2/14→2/15綱は迷っていた。
今日はバレンタインデー、カルデア中が甘い香りに包まれている。キッチンはもう昨晩から菓子作りが始まっており、綱も朝からそこに混じって腕をふるっていた。
世話になった人々に菓子を渡す日、及び、想う相手へ恋心をチョコに託して渡す日、それがバレンタインだと認識している。
マスターや頼光にはもちろん、特にうまく出来た菓子を渡した。日頃世話になっている面々にもそれぞれ手渡し、今、綱の手元には綺麗に包まれた箱が二つばかり、残っていた。
「……」
一つは、綱が手作りした物。青い紙で包んだだけの素っ気ない四角い箱だ。リボンもかかっていない。もう一つは着物の袷のように二種類の包装紙で包まれ、くるくると先端が巻いている細いリボンのかかった少し華やかな箱である。
綱は、二つをテーブルに並べ、途方に暮れていた。
端から見ればそれらを睨み付けでも、しているように見えるかもしれない。ぴくりとも表情を変えず、じっとみおろしている。
青い箱と華やかな箱。
青い方を準備しているときには、華やかな方はなかった。
これは、綱が先ほど買ってきたのだ。
上げるつもりだった。想う相手に心と共にチョコを渡すのだと言えば、綱が渡す相手はひとりしかいない。
生きている頃は心の奥底にしまい込んだ想い。ここにいるときだけはさらけ出しても良いのだ教わった想いを、捧げる相手はひとりだ。
皆に渡す分とは別に用意した菓子を箱に詰め、周回に連れ回されている思い人が帰ってきたら渡そうと考えていた。そんな綱の耳に、かしましい……賑やかな女性の声が届いた。
『手作りはちょっと重すぎるでしょ』
重すぎる。
それがいったいどういう状態を指すのかはわからない。既製品と手作り菓子に重量の差があるのだろうか、だが多少重たくてもあの男はよく食べるから問題ないだろう、だがすぎるというのはあまり聞こえのよい言葉ではない。
綱の手の中には、青い紙に包まれた手作りチョコレートがあった。
重すぎる、らしい、手作りチョコレートが。
優しい男だ、渡していやな顔はしないだろう。だが内心、重すぎる、と思わないとも限らない。
普段の綱であれば、多少面倒がられようと別に構いはしない、本当にいやな時はいやだと言えばいいのだ。そしていやだといわれたら、そうかと諦めれば良いだけ。
簡単なことである。
そう、思うのだが、どうにも胃の辺りがしくりと痛んだ。
もしそれが言葉にならなくとも、いらない、と思われたらそれは、すごく……悲しい。
気づけば、売店で本日限定入荷という、なんとかというよくわからない名前のチョコレートを購入していた。
それが夕食の前だ。
夕食を食べても周回から戻っては来ず、風呂に入ってもまだ戻ってこなかった。
お陰で綱は、寝支度を済ませ、テーブルにのせたチョコレートをじっとみつめているわけだった。
「……」
そもそも、これを自分が渡して喜ぶのだろうか。
ふ、と根本的な疑問に気づく。想い合ってはいる。まだ再会し、こういった関係になって一年足らずだが、それでも想いは疑っていない。けれど、その想いがどの程度のものかはわからない。手作りどうこうではなく、単純に喜ぶのだろうか?
もし嬉しくなかったとしても、きっと気を遣って受け取ってくれるだろう。いや、あの男のことだ、喜ぶ、きっと。いやがりはしない。
そんなことは、長年みてきたのだ、疑うことではない。素直でまっすぐで、優しい男だ。義理や気遣いで嘘をついたり取り繕ったりはしない。
わかっている。わかっているのだが、なにがこんなに不安なのだろうか。
本当に、渡すべきか。渡したら、”重たい”のではないだろうか。
たしかに身体の相性は良い、だが、もともと生きているときはこんな甘ったるい関係ではなかったのだ。
「……」
やめよう。
渡すのをやめてしまえば良い。これは明日食堂にいる者に配ってしまおう。
そうすれば、すくなくとも可にも不可にもならない。
よし、と箱を持って立ち上がったときだった。
「それ、俺っちのじゃねえの?」
「!」
突然後ろから声がかかった。
振り向けば、まだ肩に鉞を担いだままの金時が、サングラス越しにこちらをみていた。
「なんで二個もあんだよ」
く、と眉間に皺が寄る。
油断していた。この部屋は金時の魔力が濃すぎる。それに、警戒する必要がない相手の気配に鈍感になっていた。
金時は、鉞を壁に預け、テーブルに浅く尻を乗せた。
「それともアンタがもらってきたのか?」
それ、と指さす。言いながら、金時の口はむっつりと結ばれた。
「これ、は」
「おお」
「……」
言えば、渡さねばならなくなる。
嘘をつくわけにもいかない。
綱は、ふたつの箱を手に取って、視線をうつむけた。
「お前へのものだ」
「どっちが?」
「どちらも」
「?誰から」
「……」
ちらり、と視線を上げる。
テーブルに腰掛けたまま綱を見下ろす目は、サングラス越しでも包装紙よりもずっと美しい。
「……俺だ」
「何で二個」
「それは」
それは、正解がわからなかったから。
素直に今日一日悩んでいたことを伝えると、金時はサングラスを外しチョコレートを受け取った。
「なあ、食っていい?」
「ああ」
「……食わして?」
「……」
じっと見つめられる。
綱は、少し考えて青い包装紙を剥がした。中から丸いチョコレートをひとつ、取り出す。
「ん」
それを開いた口に放り込む。ぱくん、と閉じた瞬間に、指先がほんの少し唇に触れた。
「兄ィ」
「うん?」
「すげえ美味い」
最高にゴールデンだぜ、と。
「な、ソファで一緒に食おうぜ」
時計はとっく15日になったことをしめしている。けれど、たまにはこんな時間に食べたって許されるだろう。
綱は、上機嫌な金時に手を引かれ、悩む必要などなかったことを実感するのだった。