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    wamanaua

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    wamanaua

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    オルグエ。
    お題「記憶喪失になった恋人に、何も伝えず関係をリセットするべきか悩む話」
    バチクソ人間不信でラウぴとかにすこぶる冷たく当たるグエぴがいます。

    花霞 あなたはいったい誰なのですか? と真顔で聞かれるのはさすがにこたえる。
     オルコットが負傷した。パーティー中、整備不良か恨みか何か、天井から照明が落ちてきて、それから俺を庇ったせいだった。普段ならケガをしようがピンシャンしている男だったが、あたりどころが悪かったらしい。俺に覆い被さって動かなくなったオルコットの背をさすりながら、彼の死んだ息子や妻に祈っていた。どうか彼を救ってください。そして彼を連れて行かないでください、と。
     幸い命は助かった。ただ記憶が無事ではなかった。病院で目を覚ました彼を見て思わず流れた涙は、俺のことなんぞちっとも覚えていません、という態度にすぐ引っ込んでしまった。
     まるでフィクションのような記憶喪失だ。自分のことは覚えていない。過去もよく分からない。ただ身に染み付いた動作がある。フォークは持てる。トイレには行ける。モビルスーツは知らない。ガンドは知らない。ジェタークも知らない。俺のことなんかさっぱり。地球も、テロも、亡くした家族のことも……。
     俺は、自分が上司で、あなたはボディーガードとして雇われていて、俺を庇った時に負傷したせいで記憶を失ったのだと伝えた。俺が原因だから、俺があなたの生活を保障する。なんでも言ってくれと。あなたのおかげで俺は生きているのだからと。
     彼は、記憶にないことを感謝されて訝しげにしつつも、了解してくれた。ご親切にどうもありがとうございます、とまで……。
     最後に、俺は彼に、自分の名前を覚えているかと聞いた。
    「リドリック、だったと思います。なんとなく覚えがあります」
     彼はリドリックというらしい。俺はその名を、ドミニコスの指名手配者データで読んだことがあった。

     オルコットが目を覚ましてからすぐ、ラウダに呼ばれて話をされた。関係者として、容態も聞いているらしい。青ざめた顔で俺の手を握り、さすってくる。
    「にいさん、頼むから思い詰めないでね。にいさんだけにしないよ、一緒に支えるから……」
     自分の家庭を持ちながらよくも言う、と酷いことを一瞬考えたのは、俺が落ち込んでいるからだとすぐに分かった。
     ラウダは俺のことをよく理解している。嫁のペトラも察しがいいし、面倒見がいい。心配してくれているのだろうし、こういう時の俺が何をしでかすのかが怖いのだろう。
     しばらくの間俺の家に行くとか、僕の家に来て欲しいとか、様々言われたが断った。少し一人にして欲しいと。ラウダは酷く渋ったが、俺の頑なな様子を見て引き下がった。まぁ仕事でも何かにつけて俺のそばにくるに違いない。ラウダの思いやりは嬉しい。しかし、今の俺には辛いものでしかなかった。
     オルコットは真新しい人間になってしまっていた。病床に限りのある病院には申し訳なかったが、脳の検査やガンドのメンテナンス、保護だのなんだのと理由をつけて入院してもらっていた。俺はその間に、どうするのか決めなくてはならない。
     オルコットとの関係について。

     彼と俺のはじめてなんてのは血とゲロと土埃に塗れたものだった。軌道エレベーターを目指すまでの間、ストレスで狂う俺を抑えつけるために複数回抱かれた。躾けのようなそれにまんまと躾けられた俺は、あれから尻でしか快楽を得られなくなった。そして好きだった女への感情は、生きる姿への憧れそのものであったと理解させられた。多分初恋は親父だし(なんかもうそこから認識が間違っているかも)もともと男の方に興味があったように思える。そういうことにした。
