ストレッサー※ジェターク寮は一人部屋
※一人称が僕
部屋が半壊した。
この言い方だと何かのっぴきならない事情で壊れたように思える。正確には自分で自室をヤりました。ラウダ・ニール一生の不覚。次にあてがわれる部屋は鋼鉄製です。
きっかけは簡単な事情だ。本当に些細なことだ。
にいさんが昼食のナポリタンにとんでもない量のタバスコをかけていて、僕がそれに注意したのだ、体に悪いよって。そうしたらにいさんは、
「お前には関係ないだろ」
って言ったのだ。
お前には関係ないだろって。
……お前には関係ないだろ!?!?!!!?!!
関係あるに決まってる! にいさんの健康が僕の健康だ! だいたいなんでそんなにタバスコかけてるんだ前からとっても辛いもの好きってわけでもなかったのに絶対味覚に変化が起きてる前にストレスで味覚が鈍化するとか読んだにいさんにはストレスがかかってる大きなストレスだにいさんがそれを耐えてるでもそれを僕に言わないでタバスコかけて紛らわせてるんだそれで僕に注意されてそれで僕に関係ないなんていう関係ないわけないだろにいさんのことなのに!!!!!!!!!!!!
昼間は……そう言われて僕はちょっと固まってしまい、周りにいたフェルシーとペトラが「そんな言い方ないっすよ〜」だの「タバスコ臭すぎます〜」だの言って全てが有耶無耶になった。にいさんもちょっとやりづらそうにして、僕に謝りさえしたのだ。僕は、「ううん僕こそごめん」と返した。冷静で理性的なので。
その後長い長い授業を受け、寮に戻り、食事して風呂に入ってさぁ寝るぞって部屋に戻って、今日1日を振り返ってしまった。
お前には関係ないだろ、の声が海馬から大脳皮質に移行しようとして、記憶が飛び、次に覚えているのは僕を必死で押さえつける兄と剥がされたカーペットだ。
部屋は酷い有様だった。カーテンが七夕でつくる折り紙の飾りのように引き裂かれ、ベッドマットには隕石が墜落したような穴が複数空き、スツールは倒されて時計や本やなにから何までが床に散乱している。窓は割れていないけれど社のシンボルキャラ『ジェターくん』のぬいぐるみがバラバラになっていた。多分あれはジェターくんだろう、白いわたばかりだったけど。……これ本当に僕がやったの?
にいさんは、「弟くんの部屋からすげー音聞こえるけど!?」という通報を受けて駆けつけてきたらしい。その顔を見てよけいにヒートアップした(らしい、そうなのかなァ)僕が何やら叫びながらブランケットを引きちぎっているのをなんとか捕まえ、床に押さえつけて、子供の頃に歌いあった子守唄で宥めすかせたとか。僕は獣か何かか? それで落ち着くんだからまぁ、否定できない。
周囲にお騒がせしました、と謝って、僕もなんとか落ち着きました、と釈明して、じゃあ寝ようかってなったのだけれど、部屋が半壊している。そうここで冒頭に戻ります。
僕も反省したいし微罰房にでも入ろうかな、とにいさんに言ったら、「今のお前を一人にしておくのは不安だ」と、自分の部屋に来るように言う。隣で僕の背中を撫で続けていた(何で?)カミルも、それがいいと言った。
僕は、自分が何で暴れ始めたのかをちゃんと分かっていたので、どうにかして断りたかった。いつ内なる暴力性が発現するか分からない、俺のこの手が震えて唸る……とかなんとか抵抗したのだけれど、兄のあの声で「ラウダ」と呼ばれたらそれ以上は何もできない。大人しく部屋に連れて行かれることになった。
兄の部屋には普段からよく入る。連絡ごとや、相談、雑談など。でも今日は変に、部屋にしみついた兄の匂いを感じた。嗅いでると安心するような、ざわつくような。入り口で突っ立って匂いを嗅いでいる僕を、にいさんは訝しげに部屋に突っ込んだ。
