赤い実が育つまで最近どうも息が苦しい。
「なんか息苦しいな」
そう呟けば、隣を歩く万斉も首を縦に降った。
「確かに息苦しそうでござるな」
「季節の変わり目だからかな」
「風邪引かんようにな」
「うん」
そんな会話をしたのが先週の話。
俺は今、布団の上で蹲っていた。
起き抜けにスマホを見ようとしたところで体に激痛が走り、上手く息が吸えなくなったのだ。ゴホリと空咳を吐いては背を丸めて息を吸う。それを何度か繰り返した所で万斉から着信があった。
俺は息も絶え絶えにスマホの通話ボタンを押した。
すると心配そうな万斉の声がスピーカーから漏れる。
「退、もうすぐ始業の時間でござるが、大丈夫か」
「ぁ、ば、んさい、げほっ」
声を上げようにも咳が邪魔して言葉を上手く発せないのだ。
「どうした!大丈夫でござるか」
「あんまし、だいじょばない」
「今からそちらへ行く」
「げほ、ありが、とう。ごほっ」
電話が切れ何度か咳き込んだ時、ガサリと手になにかが触れた。咳き込みながら布団に手を這わせ、音の正体を握り締めて目の前に持ってきた瞬間、俺は驚愕に目を見開いた。
「くさ、?」
そこには青々とした笹の葉のようなものが手のひらに鎮座していた。窓は閉め切っており、外から入ってきた訳では無さそうだ。じゃあどこからと思った時、再び咳き込んで俺は前屈みになる。口元を押え、落ち着くまで咳き込んだ手のひらには先程握り締めた葉っぱと同じものがあった。
「まさか、口から?」
あまりに現実味がないそれに動揺していた俺をピンポーンというインターホンの音が引き戻した。
「万斉かな」
咳が落ち着いた俺は気味の悪い葉をベッドの上に放り投げ、立ち上がった。
ガチャリと玄関の扉を開けば、そこには血相を変えた万斉が立っていた。
「大丈夫でござるか!」
「お、おー。なんとかね」
未だヒューという音が鳴る喉を無視すれば、今はだいぶ落ち着いている。それでも、万斉は心配なのか俺の体をペチペチと触ると、すぐに病院の提案をしてきた。
「早く病院へ行こう」
俺は自分の状態よりも会社を放り出してきた万斉が気になって声を掛ける。
「万斉、会社は?」
「そんなもの休んでしもうたわ」
「えぇ……げほっ、」
再び咳き込んでしまい、またさっきのように葉が出るのでは無いかと心配したが、今度は出ずに空咳だけが木霊した。
「やはり具合が悪いんでござろ、早う病院へ行くぞ」
「わ、わかったよ」
俺はこの草の葉の正体を知るのが怖かったが、万斉に心配されてはどうしようもないので大人しく病院へ行く事にした。万斉に連れていかれたのは昔通っていた小さな個人病院ではなく、大きな大学病院だった。
「なぁ、こんなにでかい所じゃなくて小さな所でも俺は」
「いや、何かあっては大変だ。よく見て貰え」
流れるように受付を済ませた万斉と待合室で待っていると、再び咳が出た。今度の咳は部屋で出していたものより大きく、まるで何かを吐き出すかのような咳だった。俺は部屋と同じく草が出るのではと慌ててトイレへ駆け込んだ。
「げほ、ごはっ……あ、」
トイレに頭を突っ込み、いっとう大きな咳をした時、俺の口からバサリとまた笹の葉のようなものが飛び出た。やはり夢では無かったと恐怖する俺の個室を誰かが叩いた。
「退か」
「ば、万斉、どうしよう俺、」
縋り付くように扉を開いた俺を受け止めた万斉はトイレの中の物を見て目を見開いた。
「退、それは……」
「わ、わかんない、咳したら出てきて」
「一度待合室に戻ろう」
「う、うん」
やはり身体から草が出てきたのだという恐ろしさから俺は動揺して、万斉の腕にもたれるようにしてトイレの個室を出た。
そして、出たのと同時に診察室へ呼ばれた。
俺はふらふらとしながら万斉に連れられ診察室に入った。
混乱して説明どころでは無い俺の代わりに万斉が説明をしてくれた。
「咳き込んだら草が出てきて、息も苦しそうなんです」
「草?」
草が出てくると万斉が言った瞬間、医師は片眉を上げて俺を見る。
「あの、朝起きたら息が苦しくて、その咳をしたら笹の葉、みたいなのが出てきて」
「なるほど」
医師は失礼と少し席を立ち、すぐに戻ってきたと思ったら精密検査をしたいと言ってきた。
