ゆびさき 1・魔神任務三章五幕
・森林書
・セノ伝説任務
・イノセンスの彫刻
以上のシナリオの内容を含みます。
1.永遠に来ない朝を
微かな足音を捉える。たまたまスメールシティに戻っていた彼がその場に居合わせたのは本当に偶然だった。夜明け前、まだ日も登らない中その人物は迷う事なくスメールシティを歩いていた。
少し淡い金髪はスメールという国ではよく目立つ。スメールを救った英雄なら尚更。
普段より覚束ない足取りでついにはスラサタンナ聖処の前まで歩いてきていた。そして、聖処前に広場で夜明けを待つかのように空へ視線を向けている。その視線はどこかを見ているようで、呆然と見ていないようにも見えた。
淡い金色の髪が少し冷たい夜風にさらされて、揺れる。彼女旅装束は耐久性もない薄着に見えるが宿で休んでいる間に抜け出してきているのだろう、今の姿は普段よりも更にインナーに短パンという薄着であった。
「こんな時間に何をしているんだ?」
声を掛ければ細い肩がびくりと揺れる。ゆっくり振り返った黄金色の瞳は驚いたように見開かれていた。普段、常に周囲を警戒している彼女が彼の存在に気づかなかったことは珍しい。
「……セノ、いつから」
「宿屋を出た時から見ていた。いつもと少し様子が違うから追ってきたんだ」
否、彼女の様子がおかしいのは今日に限ったことじゃない。
異変が現れたのは草神、クラクサナリデビを救出した後からだ。
しかし、彼女の旅の案内人であるパイモンやニィロウ、コレイやティナリは気づいていないようだった。彼女は人前では異変を悟られないようにしている。
セノが気付けたのは大マハマトラとしての嘘を見抜く直感か、それともただ彼女の行動が気になってしまうからか。
「ちょっと外の空気が吸いたかったんだよ」
「……他の皆は騙せても、俺は騙せないよ。蛍」
蛍の目の前まで歩み寄り、真っ直ぐにその瞳を見据える。彼女は笑みを浮かべてはいるがその笑みはどこかぎこちない。
「どうしていつも大丈夫そうな顔をしているんだ?」
セノの問いに蛍は言葉を失う。
今の彼女に本音を隠した言葉はきっと響かないだろう。だから、セノの思う本音をぶつけるしかない。
「辛いことがあったなら、泣いたって、叫んだっていい。蛍が折れないか心配なんだ。1人で抱えるのが辛いなら、俺も一緒に持つから」
セノの言葉に蛍の表情が歪む。泣きそうで、必死に泣かまいとしているかのように。
「……私は、何もしてない。何もできなかった。でも私だけが、私にできることがあるかもしれない。けどっ…」
葛藤と悲哀。彼女の抱えるそれは、人に安易に話せるものじゃないのかもしれない。
なら、今セノにできることは。
「蛍、一緒に探しに行こう。迷ったって、間違ったっていいんだよ。そうやって何が一番いいか、一緒に見つけてみよう」
ゆっくりと冷えた彼女の手を握る。蛍は泣いていない。けれど、心は悲鳴を上げている。
セノの言葉を聞いて少しだけ蛍は笑った。彼女の葛藤と悲しみはすぐには晴れないだろう。
「…ありがとう」
少し腕を引けば、簡単に蛍はセノの腕の中に収まってしまう。泣いてはいないが、泣いている彼女が落ち着くまでセノは彼女の背を撫で続けた。
「セノとヴィマラ村とオルモス港とヴァナラーナに行く?」
落ち着くまで蛍と共にいて、夜明け前に宿に戻り朝になって起きてきたパイモンに蛍が告げたのは、一時的にセノと二人でスメールのある地点へ行きたいということだった。
ヴィマラ村、オルモス港、ヴァナラーナ。その周辺にいるであろう人たちを訪ねに行きたい。始めにセノにその三箇所を回りたいと伝えれば彼は理由も聞かずに了承してくれた。ただ、その旅路にパイモンを連れていくことは難しい。
