ときには君の綱は機嫌を損ねていた。
何故かといえば、昨夜布団の中であることに気づいてしまったからである。自分の身体を、まるで抱き枕かなにかのようにしている太い腕を見下ろす。
そして、綱は毛穴ひとつ見えない美しい眉間に、皺を一本寄せたのだった。
長いまつげの、若く健やかな美しい寝顔。
ふうん、と誰へ向けてでもないうなずきを一つ。
布団から抜け出した綱は、カーテンの降りた部屋で穏やかに上下する小山を一瞥し、浴室へ向かった。
ざっと熱いシャワーを浴びる。
泡で出てくるボディソープで全身をくまなく洗い、良い香りだと言っていたオイルを塗る。シャワーを出たら、これもまたいつだったか、手触りがよいとかなんとか言いながら執拗に撫でられた短めのボクサーに脚を通した。それから髪を乾かして、関節や胸元の汗を掻くところにボディパウダーを掛ける。さらさらと滑らかになった肌を一撫でして、上着に腕を通した。
着るのはセーターだ。綱にはずいぶんと大きなそれを着ると、尻までがすっぽりと隠れる。腕も指先までかくれてしまうが、流石にそれは邪魔なので袖をまくった。
ざっくりとVに開いた襟ぐりから漂うパウダーの香りに、我ながら良い匂いだと頷いてキッチンへ向かった。
ケトルに湯を沸かし珈琲をいれる。クルミの入ったカンパーニュを切って、オーブンへ。グリーンリーフとオレンジのサラダを作って、ツナとチーズのオムレツを焼こうかと時計をみると、8時少し前。おそらくもうそろそろ、冬眠していた熊が起きてくる。
がちゃ、と廊下の向こうでドアの開く音がした。思った通り、お目覚めだ。
「いいにおい」
「おはよう金時」
「おう、おあよ」
ふあ、とあくびをかみ殺す顔は、まだ目が開ききっていない。
しかし、その目はフライパンに卵を流し込む綱の背中を見て、ぱちり、と見開かれた。料理をしている綱はそれを見てはいないが、背中に視線を感じる。
「兄ィ……」
「なんだ」
「いや、その」
ふわ、と背中に熱が漂う。すぐ後ろに立っているらしい。
「なんだ、はっきり言え」
「いや、なんつうか」
「ん?」
半熟になったところで火を止める。
振り返ると、すぐ後ろで頬を赤くした恋人が綱を見下ろしていた。
「どうした?」
「いや、その、それ」
「うん?」
「そのぅ」
「なんだ」
「そのセーター、おれっちの、じゃん?」
「ああ、借りたが……駄目だったか?」
すまない、と首を傾げる。すると、金時は桃のようだった頬を、林檎の赤さに染めた。
「駄目、じゃねえけど」
「けど?」
「けど……」
なんだ、どうした?と顔を寄せる。
金時はうおおとかうううとかなんとかうめきながら、じり、と後退った。
さっきまで、こちらを枕のように抱いていたくせに、何故逃げるのだろう。
「どうした金時」
うっすらと、口角をあげる。
そう、綱は機嫌を損ねているのだ。理由は簡単だ。金時が、素直に綱を欲しいと言わないからだ。
昨夜、布団の中でそういえば最近抱き合っていない、と気づいてしまった。一緒の布団では寝ているが、何もしていないのは何故だろうかと考えて、自分が誘っていないからだと気づいた。つまり、綱が誘わなくては、金時は綱を抱かないのである。
その事実に、綱は盛大に臍を曲げた。
たまには、ちゃんとほしがられたい。たとえ金時が初心で奥手だからだとわかっていても、時には求められたいのだ。
そして綱は決意した。金時から言わせてやろう、と。そのために、よく理由はわからないが、今までの行為などで好ましく思われていた、と思われるものを総動員して身につけたのだ。
なので、今の金時の反応は、綱の作戦通りなのだった。
あとは、素直に、抱きたい、と言えば良い。
「どうした?」
「いや、なん、でも……」
「うん?」
「なんでもねえ!オイラちょっと走ってくる!」
「……」
じゃあ!と叫び、走り去り際にみえた耳は、溶けてしまうのではないかというほどに赤かった。
「……」
綱は、ため息をぐっとこらえた。
そして、抱きたいと言えたくらいでは許さんと、独り頷くのだった。