そんなに大病なのかと目を見張った俺に代わり万斉はすぐさま「お願いします」と言った。
万斉と別れ、精密検査の為に別室へと入った。
CTなどの検査を終える頃には息苦しさも落ち着き、もしかしたら今までの事は俺の幻覚だったのではと思いながら再び診察室へ呼ばれた。
二人で連れ立って入った診察室で先生は第一声。
「草生病ですね」
「くさ、ふ、びょう?」
「その名の通り、草が生えてくる病気です。肺の周りに草が茂っているのがみえますか?」
先生が見せてくれた写真には確かに肺の周りに草の影があった。
俺はあまりに突拍子も無い話に目を白黒させる事しか出来ずにいた。
「親御さんは?」
医師の言葉に何とか気持ちを目の前に戻すと口を開く。
「もう他界してます」
「そうですか、ではこれからの事を話しますね」
そう言って医師が話し始める。
要約すると、基本的には他人にはうつらないが、罹患者の身体から生えた植物を摂取すると感染してしまう恐れがあり、身体から生えてきた果実などを他人に与えてはいけないらしい。現時点で特効薬は無く、薬物で身体の痛みや、咳を抑える事しか出来ないらしく、取り敢えずは様子見という事になった。
仕事のことを考えると入院はしたくなかった俺は助かったと医師の言葉に頷いた。
その後咳止めと痛み止めを処方され、家へ戻る事になった。万斉の運転する車の中で俺はぼんやりと外の景色を見ていた。
ある日突然貴方の身体に草が生えましたなんてどんなおとぎ話だと思わなくなかったが、あの写真と口から溢れ出る草が何よりの証拠だった。
「明日からの仕事どうしよう」
そんな現実味の無い言葉しか今の俺からは出なかった。
*
自宅に戻り会社への連絡を終えた俺はリビングに座る万斉へと声を掛けた。
「良かったら泊まんない?」
「それは良いでござるが、体調は大丈夫なのか?」
「一人でいると病気のこと考えちゃうから、万斉が良ければ泊まっていって欲しい」
「わかった」
二つ返事で了承してくれた万斉に胸を撫で下ろしながら俺は夕飯をどうしようかと万斉の隣へと腰掛けた。
「今日の夕飯何にしよっか」
「たまにはピザとかどうでござるか?」
「それいいね、映画も見よう」
「ナイスアイディアでござる」
料理をする気分では無かったので万斉の提案を即採用すると、俺たちはまず風呂に入る事にした。
お客さんの万斉を先に入れてから俺も風呂へ入ろうと服を脱いだ時、鏡に映った自分の姿に声を上げた。
「ぎゃ!……………」
「退どうした!……それは」
鏡を唖然と眺める俺に万斉が駆け寄り、俺と同じ顔をした。
「く、草が生えてるっ」
鏡の中、呆然とした俺の胸には小さな新芽が生えていた。
引っ張ると痛いソレは三代前からここに居ましたみたいな雰囲気で俺の胸に鎮座していた。俺はどうしたらいいか分からず、取り敢えず万斉を脱衣所から追い出して、無心でシャワーを浴びた。
身体を洗っている間にも、ちょこんと存在を主張する新芽に俺は見ない振りをかまして、俺は颯爽と風呂場から出た。
「大丈夫でござるか?」
心配げな万斉の言葉に俺は「なんの事?」とシラを切り、届いた宅配のピザを貪り食い始めた。
「いや、胸の草は」
「知らんな」
俺は聞く気がないぞという態度を崩さずにピザを頬ばれば万斉も諦めたのかそれ以上何も言ってこなかった。現実逃避もそこそこに俺は服の上から胸の当たりにそっと触れると、そこには確かに何か生えている感覚はあり、本当に生えているんだという現実がありありと見せつけられる。
「ありえんって……」
「退……」
ピザを食らいながら涙を流した俺の背中を万斉がそっと優しく撫でてくれた。鼻水をすすりながら噛み締めたピザはいつもより塩味が強く感じた。
何とか食事も終わり、さぁ寝るぞと二人で布団を並べた時に咳止めの効果が切れたのか空咳が数回出た。幸い葉が出てくるようなことは無かったが、慌ててリビングに置きっぱなしの薬を飲み込んだ。
「けほ」
「大丈夫か?」
「げほ、うん、大丈夫」
食事の時と同じく背中を摩る優しい手を有難く思いながら咳が落ち着くのを待って横になった。
「また明日生えてきたらどうしよう」
「大丈夫でござる、大丈夫」
「そっか、大丈夫だよね」
