雪原に立つ「雪原に立つ」
一時的に魔法舎を離れることになった晶くんと、その晶くんを世話すると言い出すミスラさんの話。
※ミス晶♂(両片想いくらい)
「許せない……」
めずらしく語気を強めたアーサーに向かって、晶はなんと言うべきか悩んだ。
「お、落ち着いてください。俺は大丈夫ですから」
「落ち着いてはいます。……ただ、申し訳ありません、賢者様。私がいながら、このようなことに」
昨日のことだった。晶は中央のグランウェル城に呼ばれ、中央のお役人相手に魔法使いたちとの任務についての詳細を説明していた。そのあとに簡略化されたパーティーがあり、賢者の魔法使いとしてアーサーと共に出席し、どうやらそのとき一時的に視力を奪う毒を盛られたらしいのだ。それに気づいたのはパーティーが終わり、アーサーと共に魔法舎に帰る途中だった。晶の目が急にかすんできて、視界が白くなった。それをアーサーに告げると、彼は狼狽えながらも迅速にフィガロのもとに晶を連れて行った。深夜に叩き起こされたフィガロは、尋常ではない様子の二人を見て驚いた。
「どうしたの?」
「賢者様の目が」
「起こしてしまってすみません、フィガロ。あの、何も見えなくて……」
フィガロの診察を受けた結果、晶の視界を奪った原因が毒であるとわかった。幸い、一時的なもので薬を飲み続けて解毒すれば、七日ほどで完治するらしい。
パーティーの参加者のうちの誰かが、晶の食事や飲み物に毒を仕込んだのだろうと、フィガロは言った。
「でも、アーサーならともかくどうして俺なんでしょうか」
かりかりと羽ペンが動く音が聞こえる。フィガロがカルテを書いているのだろう。
「賢者様にオズやミスラを使役できるような強大な力があるとか、愚かな考えを持ってたんじゃないかな。憶測だけれど。私怨なのか組織的な犯罪なのかが気にかかるけど」
「どちらも可能性としてはありえます。私は城に戻り、犯人を見つけます」
「ま、待ってください!」
どこにいるかもわからないアーサーに向かって、晶は言った。
「あの、もう、深夜ですし……。それに今回の件で人間と魔法使いの関係が悪くなるのは本意ではありません……」
「ですが……!」アーサーは一瞬だけ声を荒げた。「許せない……」
めずらしく語気を強めたアーサーに向かって、晶はなんと言うべきか少し悩んだ。ここまで彼が怒るのを見た(正確には聞いた)のは初めてのような気がした。
「お、落ち着いてください。俺は大丈夫ですから」
「落ち着いてはいます。……ただ、申し訳ありません、賢者様。私がいながら、このようなことに」
「一週間で治るみたいですし、気をつけなかった俺が悪いんです。そんなに気に病まないでください。ね?」
「…………」
「さあ、アーサー。賢者様もこう言っているんだ。犯人は必ず捕まえるにしても、まずは朝に状況を知って激高するだろう魔法使いたちの諫(いさ)め方を考えた方がいいと思うよ。特に東の魔法使いへの伝え方は気をつけた方がいい。彼らはあれで結構、直情的だからね」
「……わかりました。賢者様、お部屋までご案内します。掴まってください」
「ありがとうございます、アーサー」
アーサーに連れられ自室に戻り、三時間ほど眠った。だが、魔法使いたちがどんな反応をするのかが気にかかり、晶はほとんど寝付けなかった。
悪い方に転がらないといいんだけど……。
朝になり、規則正しい生活を送っている魔法使いたちが食堂へと向かう時刻。晶は迎えに来てくれたアーサーに連れられて焼きたてのパンの匂いがする食堂に向かった。
「おはようございます、アーサー、賢者様」その声の主はおそらくリケだった。「賢者様?」
目が合わないことを不審に思っているのだろう、リケの不安げな目が脳裏に浮かぶ。
「ああ、リケ。それからここにいる皆さんに、ちょっとお話が――」
「俺から話すよ」
とん、と肩を叩かれる。声の主はフィガロだった。
「幸いこの場には、めずらしくオーエン以外の全員がいる。オーエンも気配は魔法舎にあるから、ここでのやり取りは聞こえるだろう」
「フィガロ様、私もお手伝いします。責任の一端は私にもありますから」
「ありがとう、アーサー。じゃあ、俺の説明に補足を頼むよ」
