『だからやめた方が良いって僕ァ言ったんだけどね』ソファが悲鳴を上げている。
三人掛けのソファは贅沢な作りで、決して安物ではない。けれども、大柄な、日本人の平均からするとだいぶ大柄な男ふたりが乗って暴れることは、想定されていないのだろう。
一際大きく軋んだ音は、それよりも大きな悲鳴にかき消された。
甘く、鼻に掛かった、官能的な鳴き声。
普段のその人からは想像も出来ないような色めいた声は、男の情欲をひどく刺激するものだった。
金時は、真っ白い背中を見下ろしながら、低く息を吐いた。
そうでもしないと、神経が発火でもして焼き切れそうだったのだ。
見下ろした先には、腰から項まで、滑らかに傾斜を描く背骨に流れた汗が伝っている。薄い皮膚の内側には仄赤い血がふつふつと沸いていて、白い膜の内側で燃えているようだった。
濡れて滑る肌を捕まえておくには強くするしかなくて、がっしりと筋肉のついた腰には、知らぬ間に大きな手形が付いていた。
「ぐ、ぁっき、きんとき、きんときっ」
はっはっと子犬のように息を吐きながら、組み敷いた身体が名前を呼ぶ。逃げる腕は脱ぎ捨てられた毛皮のコートを握りしめ、汗で湿った髪を振り乱している。
このひとが、こんな風に縋るように自分の名前を呼ぶことなど、想像できただろうか。
何度も、何度も、存在を確かめるように愛おしいものに呼び縋るように。その声はどろどろに溶かして煮詰めた果実程も甘い。
この声に呼ばれるだけで、金時は酩酊に似た感覚を覚えるのだ。
くらくらする。
煮えた頭で、打ち上げられた魚のような背中を見下ろす。
「兄ィ」
「ぅ、ぅんっ」
呼べば、うんうんと頷いて答える。金時は、その顔が見たくなった。
どんな顔をして鳴いているのか。
掴んだ腰の下には、小さな尻がある。体中に血を上らせているせいで、叩かれでもしたかのように赤い。まるで粗相をした幼子のような色合いは、ひどくアンバランスで、倒錯的だ。
そうしてその谷間には、赤黒い己の楔が突き刺さっている。すべてを納めていないせいで半端に覗いたソレが、生々しく濡れて光っていた。
ぐう、と奥歯を噛みしめる。
目の前がちかちかと明滅するほどに、興奮していた。狂化のせいなのかもしれない。身体の内側から膨れ上がるような興奮と、欲と、愛おしさで、どうにかなりそうだった。
「兄貴、」
声もかすれている。
突っ込んでいるものを遮二無二動かして、濡れたそこが淫らに泡立つほど責め立てたい。
「顔、」
ぐっと肩に手を掛ける。
「見てぇ」
見せて、と。
金時の手に促されるままにぐったりと身体を反転させた綱は、深く息を吸いながら顔を上げた。
噛みしめていたらしい金時のコートに、つ、と唾液が糸を引く。
「ぁ、」
だらしなく開いた唇の奥で、ひくんと真っ赤な舌が震える。
もうそれをみたら、その舌に噛みついて啜り上げて唾液を注いで、ぐちゃぐちゃにしたくてたまらない。
「き、んとき」
綱の内側を穿つ金時のモノが角度を変えた。繋がったままで姿勢を変えたからだ。臍の裏側を圧迫されると、綱はくっと眉間を寄せた。
先端が、これ以上はいけないと小さな抵抗にあう。
腰を掴んでいた手で、下腹部を撫でる。そうすると、自分が何処にいるのかがわかった。ゴクンと、知らず喉が鳴る。
「兄ィ……」
入れてしまいたい。
全てを。
いまだ納めたことのない全長を、その薄い腹の内側に押し込みたい。
入れたい。
ぐらぐらと頭の内側が沸騰している。
噛みしめた歯の間からふうふうと息を吐く金時を、綱はただ見上げていた。
涙でびっしょりと濡れた瞳で、じっと見上げていた。
金時は、綱は食べられたがっているのだと思った。
