タイトル未定 「はぁ、は、はー、ふ……、クソ」
コンクリートでできた柱に身を隠して息を殺し、止まらないどころか増すばかりの出血に小さく舌を打つ。押さえた右脇腹から溢れた血がぱたぱたと床面に散った。
相手は――、巧みに偽装しているがおそらくアシストロイドだ。普段からネロと接し、仕事でも頻繁にアシストロイドと接触するはずの俺ですら、戦闘が始まるまで気づけなかった。カインならばまだしも、他の警官が外見だけで彼らがアシストロイドであると見分けるのは至難の業だろう。
問題は、奴らの目的が何なのか。思えば初めから全てが不自然だった。突然動きが激しくなったテロ組織、おあつらえ向きに漏れた武器取引の日時。端から俺たちを嵌めにきている。しかし、わざわざポリスを嵌める狙いがわからない。何か別の目的か?
考えれば考えるほど坩堝にはまる思考のさなか、隠れた柱の脇からカンッ、カンッと跳ねて転がってきたのはシルバーで筒状のなにか。それがピンの取れたグレネードだと認識した刹那、全身が爆発に包まれた。
◇
暗い瞼の裏側でエフェクトとともに浮かび上がる、自らのIDと”Hello, World.”の文字。毎度歓迎してくれるのはありがたいが、カルディアシステムを搭載した今ではこの時間が《退屈》だ。
「(はいはい起動起動、と)」
スタートアップの完了を告げる文字列を確認して、アシストロイド―個体識別名:ネロ・ターナーは起動した。
メンテナンスを終えたネロがまず聞いたのはシステムから響く警報だった。直ぐさま詳細を開くと、オーナーのバイタル異常を示すサイン。その赤い点滅を見た瞬間、ネロは居ても立ってもいられなくなってラボを飛び出した。
「おっと」
「わっ」
廊下の曲がり角でぶつかったのは鮮やかな赤い髪のアシストロイドだった。
「ネロ! どうしたのそんな慌てて、」
「クロエ悪い、今説明してる間ねえんだ。もう出てくけど、あんたのオーナーによろしく言っといてくれ」
「え? あ、うん! それは良いけど…って、もういない…」
オーナー―ブラッドリーがいるはずのビルは、ワーキングエリアの住宅街にあった。ただでさえ年季が入ったビルはポリスとの攻防があったせいか殆どの窓ガラスが割れている。外には規制線が張られ、その外側に野次馬が集っていた。
群衆の向こうに見慣れた顔を見かけ、野次馬をかき分けて何とか最奥にたどり着いた。
「カイン! ブラッドは、」
「ネロ! 俺たちも今応援で来たとこであまり状況がわからないんだ。ネロはメンテだから連絡が―」
「ブラッドは」
「生きてる、けど、怪我をしてる。先に乗り込んでた他の皆も一緒に病院に…、ネロ?」
ブラッドリーが生きている、そのことに安心して息を吐いたとき、ネロはどこからか視線を感じていた。ネロだけを刺すように見つめる執着が滲んだ視線は、このビルで取引を企み事態を引き起こした人物のものであるとネロは直感する。不意にカインの肩越しにビルとビルの間の路地に人影が見えた。視線の主は間違いなくあいつだ。逃がすわけにはいかない。
「ちょ、ネロ!?」
規制線を乗り越え、申し訳なく思いながらもカインを押しのける。そのまま路地へ向かって走った。ローブのフードを目深にかぶった人物は口の端を弧に歪め、ひらりと身を翻す。フードを押さえながら軽快に走る何者かはネロが付かず離れずの絶妙な速度で複雑な路地を曲がりながら走る。その様は逃げるというより――
「(誘われてる?)」
ネロは地図をちらりと見る。この先は確か行き止まりだ。民家に囲まれて逃げ場がなくなった謎の人物はネロを振り返る。
「何のつもりだ」
「……………」
ネロが低く問い詰めても何も言わない。焦れたネロは一気に間合いを詰めようと地面を蹴る。あともう数センチで手が届くというそのとき、謎の人物は笑みを深めてローブを翻し――消えた。
「!?」
驚いたネロはその場でたたらを踏む。あのローブには光学迷彩の機能があった、その事自体は驚くことでもなんでもない。どちらかといえば、その対策としてサーモグラフィーを起動させたときに驚いたのだ。彼、あるいは彼女は間違いなく人間だ、とネロは思っていたが、謎の人物には体温がなく、人間の体温よりも低い温度を示す青色だった。どこを見て謎の人物が人間だと思ったのかネロにもよくわからなかったが、少なくともアシストロイドではない、と半ば無意識に当たりをつけていた。
「何だったんだ…。クソ」
ネロは悔しさをぶつけるように地面をつま先で強く蹴った。