縦彼セタのつなの金綱重たい外套を脱ぎ、ソファの背に掛ける。オットマンを引き連れた一人掛けのソファには、オレンジ色の明かりがてらりと滴っていた。
紐をほどき、幾重にも体を覆っている布を床に落とす。
綱が歩いた場所には、さながら抜け殻が列をなしていた。
光沢のあるシーツ。白い海に人の気配はなく、冷たく凪いでいる。
「……」
綱は思い出していた。マスター、現在の主である年若い少女の言葉を。
少しは我を通してほしい、と。
綱は元々仕える主を持ってこその武者である。だが、自分はいままでの主とは違うというのだ。立派な人間でも、偉くも、地位も、何もない。ただの少女で、ただ手助けしてほしいだけなのだ、と。
立派かどうかは、綱の決めることではない。
だが、少女の言いたいことはなんとなく理解できた。全てを捧げる主君ではなく、ともに戦う者であってくれればよい、という少女の顔はどこか懇願するようでもあったのだ。
なので、綱は戦うべき時は主のために全てを捧げる心積もりではあるが、それ以外のときは、誰のためでもなく自分の為に我をだしても良いのかもしれない、と少しは想うようになっていた。
我、と突然言われても些か困る部分もあるのだが、これでも、どうやら恋情を拗らせ、世界を変えようとしたことのある男である。その部分に関して記憶を有してはいないが、まあ根幹は同じだろう。
つまりは、そういった感情に対し、多少鈍いながらも並々ならぬ行動力はあるのだ。
詰め襟を外し、ことさら重たい黒のインナーから腕を抜く。
「……うん」
誰にともなく頷いて、綱は、袴の紐をほどいた。
・・・
「黄金衝撃!!!」
ガァーーンッッと激しい雷鳴が響き、突如沸いた黒い雲から雷が地面へと突撃する。びりびりと地面は震え、辺りから立ちこめていた敵性反応が一掃された。
草木の焦げたような匂いの中、坂田金時は鉞を担ぎ直した。
─BATTLE FINISH─
本日の周回がやっと終わった。
金時は、このカルデアのエースアタッカーである。
誰よりも練度が高く、戦い慣れ、そして魔力の自給ができる貴重な存在だ。その上、多くの敵に優位をとれるため、一撃必殺の場面では金時がいないとお話にならないのだった。マスターは金時に頼りきりである。
金時としても頼られるのは満更ではなく、頼まれたならば喜んで出陣する。鍛錬も嫌いではない。だが、ここ最近は少々常軌を逸していた。イベントが出来ないだかなんだか呟きながら、マスターが血走った目で連戦している。
おかげで、金時は宝具を撃っては次の戦場へ、宝具を撃っては次の戦場へ、そしてマスターが眠る時に合わせて部屋に戻って体を休め、そして戦場へ。
一体なにがあったのかわからないが、異常だ。魔力さえ供給されれば金時は動くことはできるが、それでも精神的なものは癒やせない。
疲れたと思いながらも、休みをくれと言えるような雰囲気でもない。金時は泥のような体をひきずって、ひとときの休息を享受するため自室のドアを開けた。
「……ん?」
メインルームでコートを脱ぎ、シャワーでも浴びてベッドに転がろうと向かう足は、寝室のドアの前で止まった。
中からひとの気配がする。よく知った気配だ。
合鍵も渡してあるし、中にいてもおかしくはないのだが、今まで一度も使われたことがないし、それになぜメインルームではなく寝室にいるのだろうか。
訝しみながらドアを開ける。
すると、すぐドアの先にブーツが落ちていた。左、右。順に。
その先、ソファには見覚えのある白い外套、床に這う青い帯、白い着物、赤い着物……
そして、金時の大きな体を支えるベッドと、その足元によく覚えのある柄の塊。
「……」
そろりと視線を上向け、サングラスを押し上げる。
「遅かったな」
「……兄ィ」
ベッドの上にはここしばらくゆっくり顔も合わせていない、美しい兄がいた。
「疲れたか?」
「……おぉ」
する、とシーツを滑る音がやけに大きく聞こえる。
白い肌の先、仄赤いつま先が波打つ白をたぐり寄せる。
「食事は?」
「い、いや」
つま先からまっすぐに伸びた臑、ぴんと肌の張った肉厚の太もも、魅力的な臀部までの曲線は、あと少しというところで厚い毛糸に阻まれる。
「兄ィ……?」
「部屋着、というものを持っていなかったので、勝手に借りたぞ」
良いだろう?と小首を傾げる。
まだ見慣れない赤い髪が、露出した肩をふわりとかすめた。
「流石にすこし、大きいが」
ちらり、と小さないたずらでも見つかってしまったかのような目で、金時を見上げる。
あんたなんて格好をしているんだ、と金時が叫ばなかったのは褒められて良いだろう。綱はあろうことか、金時が普段着ている白い縦編みニットのVネックセーターをきていた。
金時でもゆったりめに着ているセーターが綱の体型にあうわけもなく、ぶかぶかと中で体が泳いでいる。
長い袖口からはみ出た指先を絡ませ、綱の真っ黒い目が金時を捉える。
「駄目だったか」
駄目といえば駄目だし、駄目じゃないといえば駄目じゃない。
ああもう、絶対明日は休みをもらおうと決意しながら、金時は疲れによれたシャツを脱ぎ捨てた。