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    天生麻菜

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    天生麻菜

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    7月叡智で発行予定のセノ蛍新刊、「ゆびさき」の2話目です。
    本文はこれで終了です。
    書き下ろしは年齢指定入る予定です。

    ゆびさき22.ゆびさき



    「ナラ蛍!ナラセノ!待ってた!」
     ヴァナラーナに着き夢の中へ入るなり多くのアランナラたちに迎え入れられて蛍だけでなくセノも驚いた。彼らは閉鎖的な空間、夢の世界で過ごしている。普通にこの場所に辿り着いただけではただヒルチャール達がいて、不思議な球体の家々があるだけの場所だ。蛍には慣れた場所で迷いなく進んでいき、ある岩の前へ辿り着く。岩には符文が書かれており僅かに緑色の光を放っている。岩の上には小柄な樹が根を張っている。
     アランナラ達にシュリパナと呼ばれているものの前に蛍は立つとどこからともなく古びたライアーと取り出す。思い描くのはアランラナに教えてもらった大夢のメロディーを奏でる。蛍が奏でるメロディーに呼応されたようにシュリパナは光り輝き、セノは思わず蛍の手を掴んで引き寄せる。光から庇うように彼女を自分の身体で守るが、光が消えた後の光景は予想もしないものであった。
     空は夜明け色のように雲が僅かに赤く染まり、周りには見渡す限りのアランナラ達。セノは先日みたアランラナが初めて見たアランナラだった。自分達を取り囲むほど沢山のアランナラ達の姿にどうすればいいかわからなくなる。
    「せ、セノ。離して」
     蛍がおずおずと声をかけるとセノは彼女を自分の腕に抱き込んだままであったことに気づいて腕の力を緩める。緩んだ力に蛍はすぐに身を離すがセノと視線を合わせることができず、近くにいたアランナラ達と視線を合わせるように屈む。
    「え、えっと。みんなはセノのこと知ってたの?」
    「アランラナが教えてくれた!ナラセノは良いナラ!ナラ蛍の騎士!」
     どうやら間違った情報もそのまま伝わっているが蛍は気を取り直して、彼等に声をかける。
    「えっと、アランラジャはいつもの家にいるかな?」
    「うん、いるよ!」
     元気よくぴょこぴょこと飛び跳ねる彼等は蛍とセノがアランラジャのいる場所へ歩き出すと同じようについてくる。微笑ましい光景ではあるがそれが数多のアランナラに囲まれているとちょっとした大行進のようになっていて蛍は思わず苦笑してしまう。
     アランラジャのいる家は集落とは少し離れた場所にある。集落を少し見渡せるような高い場所、彼等に長老という概念があるかはわからないが多くのアランナラ達の種の頃を知っているという彼はこの集落の長老的存在であるだろう。
     実際この夢のヴァナラーナ、マハーヴァナラーナパナは彼の夢であり、その中で多くのアランナラ達は過ごしている。
     大きな家に足を踏み入れると茶色い身体に枯れ草色の帽子に実を乗せたアランナラは蛍を待っていたかのように佇んでいる。
    「久しぶり、アランラジャ。急にごめんね」
    「いいや、ナラ蛍。会いに来てくれて嬉しいよ。それで今日はどうしたんじゃ?」
    「ちょっとヴァナラーナで絵本を書いてみたいの。良いかな?」
    「絵本?小さいナラ達がいろんな物語を教えてくれる本のことかね?」
     不思議そうに身体全部を傾けて蛍を見上げるアランラジャに、少し前のアランラナを思い出して蛍は笑みを堪える。可愛らしい仕草は彼等の中で浸透しているのかもしれない。
    「そう。森林でのお話にしたくて、できればその環境で書いてみたくて」
    「懐かしい。ナラヴァルナもよくここで君に渡した本を書いていた。好きに寛いでくれて構わないよ」
     ナラヴァルナ。アランナラ達すら本来の名を知らない過去に現れた金色のナラ。その存在に少しだけ蛍は肉身の面影感じているが確信は今の段階では持てない。その答えを知れるのは、もっと先の未来なんだろう。
    「せっかくだ、アランマが使っていた家を使うといい。あそこは特にこのヴァナラーナを見渡せる場所だからね」
    「……ありがとう」
     その名前を聞いて一瞬蛍表情は暗くなるのをセノは見たが彼女が表情を取り繕う瞬間を見てしまい何も言えずに見守ることしかできなかった。



