照れてあたる5秒前『今夜から週末は例年より寒くなるでしょう。朝夕の冷え込みにはお気をつけて』
南方が警視庁近くの食堂で少し遅めの昼食をかき込んでいる最中、テレビではニュースキャスターがそんなことを話していた。桜の季節もとう終わり大型連休の前に衣替えも済ませたというのにと思う反面、自身の矜恃でもあるロングジャケットを着るのには程よい温度ではあるなと考える。今着ているものは冬に着ていたものより薄手とはいえ、暖かくなったせいて少し歩けばじっとりと汗が滲むのだ。
そこまで考えた南方は自身と同じくロングジャケットを着込む相手のことを思い出した。そういえばあれほどきっちりと着ているにも関わらず暑いと言った弱音は聞いたことないな、と。
その相手である門倉とは半年前ほどから同棲中である。同棲するようになってからの記憶を辿れば寒いから離れるなと文句は言われることはあれど暑いから離れろと言われた覚えはない。共に住み始めたのが真夏も終わった時期だったからというのもあるだろうが。
そんな門倉に対して南方の方が暑さには弱い。同棲を始めたばかりのまだ暑さ残る九月頃、くっつこうとする門倉に暑いから勘弁してくれと南方が断った。それに盛大に拗ねた門倉が見せつけるように他の相手で暖を取る事を南方が謝罪するまで続けたのだ。
あの時は本当に大変だった。門倉が謝罪しようとする南方をのらりくらりと躱すものだから、嫉妬と後悔による八つ当たりで周りにも迷惑をかけた。
その事もあって今では多少暑かろうと南方が我慢するか、どうせ門倉は自分で暖を取るのだからと冷房を少し強めにすることで和解している。
今夜も冷えるのであれば門倉が寄ってくるのであろうなと思うと南方は僅かに口元を緩めた。
「ただいま」
「おかえり」
立ち会いもなかった南方が家へと帰ると中から声が返ってきた。どうやら門倉もこの時間には立ち会いがなかったらしい。
夕飯も準備していてくれたようで部屋の中からは出汁のいい匂いが漂ってくる。その匂いに南方の腹がぐぅと鳴った。一体何の料理だろうかとダイニングへと向かう。
「夕飯用意してくれたんか」
「おん、ワシは温めただけやけどね」
食卓の上にあったのは近所の小料理屋からテイクアウトしてきたというおでん。季節外れなのによくあったものだと思いながらもジャケットを脱いで椅子に掛け、門倉の正面へと座る。
「いただきます」
「いただきます」
二人揃ったとこで手を合わせた。これは同棲を始めてからの習慣で、一人で暮らしていた頃にはこんなことをする余裕もなかったなと思いながら南方は早速大皿へと手を伸ばす。
大根、たまご、こんにゃくと王道の具材を自分の取り皿へと入れると、門倉の好物である牛すじをひとつだけ貰った。門倉は南方がひとつ確保したのを確認すると残りは自分のものだと言わんばかりに牛すじを幾つかまとめて取り皿へと入れる。冬の間に幾度となく共に食べたこともありそのあたりは暗黙の了解となっていた。
「酒も飲む?」
からしを皿の縁につけると出汁をよく吸った大根を一口大に割って口へと入れた南方が尋ねる。
「ええね。明日は早うないけぇ貰う」
牛すじを齧りながら同意した門倉に南方は立ち上がりキッチンへと向かった。おでんに合わせるのだから酒はもちろん日本酒だ。
「燗はつける?」
「出汁割するけぇつけて」
ケトルに水を入れてスイッチを入れ、戸棚から小さな鍋とチロリ、揃いで買ったぐい呑みを取り出した。それから冷蔵庫から日本酒から熱燗に向いたものを選ぶと共に手に持って戻る。
「その酒にしたんか」
「燗といったらこれじゃろ」
「やね」
酒のチョイスは門倉のお眼鏡にも適ったようで鍋にセットしたチロリに南方の持ってきた酒を早速注いでいる。温めるお湯がまだ準備できていないのに気が早いものだ。
門倉が一合入るそれを二つ酒で満たし終わり食事に戻った頃、お湯が沸いたようでカチリと音がしてケトルのスイッチが切れた。早く取りに行けと言わんばかりの視線を投げかけられたのもあり南方がケトルを取りに三度キッチンへと向かう。
ケトルを持った南方は食卓につくとチロリの中に入らないように気をつけながら鍋に熱湯を注いだ。
「ありがとう」
「そっちこそ。ありがと」
火をつけたことに南方が礼を言えば門倉からも礼が返ってきた。見た目のガラの悪さに反して門倉はきちんと礼を言う人間なのだ。そういうところが配下にも人気のあるところなんだよな、自分も好きだがなんて思いながら取り皿のものを口へと運ぶ。
「何にやけとんじゃ」
どうも口元が緩んでいたらしく門倉が怪訝な目で聞いてきた。南方は別に隠し立てすることでもないなと素直に答える。
「門倉のそういうとこが好きじゃなて思うて」
「そういうとこて」
「一緒に暮らしとっても律儀に礼言うてくれるとこ」
南方の答えに門倉はそんなに意識してなかったらしく首を傾げた。
「そんな言うとる?」
「おん」
南方が頷けば少し考えたあと、そこが好きだというのなら悪いことではないかと納得したらしい。
「ワシも南方の何でも言う事聞いてくれるとこ好きじゃよ」
納得したあと弐ッと笑ってそんなことを言ってくるものだから南方は思わず苦笑してしまった。流石に全てが全て聞いている訳ではないが、その願いが叶えられるものであれば門倉のために幾度も奔走したのも確かだ。それで門倉の犬だの揶揄されたこともある。
「だって恋人の願いはできるだけ叶えたいけぇ」
それだけで好いてくれるのであれば当然だろと門倉の目を見て答えるとその返答に門倉は目を逸らして小さく言った。
「……別にそがいに言う事聞かんでも好きじゃけどな」
恥ずかしいのか耳が赤く染っている。二人きりで静かな空間というのもありしっかり聞き取れた南方が喜びに門倉に抱きつこうとして怒られるまであと――