テメェの所為だ「おい、ドラルク!!テメェの所為だ!!責任取りやがれ!!!!」
バァンとこの城を初めて訪れた時と同じ様に、勢い良く扉を開け放って。赤いマントを翻したロナルドは、開口一番にそう叫んだ。
その良く通る声は城の隅々にまで響き渡るような声で。
そんな声で不穏な事を口にするロナルドに、思わず砂になりかけながら、ドラルクは何とかロナルドを迎えた。
「せ、責任って……わ、私、君に何かしたっけ?」
ざらりと崩れ落ちそうになる身体を何とか奮い立たせて、自分を睨みつけてくる青い瞳を見上げれば。
ふんっとその美しい顔を不機嫌そうに歪ませて、ポイッと無造作に何かを放ってきた。
パサリと落ちたのは、何かの雑誌だろうか。表紙から察するに、女性向けのファッション雑誌、といった所か。
これが一体なんだと、拾い上げながらロナルドを見たが、不機嫌な彼は何も言わず。ズカズカと城の奥へと歩いていく。
そうしてそのまま、不機嫌そうにいつものソファーにどかりと座った。
そんな彼を追いかけながら、ぱらりとページを捲っていく。
彼を不機嫌にさせる様な事にはとんと検討がない。ましてや、こんなファッション誌にすっぱ抜かれるようなスキャンダルだって。
ここ最近はまた多忙だったらしく、城に来る事もなく。無茶難題な依頼に連れ出されてもいない。
最後に会ったのは、そろそろ一ヶ月は前だったんじゃなかったろうか、なんて考えながら、ぱらりとページを捲れば。
見開きで現れたロナルドの写真が目に付いた。
節目がちな蒼い双眸はアンニュイな雰囲気を醸し出し、大きく首元が空いたYシャツからは白い首筋が惜しげもなく晒されている。
普段、きっちりと襟元を締め、更にベルトまで巻くという徹底した退治人衣装が印象的な彼にしては、珍しい光景だった。
そんな白い首元に、目も冴えるような真っ赤な口紅で彩られたキスマークが付けられている。
オマケに『秘められた首筋を彩るその朱は……』なんて煽り文まである。
どうやらこれは有名メーカーの口紅の広告らしい。しかも、退治人ロナルドをイメージした限定色だとか。
999本の数量限定生産で、No.999までロットNo.が刻まれる……と。これはまた、敬虔なロナリストには喉から手が出る程の垂涎ものじゃないか。
大手化粧品会社も、上手い商売を考えるものだ、と思わず歯噛みした。
……普段誰にも見せないその首筋に付けられた口紅は彼の肌に良く映える。それに思わず自分の中でもやり、と複雑な感情が駆け巡るのを感じながら、目の前の退治人を見下ろせば、不機嫌な彼はツーンとそっぽを向いている。
相棒兼恋人であると自負していたのだが、そんな自分を差し置いて、何こんな仕事受けてるんだよ、と。
思わず嫉妬に近い文句を口にしそうになったのを、何とか飲み込んで、ドラルクははぁーと、深い溜息を吐いた。
「……君、何こんなモデルみたいな仕事やってるのさ……」
「仕方ねぇだろ。先方からの強い要望で断れなかったんだよ」
「それは分かってるけどさぁ……仮にも私というものがありながら、さぁ……で。それでこの写真が君の不機嫌の理由?私と1ミリも接点無いけど?」
コレが何?とロナルドを見れば、不機嫌そうな顔が更に険しくなる。
本当に怒っていても綺麗な顔をしているよね、なんて。呑気に考えていたら、思いっきり舌打ちされた。
「――ッ!!まだわかんねぇのかよ鈍感!!その口紅よりももっと下!!襟元んとこ!!」
「えー……何?襟のとこ?」
不機嫌な声で半ば叫ぶように。ロナルドの舌打ちと共に吐き捨てられた言葉を辿り、視線を再び雑誌へと落とす。