     クワイエットゼロ事件が終息してから少しして、地球に降りて仕事をすることが増えた頃だ。季節は春、セドがいる学校に講演をしにいった。その後学校から離れ、セドに連れて行かれた先で、オルコットと出会った。彼自身は俺と会う気はさらさらなかったらしいが、セドが様々企んだらしい。にいちゃんが会いたがってたみたいだから、だと。
     俺は今を逃したら二度と会えない、と腹を括った。オルコットに縋り、無茶を言い、責任をとれと脅し、無理矢理襲ってどうにか思いを告げた。そして攫うような形で彼を宇宙にあげて、ガードマンとして雇った。地球育ちの男なんぞ……と周囲には怒られたが、知ったことではなかった。雇う時、オルコットという名だけで姓がないため、母の旧姓をとってつけたので、弟だけは俺達の関係にただならぬものがあると察していたらしい。
     いい加減こんな関係はやめろとか、お前の将来に悪いとか、俺は男に興味ないとか言う彼に、申し訳なさを感じながらも縋り付いていた。俺はお前の親じゃない、と何度言われただろう。親に抱かれる趣味はないと都度返していたが、その言葉に傷ついていたのは自分自身だった。オルコットに貫かれ、少し残った人肌の背にしがみつきながら、思っていたのはきっと在りし日の父の手のひらだった。
     それが回数を重ねるうちに、オルコットに抱かれた昨日を思い出しながら抱かれるようになった。オルコットも観念してくれたのか、それとも何か……俺には理解するのも怖いが、夜に何も言わぬまま共に寝てくれるようになった。
     一度だけ、彼に妻子がいたことを教えてくれた。自分のせいで失ってしまったのだと。後悔していると。今も死んでいく時の顔を思い出すのだと。……愛していたと。
     俺も、もはや顔すらろくに覚えていない母のことを話した。美しい人だったのだと思う。俺のことを好いていてくれたとも思う。どうしていなくなったのか、何故今も顔を見せてくれないのか。そして、どうして俺は今となっても探しに行けないのか……。話すうちに泣き始めた俺は、オルコットがどんな表情をしていたのかちゃんと見られなかった。
     あの時にきっと、恋人関係になれたのだと感じる。感じただけだ。明確にすることはなかった。
     だが、俺の隣にオルコットがいることを周囲も自然に思うようになっていたし、弟とその妻も、俺が女性と付き合わないことを納得したようだった。人工母体や孤児の多い現在、子を成すことを前提としない同性婚も当たり前となった世の中だ。ただそれでも、俺には他様々な体面というものがあり、書類上は上司と部下でしかなかった。
     そう、上司と部下でしかない。今のリドリックにとっては。
     過去、妻を娶り子を作った男だ。本人が言うように、もともと男が好きだったようにはとても思えない。必要だったから俺に応えてくれていただけだ。それにも数年を要した。今からその関係性を作りなおせるだろうか? 
     あなたはいったい誰なのですか? と聞いてきたオルコットの……リドリックの顔を思い出す。あれがきっと、リドリックだった。オルコットが捨てたらしい人の姿だった。
     俺は、オルコットがそうして新しく、リドリックになれればいいと思う。過去を探られると問題しかない男でも、まっさらになったらいくらでも未来があるだろう。正義感が強く、仕事熱心で、人に厳しくも優しい男。俺のボディーガードとして最適。少し歳はとっていても魅力的だ。相手はすぐに見つかるだろう、きっと素敵な女性が。
     そうすれば、俺と傷の舐め合いなど、しなくてよくなる。彼の傷は遠くどこかへ消えてしまうのだから。
     オルコットと恋人関係になってすぐ、何かそれを象徴するようなものを……と考えたこともあったが、結局作らなかった。互いがいればいいと思ったし、そもそも彼自身が何かに固執するのを恐れているように思えた。
     物質に頼れないから、俺たちの仲というのは周囲の記憶からも薄れ、オルコットという存在すらやがて消えていくだろう。あとにはリドリックだけが残る。俺の部下だった優しい男。
     俺は、オルコットの思い出を胸に抱え込み、ただそれだけで生きていこうと思う。彼を愛していたから。