     ヴァナラーナを訪れで二日が経過した。蛍はアランナラ達に囲まれながら物語を書き出すという慣れない作業をゆっくりと始めた。言葉で物事を伝えるというのは難しいことだ。学生時代に論文という文章と幾度と向き合っていたセノは多少、彼女が向かい合っていることが困難であることを理解できる。ただ、論文という自らの知識をいかに論理的に記載するか、というものと子ども達にわかりやすく物語を紡ぐというものは少し表現が変わってくる。子ども達が理解できる表現に、子どもの視点に合わせなくては物語は伝わらないのだ。
     その難しさを蛍も感じているのだろう。慣れない執筆という作業と上手く物語を言葉に落とし込めないことに悩んでいる様子が伺えた。ただ、少し救いであったのはアランナラ達の存在であった。
     彼等はスメール各地の子ども達と交流しており、人間への理解度は子どもと近いものであった。時折蛍は書いた内容を彼等に聞いてもらい、自分の伝えたい意図と合っているか確認しながら執筆を行なっていた。
     対するセノは蛍の近くで待機したり、時折アランナラに誘われて彼等と遊んだりと普段とは打って変わったような平和な日常を過ごしていた。ただ、絵本の内容についてセノが蛍に尋ねることはなかった。ただじっと彼女の様子を見守るだけ。
    「……セノは、私がどうしてこんなことをしてるか、聞かないの?」
     その夜、蛍は突然セノに尋ねた。アランラジャに案内された家の中にセノは腰掛け、蛍は家の入り口に手を添えて少し苦しそうな表情で彼に視線を向け立ち尽くしている。
     ずっと蛍にどこか焦っている様子があったことをセノは知っている。それでも、セノが手を差し伸べなかったのは、彼女がどこか今は他人からの助けを拒絶しているように見えたからだった。
    「無理に聞き出すことはしないよ。俺は、蛍が答えを出すのを待っている」
    「……ちゃんとできるかも、わからないのに?」
     少し彼女の声が震えている。普段凛とした彼女の姿としては珍しい姿。否、セノはこの蛍を知っている。夜闇のスメールシティを一人歩いていた彼女は、今と同じように泣きそうで泣けない表情をしていた。
     苦悩。葛藤。不安。憤り。そして、悲しみ。
     その全てが混ざった感情は彼女の中で燻っている。
    「蛍、俺が言った言葉を覚えているか?」

    『辛いことがあったなら、泣いたって、叫んだっていい。蛍が折れないか心配なんだ。1人で抱えるのが辛いなら、俺も一緒に持つから』
    『蛍、一緒に探しに行こう。迷ったって、間違ったっていいんだよ。そうやって何が一番いいか、一緒に見つけてみよう』

     この旅の始まり。彼が、蛍にくれた選択。
     それを蛍は思い出す。セノは初めから共に背負うと言ってくれていた。ただ、蛍がこの重荷をずっと一人抱えている。だから、セノはずっと待っている。蛍が、自分に寄りかかってくれることを。荷物を分けてくれることを。
    「俺は蛍を信じてる。お前はやり遂げられる。それでも行き場のない想いがあるなら、俺が受け止める」
     蛍の側に近づき、そっと手を取る。指先だけで軽く触れながら真っ直ぐに蛍を見てセノは答える。その真紅の瞳には全てを見透かされてしまいそうで全てを話す事ができない蛍は怖気付いてしまう。
     抱えてる葛藤も、彼を好きだと思う気持ちも全てを明け渡す勇気は、まだ蛍にはない。まだ、彼に向き合う勇気はない。
    「ごめん……まだ……」
     俯く蛍にセノはふっと穏やかに笑いかける。その表情がとても愛おしいものを見るような表情であることに蛍は気づかない。
    「いいよ。俺はいつまでも待てる」
     触れるだけの指先。その手を握り返す勇気も蛍にはなくて、そっと手を離して踵返す。
    「……ちょっと、夜風に当たってくる。すぐ戻るから、少しだけ一人にさせて」
    「わかった」
     アランマの家から立ち去る蛍をセノはじっと見つめていた。