そうして気が付いた、その徴に。思わず目が丸くなった。
なるべく目立たない様に加工されているが、襟元の影の首筋に残る微かな鬱血の痕。ぽつん、ぽつんと規則正しく並んだ薄らと残るその二つの痕は、明らかなる吸血痕だった。
「……え、あ……もしかして、これ、私の……?」
「お前以外に誰がいんだよ、バーーカ!!」
ぶわり、と普段代謝の悪い吸血鬼の顔色がみるみる真っ赤に染まる。それに盛大な舌打ちを返しながら、発せられたロナルドのその言葉に、ドラルクは思わず羞恥で砂になった。
ざらりと崩れ落ちる砂の上に、ぱさり、と音を立てて雑誌が落ちた。
それを不機嫌そうに拾い上げて、ロナルドが苦々しそうにその写真を眺めた。
ほぼほぼ、治りかけに近いソレは、わかりにくいと言えば確かに分かりにくい。
けれど、見る人が見れば、はっきりとそれが何であるか分かるであろう。
案の定、それは直ぐに敬虔なロナリスト達にバレて……瞬く間に世に拡散されてしまったのだ。
鳴り止まない携帯の通知は、容赦無くOFFにした。
吸血退治人が頸筋に吸血痕なんか付けていたら、そりゃあ、スキャンダルも良い所だ。
「お前の所為で炎上した。責任とって鎮火すんの手伝え」
ざらりと砂となって崩れ落ちた相手を見下ろしながら、不機嫌な赤い退治人は苛立たしげに、ばきり、と口に咥えていた飴を噛み砕いたのだった。
◇◆◇
「――ロナルド君、しっかりするんだ!!」
ぐらりと揺れる視界の向こうで、ドラルクが何かを叫んでいる。
けれど、ふわりと吸い込む微かな甘さを含む霧が、思考の力を奪う様に、俺を襲う。
――しくじった。
ゆらゆらと揺れる意識の中で、俺はそう毒付いた。
相手の吸血鬼の術中に、ものの見事に嵌まったのだと、今更気がついた所で、全ては後の祭りだった。
身体から力が抜ける。花の蜜を思わせる、甘ったるい香りに、脳髄が揺さぶられて、立っている事も難しい。
ぐらりと傾いだ俺の身体は、無様にも地面に膝をついた。
それに隣の貧相な吸血鬼が、情けない声で何かを喚いた気がした。
綺麗な花には、毒がある……とは、よく言ったものである。
花の毒を自在に操る毒蛾の異名を持つ女吸血鬼。今回の相手は、そんな相手であった。
だから警戒していた。
けれど、彼女の使役する下等吸血鬼達の対処に手間取り、気が付けば不意をつかれていた。
……いや、これは言い訳だな。999体もの吸血鬼を屠った退治人として、情けない限りだ。
数十もの下等吸血鬼を屠ろうとも、その親玉に絡め取られている様では、退治人としての名折れもいい所だ。
吸血鬼退治人ロナルドとして、敗北は許されないというのに。
そんな俺の様子に目の前の花の毒蛾は、勝利を確信する様に、ころころと愉快げに笑っていた。
ぐらんと回る視界で、何とか立ち上がろうと足掻くけれど、毒を吸い込まされた身体は言う事を聞かない。
悲しいかな、これが人間としての脆弱さか。
それにぎりっと奥歯を噛み締めるが、ぼやける視界を止める事が出来ず、大きく身体が傾いた。
――と、ガシィと。横から何かに肩を支えられた。
そのまま、顔を覆う様に、黒い影がばさりと音を立てて視界を過ぎた。
「しっかりしろ!!君は退治人だろう!!」
すぐ耳元で響く、クソ雑魚吸血鬼の声。
これ以上、花の毒を吸い込ませまいと、俺の口元と鼻を自らのマントで塞いで。
何処か必死の形相で、ドラルクが叫んだのを、何処か他人事の様に見上げた。
ふわりと香る、防虫剤に似た匂いが、甘ったるい花の匂いを、僅かばかり遠ざけた。
朦朧とする俺の様子に、あいつはぎりりとその鋭い牙を噛み合わせ、何故か悔しそうに歯軋りをしていた。
