俳優パロの進捗、出会い的な 行きつけの喫茶店のドアを開けると、白い髭を生やしたマスターが優しく微笑み、俺は軽く会釈を返す。
カウンターの隅に座り、マスターいつものね、と声をかけると彼は決まって砂糖は3つですねと応えてくれる。普通は自分で入れたりするものだけど、あまりにもいつも同じものを注文するのでマスターが最初から入れてくれるようになった。
喫茶店と言ったらコーヒーという人も多いけれど、ここの紅茶はよく実家で飲むものに茶葉の香りが近くていつもそれを注文している。故郷に居る家族達は元気にやっているだろうかと、皆の顔を浮かべながら席を立ちいつも読んでいる雑誌を掴んだ瞬間――タルタリヤはピクリと動きを止めた。
手に取った雑誌の右隣、その雑誌の表紙には【鍾離】という文字が刻まれていた。
世間の話題になっているものやトレンドを頭の中に入れる為に雑誌を読んでいるのでこの行為は重要だ。しかも色々と読んだ中で今手に取っている雑誌が一番上手く多種多様な記事を取り入れている。
そんな自分のルーティーンを崩したくはないのだが、タルタリヤは手に取った雑誌を起き、伸ばした手を右へずらした。
この男が本当はどんな人物なのか知りたいと思ってしまった。同行者なんて今まで気にしたこともなかったのに。
席に戻ると珍しいですね、とマスターに声をかけられたが、まぁたまにはね…と曖昧に返事を濁した。
――鍾離。突如現れた見目麗しい男性、その彼の魅力は計り知れない。エキストラ役として出演した映画にほんの一瞬映った彼を、観客達は見逃さなかった。
あのエキストラは誰だ、名前は?歳は?
世間ではそんな言葉が飛び交い、一躍時の人となった彼は表舞台に引きずり出されたのだ。
雑誌の表紙をめくると、茶色のPコートに身を包み椅子に腰掛け視線を外す彼の姿があった。なんというかもうそれだけで人の目を引くものを充分に持っているのは俺から見てもよく分かる。演技なんてやらなくても充分モデルで生きていけると思ったし、何より合わせた者の視線を逃さないその琥珀色の瞳が印象的だった。間近でそれを見た俺でも引き込まれそうだった深く済んだ色。
とにかく、彼の容姿は男女ともに人を惹き込むには充分すぎる容姿を持っていた。肝心の演技の方はというとこれからとあるプロジェクトに参加し心身共に鍛えていきたいと書いてある。なにこれ会社の持ち上げと期待が半端ないじゃん…
普通新人にそんな事はしない。プレッシャーに押しつぶされてしまうからだ。
羽化する前の大事な卵ほど丁寧に扱うはずだが…ふと、所属事務所に目をやると【璃月プロダクション】と書いてあった。
あぁ、あの最近立ち上がった会社か――とまぁそれなら方針をよく分かってないのも納得が行く。
他に何か情報は無いかと目を通してみたが、これと言って目新しいものは特にない。はぁ…とため息が自然に零れ、俺は雑誌を静かに閉じた。
「―珍しく熱心に魅入っておられましたね」
そう言ってマスターに声をかけられて、初めて俺は記事に夢中になっていたことに気づく。それはもう隣に置かれていた紅茶にも気づかない程に。
「あ、あぁ…うん」
「いつもはつまらなさそうに雑誌に目を通しているので新鮮でした」
「そう?」
まぁ確かに最近は特に気になる記事も無かったしそう見えてたのかな…
何だか自分が同行者を気にかけていることが恥ずかしくなって、俺は紅茶を一気に飲み干す。少し早い時間だがマスターに別れを告げて喫茶店を後にした。
***
時間が早い事もあって駅に人は少なく、俺はいつものように改札へ向かった。
ふと視線の先に立ち尽くしている男性が一人。長身に茶色の薄いグラデーションがかった長い髪を背中に垂らし、路線表を見ている。その横顔を一瞬盗み見て通り過ぎようとした瞬間――俺は驚いて「あ、」と声を出してしまった。
それは紛れもなく先程まで雑誌に映っていた鍾離本人だった。
俺の声を聞いて「ん?」と鍾離がこちらに視線を向ける。やばい、まずい、声出しちゃった…!と内心慌てていたが時すでに遅し。もうガッチリと視線が噛み合ってしまった後では今更サヨウナラという訳にも行かない。しかもこちらは足を完全に止めてしまっている。今更その場を立ち去る訳にもいかず俺は渋々声をかけた。
「―えっと…どうしたの?」
「電車の乗り方が分からない」
「……え」
いや、こちらが驚いていることに驚いてるみたいな顔をしないでくれ。俺が間違ってる!?
「えっと…電車乗ったことない?」
「ない」
…いやいや、どう考えても人生に一回ぐらいは電車に乗ったことあるよね!?ないの?いや待てよ、乗り方を忘れてるって線もある。
「じゃあいつも移動はどうしてるの?」
「徒歩だな」
「……車の免許とかは?」
「持っていない」
「そ、そっかー…」
そっちの線も違うらしい。っていうか徒歩って何…北海道にまで徒歩で行くって言うのか!?というツッコミは置いといて俺は試しに何処まで行きたいのか聞いてみた。
「✕✕駅まで」
偶然かそれとも運命か、その駅は自分が今まさに向かおうとしていた駅だったのだった。
それじゃあ俺はこれで、と駅に着いた後にそそくさと別れようとした俺の袖が何者かがグイッと引っ張った。
まぁ何者かと言っても一人しかいないのだけれど、振り返るとバツが悪そうな顔をした鍾離が、こちらに縋るような視線を送っている。耳が生えていたのならそれはもうペタンと申し訳なさそうに折りたたまれていたはずだ。
「スネージナヤプロダクションに用があるのだが、その…行き方を知っているか?」
言うと思った…いやむしろこの駅で降りるということ自体それを指している訳で、一緒に居るところを同僚達に見られたくなかったので足早に去ってやろうと思っていたのにこれだ。
そして自分の行先もそこであっているので、鍾離かそこに行くというのならばやはり同じ行き先を辿るしかない。
はぁ…とため息をつきつつも、
「俺もそこに用があるから、どうせなら最後まで付き合うよ」
そう言うと彼は琥珀色の瞳を細め―礼を言う、と一言返した。