二
京に還った義輝および幕府はたちまち権威回復につとめた。和平調停、栄典授与、相論の裁許に、新御所の造営…。妙覚寺の一角に置いた仮御所を中心に、慌ただしい日々が続く。
そんな中、幾つかの大名が上洛してきた。尾張国の織田信長、越後国の長尾景虎…戦乱の世を、自身の才覚を頼りに生き延び、勝ち抜き、覇をとなえる雄たちである。
そして今、応接間に控えているのは、義輝が数多の大名たちの中でもっとも興味を抱いている男であった。
下賤の身から一国の主に上りつめた実父を自らの手で殺め権勢をほしいままにする野心の強さ、旧主派の家来や並み居る国人衆を屈服させまとめ上げる統率力の高さ…耳に入る風聞はどれも義輝を惹きつけてやまなかったが、最たるは彼が人とあやかしの混血らしいという点である。
ひとくちにあやかしといえどさまざまな奴がいる。妖鬼、牛頭鬼、烏天狗、濡れ女…人ならざる姿をした、人ならざる技を使う存在。これまでいくつかのあやかしを目にし、そして刃を交えてきた。かの者は父が名の知れた大名であるからおそらく母があやかしであろうが、それがどのようなあやかしなのか、そしてその子自身はどのような姿で、どのような戦い方をするのか。武器を振るうのか、あるいは特異な爪や牙を用いるのか。興味は尽きなかった。
この襖が開けば、すべてがわかる。廊下に立つ義輝は胸の高鳴りをおさえ、湧き上がる唾を飲み込み、大きく息を吸い、そして細長く吐く。小姓によって答えへの道が開け放たれると、ゆっくりと板敷きの部屋へ歩を進めてゆく。
下座に巨大な黒い塊が丸まっている様が眼に入った。
「面を上げよ」
上座に敷かれた畳へ座し、傍に控える申次の伊勢貞孝へ視線を送る。彼が黒い塊へ声を投げかけると、それへ応ずるように頭と思しき箇所を起点に上半身がもち上がる。
二頭の波をかたどる紋が白く染め抜かれた黒の直垂をまとい、折烏帽子を被り、腰には短刀と蝙蝠を差す。雄々しき眉に切れ長の双眸、まっすぐ伸びた鼻梁。眉間に深く刻まれた皺とヘの字に閉ざされた口。厳めしさとほんの少しの憂いを帯びたその貌は、ごく普通の、人のものであった。
「名を」
うながされ、男は血管の浮いた両拳を床に貼り付けたまま、対面の義輝を睨むように見つめ口を開く。
「美濃国より参りました、斎藤新九郎義龍と申しまする」
斎藤義龍。父殺しを遂げ、美濃一国を支配する半妖の男である。
「うむ。直答を許す」
そこからしばらく政略的な話が続けられた。時候の挨拶に始め、帰洛への祝賀、幕府への随従の意、美濃国主として正式に認められるための交渉、官職の申請、持参した進上物など、淡々と無駄のない言葉が交わされた。
まことに半妖であるのかという思いを義輝は抱いた。体型はかなり大柄であるが見目は人そのものであるし、言葉も人のものを発する。言語力も申し分なく、対話内容に違和感は抱かない。人側の血を濃く継いでいるのだろうか、あやかし側の血が全くといっていいほど感じられない。肩透かしを喰らうようだったが、政略的な面でいえば話の通じぬあやかしもどきを力でねじ伏せ無理矢理幕下に加えるより、扱いやすいつまらぬ人もどきのほうがましだと思った。
「…さて」
義輝が一区切りつけるように組んだ脚を浮かせ左右を入れ替える。
「幕府はぬしを美濃国主と認め、希むならば官職を得られるよう取り計らおう」
「有難う存…」
「しかし条件がある」
ふたたび姿勢を低めようとする義龍を言葉で遮り義輝は続ける。
「余と仕合え」