どうやらこの花の毒は、人間の俺にだけ効く毒らしい。
長年引き篭もって勝手に弱体化したクソ雑魚吸血鬼であろうとも、腐っても真祖にして無敵であるというのは伊達では無いらしい。
この甘ったるい花の霧に包まれていても、ドラルクは平然と俺を支えていた。
それが何だか、無性に悔しく感じた。
「……ロナルド君。君に更に負荷をかけてしまうが、私に君の血を少し分けてくれるかい?君だってこの状況を打破したいだろう?」
「……ッ……なに、いって……やがる。そんなこと、許せる、か、よ……」
耳元で問いかけられるその言葉に、思わず俺は目を見開いて、ドラルクを見た。
しかし、真剣な瞳で見下ろしてくるあいつの眼に、いつもの享楽主義の色は見えなかった。
「君が気高い吸血鬼退治人である事は、私も理解している。けれど、このままではやられてしまう。それでは、君の守りたいものも守れはしないぞ。……私は君の“相棒”だろう?……君の意思で、私を招いておくれ」
古の吸血鬼は、招かれなければ、如何なる場所にも立ち入る事は出来ない。
それは古い吸血鬼程、重い制約となってのし掛かる。
吸血鬼退治人が、相棒とはいえ、吸血鬼に吸血を許すのか?
ぐらりと揺れる視界の中でドラルクを見上げながら、俺は思わずは、と自嘲した。
否、どんな状況であろうとも、吸血鬼に吸血を許す訳にはいかない。
それが吸血鬼退治人としての意地であり、譲れない矜持だ。
けれども、この動かない身体で、一体何が出来る。
この吸血鬼による被害を防ぎ、市民を守る事。
最低限のその約束すら護れなくて、何が吸血鬼退治人だ。
それに、ぎりりと歯噛みをしながら、乱雑に首元のベルトを外した。
「……ち、このロナルド様が、クソ雑、魚に……頼る日が来るとは、な……」
退治人の名折れだ、と。朦朧とする意識の中、毒付いてやればすぐそばから苦笑にも似た笑い声が聞こえた。
「こういう時くらい、少しは“相棒”に頼ってくれても良いと思うけど?ねぇ、退治人君」
「……は、よく言う、ぜ。いつもは、戦況を悪化、させてばっか、の癖に。……状況打破、出来なきゃ……俺がお前を殺してやるからな、ドラルク」
「おぉ、怖い怖い。それじゃあ、仰せのままに。退治人君」
いただきます、と。
お育ちが良さそうな態度で、わざわざ耳元で囁くドラルクの声に、は、と思わず可笑しくなって小さく笑った。
「――――ッ……」
つぷり、と。牙が刺さるその感覚に、焼ける様な痛みを感じた。
そのまま、ずるりと命の雫が熱と一緒に、奴に吸われて。指先が、ちりちりと冷たさを訴えた。
どろりと溶ける意識が、更に重たく思考力を奪っていく。
頸筋から奪われた熱と一緒に、身体の重みが増した気がした。
奴の牙が抜けると間も無く、ぱさり、と軽い音を立てて、肩にあいつのマントが掛けられた。
それに、あ?と思わずぐらぐら揺れる頭を持ち上げて、あいつを見上げれば。
あいつは既に俺の方を見ていなかった。
「……私の“相棒”をこれだけ害されて、笑っていられる程、存外私は心が広くなくてね」
覚悟するが良い、同胞よ。
そう花の毒蛾を睨み付けながら、こつり、と。あいつが靴音を響かせて、優雅に前に進み出た。
普段の雑魚で享楽主義者の皮を脱ぎ捨てて、真祖にして無敵の吸血鬼は。
めらりと揺れる炎の様な激情を纏いながら、花の毒蛾と対峙した――
◇◆◇
「ねぇねぇ、この間発売されたロナ戦サウザンドウォーの番外編、見た?」
「うん、見た見た。『真祖の覚醒』でしょ?やばいよねぇ、あれ」
ガヤガヤと雑踏賑わうカフェの片隅で、きゃいきゃいと声を上げる女性客達の会話に、思わず手元のPCから顔を上げる。
