認めよ、ここに咲く才花を超絶妄想語り、はーじまーるよー
ボクオーンは昔、いわゆる兄弟格差な目にあっていたのでは?っていう話
リベサガのボクオーンは少し術を使うけれど、それ以前(初代とかエンサガとか)の彼は魔力のまの字も無い賢い脳筋だった。
あの世界は初歩の術を覚えて使っていれば、やがて高レベルの術を扱える様になる。
(威力は弱いままかもだけれど)
使えるものは何でも使うが性分の彼が、色々と使えそうな術を覚えようとしなかったのは何故か?
それは、やりたくても出来なかったのでは?
生まれつき才能が無さ過ぎたのではないか?という仮説が出来た。
(ロマサガRSの学園期ボクオーンも、種も仕掛けもあるマジックをまるで魔法を使ったかの様に見せる努力をしたみたいな事言ってたし)
で、そんな彼が魔力第一主義みたいな家庭に生まれていたとしたら?
どれほど優れた頭脳を持ち合わせていても。
どれだけ実績を作ろうと。
周囲の人々が素晴らしいと絶賛しようとも。
家族が、身内が。
魔力が無い。たった一つの事実だけでそれ以外の才能を否定していたら。
ボクオーンの絶対自分の策が正しいと認めさせようとする性格(証明の為に自ら戦地に突撃してるし)と、何を利用してでも上にのし上がってやる根性と、あの性格は、こいつら認めさせる、見返してやるという強い思いがあったからではないかなと。
反骨精神というか、なにくそ根性?
その辺りは少しクジンシーと似ているかもしれない。
でもボクオーンがクジンシーと違うのは、考えてたどり着いた結論が彼と違っていたから。
多分ボクオーンは、諦めるという選択をしたと思う。
諦めといっても、後ろ向きではなくて前向きな意味で。
自分を否定する身内は、どれだけ説いても絶対に自分を認めない。
重箱の角をつつく様に、揚げ足を取ろうとして、どんに小さなものでも矛盾している理論でも使って、何がなんでも彼を否定する要素を見つけ出してくる。
そんな奴らを長年相手してきて、努力して奮闘して、それでもダメで、さすがに疲れてふと周りを見た時、家族以外の色んな人が自分を見ていた事に気がついたのではないかと。
否定ではなく、肯定的に。
その時に「あ、自分には彼らがいる」と思い、その人達の方へ踵を返したのではないかなと。
自らの意思で、身内を捨てたのではないかなと。
ワグナスと知り合ったのは、足掻いていた時代じゃないかな。
彼は努力する人を裏表なく惜しみ無く称賛するから、ボクオーンも一緒にいて居心地が良かったのではないかと。
ボクオーンの性格を考えると、ワグナスも利用出来る駒扱いしていそうなのに、それをしなかった。
彼の綺麗過ぎる絵空事の様な平和な世界を望む姿に、もしかすると実現するかもしれないという想いに、打算はありつつも純粋に手を貸したくなったのかなと。
そんな事を考えていました、まる