裏口ハッピーエンド②「五条さん人生イージーモードで羨ましいですよ!」
部下が何気なく言った一言にふと、それもそうだなと思った。
産まれた時から家柄、容姿、頭脳、財力と何不自由なく育ってアラサーまで来た。
実家のグループ企業の代表になったあたりで、最近周囲に「そろそろ結婚」とか言われるのが煩わしい位しか人生に不満がない。
逆に他の人間は何に不満を抱いて生きているのか聞きたい位だ。
そう言ったら高校の時からの腐れ縁かつ部下の親友に「それ絶対外で言うなよ」と釘を刺された。純粋な疑問なのに失礼してしまう。
「お客さんすみません。先の道で事故があったらしく暫く動きそうにありません」
中々面倒な取引先に向かう道すがら、タクシーの運転手にそう言われ、今ならここから歩いたほうが早いかと判断しタクシーを降りた。
本当は無駄な運動はしたくないところだがこれから会う取引先は一分でも遅刻しようものなら会ってくれない融通の利かない相手だからしょうが無いと歩を進めた所、何やら前方で揉め事が起きている気配がした。
「止めて下さい!離して下さい!」
「いやいやちょっとお話するだけって言ってんじゃん?」
大方ナンパだろうか。男が執拗に女に絡んでいる状況にこのご時勢出会うとは思わなかった。面倒だが進行方向だしどうしよっかなーと思案していると僕の後ろから春色の髪の毛を揺らした少年が飛び出して来た。
「ちょっとお姉さん嫌がってるじゃん。手離してあげてよ」
「んだぁこのガキ!邪魔するんじゃねぇ!」
「きゃあ!」
少年が女と男を離そうと間に入ったが男は少年より体格が良く男から振り下ろされた拳に女性の悲鳴が上がった。
流石に止めに入るかと走ろうとした次の瞬間、僕が地面を蹴るよりも早く少年が男の腕を捻り上げた。
「いででででで!離せテメェ!」
「離したら引いてくれる?」
「誰が……いででででで!分かった!引く!引くから!」
僕が少年の鮮やかな手腕に見惚れている間に男は聞き取れない何かを叫びながら逃げ出し、少年は女に頭を下げられるも「ごめん!俺これからバイトだから!」と来た時と同じようなスピードで嵐のように去って行った。
この時間にして五分程度の出来事を、とんだお人好しも居るもんだと片付けて取引先へ向かった。脳裏に何故か春色がこびり付いたまま。
◇
縁というものは不思議なもので、あの春色の髪の毛を持つ少年を初めて見た時からひと月、何度か少年と再会した。
再会と言っても毎回僕が一方的に彼を目撃する形で彼はいつも人を助けていた。
ある時はお年寄りの荷物を持ち横断歩道を渡り、ある時はベビーカーを抱え階段を登り、ある時はひったくり犯を捕まえてお礼を言われていた。
いや、お人好しの範疇を超えていないか?物好きが過ぎると考えた時、ふと十数メートル先で今まさにお礼を言われていた少年が笑った。その横顔に咄嗟に可愛いと思い僕はスマホのカメラを向けていた。
その後、会社に戻り自分のデスクで僕は一人頭を抱えていた。
「いやいいや、流石に盗撮は駄目だろ……」
「え?何?ついに犯罪に手を出した?……あれその子……」
スマホに表示されている目線が合わない画像を流石に消去しようとしていたら、後ろを通り掛かった腐れ縁かつ部下かつ親友の傑にスマホを覗き込まれた。
「知ってんの!?」
「いやこの前の学生向けセミナーに来てたじゃないか。悟のセミナー女の子が多いから男の子目立つしヤンチャな見た目の割にちゃんと講演聴いてメモ取っているみたいだから印象に残っているよ」
「……傑きゅーん」
「駄目だ」
「まだ何も言ってないじゃん」
「大体分かる。私は犯罪の手助けはしないよ」
「違うし!ちょっと名前知りたいだけだし!明日の会食絶対バックレないから!」
「……いやそれ普通だからな」
お願いお願い!と頭を下げれば傑は観念したように自分のデスクのPCを暫く操作し「絶っっっ対犯罪だけは起こすなよ」と念を押した。
そして僕の共有フォルダには彼の簡単なデータが保存された。
◇
虎杖悠仁、20歳、家族は少し前に亡くした祖父のみで今現在は独り身。祖父の残した一軒家から学校に通う大学生。
入っているゼミは××、バイト先は××、良く行くスーパーは××、良く行くパチンコ店は××。