    「ナラ蛍、ナラセノと喧嘩?」
    「違うよ、あれはナラ達の中では痴話喧嘩って言うんだ」
    「痴話喧嘩って何?」
    「えっとね、なんか恋人同士がやるんだって!」
    「……みんなどこでそんな言葉覚えてきたの」
     ぴこぴこ、と蛍の周りに集まるアランナラ達が井戸端会議をしているのを蛍は横目で眺めていた。執筆の休憩中、昨日のセノとのやりとりを思い出して自己嫌悪に浸ってしまい思わず膝を抱え身を小さくして顔を伏せる。途端アランナラ達が蛍とセノのことを話し始めたため昨日のことはアランナラ達に知れ渡っているのだろう。恥ずかしさと後ろめたさにコレイではないが樹の虚に隠れたい気持ちになる。
    「ナラが教えてくれた!」
     予想していた答えを聞いて蛍はなんとも言えない感情になる。子ども、特に女の子は恋愛毎にませていくというがそれに影響されるアランナラ達を見ているのは不思議な感覚というより、奇妙な感覚に陥る。
    「ナラ蛍はナラセノのことが好きなの?」
    「……」
     この旅の中、ラナにも聞かれタンジェ親子には仲が良いと言われた。
     蛍自身、彼は良い友人だと思っているが親愛だけの感情でないこともわかっている。
     セノが好きだ。だからこそ、彼にあまり迷惑をかけたくもなかった。
     ただ、蛍が隠し続けた葛藤に気づいていた彼だから、蛍は今回同行してもらうことをにしたが、彼と話せば、彼の優しさに触れれば更に惹かれてしまうだけだった。
     どうして、昨日彼に尋ねてしまったのだろうか。あの話しをしなければ、彼とは今までの距離を保ちながら接することができたはずなのに。
     しかし、本当にそうだったのだろうか。
     ゆっくりと蛍は伏せていた顔をあげる。視界は開け夢のヴァナラーナは不思議な煌めきを漂わせながら存在している。
     蛍にも、わかっていたはずだった。セノが好きだということはいずれ露見する。例え彼が気づかなかったとしても、蛍は想いを隠すことができなくなる。
     彼に想いを告げるなら、彼の隣に立てるような存在になりたい。
     マハマトラではないけれど、側に立つことを許される存在に。
     蛍が抱える記憶の全てを彼に話すことはできない。しかし、話せないからこそ、蛍は今絵本を書いているのだ。
     想いを固めて蛍は再び物語を書き綴る。
     
     優しい、森の女神の物語を。



     翌日、セノは朝から蛍の姿を見つけることができなかった。旅の荷物はそのままであるため離れたところにはいないと予測はできるが姿を見るまでは安心できない。ヴァナラーナを歩いているととてとてと走っている小さなアランナラを見つける。この数日彼がアランカンタと呼ばれるアランナラで常に駆けっこをしていることをセノは覚えていた。
    「あ、ナラセノ!」
    「おはよう。蛍を見かけなかったか?」
    「ナラ蛍?朝からアランマのところに行ったよ!」
     アランマ。
     その名前にセノは覚えがあった。蛍が一瞬表情を曇らせた名前。
     この数日セノは多くのアランナラ達に会ったがアランマというアランナラには一回も会わなかった。だから、ここにはおらずアランラナのように外にいるのか、あるいは。
    「アランマのところには俺も行くことができるか?」
    「うん!アランカンタが案内してあげるよ!」
     とてとてと走るアランカンタについて行くとそこはまさに不思議な場所であった。森林から突然乾いた砂漠へ。そして大きな鍾乳洞のような地下空間へと辿り着く。
    「この先にいるよ!アランカンタは先に帰っってるね!」
     案内してくれたアランカンタはその場でくるりと回ってみせるとそのまま地面へ潜り姿を消してしまった。突然いなくなった案内人にセノは一瞬呆然としてしまうが微かな音色を捉えて顔をあげる。その微かな音は中心部から聞こえてきておりセノは少し早足で歩き出す。
    近づく毎に音は大きくなり、それが聞き覚えのある古びたライアーの音であることを理解した。
     中心部にたどり着くとそこは不思議な空間であった。冷たい岩肌しかないその中心部に一本の神々しい樹が根を張り、青々と茂っている。そして、その樹に背を預けて蛍は腰掛けており、古びたライアーを奏でていた。
     アランナラ達が時折口ずさんでいる歌を。
    「蛍」
     演奏が終わったのを見計らって声をかけると蛍はその大きな黄金色の瞳でセノを見た。その表情はここ最近では見ることができなかった穏やかな表情でセノは一瞬目を見張る。
    「セノ……ごめんね。どうしてもアランマに会いたかったの」
     蛍が樹を見上げる。アランマ。彼女が大切に紡ぐその名前のアランナラは今はこの大樹となったのだろうことが見て取れてセノは何も言葉をかけれない。
    「アランマと私達の冒険については、また話しを聞いてくれると嬉しいな」
    「ああ」
     しっかりとセノが頷くのを見て蛍は笑い、ゆっくりと立ち上がる。そして、セノへ一冊の本を差し出した。その背表紙にはセノも見覚えがあった。
    「やっと物語が出来上がったの。セノに最初に読んでもらってもいい?」
    「俺で、いいのか?」
    「うん、セノがいいの」
     頷く蛍にようやくセノは本を受け取る。一度ゆっくりと息を吐き出して、本を開いた。