そうして二人は、魔法使いたちを激怒させないように、ゆっくりと噛み砕いて丁寧になるだけ感情を削いで話した。それでも話が終わった後の食堂の雰囲気は一触即発と言っても過言ではなかった。マッチに火をつけたら、たちまち火の海が生まれそうなくらいヒリついていて、晶は自分のために怒ってくれているとわかりつつもやはり怖くなった。
「では今日の訓練は中止だな」冷たく言い放つのはやはり東の魔法使い、ファウストだった。「その不届き者を捕まえるんだろう?」
言葉の節々に剣呑な空気がみなぎっている。
「もちろん捕まえるさ」フィガロはあっさりと答えた。「だけど、それは頭に血が上っている魔法使いには頼めない……。それに我々には頼りになるアドバイザーがいる。こういう粛清にぴったりの可愛い双子ちゃんがね」
『粛清』と『可愛い』というワードはどうあっても相容れない気がするが、呼ばれたスノウとホワイトは既にフィガロから事情を聞いていたらしく、とっておきのあざといポーズでそれに答えているのだろう。
「任せるのじゃ!」
「我ら、すぐにその犯人を血祭り――じゃなくて、逮捕してみせるんじゃ!」
慌てて晶はフィガロの袖を引っ張り、早口に小声でささやく。
「大丈夫なんですか、フィガロ!?」
「大丈夫、大丈夫。二人にはアーサーを同行させるし、俺もいる。さすがのお二人も、アーサーを前にして人間を殺したりはしないから」
弟子のフィガロがそういうのなら本当にそうなのだろうけれど、いまいち信用できない。
「スノウさまとホワイトさまが……」
この声はヒースクリフだろうか。
「二人が僕らを代表して、賢者様をひどい目に合わせた悪い人を捕まえてくれるんですね!」
こちらはミチルだ。
「君たちにも仕事があるよ。とりあえずこれが昨日のパーティーの参加者リストだ。実働部隊は双子のお二人だとしても、リストから対象者を絞る部隊も必要だ。書類仕事はごめんだなんて、今日ばっかりは言わないだろう?」
「当たり前だ!」この声はきっとカインだ。
「フィガロ様、それを見せてください」こちらはレノックスだろう。
皆がリストのある方にぱたぱたと動くのが気配で感じられる。どうやら、今すぐその犯人を生かすか殺すか、デッド・オア・アライブのやり取りは避けられたようだ。
「流石です、フィガロ……。助かりました」
リストを見ながら、皆がざわざわと話し始めた頃合いを見計らい、晶はフィガロに礼を言った。
「俺も上手くやれるか半信半疑だったけど、まあなんとかなってよかったよ。さて、次は君だ」
「俺、ですか?」
「現状、目が悪い以上、賢者としての仕事はできないし、医者としても無理をしてほしくない。部屋で静養をしていてほしいけれど、こうなってしまった以上、魔法舎も万全とは言い難いんだ」
「そ、そうですか……。じゃあ、了承を得た魔法使いと、どこか安全な国や地域に移動するのはどうでしょうか。たとえば南の国とか」
「いい案だと思うし、俺もそう言おうと思ってた。問題はどこが安全かってことだけど――」
「死の湖に来るべきです」
ずいっと会話に入ってきたのはミスラだった。彼はいつの間にか晶のすぐ隣に立っていた。気配を消していたのかまるで気がつかなかった。
「は? なんで。言っておくけど、北の国に普通の人間が適応するのは難しいんだぞ」
「魔法をかけますよ。それに俺が賢者様の世話をしてやります。目が見えないんでしょう?」
「まあ、ミスラがいるなら犯人たちも手出しはしてこないと思うけど……。どうする、賢者様? 一応、ルチルとミチルにも声をかけよう。やっぱりミスラだけじゃ不安だし」
「俺はどこでも大丈夫です。ミスラ、ありがとうございます。お世話になります」
ふふん、とミスラが笑うのが聞こえる。
「任せてください」
***
「さむーい!」とルチル。
「つめたーい!」とミチル。
「ちょっと! あなたたち、まだ魔法をかけ終えてないんですけど!? 死にたいんですか!?」
雪原を踏む感覚。両手でミスラの片腕に掴まりながら、晶は目の前で繰り広げられているのだろうコミカルな彼らの動きに目を細めていた。
「すごいですね、ミスラさん。こんなに寒いのにぽかぽかです」