     リドリックの入院中、俺は何度も見舞いにいき、彼と話をした。戸惑いも大きいが、皆が優しくしてくれるので安心している。あなたには感謝をしている、ということを何度か聞かされた。焦らないでくださいね、ということをそのたびに伝えている。
     医師とも話をした。身体に問題はないが、記憶が戻るかは分からないらしい。ここで検査ばかりしても変わらないと告げられる。そろそろ入院させ続けるのも厳しいだろう。
     彼の住まいを考えなくてはならなかった。事故に遭うまでは俺と同棲していたのだ。しばらくは、心配だからという理由で俺の家に住んでもらえばいいだろうが、その後はどうするべきか。そもそも、俺と一緒に住んでいたということをまずどう説明すべきだろうか。合わせる辻褄が多過ぎる。
     悩んでいたせいで、家に訪ねてきたラウダをうまく追い払えなかった。俺の顔の白さを心配する弟への不快感は、身内に対する甘えからだとどうにか耐えた。
    「オルコットさんの調子はどうなの?」
    「今はリドリックだ。元気そうだが、記憶が戻るかは分からないらしい」
    「そう……もし、すぐでなくとも、一緒に過ごすうちに思い出すよ。オルコットさんはいつ退院するの? もしよければ退院祝いの会でも……」
    「まだ騒がしいのはやめておいた方がいいだろう」
    「そうかな? でも、沢山話したほうが脳の刺激になるかも……」
    「いや……やめておこう」
     ラウダは、俺の態度を見て、不審を露わに聞いてきた。
    「にいさん、ちゃんとオルコットさんと恋人だったということを本人に伝えたの?」
     ラウダは聡い。それで、人に話をあえて聞かないという選択肢を取れる男だ。なのでこれが求める答えはイエスノーではなく、何故なのか、である。
    「今の彼は自分をリドリックだと思ってる」
    「分かった、分かったよ。じゃあ、そのリドリックさんに、事故に遭う前はオルコットという名前で、自分と付き合っていたと、……伝えないの?」
    「ああ」
    「どうして」
    「その方がいいからだ」
     彼は、俺にまとわりつかれて付き合っていただけだから。男と恋人だったなんて言われても、理解できないだろうからと。
     ラウダが何故そんなことを聞いてくるのか、今の自分にはよく分からない。きっと俺と彼が付き合っていたのを、あまり良くは思っていなかっただろうに。
    「……でも、にいさんはそれ込みで、彼を自分の側においたんだろう。今更どうする気? 彼を解雇するの? 無責任じゃないか、それは。わざわざここまで連れてきて……」
    「彼が違う道に行きたいというなら、それをサポートする。だがそうでないなら、今まで通り雇うさ」
    「今まで通りって、恋人をやめる限りそれは無理でしょ……」
    「今まで通り、だ。……そもそも、仕事の場にそんな感情を持ち込む方がおかしい。上司と部下、ガードされる側とする側、それだけだ」
    「そういうことじゃないよ!」
     ラウダがどうしてそんなに必死なのか、分からなかった。本当なら俺が必死になっていなきゃいけないんじゃないかとどこかで思う。
    「に、にいさんの気持ちはどうなるの? 好きなんだろう、オルコットさんのことが」
     思い出してくれ、思い出せなくても俺を好きでいてくれと、必死で願わなければいけないのは俺だ。
     では何故、それをしないのか。それができないのか。
     ラウダが俺の手を取る。どちらも酷く冷たく、かじかむようだ。それでもオルコットの血が通わない左腕より温かった。
    「こんなことになってしまって、不安で仕方がないだろうけど、きっと大丈夫だよ。僕たちも支える。だから一旦冷静になって、」
    「俺は冷静だ!」
     手を振り払う。どうしてそんなに傷ついたような顔をされるのか、分からない。俺だろうそういう顔をしていればいいのは。
     じゃあ俺は今、どんな顔をしていて、どう見えているという。ずっと冷静なつもりだった。
    「にいさん!」
     冷静な奴が叫ぶだろうか。そう、俺は怒鳴る父が苦手だった。その顔が、とても怖くて……。
    「……そうやって、また逃げるの」
     俺はいつも目の前から逃げ出したかった。