親しみ易い性格で友達は多いが恋人はいない。
――名前が分かりさえすれば、金を積めば人一人の個人情報等簡単に手に入る。
そうして手に入れた虎杖悠仁の情報が記されたA4のコピー用紙数枚と目線の合わない写真を前に僕は気分が高揚する事を隠せなかった。知りたい。もっと悠仁の事が知りたい。出来れば会って話してハグしてそれから――
ん?それから?僕は今何を考えた?いやいや、そんな事はない彼はどこにでも居る元気で明るくて少しお人好しなだけの人間だ。僕はヘテロだしこんなただの少年に欲情なんか――
――そう言っていた時期が僕にもありました。
なんだこれは。即落ち2コマかと自分でツッコんでしまった。
あれから何度か街で悠仁を見掛けたというかわざと悠仁の生活圏内に行くようにしているから至近距離で見る機会も増えた。悠仁は大体の確率で人助けをしていてその見返りを求めない人間性は僕にはとても眩しく。尊敬や憧れを超えて情愛の念を抱くようになった。
直接声を掛けようと思えば掛けられた。しかし社会人の僕が学生の悠仁に声を掛けるキッカケが掴めなかった。
そんな折、悠仁と警察官が話している場面に遭遇した。
「先日はありがとうございました。無事に財布持ち主の元に戻りましたよ。それにしても虎杖さんは良く物を拾いますね」
「そうなんですよね〜足下ばっか見てんのかな?昔良くじいちゃんに『前見て歩け!』って怒られたっけ」
「無視したり着服したりする人も多い中ありがたいですよ」
その会話を聞いた瞬間これだ!と思った。僕が落とした財布を悠仁に拾わせれば良いのだ。それでお礼を言いたいと称して悠仁の連絡先をゲットすれば怪しくないしどこか運命的な感じすらする。
僕は作戦の準備の為に帰路を急いだ。
――結論から言おう。2回失敗した。
悠仁の通学路にそっと置いた財布だが1回目は中年男性に中身だけ抜いて捨てられ、2回目は女子高生にそのまま持って行かれた。落ちた財布という場面に遭遇した事はないがこうも手元に戻ってこないのかと驚愕した。
今度こそはと悠仁の通学路の細い道路にそっと財布を置いた。今までは現金と僕の物であると分かるように名刺を入れていたが三度目の正直として免許証も入れてみた。これで帰ってこないとこちらにもダメージがあるので信じてもいない神にお願いしますと願った。
3回目のチャレンジを道路の死角から見守っていると、いつもより早い時間に悠仁が走って来た。確か今日の講義は午後からだった筈だが何か用事でもあるのだろうか、今回も失敗するのかと固唾を飲んで見守る中悠仁は、
「……しゃあねぇ」
と、財布を持ってそのまま走って交番に向かった。
僕は、1回目の中年男性と2回目の女子高生に向かって『見たか!悠仁は良い子なんだ!お前等とは違うんだ!』と脳内で叫んだ。
これでやっと第一段階はクリアした。あとは免許証から割り出された僕の所へ警察から連絡が来る筈だから、そこで真摯に『拾い主にお礼が言いたい』と言えば悠仁に繋げてくれるだろう。
◇
黒を基調としたモダンな店内、ジュージューと肉の焼ける音、緊張して表情は強張っているけれど肉を前に目をキラキラとさせている至近距離の悠仁。
何だこれは。天国かと見まごうばかりの空間で僕は油断すると悠仁をガン見してしまうのを抑えて、緩やかな微笑みを口元に浮かべた。
「悠仁そっちもう焼けてじゃない?」
「いや……今更だけど俺財布拾っただけでこんなお肉ご馳走になって良いんかな?……良いんですか?」
「あは、敬語なしで良いよ。電話でも言ったけど大切な財布でね。戻ってきて本当に嬉しいんだ。……知人が財布を落とした時戻って来なかったって言ってたからさ……諦めてたんだ。このままじゃ僕の気が済まない。じゃんじゃん食べてよ!」
「……そういう事なら頂きます!」
焼けた肉をタレにじゃぶじゃぶ漬け頬張る悠仁は本当に可愛くて一瞬4K画面になったかと錯覚した。
先日、警察から来た電話にしおらしくお礼を伝えたいと言えば悠仁から了承を得て直接電話し今回の約束を取り付けた。
まぁ、悠仁の弱そうな『祖父の形見の財布』という裏技は使ったが許容範囲だろう。
電話の時点であの悠仁と直接話している!と僕のナニが若干兆しそうだったが、まぁ電話終わってから2回抜いたが実物はヤバい。
