君の気持ちはぁ、と白い息を自分の手に吹き掛ける。
一瞬温かくなった気もするが、やはりさほど変わらない。
長期の任務を終えた棘が帰ってくると聞いて、何とはなしに外に出た。
LNEがあって近くにいると聞いたから…。すぐに帰ってくると思って簡単にコートを羽織って部屋を出てしまった。
もういくらか時間も経っている。
一旦部屋に戻ろうか。
でも、すれ違ったら嫌だなぁ。
なんて考えながらスマホを見る。
陽は落ちて辺りは暗い。
寮のあちこちに転々と灯りが灯る。
不意に人の気配を感じて顔を上げた。
ーー棘だ。
遠くから近付くその人影は、待ち侘びたその人だった。
「おかえり」
手を振って笑顔で迎える。
怪我もなさそうで安心した。
「…明太子」
ただいま、と棘が告げる。
綺麗な瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。
少しだけ目を見開いた彼は、一瞬何かを躊躇ったようにも見えたが、するりと手を伸ばして唯の頬に触れる。棘の手はいつも温かい。
何度も何度も触れたその指先だけど。
嬉しくて。幸せで。
恥ずかしくて。
胸がきゅっとなる。
その手は唯の頬からゆっくりと背に回る。
棘が一歩踏み出して、自分よりもひと回り大きな身体が彼女をぎゅっと包み込むように抱き寄せる。その首筋に棘がそっと顔を埋めた。
さらさらの髪が肩にかかってくすぐったい。
「…な、に?どうしたの?」
ふわりと香る、汗の混ざった彼の髪の香に。
心臓がドキドキと煩く鳴りだす。
唯は棘の背中に手を回した。
棘の表情はわからない。
彼は少しだけ口を開いた、と思う。
布越しに温かい息遣いを感じたけれど、そこから言葉は続かない。
棘が右腕を動かす。
ジジ…とチャックの音が聞こえて微かな振動が伝わってきた。
「…と、げ?」
小さく名前を呟くが。
聞こえているのかいないのか…。
棘はちゅっと音を立てて唯の首元に軽く吸い付いた。
「…ん…っ」
小さな声と共に、びくりと身体が跳ね上がる。それには構わず棘は首筋に舌先を這わせた。
くすぐったくて。でも心地良くて。
小さく身体を震わせて思わず棘の服をぎゅっと握る。
「…なっ」
恥ずかしくて。
唯は棘の背中に回していた手を解いて身動ぐ。
「何するの、急に…っ」
咄嗟に棘の胸に手を当てて、離れようと力を込めたが、拘束されたままびくともしない。
棘の両腕も、唯を離すまいと力が篭る。
棘はそのまま、もう一度柔らかな彼女の首筋に噛み付いて、顔を上げた。
唯を抱き寄せて、逃げられないように背中に手を置いたまま顔を覗き込む。
その綺麗な瞳と目が合えば。
顔が熱を帯び、耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かる。
「…な、に?今日の棘、変だよ?」
整った顔立ちの彼は、唯を見て少しだけ目を細める。苦し気なその表情。
軽く開いたままの呪印の刻まれた口元。漏れる息は白くなって消えていく。
棘は片方の手で、唯の頭にそっと触れて。優しく撫でるように髪をすく。
ゆっくりとその唇を動かして。
“ す き ”
色のない言葉で、告げた。
頭が真っ白になる。
何度も唇を重ねた。何度も身体を重ねた。
想いが通じ合っているだけで良かったから。
そんな言葉は、聞けないと知っていた。
でも。
嬉しくて。
頭が回らない。
動かない…否、動けない唯の耳元に顔を近づけて、唇を動かす。その耳元で、囁くように、触れるか触れないかの距離。彼の吐息が、耳にかかる。
“ す き ”
鼓動が早くなる。
苦しいくらいに、これでもかと脈を打つ。
身体が熱い。
棘は真っ赤になって何も言えず、動けずにいる唯を解放して、一歩下がる。口元のチャックを上げて、悪戯に笑って見せた。
「めんたいこ」といつものように棘が呟いて、笑って右手を差し出す。唯は左手で棘の手を取った。
どちらともなくその手を握ると、棘が自分のコートのポケットに、握ったふたりの手をしまった。
End***