ぴたりと触れあっている部分が熱くて、鼓動も脈動も重なって、もはやどちらの音なのかわからない。
ふたりは情欲と、異様に高まった興奮を重ね、見つめ合う。
金時はゆっくりと覆い被さった。さらりと髪が流れ、金色が綱の額に触れる。
鼻先が触れ、睫の先が絡む。
唇の薄い皮膚を通しても体温を感じるほどに近づき、
「きんとき」
囁く声はもったりと甘く、爛れた脳に響いた。
「あに」
ゴーン、とその場に不釣り合いな電子音が、唐突に響き渡った。
金時の声を遮って、ギンゴンと続いて響く音は、遠慮なく甘い空気を引き裂いていく。
ふたりはぴたりと動きを止めた。
けれども、その音は止む気配を見せず、無遠慮に続く。
来客を報せる、低いチャイムの音だった。
「……」
「……」
こちらの動きを見ているわけでもないのに、ふたりはそっと息を潜めた。
ギンゴンギンゴンと鳴る音は、金時が設定したクラシックな呼び鈴の音である。
やりすごせないだろうか、と考えたが、どうにも諦めない。
「金時」
黒い目が、言外になんとかしろと言っている。
「俺が出るか……?」
「あ?それは……」
駄目だろう。こんな状態の恋人を、誰だかしらないが、人目にさらすわけにはいかない。
「こんな兄貴、誰にも見せたくねェって」
「……それは」
言いかけて、綱はむっと口を閉ざした。
「早く出てこい」
ほら、と押される。金時はふーっと腹部に力を入れて息を吐いてから、身体を起こした。
その辺に脱ぎ散らかした服と、綱が抱きしめているコートを羽織れば、とんでもない状態の自分はなんとか見えないだろう。
「すぐ戻る」
くしゃりと綱の髪を撫で、エントランスに向かった。
呼び鈴はゴインゴインとやかましい。
金時は力強く息を吐いてから、ドアを開けた。
「ほうらおったが」
目の前には、酒の匂いと癖の強い髪。
その後ろには、困った顔のマスターとスーツの男。
金時はなるべく室内が見えないように、ドアを塞ぐように立った。そこからさっきまでいた場所が見えるわけではないのだが、なんとなくそうしたかったのだ。
「どうした大将」
サングラスをかけ忘れたことには、前髪が目に掛かることで気付いた。
今更取りに行くわけにもいかないから、何でもない顔で三人を見下ろす。
「えーーーっと、ゴールデン、その」
「いやあマスターちゃん、お部屋を間違えちゃったんじゃない?」
ひく、と頬を引きつらせる少女の隣で、へらりと笑った壬生の狼がマスターの肩を叩いた。
チャイムを押したとおぼしき男は、間違ってないだのなんだのと叫んでいるが、どうにも酒に飲まれている。
「じゃあ、すみませんね。お邪魔様」
やはりへらへらと笑みを浮かべたまま、斎藤は視線を泳がせるマスターの背を押し、そして酔っ払いの首根っこを掴み、回れ右をして去って行った。
金時は何が何だかわからないままその後ろ姿を見送り、ドアを閉めた。
「誰だった」
戻ると、着物を羽織った綱が腰掛けていた。
さっきまであった嵐のような熱は引いている。完全に水を差されてしまった。
「あー、なんか間違いだったみてえ」
「……そうか」
「おう」
「……」
コートを脱いで、隣に腰掛ける。
先ほどまで我を忘れるような衝動に駆られていたところから、急激に冷やされてしまったせいで、なんだか少し気恥ずかしい。
「……金時」
「ん?」
ぽす、と綱の小さな頭が肩に寄りかかる。その指先が、甘えるようにシャツに爪を掛けた。
「……つづき、しないのか……?」
余韻に濡れた黒目が、金時を見上げる。
「する」
金時はぐうと唸ってから即答し、今度こそ、寝室に鍵を掛けて籠もろうと決意するのだった。