それから遠慮する悠仁を宥めすかし肉と米とサイドメニューをじゃんじゃん注文し食後のシャーベットを食べる頃には大分打ち解けてきた。
「えっ五条さんもあのシリーズ好きなの?来週新作公開すんじゃん。一緒に観に行く?」
「行く行く!絶対行く!」
悠仁が好きな映画もリサーチ済みなので僕もそのシリーズ好きだと言えば思い掛けず悠仁の方からデートのお誘いをしてくれた。
あまりがっつき過ぎてもいけないとその日はトークアプリの連絡先を交換して解散した。
僕はとても紳士なので。
◇
「最近機嫌良過ぎないか?気持ち悪いんだけど」
「え、失礼過ぎない?」
今日も真面目に仕事を頑張る僕を見て外から帰って来た傑は開口一番そう口にした。
「今日は予定あるから定時で上がりたいんだよね」
「女か?」
「今日はねーおうちデートなんだー」
「は!?悟が他人を家に上げるのか?……もしかして本命か?」
「本命も本命!大本命!」
「……あの女性を穴としか思ってなかった悟が……私は嬉しいよ……」
泣き真似をする傑にお前も同じようなもんだっただろうオッエーと思いながらそういえば傑にまだ言ってなかったと気が付いた。
「そういや傑がキューピットみたいなもんだな。礼言っとくわ。サンキュ」
「……は?最近私悟に誰か紹介したっけ?」
「虎杖悠仁君です」
「……は?」
「僕の本命は虎杖悠仁君です。まだ落としてないけどビビられても困るからゆっくり落としてこうと思ってんの」
僕の告白に傑は細長の目を珍しく丸くし数度瞬いた後、徐に僕のカフェオレを一気飲みした。これ傑には甘過ぎるだろうなーと思ったら落ち着いたらしい傑が僕の肩を掴んで来た。
「自首しろ!!」
訂正、全然落ち着いてなかった。
「何も対して自首すんのさ?悠仁成人してるし問題ないだろ」
「数ヶ月前まで名前も知らなかっただろ!何したら家にまで呼べる仲になれるんだ!どうせ法外な事したんだろ!」
「失礼しちゃう。運命だもん」
「……悟」
肩に置かれた手の力が強過ぎてミシミシ音がして来たし傑の瞳孔がヤバイ位開いて来た事もあって僕は悠仁との運命的な出会いをかいつまんで説明した。
「……ストーカーじゃないか」
「違いますー運命ですー」
「はー……これ私もストーカーの片棒担いだ事にならないか?今から転職先を探すか」
「だからー悠仁と僕が付き合えば問題ないんだってーもうすぐなるから安心しなよー」
傑は僕の言葉が届いていないようで何事かブツブツ言いながらこちらに一週間の有休届を提出して来たので上司権限で破棄した。
「五条さん疲れてねぇ?映画今度にして休んでよ。俺帰るから」
「えっえっ疲れてないよ!やだやだ帰らないで!悠仁が癒しなのに僕から癒しを取らないで〜」
「癒しって……俺にそんな効果ねぇよ」
ケラケラ笑う悠仁に『はぁ〜悠仁の笑顔マジで効く〜』で脳内で噛み締めていた。
悠仁と会った回数が両手を悠に越え、週に一度は会う関係性になり、僕の家に悠仁が来る事も珍しくなくなった。
「……少しだけ仕事で疲れたんだけど悠仁と映画見る時間が癒しなのはホント。だからお願い一緒に観よう?」
「しょうっがねぇなぁ!そういう事なら一緒に観よ!」
「やったぁ!」
「じゃあさ今度来る時、元気になれるご飯作んね!レシピ探しとく!」
当たり前のように次の予定とご飯を作ってくれる約束をしてくれる悠仁に僕は幸福を噛み締めた。
こうして一緒に居るようになって悠仁の事を知れば知る程、その愛情深さを知れば知る程、どうしようもない程悠仁の事を好きになり、その愛を独り占めしたいと強く思うようになった。
悠仁も僕に人間としての好意を抱いてくれていると思うし、悠仁は元来寂しがり屋だからこうやって悠仁の独りの時間を埋めていけばもうじき僕の手に落ちるだろう。『じゃあ早く観よっか』と指定席のソファに向かう時にさり気なく悠仁の腕を引っ張れば頬が赤くなるのが見てとれた。
もっともっと悠仁の中を僕で満たして溺れさせたいなという感情を隠しながら今日も僕は優しい年上の顔をして一緒に映画を観るのだ。
◇
「五条さんはさぁ彼女とか作んねぇの?」
「えー彼女ー?」