     とても深い、深い森の奥。そこに、心優しい森の女神がおりました。
     優しく慈愛に満ちた女神は自らの知識を奢ることなく森林の民や獣や精霊たちへ知恵を授けていました。
     そんな女神を民も獣も精霊たちも愛し森林は平和な毎日を過ごしていました。
     ある日、砂漠の王が悪い力に侵され砂漠の民達をも苦しめていました。
     それを見た森の女神は自身の力と知恵を使い悪い力を排除しました。
     しかし、悪い力は消え去ることはなくいつの間にか森の女神の身を蝕み始めました。
     自ら持てる知恵を使い、森の女神は蝕まれていない自身の力の一部を切り離し、小さな枝を生み出しました。

    『森は全てを覚えている。この樹が多くの記憶を刻めますように』

     小さな枝に願いを込めて苗木とすると、森の女神は悪い力を消し去るために、蝕まれた自身の全てを消し去りました。
     こうして、優しい森の女神の力で悪い力は消え去り、世界は平和になりました。
     
     小さな苗木は、森の女神の願い通りに大きな大樹へ成長しやがて新たな森の神、世界樹となり世界を見守っています。



     物語を読み終えてセノは本を閉じた。そこに記されていた物語は優しい森の女神によって救われた儚くも悲しい物語。
     この物語はきっとただの物語ではない。実際にこの状況が起き、そしてなんらかの理由で誰もその異変に気づいていない。それをきっと異邦人である蛍だけが知っている。しかし、これは口に出してはいけないのだろう。
    「いい物語だな」
     セノの言葉に蛍は泣きそうな表情のまま微笑んだ。
    「ありがとう。セノがいてくれたから、私はこの物語を書き切ることができた」
     蛍がセノに手を差し出す。セノは迷うことなくその手を取る。数日前のように指先だけで触れ合うのではなく、手と手を合わせて。
    「セノが好き」
     彼女の言葉にセノは一瞬目を見張り、そして柔らかく細めた。繋いだ手を少しだけ離して指と指を絡めて繋ぎ直す。
    「俺も蛍が好きだよ。でなければ手を繋いだり、抱きしめたりしない」
     セノの言葉に蛍は大きな瞳を丸くして、少し照れくさそうにそっかと笑った。その弾みでぽろりと涙が溢れた。人前で泣いたことがない彼女の涙に驚きつつも空いている手で拭い、反対側は唇を寄せる。
    「あれ、止まらないや……」
     困ったように恥ずかしそうに涙を溢しながら笑う蛍が愛おしくて、セノはそっと唇に口づけた。


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    天生麻菜

    PROGRESS10月神ノ叡智12の新刊の3話目。このお話で終わり+書き下ろしの内容になります。
    綾人蛍綾人で年齢制限あり。
    蛍ちゃん攻め、綾人さん非童貞非処女描写があります。(挿入は綾人→蛍のみ)
    綾人さんと姫蛍ちゃんの政略結婚から始まるお話。
    このお話の続きにも年齢指定入りますが2話目以降は年齢指定ありサンプルはあげませんのでよろしくお願いします🙇‍♀️
    私が私たちであるように 33.私が私たちであるように


