「頼むアルバーン、入れてくれ。」
ドアを開けるとファルガーからいきなりそう言われる。冬の寒い日の真夜中に押しかけてくるとは。一陣の風が吹きファルガーの髪を揺らした。風邪をひかれても困る為、アルバーンは中に入るよう促した。
「それで?何があったの。」
ソファに足を抱えるように座るファルガーに半ば呆れながらそう聞く。昼夜問わず電話をかけてくることはあれど、住所を教えているとはいえ家に来るのは初めてだった。片付けがあまりできていないがまあそれは許されるだろう。アルバーンはファルガーの隣に座った。
「ヴォックスが…。」
「ヴォックスがどうかした?」
アルバーンはファルガーとヴォックスが恋人同士であることを知っている。同様にファルガーはアルバーンとサニーが恋人同士であることを知っていた。
「ヴォックスが、『お前の事を愛している』って言ってきたんだ。」
「惚気に来たわけ?」
「違う!」
わざと揶揄うように言ってみるも、強い言葉で否定される。アルバーンはなんとなく分かっていた。彼がここに来た理由を。そして自分にはどうすることもできないことも。
アルバーンはファルガーの方に顔を向けた。自分より幾分か大きく、また保護者のように例えられることも多いこの男がずいぶん小さく幼く見える。肩を抱いてやると甘えるように身を寄せてファルガーは言った。
「怖い。その言葉がもっと欲しいと思ってしまう自分も、いつかその言葉がもらえなくなる日が来るかもしれないことも、もしそうなった時あいつのことを知らなかった頃に戻れそうにないことも。全部、全部怖い。こんな気持ち知りたくなかった。」
本音を吐き出すことにストレスを感じているのか、涙が銀色の瞳からこぼれ落ちる。鼻をすする音が部屋に響いた。
僕にそっくりだな。
口には出さない代わりに肩をぽんぽんと一定のリズムで叩く。アルバーンもたびたびそのような気持ちになる。その名の通り太陽のような温かさを持つサニーもヴォックス同様に、よく愛の言葉を囁く。アルバーンもサニーに愛の言葉を返すが、ふとした瞬間に訪れるあの漠然とした不安感。いつか、捨てられるかも。いつか、ひとりぼっちに戻っちゃうのかも。
過去に愛される経験が少なかったからか、はたまたファルガーと同じく自己肯定感があまり高くないからか、その不安感は一度思い出すと数日間身体を蝕むように留まる。それが限界を迎えそうになるとアルバーンはいつもサニーに電話をして、ああ彼はまだ自分を愛していると安心する。繰り返し行われる儀式のようなものだった。
だがファルガーはどうやらそう言うタイプではないらしい。限界を迎えても溜め込み、そして今日のヴォックスの一言で一気に爆発したのだろう。あれ?そういえばファルガーはヴォックスと同棲しているわけだが、ヴォックスは今どうしているんだろう?