「オ、オイラも一緒じゃだめなのか?」
「ごめんね、パイモン。どうしても一人で行きたいの」
「じゃあ、セノは?」
ちらりとセノを見るパイモンの表情は困惑と置いて行かれた子どものような悲しみが混ざったような表情をしていて蛍の決意は揺らぎそうになってしまう。しかし、蛍の問題にパイモンを巻き込むわけにはいかない。
蛍が抱える『記憶』は安易に人に話せるものではなく、話せない。今、この『記憶』を持っているのは蛍だけなのだから。
マハールッカデヴァータ。前草神。聡明で、心優しい女神。その彼女はスメールを、世界を禁忌の知識から守るために、自身に刻まれてしまったその傷と共に全ての記憶から消えていった。
ただ、一つのイレギュラーは蛍というテイワットの外からきた存在だろう。
前草神を敬愛していたナヒーダですら彼女の存在を忘れ、他の神々とあったことがないという記憶まで曖昧となっている。
蛍の記憶の中のみの存在となった彼女は、蛍がこの世界を去ったら誰もその存在を知らないこととなる。
本当に、それで良いのだろうか。
一人になる度にそのことを何度も、何度も考えてどうにもできなくて。そんな中、迷っている姿をセノに見られたのだ。突然のことで曖昧に答えることしか出来なかった蛍をセノが見逃すわけもなかった。
しかし、彼は問い詰めるわけでもなく、ただ蛍の葛藤に寄り添う姿勢を見せた。
『辛いことがあったなら、泣いたって、叫んだっていい。蛍が折れないか心配なんだ。1人で抱えるのが辛いなら、俺も一緒に持つから』
『蛍、一緒に探しに行こう。迷ったって、間違ったっていいんだよ。そうやって何が一番いいか、一緒に見つけてみよう』
蛍がどうしたいのか。薄らと考えていたものがあったのも事実だ。ただ、それを実現させていいのか実行させるまでの覚悟が蛍には持てなかった。だから、セノの言葉は蛍の背中を押してくれた。
「セノは……私の監視兼護衛みたいなものかな」
「監視……?」
「蛍は一人だと無理するだろうからな。行動の制限はしない。だが無理をするなら俺が止める。ついでに道中の護衛もする」
それは、矛盾しているようで矛盾していない言葉であった。蛍の考えや行動は否定しない。ただ、彼女が自身を顧みないことだけを制する。そのため、蛍は彼を監視と称した。
「それってなんかおかしくないか?」
困惑した表情のままセノと蛍を見ているパイモンに蛍はゆっくり近づいて、その小さな身体をぎゅっと抱きしめる。柔らかく心地よい温もりは蛍を安心させるもので、いつもくっついて眠っている彼女と一時期とはいえ離れるのは寂しい。蛍自身もどこか悲しさと温もりに触れられない寒さを感じてしまうほど。
「ごめんね、パイモン。我儘言って。でも、どうしても今やっておきたいの。だから、パイモンは塵歌壺の私たちの家で私が帰るのを待っててほしいの」
ぎゅうっと彼女を抱きしめる腕に力が入る。蛍の切実な想いにパイモンはおろおろとしながら、その小さな手で蛍を抱き締め返した。
「しょ、しょうがないなぁ。今回だけだぞ?蛍、必ず帰ってきてくれよ?」
不安そうに蛍を見上げるパイモンに蛍は笑いかける。ちゃんと、彼女の元へ帰ろうと心に誓いながら。
「うん、約束だよ」
二人の様子をセノは眩しいものを見るように目を細めて眺めていた。
パイモンに見送られ、スメールシティを後にした蛍とセノはまずヴィマラ村を訪れた。川に沿って作られた村は、自然と共に存在しある存在が消えたとしても子どもたちは成長していく。根を張る苗木のように。
何度も訪れた蛍は村人と顔見知りであり、すぐに最初の目的であった村長のもとへたどり着いた。