ふたりの様子を見届けている貞孝が眉根を寄せ、音を殺して溜息をこぼす。諫めてもきかぬことはわかりきっているため口は挟まない。織田信長や長尾景虎と対面したときもこうだったからである。義輝が手を叩き合図すると、部屋と庭を隔てる障子が開く。濡れ縁には大小さまざまな木刀をはじめ、刃まで木で作られている槍や斧や鎌などの武具が二つづつ並べられ、小姓が二人それらの脇に控えている。おそらく彼らが運んできたのだろう。
「勝敗は問わぬ。ただ、一度ぬしと剣を交えてみたいと思うておってな」
「は…?」
突然のことに唖然とする義龍に構わず、義輝はすっと立ち上がり庭へ出る。小姓が差し出す木刀を受け取り、早く来いと訴えるように手招きしている。義龍が視線を庭から部屋のほうへ移すと、ハの字眉の貞孝が無言で頷き促している。
「…では」
先ほどの話にかかわらず、上意を辞せるはずもない。気乗りはしないが、重い腰を上げ庭へ出る。前屈みで鴨居をくぐるその背丈は義輝の想像以上であった。六尺はゆうに超え、烏帽子を加えると七尺へ達すると見える。ヒッと声を上擦らせる小姓に構わず、義龍は義輝と同じ長さの木刀を手に取り、軽く振ってみせる。
「遠慮は無用、此処を戦場と心得かかってまいれ」
「は」
見世物の始まりを待つ童のごとく眼を煌めかせ一連の動作を見届けていた義輝であったが、対手の支度が整うと同時に、その貌は険しいものへと変わった。つられるように義龍の口も固く結ばれる。
ほどよい間合いが取られると、義輝が地から見て垂直になるよう木刀を立てて持ち、刃を自身の顔へ向けている。鹿島新当流に伝わる〝御剣の構え〟といい、敵を斬る前に自身の邪念を斬る教えである。物珍しそうに眺める視線をよそに、続いて左半身を前に立ち、刀身を隠すように右脇のあたりで木刀を構える。鋒を後ろに下げ、左肘を正面に張るそれは〝車の構え〟と称されている。後れをとるまいと義龍も八相に構え相対する。
「室町幕府第十三代征夷大将軍、従四位下足利参議兼左近衛権中将源朝臣義輝」
「…美濃国斎藤家当主、新九郎義龍」
「参る」「参る」
ある者は陣頭にて刃をふるい幾多の戦場を駆け抜け、ある者は尊貴の身でありながら剣技を究め賊やあやかしを数多く屠る。貞孝や小姓たち、部屋の外に待機していた義龍の臣や見物に来た幕臣らが見守る中、ふたりはじっと睨み合う。互いが放つ剣気から技量を見極めているようでもあった。
「…はっ!」
先んずるは義龍。誘うように突き出された肘めがけ木刀が曲線を描く。それへ応じるように身を左に転じた義輝が、姿を現した刀身で斬撃を弾く。義龍がふわりと浮いた腕を構え直さんとしたところで、その刃に義輝の刃が重なる。棟に手を添えてぐいと押し込めようとするが、思うように動かない。その巨体に見合った腕力の持ち主であるか、と義輝は退く。間をあけずして義龍が距離を詰めつつ上段から木刀を振り下ろしてくる。義輝はすかさず下段にて太刀を受け、そのまま跳ね返すよう斬り上げるが、義龍は瞬時に木刀を引き中段へ構え直すと左脇腹を狙って水平に薙ぐ。させじと義輝は躱し間合いを取ろうとするも、義龍が下段に構えてあとを追う。脛をめがけて放たれた振りを、同様に下段の刃で受け止める。膝の高さで交わった二本の木刀は、斬り結んだまま腰へ、頭上へと持ちあげられてゆく。力押しでは敵わぬとみている義輝は、そのままストンと身を沈める。腕の下を潜り、その鋒が喉に触れるか否かのところで、義龍は高く宙を舞うように跳躍し、突きを回避した。
「ほう」
強者と戦り合う興奮が身体を襲う。しかしこの程度ならともに剣技を学んだ細川藤孝と同等、あるいはそれ以下やもしれぬ。特段変わった打ち込みも今のところ見られない。戦り甲斐はあるが、興に欠ける。
