ひとりじめしたいさっきまで一緒にいた野薔薇ちゃんと真希さんと並んでキッチンカーで買った苺のミルクティー。
カップは半透明で、大きめの氷とピンクのかわいらしい飲み物に潰した苺の果肉が入っている。やや太めのストローを口に含めば、甘い苺とミルクティーの香りが口いっぱいに広がっていく。
美味しい。
…はずなんだけど。
あまりよく味がわからない…。
たぶんそれは、隣を歩く狗巻先輩が唯の手をぎゅっと握って半歩前を進むからだろうか。引っ張られるように、でも唯に歩調を合わせて歩いてくれている。
「…………」
日曜日の午後。たくさんの若者が行き交うこの人混みで、ミルクティーを買ってすぐに野薔薇ちゃんたち4人(とお留守番のパンダ先輩)と別れて別行動となった。
気がつけば唯は狗巻先輩とふたりきり。
振り返って見てももう見知った同級生たちの姿はなくて、あまり東京に土地勘がない唯は繋がれたその手を離す訳にもいかなかった。
声もなくちらりと隣りを見れば、唯よりもほんの少し背の高い狗巻先輩。
普段の見慣れた高専の制服と違い、黒のマスクにカジュアルなパーカー。ワンショルダーのバックを肩から掛けている。
色素の薄いマッシュルームヘアから覗く瞳は深い紫色で。長い睫毛で浮かび上がる影に、白い肌の整った顔立ちがマスク越しでもよくわかる。
普通にモテそうなんだよなぁ…。
そんな狗巻先輩と、ふたりきり。
手を引かれ、隣を歩く唯はそれなりにオシャレをしているつもりではいるけれど。高専を歩くのとは訳が違い、やはり視線が気になってしまう。
今私たちは、デート…を、しているように見えているんだろうか…。
…なんて。
「……………」
唯はまた、ストローを咥えて赤くなった顔を伏せた。
さっきまでだって、みんなと別行動になるまで同じ空間で普通に話していたし、学校でだって任務がなければよく一緒にいるけれど…。
急な緊張感に身体が強張った。心臓が跳ね上がるように鳴り出す。
ふたりきり、なんだ。
「ツナ?」
呼び掛けられて、慌てて顔を上げる。
「は、はいっ?!」
赤信号の交差点で立ち止まった。たくさんの人が行き交う交差点。
思い掛けず大きな声が出てしまった。そんな唯に狗巻先輩は笑って、顔を覗くように首を傾げる。空いた手でミルクティーのカップを指差した。
「ツナツナ」
半分もまだ飲めていないピンク色のミルクティー。
「あ、これですか?」
「しゃけ」
狗巻先輩はいつも通りの笑顔で、気にした様子もなく唯を見た。唯はほっと息を吐く。
あまり、気にする事でもないのかもしれない。
狗巻先輩にとっては、たぶん友だちを誘って出掛けるのと同じくらいの事。
「苺のミルクティーですよ。果肉が入ってて美味しいです!野薔薇ちゃんのオススメです!」
言って唯はそれを差し出す。
「ひとくち飲みますか?」
何気ない一言だった。
紫色の瞳が僅かに開かれて、その意味にはたと気付く。
野薔薇ちゃんや、真希さんに言うように。
中学の部活でペットボトルを回し飲みするみたいに言ってしまった。
このまま手渡せば……。
「……………っ」
唯は差し出したミルクティーを静かに下げた。俯いて、熱が昇る顔を隠す。
気にし過ぎ…、かもしれないけれど。
ほんの少し気不味い雰囲気が流れた気がする。
「すみません。なんか、変な事言いました…」
ストローを見てカップをぎゅっと握る。俯いたままの頭上からは微かに笑う気配があった。
狗巻先輩は繋いだままの手を少しだけ引いて唯の背に合わせて腰を折る。
「……………?」
反対の手が伸びる。指先が唯の手に触れて。
カップごとふわりと包んだ。
「おかか?」
“くれないの?”
いつもよりも低いその声が、耳に響く。わざとだろうか。唯の耳元で、そっと呟いて離れていく。
狗巻先輩の言葉は、ハッキリしない。
けれど、何となく伝わる気がした。聞かれた言葉に、顔を上げる。
首を横に振ったけれど、余計に恥ずかしさが込み上げて、小さく手が震えた。
「ツナマヨ」
繋いでいた手が離れて行く。
黒のマスクを摘んで顎までズラすと、狗巻先輩は薄く微笑む。小さく開いた口元には、蛇目の呪印。
甘い吐息が顔にかかる。
近付いて揺れる髪。紫の瞳は唯のすぐ目の前にあって。
ふわりと、先輩の匂いがした。
あ、と小さな声を出す事も出来ないまま、唯の唇は狗巻先輩に塞がれた。柔らかな感触に、ただ目を見開くばかりで動けない。
たくさんの人が行き交う交差点で。ちゅ、と軽いリップ音を残して、先輩の唇は離れていった。
「……明太子」
真っ赤になって、どくどくと速くなった唯の鼓動。周囲の雑踏がやたらと大きく耳に聞こえた。
狗巻先輩は固まったままの唯の手元から苺ミルクティーのカップを滑るように奪い取っていくと、何事もなかったかのように、素知らぬ顔で大きめのストローを口にした。
悪戯に笑う狗巻先輩。口元がはくはくと動く。
声音の乗らない狗巻先輩の声。
“ あ ま い ね ”
マスクを持ち上げて鼻先まで口元を隠す。ミルクティーのカップを唯に手渡した。
素直にそれを受け取れば、反対側の手がまた、唯の手に触れた。握られた手は掌を滑り、一本ずつ細く長い指先が唯の指に絡まる。
「……狗巻…先輩…?あ、の……」
絡んだ手を持ち上げて、ぐっと引かれる。
いつの間にか交差点の信号は青になっていて、人々が動き出していた。
「すじこ」
と告げて振り向いたその目元が優しく笑う。
やっぱりほんの少しだけ、赤く染まった狗巻先輩の頬。
まだ、これから。
今日だけは、まだしばらくふたりで。
End***