〈文〉元隊モブちあ春。高校一年生。
周りに「できそうじゃない?」と言われて囃し立てられ、本当に夢ノ咲のアイドル科に入学することになるとは。
ぐるりと、自分の席からクラスの生徒の姿を観察する。アイドル志望とだけあって、周りは皆んな見目麗しいやつらが多い。なんだか肩身が狭くなってきて、本当に俺が入ってきてよかったところなのか? と縮こまっていると、隣の席に近寄ってくるやつがいた。黒板の座席表をなん度も確認してから、ほっと息をついて、ようやくそいつは席につく。
わっ、と心の中で驚いた。
赤みのある茶髪をあちこち跳ねさせたそいつは、随分と愛らしい顔をしていた。大きい瞳の上をパサパサと長いまつ毛が瞬いていて、しかし、細く長くひかれた眉毛には精悍な印象もある。野暮ったい眼鏡でそれを隠されているのはもったいないが、おかげで善良、真面目な印象を増長していて、嫌な感じはしなかった。
地元じゃあまり見かけない顔立ちにぼんやり見惚れていると、気づいたそいつは俺にニコリと笑いかける。
「おはよう」
「あ、うん。おはよう」
紅茶のような色をした瞳が俺の机にある名札に視線をやると、ぱあっと表情を明るくさせた。
「君、とっても素敵な名前だな。
もしかして希望のユニットって……。」
「ああ。悪ふざけみたいだろ?」
「分かりやすくて素敵じゃないか!
大事だと思うぞ、分かりやすさは。」
馬鹿にされるかと思った名前は、むしろ嬉しそうに、はしゃぐように奏でられた。高校生男子にしてはあまりにも純粋無垢で、少し気まずくなるくらいイイ子だ。
「あっ、ごめん。自己紹介してなくて。
俺は守沢千秋。俺も流星隊に入りたいんだ! よろしくっ」
「うん、いや、こちらこそ。よろしく、守沢。」
***
「これが『流星隊』のルールだ。
よく覚えとけよ、一年。」
守沢の頭上から赤茶色の炭酸飲料が注がれ、その髪を濡らし、制服までみるみる染みていく。隣の一年が息を呑んだ音がして、ようやく我に帰った。
ガタイのいい先輩は座っている守沢の膝近くに缶を投げ捨てると、わざわざそれを蹴り飛ばす。守沢の身体が、子猫のように怯えて跳ねた。
「お前ら行くぞ。
守沢以外、全員来い。」
それは、残ったら「守沢の味方」となり、「先輩たちの敵」になるということだ。
他の一年は、チラチラと守沢の様子を伺う。先ほどから俯いていて顔が見えず、ピクリとも動かない。
しかし先輩が、行くぞ、と殴るように怒鳴ると、みんなぞろぞろと扉の外に出始めた。
俺も、震える足を必死に動かして部屋を出た。
扉が閉まる前の守沢は、ゴミの散らばったレッスン室でたった一人になっても、微動だにしなかった。
***
「レッスンがしたいです」と先輩に進言した守沢は、その日から吊し上げるかのように無視されて、罵詈雑言を浴び、面倒事を押し付けられるようになった。守沢は何を言われても、何をさせられても、ニコニコと愛らしい顔で笑っていた。
「『ちゃんとやりしょうよ』なんて、正論言ってるように見せて気持ちよくなってんだ。
状況みてみろよ。『ちゃんとできる』わけねぇだろ。
ちゃんとやったら目をつけられて才能あるやつらに殺されて、やらないと沈んでいく。
みんな死にたくないから、沈んでいく。
それをさも『正しいことを言ってます』って顔で突き刺す人間は、ここじゃ悪だ。最悪だ。」
二年の先輩が、一人で掃除をする守沢を眺めながらそう言った。言い訳だ、と思った。そうであっても、守沢がこんな扱いを受けていいわけがない。
でも、多分そんなことはこの先輩も分かっている。あのガタイのいい先輩だって、守沢から目を逸らしている俺たち一年だって。
みんな分かっているのに、染まっていくのだ。仲間はずれは怖いから。群れから外されてしまった草食動物がどうなるのか、知っているから。
守沢はレッスン室の床をピカピカに磨いて、清々しい顔で額を拭っていた。
***
今日も今日とて、守沢は一人でレッスン室を掃除していた。
部屋に守沢しかいないことを確認して、意を決して扉を開ける。
「あ……」
「……守沢。」
隣の席だというのに、話しかけたのは久々だった。
同じクラスにも流星隊に所属しているやつはいて、そいつから先輩にチクられたら終わりなのだ。