ちらりと様子を伺えば、こちらの様子など何のその。自分達の会話に夢中な彼女達は、尚もそのまま会話を続けていた。
「サウザンドウォーの『落日のドラルク』で出てきた時も痺れたけど、やっぱりドラルク様格好良いよねぇ」
「うんうん。1000体目にして、そこで初めて互角の相手に出会い、そのまま相棒、とか……運命的だし。けど、普段は弱いフリしてるとか、狡過ぎでしょ」
「だよねぇ。最初のうちは戦いたくないってのらりくらりとしてたのに、いざ戦ったら互角なんだもんね。それで歪み合ってたのに、番外編では助けてくれるし、もう本当、二人の絆が凄いっ!!」
まるで、100点満点のレビューを聞いている様だ。
弾む女子達の会話って、どうしてこう、むず痒い気持ちになるんだろうか。
何となく聞き耳を立ててしまう自分に、僅かに自己嫌悪を感じながら。
気を紛らわす様に、テーブルの片隅に放置されていた珈琲を口にする。
ほろりとした苦味が、ミルクの甘味を絡めて、口の中に広がる。
鼻に抜ける珈琲独特の風味に、少しだけ気持ちが落ち着く気がした。
「この間のリップの広告の噛み痕……あれ見た時は、ロナルド様の麗しいお肌に誰が傷を!!って思ったけど……ドラルク様じゃ、仕方ないよねぇ」
「あの広告出た時、大炎上してたもんね。あー……あのリップ欲しいけど、流石に倍率が厳しすぎるよぉ。999本だよ、999本。当たったら、一生分の運使い切ると思う」
折角落ち着こうと思ったのに、背後から聞こえてきた黄色い声に、思わず口に含んだ珈琲を吹き出すかと思った。
あの件の広告の所為で、方々火消しに奔走した日々は記憶に新しい。
先方の強い要望だったとはいえ、自分も迂闊だった事は否めない。
あの時の噛み痕がまさか残っているなんて思ってもいなくて。撮影が終わった直後、高校の同級生だったカメラマンから、こそっと耳打ちされた時は、火が出るくらい恥ずかしい思いをさせられた。
なるべく目立たない様に加工しといてやるよ、なんて言ってたけど、流石に隠しきれなかったらしい。
……否。話題作りにご執心なあいつの事だ。もしかしたらわざと薄ら見える様に加工しやがったのかもしれない。
昔っから根っからのカメラマンのあいつの事だ。スクープを撮る為には我が身すらも顧みずに動く所がある。
高校の時も、その所為で何度か煽りを食った事があるし、こちらの事を良い鴨としか思っていないだろう。
話題作りの為に、友達を売る事は平然とやってのける男だ。あのカメラマンは。
次に会ったら絶対締めよう、と密かに心に誓った。
「そういえば、アレ……見た?」
「うん、アレ、ね。見た……ヤバくない?」
そんな事を密かに決意していた所で、不意に、後ろの女子達がひそ、と僅かに声を顰め始めた。
それにどうしたのかと、思わず振り返りかけたが、ぐっと自制して、手元のPCへと視線を落とした。
指先を彩る見慣れる事のない色が、視界を掠めるのが、何とも言えない。
「あの大手化粧品メーカー……今度は、ネイル……だって」
「うん、しかも、ドラルク様完全監修の、紫のマニキュア。ナンバリング、1000本の限定生産……くっ、ハードルが高過ぎるっ!!」
高難易度クエストよりも入手が難しい、と。
まるでドラルクの様な事を言う彼女は、あれかな、ドラドラチャンネルの畏怖民の方かな?なんて、思わず現実逃避したくなった。
「というか、もう、何なの?あの広告ポスター。エロ過ぎでしょっ!!」
「ロナルド様の白い首筋に、血色の悪い男の人の手!!その細い指に塗られてる紫のネイル!!しかも消えかけてる吸血痕に這わされてる、とか……匂わせ凄過ぎだよっ!!あれ、絶対ドラルク様の手だよねっ!!」
