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    春頃🌝🌚

    @harukoromochi
    縁巌中心にワンライなど短いお話をポイッとしてます
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    春頃🌝🌚

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    中也に恋してたモブ少女の話

    ドロシー 赤毛の少女はある日ポートマフィアに殺された。訳もわからないまま銃を腹に三発と足に一発を撃ち込まれ、コンクリートに倒れ頭を強かに打ち付け死んだ。

     その少女は癖のある赤毛を耳の後ろで左右にくくり、水色のワンピースを着て、真っ赤な靴を履いていた。
     わたし死んじゃうのかしら、とぼんやりと空を見上げると、彼女の仲間が顔を覗き込み何事か話しかけている。何も聞こえない。やっぱりわたし死ぬんじゃないかしら、と思った。
     仲間の後ろに広がる空は青かった。
     かつての仲間であり、少女が恋していた少年の瞳と同じ青だった。

     その少年の名前は中原中也という。
     魔法使いのような不思議な力を遣う彼はとても強かった。だから恋をしていた。


     彼と会ったのは数年前のことだ。
     少女はマフィアの抗争に巻き込まれ両親を失った。逃げる最中に靴が脱げてしまって、片足は裸足で、夜の横濱を逃げた。でこぼこなコンクリートの地面は突き刺すように冷たく、そして固かった。
     少女が住んでいたのは擂鉢街にほど近い地域――治安の悪い場所だ。彼女は崩れた掘っ立て小屋の影に隠れて小さくなる。足の裏が熱い。靴が欲しい。鼻の奥がツンとする。

     その時だった。
     視界にキラリと光るものが見えた。
     それは赤いエナメルの靴だった。

     瓦礫の中からにょっきりと生えた足。まるで赤い靴を見せつけるように突き出た二本の脚。
     少女はおそるおそるその靴に触れる。
     心臓がドキドキ、バクバクと五月蝿い。ごくりとつばを飲み込む音がやけに大きく聞こえた。少女はカッと目を見開き二本の足から靴を取って履いた。そして走って逃げた。
     足を動かさないと死んでしまうような心地だったのだ。

     どこまで逃げればよいのかも分からないまま走って、そして、転んだ。
     転んだまま、団子虫のように丸まって泣いた。両親が流れ弾に当たって死んでから、初めて泣いた。

     しくしくと泣いていると、頭上から「おい」とぶっきらぼうな声が降ってくる。
     見ると、小柄な少年が立っていた。
    「お前、どこのやつだ。擂鉢街の人間じゃねえな」
    「……迷子になったの」
    少年は目つきが悪く、じろじろと少女を見て朽ちをへの字にさせる。そしてチッと舌打ちをすると「いつまで地面に転がってるつもりだ」と言う。
     少女は慌てて立ち上がった。
    「怪我してんのか」
    「ううん。どこも」
    本当は、足の裏は血だらけだった。
    「じゃあその血は?」
    「え?」
    「ワンピースの血だよ。誰の返り血だ」
    「……あ」
    少女のワンピースにはべっとりと血がこびりついている。今の今まで気付かなかった。この血はおそらく両親の血だ。

    「…………知らない」
    少女はうつむいて言った。少年は「そうか」とだけ言った。
    「……迷子っつったな」
    「……………うん」
    「じゃあ、来るか?」
    「え?」
    「俺たちは“羊”っつうんだよ。お前みたいな奴の寄せ集め」
    「ひつじ…」
    少年はくるりと踵を返し歩き始める。

     少女は慌てて少年の後を追った。
    「名前は?」
    少女は「☓☓☓」と答える。
    「俺は中原中也」
    中也と名乗った少年は少女を見て人差し指を立てる。
    「さっき迷子って言ってただろ」
    「うん」
    「赤い靴」
    「えっ」
    「赤い靴のな、踵どうしをぶつけるんだよ。三回。そしたら家に帰る道が分かるぜ」
    そしてヒヒッと笑って、また歩き出した。
    「踵を、三回」
    少女はコンコンコンと踵をぶつけてみる。
     不思議と足が軽くなった。

     これが、初めて会ったときの事。


     ああ、でも―――。と少女はぼやけていく視界の中で青だけを見つめながら思い出す。
     彼はひつじの群れからいなくなってしまった。代わりに黒い服を着て、同じく黒い服を着た包帯でぐるぐる巻きになった少年の隣に立っているのだ。

     つい先日、彼らを見た。
     真昼間のことだった。
     彼女は今では別の組織の下っ端として雑用を言いつけられる毎日を送っている。その日もちょっとした雑用の帰りだった。
     人混みの中からよく聞いた声――しかし聞き慣れないような少年らしい怒鳴り声が聞こえてくる。思わず少女は人混みをかき分けて声の主――中也を探した。
     そして見つけた中也は黒い服を着て、帽子を被って、隣の少年に向かってぎゃんぎゃんと威嚇をしている。隣の少年はというとニヤニヤと人を食ったような笑みを浮かべていた。

     彼らまであと数メートルの距離。少女はその場に立ち尽くした。
     足が――赤い靴が地面に縫い付けられたようだった。

     すると、中也が少女に気づく。
     少女ははくはくと金魚のように口を開閉し、そして、踵を三回ぶつけて見せた。中也は目を見開き青い目をうろつかせ、ためらいがちに口を開く。
     しかしその口から言葉が紡がれることはなかった。
     隣の少年が中也から帽子を奪ったからだ。
     中也は再び目を吊り上げて少年に向かって怒鳴り声をあげた。

     少女は立ち尽くしたままだった。
     中也が少女に視線をやることはなかった。


     最期に中也と喋りたかったなあ。
     地面に倒れもうすぐ死ぬであろう少女は思う。

     意識が遠のいていく。
     目の前の青空に虹が見えた。
     彼女は死んだ。




     少女の遺体を前に坂口安吾はため息をつく。
     この抗争――類を見ない規模のこの抗争で民間人が死んでいく。赤毛を二つ括りにした水色のワンピースの少女。真っ赤なエナメルの靴を履いた少女の遺体を見たとき、共に活動していた中也は片眉をあげて「☓☓☓」と名を呼んだ。
    「知り合いですか」
    「昔の」
    「それは……残念です」
    中也は「ああ」と言って、そして、バイクに乗って去っていった。

     坂口は見開かれたままの少女の瞳を閉じさせた。
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