    「また?」
    「まただよ。学校から出て行ったときだって、せめてひと言くれればなんとかなった。あの時の父さんもにいさんも僕も、みんな冷静じゃなかった。あんなことにはもう二度となりたくない。オルコットさんから逃げて傷つくのはにいさんだ! お願いだから」
    「逃げるさ! 逃げてあの人の幸せが手に入るならそれでいい! そうしたら俺だって幸せなんだ!」
     頼む、もう、やめてくれ。俺は決めたんだ。これが一番いいやり方なんだよ。
     喉が震えて、ちゃんと声に出せていたかも分からないが、ラウダは俺をじっと見つめたあと、分かった、と答えた。そして家から出て行った。錠の落ちる音が響く。
     俺はもう何も考えたくなくて、そのまま布団に入った。汗みずくの体が冷えていく。夢を見たくなかったので、ベッドサイドに置いたままの酒を強くあおる。はやく気絶したい。そのまま目覚めないでいたい。

     朝が来て会社に行った。弟は何らかの案件でどこかに行っていた。会う人会う人に、休んだ方がいいと言われてしまい、俺は力なく笑うしかできなかった。コンシーラーでクマを隠せばいいってものじゃないらしい。
     昼一番に商談を予定していたケレスさんにまで、顔を見られてひと言「今のお前に仕事は任せられない」と蹴られてしまった。セセリアがはいはいはい〜と秘書に何がしか嫌味を言って、俺は会社から追い出されてしまった。CEOだぞ。
     飲んだくれるかと思ったが、それよりもまずすることがある。病院に行き、リドリックに今後の話をしなくては。足がどうにも重かったのでタクシーを拾った。一人でタクシーに乗るのなんて久しぶりだった。本当は他のガードマンをつけなくてはならないのに。車窓から空を見て、それがフロントの低い天井でしかないことをひたすら考えているうちに目的地に着く。人工物の大地は、狭い。
     ノックをして病室に入ると、リドリックがこちらを見ていた。
     それだけで胃が痛くなるが、一歩踏み出す。
    「リドリックさん、こんにちは」
    「こんにちは、グエルさん。……今日は早いんですね」
    「たまたま時間が空いたもので……。今よろしいですか?」
    「ええ、是非」
     ベッドサイドにある椅子に座る。妙にぬるかった。医者が来ていたのだろうか。
    「実は今後についてなのですが……退院してからのことです」
    「ああ、医師ともそういう話をしました。身体も異常が見られないのでそろそろと」
    「そうでしたか。ひとまず、まだ不安もおありでしょうので、私の家で一緒に住みませんか。あなたへの償いがしたくて……」
    「償いなら、もう沢山していただいていると思います」
    「私が耐えられないのです……。住んでもらう間に、その後どうするかなど決めましょう。ええと、あなたが今まで住んでいたところは……事故以前に取り壊すことが決まっていたそうで、退去してホテルに仮住まいをしていたらしいのです、あなたは。雇い主として恥ずかしいことに、私は知らなかったのですが……」
    「そうでしたか」
     全くの嘘だ。考えながら喋るんじゃなかった。あとでどう辻褄を合わせるんだ。
    「それで、ですね。新しい住まいを決めたり……色々ありますから。職場なども……」
    「もう、雇ってはいただけないのですか」
    「いえ! まさか! ……あ、しかし、事故を起こさせたような上司ではと、思ったので……。もちろんまた働いてくださるなら、とても嬉しいです。ただ、すぐ復帰ともいかないでしょう。同じ仕事も……すぐには……」
    「なんだか、酷く他人行儀ですね。上司と部下とは思えないような」
    「……あなたは、記憶をなくされていますから」
     記憶をなくしているから、お前は俺の知っている男ではない……。
     もし、俺がそう言われたら、ひょっとしてとても悲しいのではないか。突き放されたようなものだろう。酷いやり方だ。だが、俺は突き放しているのだから、これで仕方がないのだ、と己に言い聞かせる。
     手が震える。押さえつけようと力を込めると、ますます震える。
    「……リドリックさん。あなたのためなんです」