とはいえ、まだ手の内を隠しているのではなかろうかという疑念を捨てきれないでいる。
義輝は本性の知れぬ半妖への視線をそのままに間合いを取り、右手のみで木刀を構え、空いた左手を濡れ縁のほうへ伸ばす。それに合わせて小姓が膝上に載せていたものを放り投げる。宙を舞って左手へ収まったそれは、真剣であれば脇差と称されるであろう短めの木刀であった。右手を頭上に、左手を正面に。二つの刃が狙いを定める。
手の内を隠している…それは義輝自身が、そうだからでもある。
「余の剣、ぬしに受けうるか…?」
呼吸をととのえながら手の甲で顎の汗を拭う義龍へ、挑戦的な笑みを浮かべる。
義輝は師である塚原卜伝から彼の編み出した剣技・秘技のすべてを授けられていたが、それだけで満足はしなかった。さらなる研鑽を積み、みずから新たな技に開眼することを目標として掲げ、現在も毎日の修練を欠かさない。彼が極めんとするは二刀の道。両の手に一振りづつ刀を持つそれは攻防を同時に可能とする。しかし一撃一撃の威力が通常の太刀よりも劣るため数を打たねばならぬし、対手からの両腕での斬撃を片腕で受けるなど並の者では能わない。ゆえに面白いと思った。並の者に使いこなせぬというのならば、並の者にならなければよい。かつて己が身を守るため歩み始めた剣の道であったが、いつしか周囲の者たちから〝剣豪将軍〟と称されるまでにのめり込んでいた。ただ一振りの刀を扱う先ほどの打ち合いは、彼にとって余興に等しかった。
「とぉっ!」
義輝が跳び上がり、二つの刃が弧を描く。
「ぐ…」
義龍は一歩後退し、それを一つの刃で同時に受ける。重い。斬撃と人ひとりの体重だけでない、はかりしれぬ力が加わっているように感じた。
続いて胴を薙ぐように連撃が繰り出される。義龍はひたすら後ずさり躱す。
「どうした、逃げてばかりか」
庭をぐるぐるとまわるように退がり続けるさまを見て義輝が薄ら笑う。
先ほど畳の上で小難しい言葉を並べ立てていた険しい貌の気難しそうな将軍は何処へ行ったのか。眼前で両手の木刀を振りまわし、汗の滴を飛ばしながら白い歯を見せ笑うこの明朗な剣狂いと同一人物だというのか。ふざけた世の中だ…と義龍は怒りの中にわずかなおかしさを感じた。
「武器を変えてもよいぞ」
そうは言っているが激しい打ち込みを一切弱めるつもりはないらしく、義龍は重い一撃一撃を如何に捌くかで手一杯である。なかなかに意地の悪い男だと思った。武器を変えさせるつもりなど端からないのであろうか。あるいは自身の力で隙を作り出してみろということか。右手からの振りを刃で受けて流す。同時に左手からの薙ぎを後方へ飛んで躱す。此方からの攻撃をこころみるも、片手で防がれ片手で反撃されてしまう。めいっぱい力を込めた頭上よりの振りは、交差した二つの刃に受け止められ跳ね返された。左耳の半寸先で突きが唸ったかと思えば、斬り結んだ刃の棟を伝って右手に打撃が響く。
「うッ」
威力はさほど強くないが、衝撃で手が小刻みに震えている。ここが好機とばかりに義輝が気を溜めるように腰を深く落とし、交差した腕が脇に刀を抱え込む形で構えた。
「はぁっ!」
身を乗り出すと同時に斜めへ振り上げられた二つの斬撃が一点で交わるように迫る。万事休すか…そう感じつつも身体は動くことをやめなかった。殺伐とした場に不似合いな、小気味良い衝突音が谺する。
「……ほう」
仕留めた確信のあった義輝は意外そうに、しかしどこか嬉しそうに声を洩らした。
義龍は襲いかかる二つの刃を、同様に二つの刃で受けていた。先ほどから戦闘に用いている木刀に加え、腰の短刀が抜かれていたのである。
「ぬしも二刀使いか」