絶対そうだよね!!と同意する彼女達の会話に、いよいよ居た堪れなくなってきた。
ドラルクに大炎上の不始末を鎮火しろと迫ったあの日、仕方ないと言ってあいつは一本の電話を入れた。
何処にかけているのかと思っていたが、話しているのを聞くに、どうにも電話の相手は今回の騒動の発端となった大手化粧品会社の会長らしかった。
何やらやけに親しげに話しているものだから、そんな上流階級な相手では無いと思っていた。
が、談笑しながらも、あれよあれよと企画の提案が始まり、そのままあいつ完全監修の、マニキュアの制作が決定されていた。
目の前でその顛末を見ていたけれど、正直訳が分からなかった。
腐っても竜の一族の御曹司。城に引き篭もっていたとしても、その肩書きは伊達では無かったらしい。
電話が終わって一言。にっこりと笑ったドラルクが、
『私、此処の化粧品、昔から愛用しててね。ちょっとしたお得意様なんだ』
なんて。赤く彩られた指先を口元に寄せて、悪戯げに見せ付けてきたのが腹立たしかった。
そして、気が付けば再度広告のモデルをさせられ、件のネイルの広告となったのだ。
おまけに、彼女達が推察する通り。あのヒョロガリな血色の悪い手は、ドラルク本人の手で。
自分イメージで作ったのなら、こちらと同じ様に自らも表に立てよ、と。
ちゃっかりと此方へと矛先を向けて、自分は手のみの出演で済ますとか、本当に腹立たしい。
ロナルド様としての商品価値を軽視する訳では無いが、そう何度も、吸血鬼退治人の頸筋を晒すのは、本当に退治人としての矜持に関わるのだ。
お陰で今度は違う意味で大炎上中だわ、ボケが。
と、思わず心の中で毒吐きながら、いい加減、彼女達の会話に居た堪れなさが限界突破してきたので、席を立とうと目の前のPCをパタリと閉じた。
待ち合わせ場所にわざわざこんなカフェを指定してきた吸血鬼に、僅かばかりの恨み言をぶつけてやらなければ気が済まない。
取り敢えずはカフェを後にして、待ち合わせ場所の変更を伝えなければ。
……と、思い、静かに席を立ち上がったその瞬間。
「すまない、お待たせしたね」
――ロナルド君、と。
わざとらしく、此方の名前を口にして。
普段とは違う黒いトレンチコートにスカーフ姿のドラルクが、ひらひらと手を振りながら此方へと歩いてきた。
その足取りは嫌に優雅で、こつりと響く革靴の音は、嫌味なくらい様になっていた。
くっそ、この野郎。絶対わざとだろう。
いきなりの話題の主の登場に、先程の女性達が、え、嘘!?本物!?と、動揺している。
そりゃ、その反応は当たり前だよな、と。
きょろきょろと慌てた様に、此方と彼方を見回していた。
わざわざ人目につかない様に掛けていた黒縁眼鏡を押し上げて、盛大な溜息を吐いた。
ただでさえ、予期せず作者にダイレクトに感想を述べた直後の彼女達の心情を察するのは余りにも忍びない。
こういう時は聞かなかったフリをして、戦略的撤退を決め込んでやるのが定石だろうが。
それなのに、わざとらしく此方の正体を明かしてくれたクソ雑魚吸血鬼は、後で砂にしてやろうと心に決めた。
オフの日に、わざわざロナルド様の仮面を被るのは面倒臭い。
けれど、正体がバレてしまった以上、素通りも出来ない。
パタリと閉じたPCを鞄に詰めて。外していた黒い手袋を付け直し、改めて席を離れる。
そして、入口のそばで待つドラルクを待たせながら、彼女達の前で足を止めた。
「……ご愛読、ありがとな、お嬢さん方。これからも、どうぞ御贔屓に?」
ロナルド様の仮面を被って、僅かに眼鏡をずらし、彼女達へと会釈すれば。
