触れたい狗巻先輩の部屋。
もう何回目に訪れるかも記憶にないくらいには見慣れた部屋だった。
部屋の主である先輩は、ローテーブルに座る唯の向かい側に座り、何やらスマホに夢中になっている。
甘いお菓子を買い込んで並べ真ん中に置いて、2人でそれをつまんだ。
課題を少しだけやってみたり、買ったばかりの本を読んでみたり、スマホを見たりして唯も過ごす。
狗巻先輩を見ると、時折目が合って笑顔を咲かせる。そんな時間も嫌いじゃない。
ふと狗巻先輩の手元が気になった。そう言えば、スマホで何のゲームをしているんだろう、と立ち上がる。
唯の動きに気付いたようだが、さほど気にしない様子の狗巻先輩。後ろに立って覗き込む。
「何してるんですか?」
画面を傾けて見せてくれたが、さっぱりわからない。ゲームの趣味は合わないらしい。
「いくら?」
腰を屈めて覗き込めば。
ふわりと香る狗巻先輩の匂いに、少しだけ頬を染める。
大好きな先輩の、優しい香りした。
唯はその場で膝をついて、座り込む。
目の前には、男性にしては華奢だが唯より少し大きい狗巻先輩。その背はやはり、自分とは違う男性ならではの広い背中だった。
邪魔かな、と少し迷ったけれど。
唯はその背に額を着けて頭を預けた。
「ツナマヨ?」
背中越しに楽しげな狗巻先輩の問いが聞こえる。とりあえず邪魔ではなさそうだ。
硬い筋肉質な先輩のお腹に腕を回して、ぎゅっとしがみ付く。
目を瞑って体重を預けたけれど、その背中はびくともしない。
「ツナ?」
「なんでもないです」
「ツナツナ」
「気にしないでください」
「明太子」
いい匂いがする。
温かい感触に、ただ目を瞑った。
狗巻先輩の片手が唯の手に触れる。
「先輩、コロンとか香水とか付けてますか?」
「……?おかか?」
「じゃあ、柔軟剤かシャンプーですかね。狗巻先輩、いい匂いがします。先輩の匂い、…好きです」
呼吸する度に香るその匂いに、胸がドキドキした。狗巻先輩に一番近い距離に、自分がいる。
それだけで幸せだった。
微かに先輩の背中が揺れる。ふ、と笑う息遣いが聞こえた気がした。
「いくら?」
「…もうちょっとだけ、このままでいいですか」
「おかかー」
「ダメなんですかー?」
瞑っていた目を開いて唯が顔を上げれば、後ろを振り向く狗巻先輩。スマホを手渡され、唯はそれを受け取り画面を引き寄せた。
[えっち♡]
その文字に唯は耳まで真っ赤になる。
「…ちが…そう言う意味じゃないです…!」
狗巻先輩は固まる唯に向き直るように座り直し、意地悪な笑顔でスマホを奪うように持って行った。
視線がスマホに移って指が動く。すぐにスマホを反対に向けて、唯に画面を見せた。
[唯はいつも甘い匂いがする]
[すき]
心臓がドキドキと煩い。唯はまた顔に熱が上る。
そして、また画面を示した。
[なにするの?]
画面を見せて首を傾げる。
[なにしてほしいの?]
画面を見せながら、狗巻先輩はとても楽しげに口の端を持ち上げ悪戯に笑う。
「ツナ?」
唯はその瞳から逃げるように目を逸らすが、スマホを足元に放り出した狗巻先輩に腕を捕られる。両手を絡め取られ、動きを封じて覗き込むように唯を見た。
紫色の深い瞳が、ゆっくりと近付く。吐息のかかるくらいのその距離で、ただ目を細める狗巻先輩。
どうして良いのか分からず、唯は眉根を寄せて困り果てる。
至近距離で見つめられる顔が熱い。心臓が激しく脈打っている。
「……あ、の…」
「………?」
逃げ場のない唯を、狗巻先輩はただじっと見つめる。動けないでいる唯の目が泳ぐ。
「……ツナ?」
掠れた声に、背中がぞくりと泡立つ。
あと数センチで、重なる狗巻先輩の唇は決して動いてはくれない。
「……いじわる、しないでください」
「おかか」
静かにダメと、告げる。
「……キス、して…くれないんですか…?」
「おかか」
笑顔のない狗巻先輩の瞳には、唯だけが映る。
叶わない…。
声を震わせながら、唯は呟く。
「…キス…して、欲しい……です」
恥ずかしさでいっぱいで。
思わず両手に力が入る。
その言葉に優しく笑った狗巻先輩は、数センチの距離を埋めた。唯の唇をそっと塞ぐ。
すぐに離れたその唇は、また数センチの距離から唯に尋ねる。
「ツナ?」
呼び掛けて悪戯に首を傾げた。その口元は何か言いたげに開いているけれど。
紫色の深い瞳はまた唯を見た。
「……まだ…、やるんですか…」
小さく頷きながらも、唯の頭には狗巻先輩の片手が触れる。髪を梳きながら優しく撫でた。
羞恥から唯の瞳が揺れる。
「…ぎゅってして、欲しいです…。もっと、触りたい…」
小さく呟いて唯が顔を上げると、笑う先輩と視線が重なる。ぎこちなく、狗巻先輩に顔を近付けて唇を重ねた。触れた唇は柔らかくて、温かい。
一瞬唇が離れると、唯の頭を優しく撫でていた狗巻先輩の腕に力が入る。
「…………っ」
もう一度唇に触れた。噛み付くように唯の唇を喰む。捕らえていた唯の手を離して背に回し、苦しいくらいに強く抱きしめられた。
「…狗巻、先輩…?」
先輩は唯の首筋に顔を埋める。
「……っぁ…」
白い首筋を舌でなぞられると、自分の物でないような甘い声が漏れる。
そのまま体重を掛けて、唯の身体をカーペットの上ににゆっくりと押して倒して覆い被さる。
上半身を持ち上げて唯を見下ろす狗巻先輩は、甘い微笑みを浮かべていた。
「ツナ」
その髪を、頭を、頬を、ゆっくりと狗巻先輩の大きな手が撫でて行く。
そのまま頬に手を置いて、唯の耳元に唇を寄せた。
「ツナマヨ」
耳元でそっと囁く。
たくさん触ってあげるね、と。
End***