悠仁と知り合ってから季節が二度程変わった。僕の家のソファで当たり前のようにポテチを摘まみながら悠仁が零した言葉に僕は口角が上がるのを感じた。悠仁から恋愛関係の話が出るのは珍しい。今見終わった恋愛映画に感化されたのかも知れない。
「最近俺と居るの見掛けた大学の人から『五条さんは彼女居るのか』って良く聞かれるからさー」
「んー彼女は居ないけど好きな子は居るよ」
「えっ五条さんの片思いってこと!?」
「そうそう。全然靡いてくれないの」
「あの五条悟なのに!?」
「どの五条悟だよ」
ノリ良く答えながら悠仁の表情に傷付いた色を見付け、これは行けるなと確信した。
「五条さんに好かれる子は幸せだと思うよ。気付いてないだけで絶対五条さんの事好きになるって!」
「そうかなぁ……」
「どういうところが好きなの?」
「んー最初はさぁ偶然出会ったんだけと一緒に居るのが心地良くてね。元気一杯で誰にでも優しくて、寂しがり屋の癖に気遣い屋さんでね、その子の唯一になりたいって思ったんだ」
「本気じゃん」
「本気だよ。今までにない位仕事詰めて、その子家に呼ぶ為にホームシアター作ったり必死だよ」
「……ん?」
悠仁が僕の言葉に引っ掛かりを覚えポカンとした顔で僕を見詰める。その薄く開いた唇に貪りつきたいのを抑え微笑みを作る。僕からではなく悠仁に気付いて欲しいのだ。どこか一歩引いてしまう悠仁の方から僕が欲しいと思って欲しいのだ。
ポカンとした表情から一変、気付いた悠仁が信じられないという顔をする。もう顔は真っ赤で林檎みたいで美味しそうだ。
「五条さん、俺の事、好きなの?」
「ふふ、せいかーい」
告げても尚信じられないという顔をした悠仁が視線を逸らそうとするから両手で悠仁の頬を挟みその視界に僕しか映らないように固定する。
「ねぇ悠仁、返事聞かせて」
「分かってる癖に」
「それでも悠仁の口から聞きたいよ」
「俺も……五条さんが好き……多分」
「何で多分なの!」
「今自覚したばっかなんだって!」
「ふふ……そっか。ねぇ悠仁、僕達出会いが結構運命的だったと思うけど、ゆっくり悠仁と歩いて行きたいな」
「うっプロポーズみてぇ」
「そう捉えてくれて構わないよ。……悠仁好きだよ」
そっと触れた悠仁の唇は少しかさついていたけれど柔らかくて、やっと触れられたそれに貪りつきたいのを我慢してすぐに離した。それなのにまだ離れたくないとばかりに悠仁が抱き付いて来るもんだから僕は理性を総動員させてぎゅうぎゅうと抱き締めた。
「やっと捕まえた」
僕はやっと手に入れられた宝物の温もりを堪能するように目を閉じた。
明日は平日だが悠仁の大学の授業は午後からだから多少無理しても大丈夫だろう。
◇
「あの五……悟さん……今日昼会社で食べるって言ってたからお弁当……嫌じゃなかったら」
「えっ!嬉しい!こんなに沢山ありがとう!味わって食べるね!」
悠仁と想いが通じ合ってから暫くして毎日が幸せだと思っているが、今日は僕の家に泊まった悠仁が朝食を作ってくれ、更に弁当まで作ってくれて幸せ記録が毎日のように更新され僕は有頂天だった。
離れ難いので今日は休みたいと思ったけど悠仁には格好良いところだけ見せたいのでずっしりとしたランチトート片手に出勤すれば、それを目ざとく発見した傑は少し目を見開いた。
「それ虎杖君が作ってくれたの?凄いしっかりした子だよね。悟には勿体無い」
「悠仁がさぁ『悟さんに沢山栄養摂って欲しいって思ったら作り過ぎちゃってごめんなさい』って言ってくれたんだよ〜羨ましいでしょ」
「いや、羨ましくはないが……虎杖君にストーカーしてた件言ってないんだろ?仕組まれた事って気付いたら彼傷付かないか?」
「あは、バレないようにやるよ。古くからある言葉であるだろ。終わりよければ全て良しってね」
僕は呆れる傑を置いて、自分のデスクに悠仁が作ってくれたお弁当のランチトートを置いてスマホで写真を撮った。ランチトートに付いている立体的な虎のぬいぐるみマスコットは少し歪んでいて、部分的に綿が寄っているがもしかしてこれも悠仁の手作りなのだろうか。
幸せ過ぎて恐いなぁと思いながら昼食だけを楽しみに今日も仕事を頑張ろうとパソコンを起動した。
仕事も順調。大好きな恋人との生活も順調。今日も僕の人生はイージーモードだ。