒にドーナツ買いに行こっか」
「うん!」
どこまでいっても、陸は天に甘えただった。
その結果、ドーナツを巡って大喧嘩してしまう運命も知らずに。