「僕、賢者様に教わった、『かまくら』っていうの作ってみたいんですけど、この雪で作れますか? 賢者様、あとで一緒に作りましょうね!」
「いいから、さっさと家に入ってください!」
南の兄弟と、それにに振り回されるミスラたちを微笑ましく思いながら、晶はミスラの家の中に入る。生憎とどんな部屋なのかは目が悪いのでわからないが、彼は自分を暖炉の前の椅子に黙ったまま案内してくれた。
「ミスラさん。お茶を作りたいんですけど、茶葉とかありますか?」少し離れたところ、おそらくキッチンの方からミチルの声がする。
「百年前くらいのものなら」
「ダメですよ、そんなの捨ててください!」
「賢者様」向かいの席にいるらしいルチルの声が聞こえる。「あと六日間、私たちがしっかりお守りしますからね」
「ありがとうございます、ルチル。迷惑をかけます」
「迷惑なんてとんでもないです。友達の助けになれて嬉しいに決まっているじゃないですか」
ルチルが優しく、にこりと笑うのが目に浮かぶ。目が見えないのはやはり寂しく心細いので、その太陽のような言葉に思わず涙が出そうになった。
「ありがとう、ございます……」
「どういたしまして、賢者様」
しばらくして、お茶を持ってきたミチルとミスラが部屋に戻ってきた。カモミールの香りがする。
「お待たせしました。僕の持っていたカモミールで作ったお茶です」
「鴨なんとかのお茶って、前に、飲むとよく眠れるって言ってたやつですよね。眠れなかったけど」
「それは残念ですが、やっぱり厄災の傷のせいだと思います。カモミールは本当は眠れるんですよ」
暖炉を囲んで、三人はそれから他愛なく話をした。どうにも晶は彼らの姿が見えないので会話に入りにくく、ただ黙ってそれを聞いているばかりだった。
「もしかして夕食もないんですか?」とミチル。
「俺の扉で厨房と繋げばいいでしょう?」
「ダメですよ。中央の国ではどこに毒を仕込まれたのかまだわかっていないんですから、少なくともそれがわかるまで、僕らはともかく、賢者様は中央の国のものは口にするべきではありません」
「じゃあ、釣りでもしますか。魚が釣れますよ。魔物もいますけど」
「魔物……」
「怖いんですか?」
「こ、怖くなんてありません! 兄さま、賢者様、僕は夕食の魚を釣りに行ってきます!」
「あなた一人で行って死んだらどうするんですか……。しかたないな……」
がたんと椅子が動き、ミスラがミチルを追いかけて家を出ていく音がする。
「仲良しですね」
ふふっと晶が微笑んだ。
「やっぱり見えないと話しづらいですか、賢者様?」
「ああ、まあ、少しだけ。でも三人の会話を聞いているのも好きですし、日頃のカインの大変さが身に沁みます」
「そうですね、カインさんは毎朝ですもんね……」
「でも、ミチルはさすがですね。俺が寂しく思っていたのに気づくなんて。やっぱり先生だからなのかな?」
「気づいていたのは私だけじゃないと思いますよ」
「え……?」
「ミスラさんはずーっと賢者様を見てましたから」
「えっ。な、なんで?」
「ふふっ。なんででしょうね」
その答えをミチルは教えてくれなかった。ただ笑ってすませて、紅茶のお代わりを取りにキッチンへ行ってしまう。たぶん今の自分の顔はあまりにも取り乱しているから、誰にも見られずに助かった、と内心で晶は思っていた。
***
「あれ?」とミスラ。
「骨だけ取るんですよ、それじゃあ身がない魚です」とミチル。
「…………」
カチャカチャと皿とカトラリーがぶつかる音がする。現在、ミスラは目の見えない晶のために魚の骨をとる作業中だ。
「あの、多少の骨なら大丈夫ですよ」
「ダメです。あなたは俺にお世話されるんですから、骨のない魚を食べるんです」
頑ななミスラは聞く耳を持たず、かれこれ三十分、晶はお腹を鳴らしている。
ううっ、気持ちは嬉しいんだけど……。
ようやく骨が取れた身をミスラがスプーンに載せて口元へと運ぶ。なんだか恥ずかしい。
「お、美味しいです」
「よかった~」とミチル。
「シンプルな塩焼きもたまにはいいですね」とルチル。
「俺が骨を取ったんですから、美味しいのは当然です」とミスラ。
つづく