はひゅ、と。彼女達の息の根が止まる音が、カフェに響いた。
……本当に、すまん、と。
心の中で謝りながら、ドラルクと共にカフェを後にした。
「――テメェ、ほんっと、巫山戯んなよ!!あの子達可哀想だっただろ!!」
スマートなフリをして、カフェを去った後、人気の少ない通りで、ロナルドは思いっきり隣の吸血鬼へと怒りの丈をぶつけた。
それに件の吸血鬼は、腹が捩れそうな程、愉快げに笑っていた。
「あー、駄目、ほんと、面白かった。わた、私、このまま笑い、し、死ぬ……は、あははははは」
変なツボに入ったらしく、ぜひゅぜひゅと息を切らせながら、ドラルクが笑っている。余りに笑い過ぎて、既に耳がざらりと砂になりかけている。
「てめぇ、巫山戯んな。死にやがったら朝まで放置するからな、クソ野郎!!」
「そ、それは困る……ははははは」
本当に笑い死ぬ寸前のドラルクは、ロナルドの言葉に、ゼーハーと深呼吸を繰り返し、何とか笑いの沸点を下げていく。
それに、フンッと怒りが収まり切らないロナルドは、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……いやぁ、カフェに着いたらあのお嬢さん方の談笑が聞こえてきて。奥の方で君がそわそわしてるし、思わず面白くって観察しちゃったよねぇ」
「たく、いつから来てやがったんだよ、あのカフェに」
「えー?『この間発売されたロナ戦サウザンドウォーの番外編、見た?』の辺りくらいからかなぁ」
「――最初っからじゃねぇか!!さっさと声掛けろよ、馬鹿!!」
そうすれば、あんな居た堪れない事無かったのに、と。
本当にこのまま砂にして、外に放置してやろうかな、と。思わず考えそうになりながら、ロナルドは疲れた様に眉間を押さえた。
「ごめんごめん。機嫌直してよ、ロナルド君」
城に帰ったら、君の好きなもの何でも作ってあげるからさ、と。
ご機嫌斜めになった隣の退治人の頬をするりと撫でて、吸血鬼は楽しげに笑う。
それにロナルドは小さく舌打ちを零し、
「……この、享楽主義者め」
と、思わず毒付いた。
それに、ドラルクは悪戯げに瞳を細め、するりとロナルドの手を取った。
「ふふふ、けど。そんな私が、良いんだろう?……その指、可愛いね」
自分でやったの?と。
耳元で優しく問いかけながら、ドラルクの細い指がロナルドの黒い手袋の中に滑り込む。
つつつ、と。ひやりと冷たい指先が、ロナルドの手の甲をゆっくりと這い、黒い手袋を奪っていく。
そして、その中から現れた、紫暗に彩られた爪先を、愛おしむ様に優しく撫でた。
すりりと指先で指の間を撫でて来る。その撫で方が余りにも扇状的で、思わずロナルドは下唇を噛み締めて、顔を逸らした。
その耳が僅かに羞恥を物語る様に、赤く色づいていた。
「……これ、私のでしょ。何番?」
「決まってんだろ」
――1000番目。
1000本限定の、紫のマニキュア。ドラルクの色。
コートのポケットに転がっていた小さな瓶を取り出して、指先で弄ぶ。
その瓶に打たれた1000の文字が、きらりと街灯の光を反射した。
「撮影の時に同席してた社長に、可愛くおねだりしたら、特別に御贔屓頂いたんだよ。この番号だけは、“俺の”だ」
指で弄んでいた小瓶をギュッと握り締め、逸らされていた蒼天の瞳が真っ直ぐとドラルクを捕らえる。
執着を湛えるその瞳を真正面から受け止めながら、ドラルクは思わず、牙が疼く想いがした。
それを誤魔化す様に、すりりとロナルドの指先に自らの指を絡め、その手をそっと持ち上げると。紫暗に彩られた爪先にちゅ、とリップ音を響かせ、口付けを落とした。
