安原課長のお昼ご飯〜喧嘩した次の日編〜僕が配属された部署の課長である安原さんはデキる人だ。
端正な顔立ちだが若干強面で仏頂面の安原さんだが、話してみると意外に軽快な人で部下にも慕われていて、僕達部下からすれば頼れる兄貴分みたいな存在だ。
それに頼もしく人望も厚い上に仕事が出来る人でもある。僕の先輩に当たる人によると安原さんが配属された後業績がうんと上がったという噂もある。
要は安原さんは僕達部下にとって憧れの存在でもあった。
そんな安原さんだが、今日の安原さんはいつもとてんで違った。
出社時から頗る機嫌が悪い。部下の僕達や会社の人に対する態度は至って普段通りなのだがそれ以外の時の機嫌が爆発的に悪いのだ。
デスクに座って部下が提出した書類を確認しているだけなのにその背中から醸し出すオーラは尋常では無く、その書類の作成主であるハピはまるで大目玉を食う直前の子供の様にデスクで縮こまり半泣き状態である。あまりにも可哀想なので昼飯を奢ってやろうと心に決めた僕。
無意識に醸し出してしまっている阿修羅の如きオーラに部署内の重力がいつもの三倍重く感じた。
「ハピ」
「ひゃいっ?!」
安原さんの低い声がデスクで縮こまっているハピの名を呼ぶ。ぴゃっと肩をビクつかせたハピは半泣き顔のまま小鹿の様に震える脚で安原さんのデスクへ向かった。
「この書類……」
「申し訳ありませんどこの不備を直したらいいですか!?」
「は?いや、不備とか無いぞ?よく出来てる。次のプレゼンはこの案で行ってくれ」
「へ?あ?はいっ?!」
最後の辺りは完全に声が裏返っていたハピが床を滑る様に瞬足でデスクに戻って来てデスクに座った途端気が抜けた様に資料だらけの机にうつ伏せた。
ハピ、お前はよく頑張った。だからお前の好きな某黄色いMマークのドデカバーガーと三角パイを奢ってやろう、だから昼まで頑張れと心の中でハピにエールを送ってみる。
人と接する時はいつもの人当たりの良い安原さん。だが一人になった途端眉間に深い皺を刻み目頭に皺を寄せた形相でパソコンのモニターに向かう安原さんは宛ら人を何人か食べた鬼の様だ。
こんな安原さんは先方と上層部のとちりにより残業上等休日出勤絶対の状況に追い込まれた去年の年末の大騒動以来見た事が無い……!!
先方か上層部、貴方達次は一体何をしでかしたんだ……!僕を含めた部署の社員一同閻魔大王の足元にいる様な圧迫感を感じながら自身の仕事に勤しんだ。
永遠とも思われた地獄じみた午前業務が終わりやっと訪れた昼休み。昼食の為に外へ出る人、社員食堂で食べる人と騒つく社内で僕はハピに話しかけてみる。
「ハピ、大丈夫……じゃなさそうだったね」
「パペ……怖かった……噛み殺されるかと思った……」
「よしよし頑張ったね。頑張ったハピくんに僕がお昼を奢ってあげよう。ドデカバーガーと三角パイでどう?」
「神様仏様パペ様ぁ〜」
勿論安原さんが噛み殺しなどしない事は百も承知だがあの剣幕を前にしたらそう思うのも無理はない。あのオーラでは軽く二桁は噛み殺している。
じゃあ早速行こうかと社員食堂の前を通るとたまたま見知った広い背中が視界に入った。
弁当持ち込みの社員も社員食堂のテーブルで食べており、安原さんは基本弁当持ち込み派の人で、いつも色とりどりの綺麗な弁当を持って来ている。
その手作り弁当は彼女手作りなのだろうともっぱらの噂で、入社当時からであると知った社員の中でその料理上手な彼女は奥さんへとシフトチェンジしていた。
そんな愛妻弁当を前にしている安原さんだがなんだか様子がおかしい。さっきの人間を噛み殺して二桁は食べている阿修羅の面影はどこにも無くなんだか困っている様なのが背中越しに伝わって来た。
「安原さんどうしたんだろう……」
「なんか困ってる……?」
周囲の人も安原さんと謎の物体の構図が気になるのかチラチラと様子を見ている。
僕とハピは安原さんの様子が気になり少し近付いて様子を伺ってみる。
社員食堂の柱に身を隠しながら様子を伺った僕もハピはその様子に思わず目を丸くした。
テーブルの上に弁当の風呂敷を広げた安原さんの前には色とりどりの弁当……ではなくアルミホイルに包まれた謎の物体。
生後一ヶ月位の赤ちゃんの頭程の大きさのアルミホイルの物体を前に眉を顰め腕を組む安原さんはそのアルミホイルをベリベリと剥がしてみた。
「うわっ」
アルミホイルを剥がして出て来たのは押し固められたお米で、それが何かを理解した安原さんは驚いたのか小さく声を上げる。
巨大なアルミホイルの正体は超絶大きな爆弾むすびだったのだ。
アルミホイルを半分程剥がした時点で安原さんはありえないと言いたげな形相で両手でその爆弾むすびを持ち上げる。見るからに重量のあるおむすびはかなり重いらしく安原さんは目の前の謎の物体をまじまじと眺めている。