「おや、お前さんか。久しぶりだね」
「お久しぶりです、アマディアおじいちゃん。ラナは最近帰ってきましたか?」
「ラナかい?昨日一回帰ってきたが、また旅にでてしまったよ」
「昨日?次はどこかへ行くとか言ってましたか?」
驚き思わず前のめりになってしまいそうなのを堪えて尋ねれば、彼は少し思案し南へと視線を向けた。
「確かオルモス港の南西に行くって言っておった。ラナに用事かね?」
「はいっ!ありがとうございます!追いかけてみます!」
昨日のことなら急げば追いつけるかもしれない。流行る気持ちのまま踵返して走り出そうとすれば、泥濘んだ足場に足を取られて蛍は体勢を崩してしまう。倒れそうになった蛍はセノに腕を引かれることによって回避した。ほっとしたのも束の間で、その距離の近さに蛍は一瞬にして顔を染めてしまう。最初に苦悩を知られた時は、泣かまいと堪えることに必死で気を取られていたが、今よりもセノとの距離は近かった。
「足元には気をつけろ」
「……うん、ありがとう」
ぱっと近づいていた身体を離したが手は引かれた時のまま握られており、蛍は困惑する。帰元ノ庭を脱出した時のように手首を前腕を握られていたが、彼の手は次第に下へと移動し蛍の手を握っていた。
「急いでるんだろう?俺が先導した方が早い」
「場所がわかるの?」
「オルモス港の南西には、少し脇に逸れた小道がある。その周辺を探す」
セノの言葉は揺るがず真っ直ぐに蛍を見ている。確かに蛍も何度か探索したことはあるがその周辺は小道と魔物しか見た覚えがなかった。開けたスペースはテントを張りやすく野宿するにはちょうど良い場所だろう。ラナはおそらく街や港で過ごすよりも、野宿で友人と過ごすはずだから。
「わかった。お願いセノ」
蛍がゆっくり頷くとセノも頷き返して、颯爽と走り出し、蛍も引かれるままに走り出す。風元素の力を借りているのかと思うほどセノの脚は速く、蛍はなんとかついていくのがやっとのことだった。
ヴィマラ村から走り出して、時折休憩も挟みながら半日走った頃、辺りは夕暮色に空が染まり始めた。オルモス港の南西の小道でテントを張る見慣れた茶色の長い髪と青いリボンを見かけて、蛍は声を上げる。
「ラナ!」
蛍の声に女性、ラナはゆっくりと顔を上げる。駆け寄る蛍を見て彼女は嬉しそうに表情を破綻される。
「蛍!久しぶり!わざわざ私を探してくれてたの?」
「うん、ラナに……ううん、ラナとアランラナに聞きたいことがあって」
「え……」
アランラナの名が出るとラナは蛍の後ろにいるセノをちらりと見る。彼女の言いたいことがわかり蛍はなんと答えれば良いかわからない複雑な表情を浮かべてしまう。
「えっと、彼は私の友人兼護衛なの。今回の私の旅に同行してくれてて……」
「ナラ蛍の友達なら良いナラ!」
ぴょこっと緑色の影が飛び出す。大きな草でできた緑色の帽子にラナと同じ青いリボンをつけた姿は蛍には見慣れたものであったが、セノは瞳を丸くして動けないでいる。
スメール人が大人になると夢を見なくなるのは、マハールッカデヴァータが夢の力を集めて禁忌の知識の侵食を防いでいたためであり、それが解放され夢が返された今では大人でもアランナラの姿を見れるようになっている。
人前に姿を現すかどうかはそれぞれ個人に意思に任せる、とナヒーダはアランナラたちに伝えているようで、ほとんどのアランナラは今までと同じように子どもと遊び、大人からは身を隠していることが多いらしい。
そのため、セノもアランナラを見たのは初めてだったのだろう。セノは元々砂漠の出身で閉鎖的な幼少期を過ごした、と少しだけ蛍に話したことがあるため幼少期にアランナラたちを見ている可能性も低い。