     俺のためじゃあないのか。俺が傷つきたくないだけじゃないのか。
     否定されたくないだけだろう。お前のことなど知らない。お前と付き合っていたなど、考えられない、と。
    「どうか、お願いできませんか」
     お前は俺が期待する何かとは違うと。
     リドリックは、少し目を泳がせてから、言った。
    「……実は、医者から記憶の手がかりにと、自分の持ち物を渡されていて、携帯端末なんかもあったんですが」
     初耳だった。
     初耳? そんな馬鹿な。俺が聞き落としていただけだろうか。医者がそんなことを言っていたような気もする。覚えていないが。ずっとリドリックをどうするかばかり考えていたから。
    「待ち受け画面が、あなたの寝顔でした」
    「……え?」
     初めて知った。
    「寝顔?」
    「はい。画像欄も、その、あなたの……ええと、」
    「俺の?」
    「……裸で寝ている姿とか」
    「は!?」
    「すみません……私はそういう奴だったんですね」
     全然知らなかった。
    「だから、あなたと私は……恋人か何かだと思ったんです。あなたからそれを聞かなかったのは、きっと私が落ち着いていないからだろうと。でも、ずっと何も言われなかったので、だんだん疑問に思って」
    「……あ、いや、その」
    「もしかしたら私は、上司の裸を写真に撮り溜めるようなクズなのかと」
    「まさか! あんたがそんな奴なわけない!」
    「はは、あんた、ですか」
    「あ……」
     もうわけが分からなかった。オルコットが俺を写真に撮っていた? 裸で寝ているってのはなんだ? まさか事後かなんかじゃないだろうな? 万が一ネットにあがってはマズいとかいって俺には一切あんたの写真も撮らせなかったのに? 無許可で? オルコットあんたってのはそういう奴だったのか? 
    「そうしたら今日、あなたの弟さんがいらっしゃって」
     俺の知らないオルコットを、俺の知らないリドリックが話している。それだけで脳が壊れそうだっていうのに。
    「あなたと私の関係と、あなたが考えていることを教えてもらいました」
    「……」
    「なんとなくですが」
     震える。
     顔を上げられない。顔が見れない。自分の内股を通してどこか遠くを見ることしかできない。
    「グエルさん」
     手を、握られる。金属でできた冷たい左手と、布団に入っていようと体温の低い右手だったが、今は俺の方が凍えている。
    「オルコットはどんな男だったんですか」
    「……」
    「いなくなった方がいい男ですか」
    「……違う」
     手を握り返す。震えが止まらない。ぼたり、と落ちた涙が火傷するほどに熱い。
     ラウダにはあれほど冷たくできたのに、彼にはとても無理だった。どうしてだろう。何が違うのだろうか。
     そんなことを考えることすら無意味だった。
    「おれは……オルコットじゃ、なければ、……いやだ……」
     だから、リドリックさんは、いやだ。
     オルコットのことを愛しているからだと、酷く残酷なことを伝えながら泣く俺を、リドリックはただ抱きしめてくれていた。力加減が覚えのあるそれだったのでますます悲しかった。

     結局、オルコットとしての記憶が戻らないまま、リドリックは退院した。ラウダにもことの顛末と、今後どうするかはちゃんと話し合って決めると伝えた。そして、甘えすぎて酷い態度をとったと謝罪も。ラウダは許してくれた。にいさんが今一番辛いのだからと。本当に素晴らしい弟で、俺は本当に不出来な兄だった。それを言ったらまた怒られた。自分を卑下するなと。
     オルコットと同棲していたままの家で、オルコットが着ていた服を着て、リドリックは生活している。俺はCEOともあろうに長期休暇をぶち込まれてしまったので、朝昼晩と食事を共にしている。時折出かけて外の風を感じ、昔オルコットとここを通った何をしたと話しながら歩いた。夜は、さすがに別のベッドで寝ている。