今から俺がやることの方が、もっとチクられたら終わりなのだが。
開いたままの掃除入れロッカーからもう一本箒を取り出すと、守沢が目を丸くした。
「て、手伝う」
守沢の隣で、床にちらばったお菓子のカスを掃き集める。えぇっと守沢は声をあげて驚いた。
嬉しそうにしてくれるかと思ったが、守沢はすぐに眉を垂れ下げて、箒を両手でぎゅうと握って俯いた。
「で、でもそんなことをして、バレたら君が」
「なあ。一緒にやめようぜ、ユニット。」
「え」
言った。言えた! 俺は心の中で俺を褒めてやった。
ほとんどの新入生がユニットに加入している時期に辞めるのは確かにきついかもしれないが、それでもこの状況よりはましに思える。
夢ノ咲にもまだ、流星隊よりマシなユニットは沢山あるし、最悪俺たちでユニットを組むこともできるのだ。
恐らく大変であろうけれど、今よりひどいなんてことはない。
守沢も、他人と一緒の方がきっと辞めやすいはず。
そうすれば、
「ごめん。俺は……流星隊に残るよ。」
「……は?」
信じられない言葉が聞こえて、俺は守沢の顔をまじまじと見た。
久しぶりに近くで見た守沢の顔は、相変わらず綺麗で可愛い。ただ、入学時より頬がこけたような気がする。
「正直やめようかとは何回も思ったんだけれど……、でも諦めきれなくて。
俺には、流星隊がいい理由がある。」
ゆらり。紅茶色の瞳の中で、温かな「何か」が揺れている。
「ヒーローになりたいんだ。」
「……ひー、ろー?」
「うん!」
無邪気に目を細めながら、箒を天に向かって突き出し、守沢は語る。
「困った人がいたら駆けつけて、弱った人がいたら手を差し出す!
誰よりも強くて優しいヒーローになる。
まあ、将来の仕事を具体的に言うと、特撮に出演とかできたら最高だなあ!」
「あ、ああ……」
ヒーローって、そういう特撮とかの仕事がしたいって話か。
一瞬、驚いた。俺と同い年の男子高校生が、マジで幼稚園児の将来の夢みたいなことを語っているのかと思った。
そっか、守沢って特撮系に憧れて流星隊に入ったんだな。確かに、流星隊の本来のユニットイメージで言うとぴったりだったのかもしれない。
でもそれだって、今のユニットの状況ではかなえようがないであろう。
そう声をかけようとしたが、守沢は箒を胸元でぎゅうと握りしめて、自分に言い聞かすようにつづけた。
「でも俺は……中身も、ヒーローになりたいんだ。」
え? と俺が聞き返したとき、守沢がはっと息をのんで、俺の手にある箒を奪い取った。
抵抗する前にガラリと扉が荒々しく開け放たれて、ガタイのいい先輩が睨みつけながら入ってくる。
俺の身体がピンッと伸びて、血の気がひいた。
「お前……守沢と何やってんの?」
「い、や、」
「忘れもの、したみたいですよ。」
条件反射で怯えながら、何か返事をしなきゃとぐるぐる考えていると、守沢がきょとりとした声で答えた。
ちょっと待ってて、と言いながらベンチに置いてあるタオルを持ってくると、俺に「これか?」と手渡した。見覚えのあるタオルではない。
「忘れもの、気を付けてな。」
にこりと笑って向けられたタオルを何とか受け取って、頷いた。
「何で箒、二本持ってるんだ?」
「一本めは埃がつきすぎて逆に汚れたから、別のを出しました!」
守沢は胸を叩いて元気に答えた。馬鹿のフリを、しているのだ。
先輩は俺をギロリと睨み、守沢に「さっさと掃除しろよ。それくらいしか価値がないんだから。」と吐き捨てていく。
「はい! 任せてください! 俺一人で、ここはピカピカにしますので」
ビシャリとドアが閉められて、部屋は再び俺と守沢だけになった。
先輩の足音が遠ざかっていけばいくほど、俺の手にあったはずの箒の、奪われた箒の感触がじわじわと現実を突きつけてくる。「守られた」のだ。守沢に。
「ごめん、俺のせいで君も睨まれてしまった。
また別の先輩がくるかもしれないから、君は」
「馬鹿にしてんのか⁉︎」
バチンと守沢の手を払いのけると、箒が一本、大きな音をたてて倒れた。
守沢は手を払われた状態で、目を丸くして固まっている。
ひどく顔が熱くて、ふうふうと息を切らしながら、気づけば叫び声のように喚き散らしていた。
「誰が、助けてくれっていったんだよ!