「アランラナ、久しぶり」
「久しぶりナラ蛍!こっちの銀のナラはナラ蛍の友達?ワルカの気配がするけど」
セノが砂漠の出身であることをアランラナはすぐに察したようで人が首を傾げるように身体を傾けている。ラナや子ども達の仕草を真似しているようだと蛍は思い、アランナラに視線を合わせるように身を屈めた。
「うん、彼は私の友達のセノっていうの。突然連れてきてごめんね。どうしても、ラナとアランラナに聞きたいことがあって一緒にきてもらったの」
彼らは森林や過去に対することは物知りであるが、人々の難しい言葉はあまり理解できないことを蛍は知っている。ラナを助けるために自らの記憶をヴィージャの実に捧げたアランラナなら尚更。だから、蛍はアランラナにわかりやすい言葉で伝えた。するとアランラナは嬉しそうにその場で飛び跳ねた。
「ワルカはあまり好きじゃないけど、ナラ蛍の友達なら良いナラ!ナラセノは良いナラ!」
ぴょこぴょこと飛び跳ねるアランラナを見てセノは2人に近寄り、蛍の隣で身を屈めて彼女と同じようにアランラナと視線を合わせ、頭の黒い帽子を外した。
「挨拶が遅くなったのを許してくれ。俺はセノ、普段は教令院でマハマトラをしている」
「きょーれーいんは知ってるよ、千樹の王がいるところ!」
「千樹の王?」
「えーと、ナラが草神って呼んでる!」
その言葉に蛍は思わず表情を固まらせてしまう。以前、アランナラたちが言う千樹の王はマハールッカデヴァータのことだった。それがクラクサナリデビ、ナヒーダにすり替わっている。記憶の改竄の影響を再び感じてしまい、蛍は思わず動揺してしまうが急に手を掴まれたことではっと我に返る。
隣に屈むセノが膝の上に置かれていた蛍の手を上から握ったままアランラナを真っ直ぐに見ている。
「そうだな、クラクサナリデビ様の部下だと思ってもらって構わない。ただ、俺は今蛍の護衛としてここにいるんだ」
「護衛って?」
再び身体を傾けセノを見上げるアランラナにセノは一瞬思案し、再び口を開く。
「そうだな、彼女の身を守る役割だと思ってくれ」
「ナラセノはナラ蛍の騎士なんだ!」
アランラナの言葉に蛍は思わず目を見張る。何故、騎士になったのか。蛍の様子にラナは苦笑する。
「アランラナは記憶を失ったけど、その後他の大人には内緒でヴィマラ村の子ども達と会ったの。私が一緒なら、アランラナも子ども達も会いやすいからね。そうしたら、子ども達に教えてもらった絵本の話をすごく気に入っちゃったみたいで」
確かに蛍も今までの冒険の話を子ども達にしたことがあり、栄誉騎士としての話もしたことがあったがまさかそれがここでセノに飛び火するとは思わなかった。
「アランラナは記憶を失ったのか?」
「うん!でも大丈夫!森は全てを記憶する。アランラナはナララナのおかげでまた友達になれた」
くるりと周りアランラナは飛び跳ねる。全身で喜んでいることが伝わり、ラナはアランナラの草でできた帽子を優しく撫でた。
「私はアランラナのことを忘れていたのにアランラナは今までの記憶を失ってまで私を助けてくれた。だから、今度は私がアランラナの力になる番。記憶は失ったってまたやり直せる」
「……もし忘れてしまったことさえも忘れて、思い出せなくて。新しい記憶を、思い出を作ってもいいと思う?」
少しだけ蛍の声が震えていたことに気づいたのはセノだけだっただろう。静かに問う蛍にラナとアランラナは笑みを浮かべて頷いた。
「忘れてしまうのも思いだせないのも寂しいけど、新しい記憶を大切にするのは悪くないよ。誰もそんなこと咎めないと思う。いつか消えてしまうかもしれないものだから、人もアランナラ達も記憶を大切にするんだと私は思うよ」