「もう寝ろ。……そういや、まだ着替えてないのか」
「あれ、本当だ」
「そんなことも分かってねぇで……俺の服着ろよ」
「あ、いや、僕の部屋から取ってくるよ」
「あそこは今日は封鎖だ。明日にしろ……」
にいさんは僕に適当なシャツとズボンをくれた。抱きしめて匂いを嗅いだけど洗剤くさかいだけだ。がっかり。
にいさんが、何してる、というのですぐに着替える。大きくて丈が余る。そしたらもうすぐにベッドに押し込まれて、にいさんも入ってきて、電気を消されてしまう。トイレにも行かせてくれない。
狭い。
「……にいさん、僕床で寝るよ」
「風邪引かれても困るんだよ」
「だって狭いでしょ」
「お前が狭くて嫌なのか?」
「……そうじゃないけど」
「ならこのままだ」
にいさんが腕を差し出してきて、ほら、なんて言ってくる。腕枕にしろってことだと思う。でも、そんなことをしたら明日に響く。僕の頭は子供のような重さじゃないし、ずっとのせてたら腕が痺れてしまう。絶対断るべきなのに、僕はそれに頭を乗せた。兄が柔らかく笑う。
「どうしたんだよ、お前。あんな暴れて」
「僕もよくわからないよ」
「はは。でも、子供ん頃はもっと酷かったよな。よく癇癪起こして、いろんなもん投げてさ……いつからそうじゃなくなったんだっけ」
「……わかんない」
「今日はだから、ちょっと懐かしかったな」
枕にした腕で僕の頭を抱き、もう片方の腕で撫でてくる。兄の手は大きくて少し硬くて温かい。手が冷たい人は心が温かいなんていうけど、手が温かいにいさんだって凄い温かい人だ。心の温かさが全身から放たれており、ぎゅっとされると太陽に包み込まれているよう。太陽に包み込まれると多分死ぬので死んでない僕はクマムシか何か。獣ですらない。
「爆発する前に言えって。何があったんだよ?」
温かいからこうやって僕を甘やかして、ドロドロにしてしまうのだと思う。でも、にいさんはじゃあ誰がどろどろにするっていうんだろう。
「……にいさんがタバスコかけてた」
「あ? ああ。……えっあれが問題だったのか?」
「たくさんかけて、それで注意したら、関係ないっていった」
「ああ……」
「にいさんのことで関係ないことなんて、ないよ」
「……」
「もっと関係したいのに」
「悪かったよ」
うう。なんだか腹が立って泣けてきた。ぐずぐずしていれば毛布で鼻を拭われる。汚いからやめてほしい。にいさんの胸に顔を埋めて、服で鼻を拭いたら「やめろ」って言われた。服を吸ったら「やーめーろ」って頭を引っ張られた。
人間はこの程度じゃ溶けないけど、どろどろじゃなくてもせめてべちょべちょにしてやる。胸元がよだれだか何だかでぐちょんぐちょんになってるにいさんがちょっと面白くて、笑った。頭をはたかれた。
「子供かおまえは」
「にいさんと同い年だよ」
「ほんと……口が減らないよな……」
このまま眠ってしまえば幸せだし、部屋の外が全部まっさらになってくれればもっと幸せだった。一番いいのは、僕たち兄弟以外が全部思いのままになって、僕たちの奴隷にでもなって必死に働いてくれることなんだけど、多分そうはいかない。
ともかくにいさんの腕の中は快適だった。僕もその快適さをなんとか分け与えたいと思って腕を伸ばしたけど、にいさんの体は分厚くてなかなか抱え込めない。わさわさ体を触っていたら「くすぐるな」って手を掴まれてもにもにされて、なんだか安心してしまって、寝た。
揺すぶられて起きる。
起きているのだろうか。
遠くからにいさんの起きろだのこのねぼすけだの聞こえてはくる。聞こえてきているらしい。起きろと言われても目がどうしても開かないし足も動かない。言う通りにならない体を持ち上げられ、折り畳まれ、布団を連れて行かれてようやく起きてくる。