「…いえ」
答えながら短刀を逆手に持ち替え、くるりと身を翻し義輝の喉笛に狙いを定める。速い。これまでの倍はあろうか。正面へ残像を置き去りにして、側面へ回り込んだ殺気が急接近する。
「上さっ…」
「よい」
濡れ縁から転がるように庭へおりる小姓を声で制す。喉を引き裂かんとする凶刃はしっかりと木刀に阻まれていた。
「その刀では斬れまい」
身体を義龍のほうへ向けながら、短刀へ好奇の眼差しを送る。錆びているのか、もしくは石を加工した守り刀の類いか。でこぼこした厚みのある刀身からは持主の意に反して殺傷の色が感じられない。特殊な素材なのか、黒みを帯びた黄金色が薄っすらと輝きを放っているように見えるが、真剣の澄んだそれとは異なり鈍く重苦しいものに感じる。
「たとい斬れようとも、斬られぬがな」
煽るような言葉に義龍は軽く舌打ちすると、慣れた手つきで短刀を回転させ順手に持ち直す。
「試してみましょうか」
畳の上で偉そうに座す将軍へそのような言葉を投げれば、確実に首と胴が分かたれるだろう。
「やってみよ」
だが、吹き出す汗を流れるままにまかせ庭へ立つこの男はただの武人。ただの剣豪。怒るどころか乗り気で二本の木刀を掲げ誘いに応じている。
いよいよ本気でやり合う気になったかと、義輝は胸の高鳴りが身体の隅々にまで響き渡るを感じた。口をへの字に結び、眉間へ深い皺を刻み、二つの刃を構える義龍の眼が、深紅に染まっているのである。数え切れぬほど狩った、荒ぶるあやかしと同じ色の眼。そしていつか出会った、僧形の男と同じ色の眼。やはりこやつはただの人ではなかったと、心中で舞い上がらずにはいられない。疲弊の暇も与えられぬ腕が、半妖の男へと刃を振りかぶる。
「とッ!」
二人同時に飛び出し、四つの刃と視線がかち合う。しばし斬り結んだのち、両者決め手に欠けるか後退し間合いが取られる。ふうと息を吐きながらも隙を見せぬままふたたび構える。
義龍は義輝より五寸か六寸ほど上背があり、恰幅も上回っている。ぬらりと両腕をかかげ大上段に構える姿からは、鬼が人を襲い喰らわんとする絵巻物が想起される。濡れ縁の小姓たちは殺気立った化け物のごとき赤目の黒塊に怯え震えているが、彼よりも巨きく屈強で話の通じないあやかしたちとやりあってきた義輝は、一切の怯みを見せず地を踏みしめている。むしろ楽しくてたまらないといったふうに、序盤から貼りついたままの笑みが消える気配はない。
「はっ!」
腕が強くしなり風切り音をあげる。押され続けていた義龍が反撃を与えるように猛攻を加え始める。次から次へ繰り出される高速の斬撃を、義輝は一つ一つ余さず捌いてゆく。上から下から、右から左から害意が襲う。烏帽子を、頬を、肩を、頸を、掠める太刀を太刀で受け、弾き、流し、時に躱す。木刀たちの悲鳴が絶えることはない。
「む…」
斬撃から覗かせる義龍の頭にふと違和感をおぼえた。額の左右側面あたりから棒状のものが二本飛び出している。長さは一尺四寸ほどか、濃色の結晶のようなそれは、陽光を撥ね返しながら曲線をえがいて真上にのびている。深紅の眼に角まで隠しているとは…半妖とは面白きものであるなと、応接間で顔を合わせた際の印象を顧みずにはいられない。ぶんと袈裟斬りに腕が振られ、靡いた袖が顔への視線を遮る。その僅かな時のあいだに、角は頭から消え失せていた。幻だったのか、そうでなければよいのだがなと、ひらひら舞う衣から覗かせる肌へ同様の異変を期待しつつ斬り合いを続ける。
「よき太刀筋よ」