「森は全てを記憶する。例えヴァーナが忘れたとしても、また新たに記憶は根を張って大きな木になる。アランマみたいにね」
彼女達の言葉に蛍は涙が溢れそうになるのを堪えて笑顔を作る。気づけば握られた手を握り返していた。
「ありがとう。貴女達のその答えが聞きたかったの」
そして屈んだまま膝に顔を伏せてしまった蛍に、体調が悪いのか、どうしたのかとおろおろとするラナとアランラナ、手を握ったまま蛍の頭を撫でるセノの様子に蛍はまた笑いながら泣きそうになった。
蛍の様子が落ち着いてから3人とアランラナは食事を共にした。蛍の旅の話、ラナの旅の話をそれぞれに話して、時折ぽつりとセノが思い出したようにジョークを言うと蛍は慣れているが、初対面のラナは彼のギャップに驚いているようだった。アランラナにはやはりジョークは通じなかったが。
一晩共に休んで朝になると蛍とセノはオルモス港へ旅立った。
「セノさんって蛍の彼氏じゃないの?」
別れる直前にそんなことを言われて蛍は否定するのに苦労したのだ。確かに蛍はセノに好意を抱いているがセノがそうだとは思っていない。彼の優しさは身内に対するものだと蛍は思っている。
彼にとって、蛍が身内になっていることを喜ぶべきか恋愛対象として見られていないと悲しむべきかはわからないが。
考えを振り切るように頭を首を横に振り、セノに向き直るが彼は相変わらず軽く目を見張るだけで大きな焦りは見られない。育った環境がそうさせているのか、マハマトラとしての責務がそうさせているのか、はたまた両方か。蛍には彼の感情がなかなか読み取れないでいた。
「アジャンタ彫刻店へ行きたいんだけど、良いかな?」
「お前が行きたいところならどこでも構わないが……確かそこはおもちゃショップじゃなかったか?」
「うん、そこの広場でよく子ども達に絵本の読み聞かせをしている人たちに会いたいの」
オルモス港に入り、長い坂を登り港を見渡せる最上階へ辿り着く。店の前にある広場には何人かの子ども達が来ており、彼らの前に立つ二人をキラキラした瞳で見ている。その二人こそ、蛍が会いたいと思っていた人達だった。
「これで今日の物語はおしまいです。みんな、聞いてくれてありがとう」
小さな少年が少し大人びた話し方で言葉を区切る。
「今日も素敵なお話をありがとう!」
その言葉を皮切りに子ども達は二人に礼を言いながら走り去っていってしまう。途端静かになった広場で蛍は二人と視線が合い、近くへと歩み寄る。
「蛍さん!久しぶりですね」
「蛍お姉さん、お久しぶりです」
「タンジェさん、ラーズィーくんお久しぶりです。二人に聞きたいことがあってきたんです。少しだけお時間いただいても良いですか?」
蛍の言葉に二人は蛍の後ろに立つセノをちらりと見る。二人とも彼が教令院のマハマトラであることに気づいているのか、それともセノから漂う只者ではない殺伐とした雰囲気に気圧されているのか。どちらにしても蛍は目の前の親子を怖がらせないために口を開いた。
「えっと、彼はセノといって私の護衛をしてくれているんです」
「怖がらせたならすまない。危害を加える気はない。安心してもらって構わない」
親子を怖がらせないように、セノは帽子を取って穏やかな声をかける。帽子を外したことによって現れたセノの素顔と声音に安心したのか二人は胸を撫で下ろしている。
「俺は、そんなに怖いのだろうか……」
ぽつりと呟かれた言葉に蛍は彼を振り返ると、セノはじっと手に持った帽子を眺めている。しかし、その表情が少し落ち込んでいるものであると蛍はわかってしまって蛍は少し慌ててしまう。