無理やり人の気持ち奪い取って、ないことにして、ヒーロー気取りか⁉︎
他人をそんなもんの出汁にすんなよ……!
だからお前は、空気が読めないって言われんだよ‼︎」
俺の言葉がナイフとなって、守沢に降り注いでいくのを、どこか遠くで冷静に見ている俺がいた。
ひどくちんけで、三下の、子供の癇癪みたいな言葉の羅列。
守沢の顔を見ることができなくて、タオルを相手の胸にたたきつけてレッスン室を飛び出す。
気づけば泣きながら家に着いていて、親がしつこく「どうしたのか、いじめられたのか」と聞いてきた。しばらく放っておいてと部屋にこもる。
守沢が箒を奪いとったのは、思わず、という感じだった。もともと、俺の身を案じてくれていたから。
俺をかばうように先輩へ声をかけたのは、俺が怯えて返答に困っていたからだ。
「俺も一緒に掃除します。」と声に出していれば、今頃守沢と一緒にジュースをぶっかけられて、二人で掃除を続けていたかもしれない。
できなかったのは、そんな勇気はなかったからだ。
だから、守沢は俺を助けた。
身体の熱が冷めれば冷めるほど、守沢は悪くなくて、俺がひどくちっぽけだ。
「レッスン、そんなに大変なの?」と心配する親の優しい声が、深く刺さった。
***
先輩たちの言うことを聞いて、付き合って遊んで、相変わらず押し付けられている守沢を眺めて、ほどほどに勉強して。
そんな毎日も気づけば日常と化し、だんだんと心が慣れて、動かなくなっていく。
守沢とは結局、あれきり話していない。謝ろう謝ろうと思って、声をかけることすらできなかった。
相変わらず流星隊の活動は、隊長や副隊長がいるときしかまともにしていない。
そんな隊長も、卒業を待たずに海外へ行ってしまうと聞いた。
守沢もそろそろ見限っていいんじゃないだろうかと、他人事のように思った。
ある日のこと。
流星隊の先輩たちに付き合って遊び歩き、同級生とジュースを片手に喋りながら帰っていたときに、公園の方から聞いたことのある声が響いた。
俺とそいつは思わず立ち止まって、公園の木の間を覗く。
そこには制服姿の守沢と、周りを囲んできゃいきゃいとはしゃぐ子供たちがいた。
「みんな、大変だ! 怪獣チアゴンが現れたぞ~! がお~‼︎」
「ぎゃあ!」
「や~‼︎ きゃははっ」
「よおし、ピンチのときは、みんなが怖い思いをしたときは、声に出してアレを叫ぶんだぞ! ふふ、よいこのみんなならわかるよな?」
子どもたちは、顔を見合わせて、声を合わせた。
「せーの、助けて~! ヒーロー‼︎」
とう! と、守沢がジャンプしてしゃがみ、立ち上がる。
高いところから飛び降りたわけでもなくただのジャンプ。ましてやただの学生服。
だというのに……なんだろうか。雰囲気が変わった。ぞくり、と背筋が冷える。
仕草の一つ一つが、幼い頃にテレビで観た……いや、「想像」していたヒーローを彷彿とさせる。
「ハーッハッハッハ! 流星隊・守沢千秋、参上!
俺が来たからには、もう安心だ!」
「ちあき~!」
「ひーろー!」
「みんな! 怪獣チアゴンを倒すため、力を貸してくれるか⁉︎
さあ、みんなで歌おう! 一緒に元気に歌って、わるぅい怪獣をみんなで倒すんだ!」
「何あれ、恥っず……。行こうぜ。」
同級生はあざ笑うかのように吐き捨てた。
俺は、動けなかった。木の隙間から見えるその「ソロライブ」からひとときも目を離せず、立ち尽くした。
「おい、行くぞ」
イラついた声で同級生が俺の腕を引っ張るが、それでも俺の身体は縫い付けられたように動かない。
「……はぁ、もういいよ。知らねえ。」
そこそこ仲の良かった同級生は、見限ったように俺を置いて去っていく。
当たり前だ。「空気の読めないやつは悪」なんだから。
子どもたちと楽しそうに歌う声も、ねだられるままに踊る姿も、何もかも、入学時の守沢とはまったく違っていた。確実に上達している。練習し、研究し、「戦隊」と「アイドル」を諦めていない。
手元のジュースのカップが結露して、ぼたぼたと手から水がしたたる。
同級生の成長に心から惹かれているとともに、彼が輝けば輝くほど、自分がひどく霞んで見えなくなった。