義輝も受け身にばかりまわってはいられぬと、振りを躱して手首を打ってみせる。しかし義龍の反応は薄く、斬撃が鈍ることはない。義龍は続けて繰り出される義輝からの横薙ぎを身体を捻って左方へ流し、その勢いのままに右足から蹴りを飛ばす。突如走った脇腹よりの衝撃に義輝は小さく呻く。此処が戦場ならばそういうのもありだろうと、血飛沫の中に生きてきた大名家の当主を睨む眼差しは熱いものを帯びている。一回転した義龍が、蹴りを与えた箇所を狙い二刀で突く。鋒を掠めた袖がひらりと舞い、足を覆う。飛び退きながら腰を落とした義輝は、その身をぐんと上へ伸ばしながら空を切り刻むように二刀をあやつる。巻き起こされた旋風が、地から天へ、昇り龍のごとく砂塵を舞い上げ義龍の視界を塞ぐ。正面から姿を消した義輝は側面へ回り込み、先ほどの仕返しといわんばかりに柄で脇腹を小突いてみせる。義龍は旋風を振り払いながら斬りつけるように横へ薙ぐが、標的はすでに離れ、此方へ嘲笑を向けているように見えた。時をおかずして助走をつけながら上段に構えた二つの斬撃が一体となって義龍へ襲いかかる。右腕を振り上げ頭上でそれを弾き、義輝の懐へ飛び込むように前屈みで迫る。義輝が弾かれた二刀を構え直すまもなく、逆手で持った左の刃が草履へ突き刺さり、おくれて右の刃が腿を抉ろうと接近してくる。動きを封じ仕留める算段であろうが、そううまくはゆかせぬと義輝は左手の木刀をぱっと放す。刺突が肌に触れるより疾く、伸びゆく腕を掴みぐいと持ち上げた。藤孝ならばこの巨体を投げてみせるだろうが、義輝は剣で決着をつけたいためそうはしない。拮抗した二つの力が震えながら解放の時を待つ。胸元に引き寄せられた顔が義輝を見上げ歯噛みしている。陽陰に立ちながらもなお妖しい輝きを放つ深紅の眼を具えた双眸に、並の者なら射すくめられていただろう。未だ草履を喰らったままの木刀とそれを握る左手に警戒しつつ、手隙である右手の刃でその背を狙う。腕を振りかぶったところで突如、からりと音を立て義龍の二刀が地へ落ちた。義輝の握力に因るものではない。
「がぁッ……うッ……」
刀の持ち主は、左手で額の左側面を押さえながら前方へ倒れ込んだ。ずしりとした重みが義輝にのしかかる。油断させて殴る腹づもりか、もしくは重量で押し潰すか…しかしそのわりには様子がおかしい。ともかく共倒れは喰らうまいと掴んだ腕をそのままに地を踏みしめながら逡巡していると、複数の武士が叫びつつ駆け寄ってきた。
「殿っ!」
見慣れない顔たちは、手合わせを遠巻きに眺めていた義龍の臣である。彼らによって義輝から引きはがされた義龍は、頭を押さえたままその場に膝をついた。
「終いか」
義輝は焦燥の色を隠し、突如告げられた終わりへの不満と少しの怒りとを載せながら厳かに声を放つ。
「まあよい。ぬしとの仕合、なかなかに楽しめた。沙汰は追って伝える。鎮まれば帰れ」
地から目を離さぬ義龍をそのままに、義輝は濡れ縁へのぼり応接間に戻る。小姓たちもばたばたと武器を片付けながらあとを追い、やがて障子が閉じられた。
噂以上の豪傑ぶりに、薄ら輝く短刀。義輝は義龍へさらなる興味を抱いたが、同時に危うさのようなものも感じた。
「ぐぅッ…」
斎藤家の者たちだけが取り残された庭で、義龍は抜き身のままの短刀を杖に立ち上がる。
「殿! 無茶だけはなさらぬようにとあれほど…」
「あやかしの姿になってしまわれるのかとヒヤヒヤしましたぞ」
「う、うるさい」
心痛の叫びともただの小言ともとれる言葉を口々に吐く臣たちを睨みつけながら、短刀を鞘におさめる。
「帰る」
短く言い放ちながらそそくさと歩き出し、臣たちもあとに続く。その眼に宿っていた深紅の輝きは、今はもう見られない。
【続】