「えっと、セノの帽子はかっこいいからちょっと威圧的に見えちゃうのかもしれないけど、セノは怖くないよ。大丈夫!」
ただし粛清対象以外には、であるが。
蛍の言葉にセノが顔を上げる。キラキラと瞳が嬉しさで輝いているようにも見えて蛍はこれはまずい、と思わず手で彼の口を塞いでしまう。彼の凪いだ視線を受けるが蛍には蛍なりの理由がある。
「だめ、今ジョーク言おうとしたでしょ。今はやめて」
これから蛍は大事なことを二人に聞きたいのだ。今、場の空気を凍らせてしまうと切り出しにくくなってしまう。
蛍の言葉にセノは渋々頷き、蛍はようやく彼の口から手を離して親子に向き直ると二人は驚いたような表情で蛍とセノを見ている。
「お二人は仲が良いんですね」
ラーズィーの言葉に蛍はなんと答えれば良いかわからなくなる。少し前、ラナ達との会話でも同じようなことがあったが。
「えっと、悪くはないと。あの、実はお二人に童話の書き方を教えてほしいんです」
蛍の願いに親子は一度顔を見合わせて再び蛍を見る。彼女の瞳が真剣であることがわかって彼らはゆっくりと話始める。
「そうですね、まずは物語のテーマを考えます。段階に分けて物語を構成します。そこから肉付けをして書き上げて、最後にもう一度全体の調整をする、といった形が僕たちは多いです」
聞いた言葉に蛍は脳裏に景色を思い浮かべる。
深い森林と、優しく慈愛に溢れる森の女神。
多くの民と森の精に愛され、砂漠を危機を救い。
徐々に病魔に侵され、未来へ願いを託し。
世界を守るために自分の全てと引き換えに救った優しき森の女神。
思い浮かんだ情景に想いふけているとタンジェは嬉しそうに頷いている。
「物語が思い浮かんだようだね。新しい童話作家の誕生だ!」
「え、いえ、今後も書いたりとはの予定はないですよ」
「一つでも物語が浮かべば立派な童話作家さ。是非完成したら話を読ませて欲しい」
「僕も是非!よろしくお願いします!」
二人の勢いに蛍は思わず頷きそのように満足した親子は蛍とセノに手を振って帰路に着く。残された蛍とセノはポツンとその場で立ち尽くしてしまうが蛍は彼を振り返る。
「えっと、次はヴァナラーナ……アランナラ達のところへ行きたいんだけど今から移動でも大丈夫?」
「俺は構わないが今から蛍がいっていた場所へ行くとなると途中で野営することになる。それでも大丈夫か」
「うん、平気だよ」
「なら行こう」
先導するセノの後を蛍は追う。オルモス港から北上しスメールシティに辿り着く前に夜になってしまう。予定通り野営をすることになり、自身を護衛と称するセノは自ら見張りを名乗り出た。蛍が途中で変わると伝えても彼は首を縦に振らず蛍が折れるしかなかった。
夜は蛍が思うほど早く明けず、途中で蛍は目を醒ます。身体は未だ疲労感を残しているのに目は冴え切っており寝付くことができずに身体を起こす。テントを軽く開ければ、外は暗闇に包まれている。テントを出ると少しだけ冷たい夜風が頬を撫でる。暗闇は蛍の心を写したようで。
世界が『彼女』を思い出す朝は、永遠に来ない。
「眠れないのか?」
そっと背後から声を掛けられる。テントの外に出た時から彼が蛍の後ろについてきていたことには気づいていた。セノは蛍が何をしたいのか、全く尋ねず本当の意味で蛍を見守っている。
今までの蛍の行動から、蛍がやろうとしていることはわかっているはずなのにその理由すら尋ねはしない。
「少し……少し風に当たったらまたテントに戻るよ」
困ったように蛍が笑うがセノは変わらずじっと蛍を見つめている。
彼が何を思っているかもわからず蛍は焦燥感に駆られてしまう。
夜はまだ明けない。