雨、ふらんとす春の終わりの頃だった。
花を散らせる雨が降り、あたりは薄墨を流したようであった。
斎藤一は、赤くなったつま先を眺めながら縁側を歩いていた。コの字に中庭を囲む外廊下は、雨が吹き込んで色を濃くしている。
さあさあと止まない霧雨の向こうから、賑やかな声が聞こえてきた。
顔を上げると、隊士が数名何やら議論を交わしながらこちらへやってくる。ちょうど、庭を挟んで対岸である。
斎藤は、足を止めた。
庭の真ん中に植わっている藤が、雫を纏い松に撓垂れ掛かっている。
喧噪が離れてゆき、斎藤の耳には雨の音さえ遠い。
その人は、足を止め斎藤を見た。
ふたりの視線が松に絡まる蔓のように交わって、寸の間、呼吸さえ止まった。
柔らかな瞳、雨に煙る藤花のように儚く、その実隠れた意思は蕾のように硬い人。
永遠のような一瞬。
藤色の瞳は、確かな色を浮かべ、ゆっくりとまつげに隠れた。
そして、まるで秘密を知られでもしたかのように、気恥ずかしげな微笑みがふわりと浮かんで、すぐに消える。
例えば他の人間とどんなに肉体を交わらせようと、刃を交わそうと、こんな感情が生まれることはないだろうと思う。
一瞬の永遠。
それは二人にとって、たった一度きりで、そして天下をひっくり返す九鼎でもあるかのようにしまい込まれ、二度と顔を出すことはなかった。
「まさか、また会うことになるとはねえ」
「そうだね」
そのひとはごつごつとした岩の上に腰掛けて、外を眺めている。
肩には硬い布地のジャケットを羽織っているが、あまり似合わない。
斎藤は腕を伸ばして、そのひとのつるりとした膝小僧に触れた。
「……すまないね」
「何がですか」
「……」
困ったように小首をかしげる。ぱらりと、うっとうしそうな前髪が、頬を滑った。
「会うべきでは、なかったね」
「……」
「けれど」
臑はまっすぐとのび、足首は細い。本当に、剣を扱える人なのだろうか。技量を侮っているのではない。そうすべき人だったのだろうかとそう、思うのだ。
「君で良かったと……そう、思ってしまった」
「それは」
「あ、雨」
さあっと唐突に雨が降り出した。
まだ朝日が、ようよう布団からでる支度をし始めたばかりの時分である。
夜を明かした小さな洞窟の外は、とたんにぬれそぼってしまった。これでは、浜遊びどころではないだろう。
忍ぶように入り込んだ隠れ家は、雨のせいで外から隔絶されたかに思える。
ふと、このまま雨が止まなければよいと愚にもつかない願望が浮かんだ。
「斎藤くん」
「はい?」
「……きっと忘れておくれね」
「……」
大昔、一度だけ見たあの目が浮かぶ。
斎藤は、引きつるように口角をつり上げた。笑顔を作るのは、得意なのだ。
「わかってますよ、山南さん」
雨はまだしばらく、止みそうになかった。