布団からお互いの片腕を出し合い、握り締めて眠りについた。
*
次の日、俺は何事も無かったように出社した。草が目立つから茎の部分に絆創膏を貼って盛り上がらないように押さえてからワイシャツを着た。
「何かあったら連絡するんでござるよ」
「わかったよ、万斉」
心配をする万斉に俺も若干の不安を覚えながら返事をして家を出た。
「おう、大丈夫か?」
出社早々隣のデスクの原田に声を掛けられた俺は「まぁ、ぼちぼちかな」と返事をして社内メールを確認したりしていたら就業時間になり、俺は慌ただしい業務に追われた。
「っかぁ〜昼休みだ〜」
パソコンから目を離し、大きく伸びをした俺の隣で同僚が「飯行くか?」と言うので即「行く」と返事をして立ち上がる。その拍子に胸の辺りがチクリと痛んで思わず押えた。
「大丈夫か?」
「あ、うん、大丈夫」
何でもないと顔の前で手を振れば、同僚の原田はスタスタと歩き出した。その後ろに遅れないように着いて歩きながら「何食おうか」なんて話して歩いている内に胸の痛みは忘れてしまった。
休憩時間に万斉から心配の連絡が届いているのに気が付いて「大丈夫だよ」と安心させる内容の返事を書いた。
仕事も終え帰宅した俺は食事前にシャワーに入ろうとスーツをハンガーにかけ、ワイシャツを脱ぎかけた所で絆創膏の存在を思い出す。
仕事中一度も咳が出ること無く、仕事に追われてすっかり忘れていたと胸の絆創膏を剥がそうとして、胸に刺すような痛みが走る。
「ったぁ………は?」
なんと胸の草には痛覚が宿っていたのだ。
無理に剥がそうとすると酷く痛み、痛覚があると分かり怖々と水につけ絆創膏を剥がそうとするが中々剥がれない。
「クソっ、痛てぇ」
もうこうなれば勢いだと痛むのも構わず引っ張った瞬間、ブチッという音と共に取れた草は肉を巻き込み、根っこのようなモノと一緒になって抜けた。
周りの組織も巻き込んで抜けたせいで止まらない出血に恐怖が勝ち、昨日行った大学病院へすぐ連絡した。今の状況を説明すると、すぐに来てくれという返事が返ってきた。俺は出血部に布を当て、Tシャツに着替えると財布を持って家を出た。
病院へ行くと、既に主治医には連絡がいっていたようで、すぐに診察室に通された。
「抜いたんですか」
「あの、絆創膏貼っているのを取ろうとして」
「傷口に菌が入っていたら大変です、直ぐに処置します」
そう言われ、診察台の横のベッドに寝かされた俺は何をされるのかと痛みよりも恐怖が勝ちながら主治医を待っていたら、戻ってきた主治医に傷口を消毒をされ綺麗なガーゼを当てて丁寧に包帯で巻かれた。思ったよりも軽いみたいでよかったと痛む胸を庇いながら起き上がると、主治医が少し怒ったように口にした。
「草が生えても無理に抜かないで下さい。周囲の組織ごと根を張っているので抜こうとすると今回みたいなことになりますから」
「わかりました」
自身の身体で身をもって体験したので、これからは抜かないようにと心を決め、会計を終えた俺は徒歩で自宅へ向かった。
今日は風呂には入らない方がいいと言われたし、明日は休みだからシャワーは明日でいいかと布団に入ろうとした時、突然咳き込んだ。
「ごほっ、げほっ」
何度か咳き込んだ時に、口からカサカサと青々とした葉が溢れ出る。胸を刺す痛みに身体を起こし、更に咳をすれば、更に葉が口からボトリと落ちた。
「なんで、なんでなんだよぉ……」
嘔吐のように口から溢れる草葉に涙を流しながら俺は自分の病気を呪った。
*
その後暫くは草が生えている事を隠しながら仕事をしていた、仕事中咳が出ればトイレに駆け込んで草が出ないことを祈りながらむせ込むことしか出来なかった。同僚達からはトイレ近いなお前、なんて言われても笑ってはぐらかしていた。
唯一上司にだけは病名を説明していたけれど、それ以外の人には決して伝えなかった。
人の身体から草が生えるなんて恐ろしい事をカミングアウトする勇気がなかったのもそうだけれど、良くしてくれている職場の人達に汚い物を見るような目で見られるのに耐えられないと思ったからだった。
しかし、ある時、デスクでいつも通り作業していたら、急に吐き気が出てきたのだ。動けないくらいに喉が痛み、デスクの物をぶちまけながら床に倒れた。俺のデスク周りが騒然となる中、俺は口を手で押えてとにかく口から葉がこぼれないように必死に止めた。