「服脱げ〜起きろ〜朝だ〜」
「にいさんのえっち……」
「お前正気に戻ってその発言ちゃんと見直せよな」
「ふく……」
にいさんがくれた服を脱ぎ、にいさんがくれたインナーを着る。大きい。多分これはにいさんのもの。にいさんは何でもかんでもビッグだなぁ。すごいな〜。
「……それ俺のだったわ。お前のはこっちだ」
「ちがうよこれ僕のだよ」
「どう考えてもブカブカだろうが! 脱げ! もう一回脱げ!」
横暴だと思った。しかし着直した服がピッタリだったので反省する。僕のインナー、部屋から持ってきてくれたのだろうか。僕が寝ぼけている間にだろうか。にいさんは優しい。朝に強い。
洗面所に行って身支度を整える。にいさんはヘアセットに少し時間がかかるので、その間に僕は全てができてしまう。顔を洗えばだんだんとしゃっきりとしてきて、さっきにいさんに僕は何を言ったんだ……? なんて思い返して気分が落ち込む。ぼーっとしてたら隣から「寝るな!」って言われた。寝てない。心外。
自分の髪をちゃっと整え、部屋に戻ってコーヒーを二つ淹れる。にいさんは豆から挽いてしっかりと淹れるのが好きだが、朝にそれをやっている暇はさすがにない。あと僕はそこまでコーヒーを淹れるのが得意ではない。コーヒーマシンは偉大だ、泥を作らないから。
その間に生徒手帳で今日の授業や天候やを確認してしまう。部屋が豆の香ばしい香りで満ちていく。今度こそ起きた。さっきから何回起きてるんだ僕は。
少しして、洗面所から出てきたにいさんはもうヘアセットも何もかも完璧だった。僕は朝がめちゃくちゃなので、にいさんが朝にめちゃくちゃになっているところが見れない。いつか朝に強くなりたい。にいさんの世話を焼けるぐらいになりたいと強く思う。
「にいさん、コーヒーだよ」
「サンキュ」
「今日の予定は……」
「おう……」
そうして朝の確認をして、コーヒーを飲み終わったら、あとはもう部屋を出るしかない。いつも通りの兄弟になる。にいさんは寮長でホルダーで決闘委員会の筆頭。僕はそれを支える弟だ、しっかりものの。
僕たちはそういう関係だった。この学園のなかで、獅子のように強く立つ生き物でなくてはならなかった。昨日みたいに弱さを見せてはいけないんだ……。
「にいさん、昨日はごめんね。迷惑かけちゃって」
「……こういうこともあるだろ」
「ううん、本当にごめん。こんなこと、ないようにするから……」
「……ラウダ」
にいさんは、口をつけるコーヒーから謝る僕に視線を移して、言った。
「お前さ、部屋どうするんだ、ぶっ壊れてるけど」
「あ」
何も考えてなかった。
「……とりあえず、片付けは週末やろう。今日は必要なもん持ってまた俺の部屋に来い」
「でも」
それは流石に迷惑をかけすぎだと思う。にいさんは今日も沢山やることがあるし、そもそも僕が最初に怒ったのは、にいさんが多大なストレスで味覚がぶっ壊れてるんじゃないか? というところも関係しているのだ。これ以上ストレスかけてどうするのだ。
色々言い訳をしたけど、にいさんはふんわり笑った。
「関係ある、からな、お前と俺は」
にいさんはコーヒーをぐっと煽って飲み干し、テーブルに置いた。その手で僕の頭を撫でる。陶器から移っただろう熱で手のひらはますます温かい。髪をかき分け頭皮を突き抜け、脳を直接触るように、兄を感じる。
「関係あるから世話も焼くよ」
お前は可愛い弟だからな。
にいさんは僕の頭を撫でて、そして部屋の扉を開けて、出ていく。外気が部屋に流れ込んで、にいさんの匂いがわからなくなる。
僕はそれがとても惜しかったけれど、ちゃんと足を踏み出した。夜にはここに帰って来れるから。