    「綾人さん」
     蛍の抱えるものを聞いた日から、綾人と蛍の距離は以前より近いものになった。少しずつではあるが、蛍から綾人に近づいていくことが増えていったのだ。
    「林檎飴の屋台の人から材料が少し足りなくなりそうって手紙が来てますよ。少し調達しておきますか?」
     ただそれは彼女が綾人の公務を手伝うようになり、会話する機会が増えたのも理由ではあるのだが綾人は大きな進展だと思っている。
    「おや、予定量で足りなさそうなのですか?」
    「……実はこの花火大会、社奉行が主催ってことが各国とカーンルイアやアビス教団にも伝わったみたいで。各国からの観光客が二倍に増えてるんだそうです」
    「……なるほど」
     この花火大会は毎年行っており、社奉行が主催していることは特別ではない。ただ今年は、社奉行が――神里家当主である神里綾人がアビス教団の最高指導者であり、カーンルイアの姫君でもある蛍と婚姻を結んだことは当然各国に知れ渡っている。蛍を迎え入れてから初めての花火大会ということで注目を浴びているのだろう。かといって特別何か新しいことを催すということはない、花火は昨年よりも多めに打ち上げるよう依頼はしているが。
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    天生麻菜

    PROGRESS10月神ノ叡智12の新刊の2話目。
    綾人蛍綾人で年齢制限あり。
    蛍ちゃん攻め、綾人さん非童貞非処女描写があります。(挿入は綾人→蛍のみ)
    綾人さんと姫蛍ちゃんの政略結婚から始まるお話。
    このお話の続きにも年齢指定入りますが2話目以降は年齢指定ありサンプルはあげませんのでよろしくお願いします🙇‍♀️
    私が私たちであるように 22.折れた傘をさす


     婚姻が成され、蛍は正式に稲妻で暮らし始め、早くも一月が経過した。初夜を終えた朝、綾人が目覚めた時には、すでに蛍の姿はなかった。ただ、手ぬぐいで軽く清拭された身体に気づいて、彼女の手を煩わせてしまった自負と彼女の変な律儀さに心は掻き乱された。綾人を襲ったことに彼女はある程度の後ろめたさがあるようだった。
    「蛍さん」
     廊下を歩く白い背中に綾人はそっと声を掛けた。きっと、綾人が背後にいたことを彼女は気づいていただろうが。
     毎朝顔を合わせるようになったとしても綾人と蛍の距離はなかなか縮まらなかった。綾人は毎日彼女に声をかけるが彼女の反応はそっけないものだった。ただ、それも少し変化があったように綾人は感じている。婚姻前にあったような、蛍の刺々しさが少しだけなくなった気がしているのだ。それか、単に綾人が彼女の態度に慣れただけかもしれないが。
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    natsukoshi_ay

    DOODLEリクエストいただいた間の中でも特別甘い血でたくさんの吸血鬼に狙われるほたるさんと、それらから守ってやる代わりに血を吸う吸血鬼しょーさんの話です
    ほんとはタルタリヤさんもとのことでしたが長くなったので切りました ごめんなさい
    吸血鬼、あるいはヴァンパイア。
    夜に墓の中から蘇る自殺者、破門者、早く埋葬されすぎたものの死体が一般的にそう呼ばれる。彼らはその長くてするどい犬歯によって人の生き血を啜る。その様から、比喩的に無慈悲に人を苦しめ利益を搾り取る人間の意でも使われることもあるが、それは置いておいて。
    血を吸われたひとはこの夜のおとないびとの虜になり、自身もまた吸血鬼へと変貌を遂げる。
    太陽や十字架、聖水やニンニクが嫌い。とはいえ日光はともかく、ニンニクを鼻先に突きつけたり聖水をばら撒いてやったらちょっと怯むというくらいであり、真に、永久に、彼らを絶やすには銀の杭を胸に打ち込み、四つ辻に埋めなければならない。
    彼らが表舞台に姿を表したのは古代ギリシアやスラヴ、ハンガリーの伝説だとされている。地方で囁かれる民話、伝説の類であった吸血鬼の存在が広く一般に広まったのはロマン派文学の起りである18世紀末以降のことだ。
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