突如現れた規格外爆弾むすびに僕とハピはドデカバーガーと三角パイの事などすっかり忘れて安原さんとドデカバーガーより確実に大きい爆弾むすびとの逢瀬に目が離せなかった。
「どこから食べればいいんだ……」
両手で持った爆弾むすびを回転させながら頭を悩ませる安原さんの姿に思わず吹き出しそうになった僕の腹をハピが軽く小突く。
「食べた…!」
一回りしてみて意を決したのか安原さんはその爆弾むすびに一口齧り付いた。
一口、一口と地道に白米を食べていく安原さんだが、五口目を齧り付いた途端ピタリと動きが止まった。
「えっなに……」
「どうしたの……」
急に止まった安原さんは齧り付いた爆弾むすびを前に驚愕の色を浮かべている。咀嚼して飲み込んだ安原さんがぽつりと一言……
「……ゆで卵??」
何故?と心底思っている様な声で出て来たその言葉にハピが音もなく崩れ落ちた。
さっきとは違う意味で肩をビクビクと震わせ笑いを押し殺すハピ。実は僕もかなり危なかった。
どうやらあの両手で持たないと食べられない爆弾むすびの中にゆで卵丸々一つ入っていたらしい。
……待てよ、あの規格外爆弾むすびに入っているのがゆで卵だけな訳がない。もしかして……
ドクドクと高まる心音、人の弁当をまじまじ見るのは失礼だと分かってはいるもののこんなの気になるなと言う方がおかしいじゃないか。
もさもさと口の水分を奪われながらゆで卵ゾーンを完走した安原さんは全然減らない爆弾むすびを一度テーブルに置き、水を一口飲むと再びその一割ほどしか進んでいない爆弾むすびと格闘を始めた。
「唐揚げだと?!」
「煮物が出て来た…?!」
「ほうれん草の胡麻和え……」
「きんぴらごぼう……普通に食べたかったな……」
「プチトマト?!そこは梅干しだろうが!!」
「海苔!?外に巻けよ……」
見事に僕の予想はダイレクトに当たってしまった。
新しいブツが現れる度に一人ぶつぶつと実況を続ける安原さんに僕の腹筋は崩壊寸前である。
周囲の人達も明らかに何人か肩を震わせて必死に笑いを堪えている。目の前のびっくり箱的爆弾むすびと格闘する安原さんはその周囲に気付かずに爆弾むすびを食べ進める。
規格外爆弾むすびと格闘して早数分、最後の一口を飲み込み規格外びっくり爆弾むすびロードを完走した安原さんは大量のアルミホイルを一纏めにして何かを考え込む様に俯く。
そんな安原さんを僕とハピ含め社員食堂の皆が静かに見守っていた。
「……」
安原さんはスマホを手に取り電話をかける。電話をかけ数コール、眉をピクリと動かした安原さんは小さな声で呟いた。
「……昨日はすまなかった。俺が悪かった」
「ああ……うん、そうだな……」
「俺が悪かった、だから今度から爆弾むすびは勘弁してくれ……」
「うん、うん……今日は定時で帰るから……ああ、じゃあな」
そう言って電話を切る安原さん。ゲンドウポージングでハァ、とため息をつく安原さんに僕とハピはそろそろと近付いてみた。
「安原さん、大丈夫ですか……?」
「ああ、なんとか大丈夫だ……なぁ、二人に少し頼みがあるんだが……」
どれだけ激務でも無茶な仕事でも顔色ひとつ変えずに颯爽とこなす安原さんがこんなにもやつれてるなんて……
僕とハピはげんなりと影を落とす安原さんの前に座る。
「頼みってなんですか?僕達に出来る事ならなんでも言ってください!」
あの爆弾むすびに体力と気力を削がれた安原さん。そんな上司の頼みとあらばと僕とハピは身を乗り出してそう訪ねる。
「すまない。……この近くでお勧めのケーキ屋ってあるか?」
安原さんの思惑に同時に合点がいった僕達は思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
「安原さんの奥さんだったらきっと可愛いものが良いですよね。この近くなら……パペ知ってる?」
「でしたらこの前新しく出来たケーキ屋さんはどうですか?可愛くて映えるって社内の女子が言ってましたよ」
そう言って僕はスマホでそのケーキ屋のSNSページを開き安原さんに見せてみる。
可愛くて写真映えするケーキ達を見た安原さんは困った様に小さく笑う。
「ありがとう……済まないな、俺個人の相談に付き合わせてしまって」
「そんな事ないですよ。奥さんと仲直り出来ると良いですね」
「ああ……爆弾むすびは暫く御免だ」
そう言って野球ボール程の大きさのアルミホイルの球を前に哀愁を漂わせて渇いた笑いを浮かべる安原さんなのだった。
安原さんを定時に帰らせる為に部署全員の指揮が上がり無事に部署社員全員定時退勤という奇跡の業を成す事が出来たのだった。
奇跡の定時退勤を遂げた安原さんが奥さんと仲直りが出来たのかは誰にも知り得ない。
だが次の日、安原さんの弁当に桜でんぷのハートが潜んでいて完食後鬼の速さで照れ隠しとも取れる抗議の電話をかけていたのでこの件は一件落着としよう。