     リドリックは時折思い出せないことをもどかしげにしながらも、自分の仕事についてや、俺が知っているオルコットの過去を聞いてくれた。喜怒哀楽、表情豊かにしている彼にオルコットとの差異を感じつつ、俺自身の感情の整理にもなった。
     話すことで偲ぶことができる。長い葬式をしているような気分だったが、入院中に思い悩んでいたころよりもずっと楽だった。
    「グエル」
    「リドリックさ、……何?」
     リドリックはいつからか、俺のことを呼び捨てにすると決めたようだった。俺もどうにか呼び捨てにしようとしている。慣れない。
     ソファーから手招きされたので、隣に座る。携帯端末を見ていたらしい。
     画像欄には俺の寝顔や裸だけでなく、明らかに盗撮したような俺の姿がいくつもあったらしい。なかなか信じられないことだったが、実際に見せられると信じるしかないというか、ちょっといたたまれなかった。
     リドリックは数年かけて撮り溜められた画像をのんびりと見ていっているらしい。今日も何か新しく見つけたのだろうか。
    「これ、よく撮れてる」
    「……そうだな」
     遠くから撮られた俺の立ち姿だった。おそらく、何か……演説をしている。背景には見事な花……そうだ、サクラが咲いている。
     これは、俺が地球に、セドがいる学校に講演しにいった時の画像だ。
     オルコットは、俺を見に来ていたのか。
    「若い頃の?」
    「ああ、だいぶ若い。オルコットと久々に会った時の……。でも、この場にはいなかったはずなのに」
    「そうなのか」
    「うん。というか、なんで俺を撮ってるんだろう」
    「好きだったからじゃ?」
    「まさか。この時はそんなんじゃなかったはずだ」
    「……どうして?」
    「どうしてって言われても、なんとも」
     今日はやけに追求される。変な汗で手がぬめる。
    「じゃあ、好きだったのかもしれない」
    「まさか……俺が先に好きになったんだよ」
    「どうして、そう言い切れる?」
    「……どうしてって……」
     リドリックは、いつの間にか画像ではなく、俺を見ていた。初めて会ったときよりもシワが増えたなと思う。見つめ返すうちに、顔が近づく。
    「お前のことは最初から好きだったよ」
     そんなのどう信じろっていうのだろうか。
     軽口を叩きたかったが、できなかった。ソファーのクッションをかたく握りしめ、目を瞑る。
     このまま眠りたい。夢を見たまま死んでしまいたい。新しく傷つきたくない。曖昧なままでいたい。
     唇にカサついた熱を数度感じて、抱きしめられて、名前を呼ばれて、ようやく俺もそれに応えた。
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    wamanaua

    DOODLEオルグエ。
    お題「記憶喪失になった恋人に、何も伝えず関係をリセットするべきか悩む話」
    バチクソ人間不信でラウぴとかにすこぶる冷たく当たるグエぴがいます。
    花霞 あなたはいったい誰なのですか? と真顔で聞かれるのはさすがにこたえる。
     オルコットが負傷した。パーティー中、整備不良か恨みか何か、天井から照明が落ちてきて、それから俺を庇ったせいだった。普段ならケガをしようがピンシャンしている男だったが、あたりどころが悪かったらしい。俺に覆い被さって動かなくなったオルコットの背をさすりながら、彼の死んだ息子や妻に祈っていた。どうか彼を救ってください。そして彼を連れて行かないでください、と。
     幸い命は助かった。ただ記憶が無事ではなかった。病院で目を覚ました彼を見て思わず流れた涙は、俺のことなんぞちっとも覚えていません、という態度にすぐ引っ込んでしまった。
     まるでフィクションのような記憶喪失だ。自分のことは覚えていない。過去もよく分からない。ただ身に染み付いた動作がある。フォークは持てる。トイレには行ける。モビルスーツは知らない。ガンドは知らない。ジェタークも知らない。俺のことなんかさっぱり。地球も、テロも、亡くした家族のことも……。
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