だけれど、そんな努力虚しく俺は床に這いつくばりながら口から葉をぼとぼとと落としながら床に蹲る事しか出来なかった。
俺の急な行動に騒然となった社内で、事情を知っている上司が俺を被せるようにスーツを頭から被せてくれてなんとかその場を離れた。
「大丈夫か」
「はい、なんとか……」
上司の差し出した缶コーヒーを受け取りながら返事をすれば、上司は床を片付けてくるとだけ言い残してその場を立ち去った。
それに申し訳なさを感じながらも職場の人に見られてしまったという恐怖から俺はあの場に戻るのが恐ろしくなってしまった。誰も来ない喫煙所で震えながら缶コーヒーを握り締めていたら俺の荷物を手にした上司が戻って来て「今日は帰った方がいい」と言われた。
俺は両手で荷物を受け取り、上司に頭を下げると逃げるように会社を出た。
会社を早退した事を万斉に連絡して、一人自宅へと駆け込むように帰宅すると、すぐさま薬を飲んでベッドに飛び込んだ。
瞬間、身体が震えたと思ったら胸の辺りからカサカサと何かが繁茂する感覚がした。
「な、に」
頭まで掛けた布団を跳ね除け、確認するように身体をまさぐると、服の感触越しに何かが生えている気配がした。恐る恐る服を脱ぐと、胸の辺りに生えていた双葉は伸びに伸びて胸の半分程を覆っているでは無いか。
こんなに一気に病状が加速するものなのかと恐怖しながら俺は現実から目を背けるように布団にくるまった。
「起きたら消える、おきたらきえてる」
呟き祈りながらも身体の変化に耐えられない俺は涙を流した。
しかし、涙を流せば流す程に俺の身体に根を張った草は生き生きと茂り、その身をさわさわと揺らした。遂には手足にまで及んだ葉は俺の身体をぼこぼこと変形させながら草根が生えてきているのが分かる。
「ぐあっ、ぁあ」
痛みに脂汗が流れる。血管が破れるのでは無いかと錯覚する激痛に俺は布団の中で呻いた。
バタバタともがき苦しみながら俺は必死になって草へと手を伸ばす。
こんなものがあるから、俺は苦しいのだ。
こんなもの抜き去ってしまえ。
ヤケになってブチブチと身体の組織が千切れるのも構わずに身体に巻き付く蔦を剥ぎ取っては床に投げ捨てる。
「こんなものっ!」
蔦の隙間から隠れるように生えてきていた白い花が血で赤く染まり、目に鮮やかに映る。激しい痛みに構わずにそれを何度か繰り返した所で部屋の扉が何者かによって開かれた。
血塗れのベッドの上で朦朧とする意識の中、辛うじて視線を上げたその先には驚愕した万斉の表情があった。
「退っ!」
万斉の焦ったような声を聞きながら俺の意識はブラックアウトした。
*
次に目が覚めたのは病院のベッドの上だった。
カーテンの開かれた病室で陽の光に照らされて身体に生えている草達が嬉しそうにさわさわと揺れている。
腕や身体には所々包帯が巻いてあり、意識を失ってここに搬送されたのが分かった。
包帯から覗く腕や身体には蔦が絡まるように巻きついており、かなり進行が進んだのだろう名も知らぬ草からは花が咲き、鈴なりに実がなっている。草で埋まった視界の中、ゆっくりと身体を起こすと、自身の右手が誰かに握られているのに気が付いた。
「ばんさい?」
それは恋人である万斉の手であり、万斉は俺の手を掴んだまま眠っているようだった。
その姿を見ながら俺はぼんやりと考える。
病気になってからずっと考えていた事。
それは俺が死んだら万斉はどうなるのだろうという漠然とした不安。
人当たりの良い彼の事だ、きっと俺以外の人と出会って幸せな人生を進むに違いない。
俺はそれが耐えられなかった。
それが俺は恐ろしかった。
だから魔が差したのだ。
プチりと腕から生える蔦に付いている実を一粒摘み取る。
真っ赤なその実はまるで食べられる為に生まれたのでは無いかと思う程に芳醇な香りがした。
「万斉、食べて」
眠る彼の口元へその実を運び、咀嚼するのを見守る。
「ふふ、これでお揃いだね、万斉」
彼の手の甲に生えた双葉を見つめながら、繁茂した草花で元の面影すらないでこぼこになった顔を引きつらせるようにして笑った。