境界線俺が長年の想いを告白し、見事に玉砕したのは数週間前である。
意を決し、その真っ黒い目を一所懸命見つめながら、好きだ、と告白したのだ。
しかし、結果は惨憺たるもので、答えはたった一言「お前をそういう風にみたことはない」だった。
だが、この告白によって関係を変えるのはいやだと言われた。それは願ってもないことで、俺は努めて今までと変わらない態度を貫いた。
その結果。俺の頭の中はやはりひとつの結論にたどり着く。
いや、これもう付き合ってるっていわねえか?と。
そもそも、俺が長年募らせた思いを告げたのには、そこそこの勝算があったからだ。初心を拗らせて鈍感なのか繊細なのかわからないと評される俺でも、これは脈があるだろう、とそう思えるような関係を築いていたからこその告白だった。
いつの頃からか、深夜に映画を見るときの距離が近くなった。肩はぴったりと触れあっていて、そろり、伸ばした指先も重なり合っていた。拒否されるかと思いきや、画面に向かっていた瞳はきょとんとこちらを見上げたかと思うと、長いまつげにほんのかすかな気恥ずかしさを乗せて、小さく微笑むのだ。そして、手は握り替えされ、指は絡まり合っていた。
眠たそうにしているところへ、寝るかと提案すれば眠いと返されてともにベッドへ潜り、料理中に後ろからのぞき込めば、味見と称してはいあーんしてもらえる。
そんな日々が続いていて、脈がないとだれが思うだろうか。こればかりは、流石に俺が正しいのではないだろうかと思う。
そうは言っても言葉にするというのは勇気がいることで、なかなか言い出せずにいたのだが、先日ついに口にだしてみた。そうすれば、もうすこしだけ先に進むことが出来るかもしれないという下心もあった。
だが、その結果が「そういう風にみたことはない」だったのだ。
思わず、嘘じゃん?と口に出しそうになったほどだった。
結果として俺はフラれたわけで、いわゆるブロークンハートってやつなのだが、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、態度は変えないでほしいというものだから、恐る恐る変わらない距離感で腰を抱いてみたところ、ほっとしたように肩にすりよってくるものだから、まあじゃあしばらくはと思っていたのがすでに数週前。
カーテンの隙間から差し込む朝日に目を覚ました俺は、眼下にある熟睡していてなお端正な寝顔を眺めながら、どういう状況なのだろうといつからかルーティンになっている疑問に頭を悩ませていた。
いやだからこれもう付き合ってねえ?
しっかりと絡まっていた指はほどけているが、寄り添うようにして眠っている。
俺は、寝起きにしてはしゃっきりとしているのに、些か痛むようなきがするこめかみを揉み、起き上がった。
すうすうと心地よさそうな寝顔を見下ろし、あぐらをかく。俺が起き上がったせいでまくれてしまった布団から覗く肩は、光沢のあるダークグレーのパジャマに包まれていた。
ちなみに、俺が履いているパジャマのズボンも同じ色である。これはここに泊まることが増えてきた頃、買ってもらったパジャマだ。風呂からでると下着にしている白いTシャツとこのズボンが置いてあり、先に寝支度を調えていた兄貴はズボンと同じ色のパジャマを着ていた。体格より少し大きめのそれは、どうみても俺がはいているズボンの上だ。その姿でさあ寝ようと言われて戸惑ったのは最初だけで、今ではこれが普通になってしまっている。
いや、普通ではないのだが。
この距離感でいていやじゃない、週末はほとんど一緒にいる、なにかあるたび、むしろなにもなくともしょっちゅう連絡をとりあっていて、『そんな風におもったことはない』ということがありえるだろうか。想ってない人間と同衾してパジャマ半分こにして手をつないで眠るのかこの男。
「……」
思い至り、おおらかな俺だがイラッとしてしまう。
複雑な心境で見下ろす健やかな寝顔が、むにゃりと動いた。ふわふわと小鳥のようにまつげが震える。
「……おはよう」
低くかすれた声が俺をみて呟く。まだまどろみから抜け出ていないだろう様子に、心臓がぎゅっとなるが、今はぐっとこらえる。
「はよ」
「……うん」
柔らかな毛先が、膝になつく。
「……」
ぐっとこらえ、手触りの良い肩をゆすった。
「なあ、ちっと起きてくれよ」
「……?なんだ」
「いいから」
座れという意味でシーツを叩く。不思議そうな顔とベッドで向かい合って座った。さらけ出された脚があぐらをかくのは大分目に毒だったが、これも、ぐっとこらえた。
「あのさあ」
「ああ」
「今からすることで、いやだってなったら言ってくんねえ?」
「? わかった」
こくりと頷く。俺は、手を伸ばし耳に触れた。寝起きのせいなのか温かい。
「……」
ふに、とやわらかな耳たぶをつまみ、耳殻を撫でる。弛緩していた肩が、ひくりと震えた。
緩くカーブした髪を除けるように耳裏のカーブをたどって、顎の付け根のくぼみを擦る。首筋をなぞって、そのまま両肩をつかんだ。
「ん、」
丸い肩をつかんでから、筋肉のついた二の腕をさする。寒さをこらえるときのように、しっかりとその形を確かめて擦った。
上目に様子をうかがう。
まだすこし眠そうな目が、うっとりとまつげを伏せている。いやがるそぶりはない。
骨張った手首をつかんで、指を絡ませる。指のまたをあわせるように重ねて、握ったりひらいたり。それから、爪の先で指の腹をひっかいた。
「ん、」
ひくん、と胸が震えた。じっと様子をみながら指から手を離し、おそるおそる太ももに手のひらを当てる。
「ふ」
筋肉の弾力に抵抗されながらそうっと擦りあげて、脚の付け根、筋の間をぐっとおす。
「ぁ」
危うげな場所に触れても、拒否の反応はない。俺は、俯く顔に額を寄せた。とろりとした目をのぞき込む。
「なあ」
「ん……?」
「アンタ、一度俺に抱かれてみねえか?」
「……なに?」
悩んだ。散々なやんだし、身体から始まる関係というのは、基本的には自分の場合は否定的なタイプだ。中身があってこそだと考えているし、見た目に似合わないと言われがちだが純情な方だ。
だが、どう考えてもこれで「そういう風にみていない」は無理があるぜ兄貴、という考えを拭えない。
だったら、どこまで駄目なのか試すしかないではないか。だってどうみても、この男、俺のことを好きなのだから。
俺の提案に、さっきまで眠そうだった目はぱっちりと覚醒し、風が起きそうなほどぱちぱちと瞬きを繰り返している。
長いまつげと黒い瞳の幼げなコントラストにぐっとくるが、例によって耐える。
「いやだったら、いえよ」
「、あ」
気合いを入れるように鳩尾に力を込めて、そのまま口の端に唇を押しつけた。さすがに、まだキスする勇気はでなかった。
それでも、兄の口から拒否はない。
「いやじゃねえ、ってことだよな?」
「ん、」
抱え込んだ身体がひくんっと震える。もう後戻りはできない。俺は、もう一度腹に力を込めて、腕の中の身体をベッドに押し倒した。