俺のだと主張する癖に、ドラルクの色を纏うその指先。
それは逆に、自分はドラルクの“もの”だと主張するのと同義だった。
その意味をちゃんと理解しているのか、いないのか。
案外迂闊な所があるこの退治人には、あの毒蛾にやられたあの夜と同じく、“解らせ”が必要かもしれない。
彼が無意識に被っている“ロナルド様”の仮面を、目一杯甘やかして、どろどろになるまで、沢山の蜜で溶かして。
その下から出てくる“ロナルド君”の顔が、一等好きだ。
彼の仮面を奪う時、どうしようもない優越感と畏怖欲が満たされる。
愛しくて、愛しくて。その身の全てを、奪ってしまいたくなる。
噛んで、吸って、刻み付けて。私の“もの”だと、骨の髄まで解らせてやりたい。
こんな指先だけじゃ、足りない。全然足りない。
君の全てを、いつかこの手に収めたい、と。
そんな仄暗い想いを、いつこの退治人に打ち明けようか。
……なんて。そんな事を考えながら、ドラルクは小さく笑ったのだった。
「……うーん。ロナルド君、甘皮の処理してないでしょ。城に帰ったら、私、塗り直していい?」
「……断る。俺にはやっぱりネイルは性に合わねぇ。銃の照準が狂う」
「なら、私と一緒にいる時だけで良いからさ。折角だから足も塗ろうよ」
――そしたら、私と一緒に“踊ろう”よ、と。
悪戯げににやりと笑い。甘くどろりと溶かす様に、そっと耳元で囁いたその言葉に。
紫暗で彩られた指先の退治人は、耳を真っ赤に染めたのだった。
◇◆◇
オマケ
「――っ……あーー……」
「……………………」
ロナルドが去ったカフェの一角で、顔面を机に突っ伏して、女性達は死んでいた。
「……なに、あの……顔面宝具……っ……」
「死ぬ……あんなの、死ぬ……」
はぁーと、深い、深い溜息しか出て来ない。
今自分達がちゃんと生きているのか、それすらも、先程あった出来事の所為で曖昧だった。
「……すご……かった……」
「うん、ほんと、死ぬかと思った……」
まさか、後ろの席に座ってたなんてねぇ、と。思わず苦笑しながら、少しずつ現実へと戻っていく感覚に、女性達はへらりと笑った。
窓側を向いたカウンター席に一人で座っていた男性。目の前のPCに向かい、こんな所でもお仕事かぁ、なんて。そんな印象しか無かった相手が、まさかのロナルド様だったなんて、と。
自分達がぺらぺらと語ったロナ戦や広告への感想は、残念ながらバッチリ聞かれてしまっていた。
正直、死にたい程恥ずかしい。
「……ねぇ、見た?」
「…………言うな。考えない様にしてたのに」
パンドラの箱を開けるが如し。禁断の言葉を発しようとする相方の女子を止めながら、けれども、先程見た光景はばっちりと脳裏に焼き付いていた。
「……ロナルド様、爪が……アレ、だった……」
「うん……アレ、だった……それにさ、顔は凄い決まってたのに、耳、真っ赤だった……」
「……やっぱり?」
「うん」
互いの経験を共有する様に、先程あった出来事を再確認する。
自分達の感想を聞いて、まさか照れてしまっていたのだろうか。
普段の写真や退治姿からは想像も出来ない、ロナルドのそんな姿。
まるで生きる世界の違う、全てが作り物の様なそんな青年から、滲み出るその年相応の反応に、思わず脳がバグりそうだ。
少し足早に去ったロナルドを入り口で迎えたドラルクの瞳が、とても優しい色を浮かべていた事を、彼女達だけが知っている。
「……もう、駄目、あの二人、一生推す!!」
「――解る!!」
画して、パンドラの箱は開かれた。
ロナルドの指先を彩った紫暗の煌めきは、彼女達の心に深く、深く刻み込まれたのであった。