「ファルガー、もしかして飛び出して来たの?」
ファルガーは何も答えない。
「何?本当に何も告げずに出てきたわけ?」
ファルガーは何も答えないままだった。
アルバーンはおもむろに立ち上がってswitchを起動し、ファルガーが熱中するあまりコントローラーを2個壊したというスマブラを立ち上げる。ファルガーにもコントローラーを渡すか迷ったがやめた。キャラクターを選択し、さあもうプレイ開始、と言うところで彼はやっと口を開いた。
「俺はそれをもらうのに値しない存在なのに、甘い中毒性のある蜜を貰い続けるのはヴォックスに申し訳ない。あいつにはもっと、あいつ自身と釣り合う存在がいるはずだ。」
僕もよくサニーに言うセリフだ。僕よりもっと素敵な人がいるよ、サニー。どうして僕なんかにこんなにも愛を与えてくれるの?サニーはいつも照れながら返す。アルバーンが大好きだからだよ。僕の、太陽みたいな存在。でもその太陽の光は僕には眩し過ぎることが多い。
「ファルガー、お前はさ、本当に、一番に、何よりも恐れてることって、何?」
彼の何もかもを逃さないように、確信に迫れるように、一言一言区切って問う。二人の間にまた静寂が訪れるが居心地は悪くない。ただ、スマブラのBGMが酷くうるさく感じる。
どれほどの時間が経っただろう。俺がファルガーを見つめると、ファルガーも俺を見つめ返した。ファルガーの表情からは諦念を感じられた。
「俺の本当に、一番に、何もよりも恐れてることひとりぼっちで死ぬことだ。ヴォックスにとって俺が過去のものになり、そして誰にも看取られず死ぬなんて、耐えられない。結局俺は、自分勝手で最低なやつだ。」
再び一筋の涙が流れる。それを拭ってやりながら
「ほんとにお前って、僕にそっくりだな。」
と今度は声に出して言った。僕にそっくりな可哀想で可愛いファルガー。一番恐れていることまで同じだなんて。
「ねえファルガー、僕今思いついたんだけど、こうするのはどうかな?」
「なんだ?」
「どっちかがどっちかに捨てられる、つまり僕かファルガーがサニーまたはヴォックスに捨てられる日が来たとする。そうしたらその日のうちに、僕たち二人で一緒に死ぬんだ。どう?」
いたずらっ子のような笑みを浮かべ、とんでもない提案をした。ファルガーの手を取り恋人のように指を絡める。ファルガーは少し困惑した様子だった。
「僕もひとりぼっちで死にたくないってずっと思ってた。もうずっと長い間。だから、もうそれが一番だよ。二人を置いていっちゃうことになるけど、でもひとりぼっちで死ぬことは無くなる。ファルガーの言う通り、僕達は自分勝手で最低なやつだ。だから、どうかな?悪い案じゃないと思うけど。」
「お前が俺を裏切らないって保証がどこにある?」
「どこにもないさ!でも、その日が来ることも保証はないだろ。だからそうだな、うーん、儀式でもすればいいわけ?僕がサニーと電話をして愛を確認するみたいに。」
「儀式?」
「そう、お前と僕はいつその日が来た場合、共に死ぬ事を約束するって都度確認するんだ。僕たちの関係は言わば共犯者ってところかな。」
「都度は面倒だな。」
サニーと度々愛の確認の儀式をする僕。限界まで溜め込んだ後爆発するファルガー。相容れそうになかった。仕方ない、今回は僕が折れよう。
「はあ、分かった。じゃあ今やろう。厳かなやつ。」
「厳かなやつって何だ?」
「さっきから質問ばっかりだな。ああこれ使おう。」
近くの洗濯カゴから今日変えようと思っていた真っ白なシーツを広げ、ファルガーの頭にベールのように被らせると、元々の顔立ちや銀色の髪色と相まって倒錯的な雰囲気を醸し出した。再び隣に座り、両手を握る。
「僕、アルバーン・ノックスは、健やかな時であれ病める時であれ喜びの時、寂しい時であろうとも、その日が来たらファルガー・オーヴィドと共に死を迎える事を誓います。」
ファルガーは数秒固まった後徐々に口角を上げてアルバーンの両手を強く握りしめた。
「俺、ファルガー・オーヴィドも同じく、健やかな時であれ病める時であれ、喜びの時、悲しい時であろうともその日が来たらアルバーン・ノックスと共に死を迎える事を誓います。」
「お前の切り替えの早いところ、好きだよ。誓いのキスでもする?」
「浮気にならないか?」
「ならないよ、これは共犯者としての儀式だから。」
「それもそうか。」
さすが27点と29点と普段なら茶化しあっただろうが今は導かれるようにして口付け、そしてすぐに離れた。
「スマブラの音、うるさいな。」
「お前がずっと黙ってたからやろうと思ったの。」
いつもの雰囲気に戻り、立ち上がってコントローラーを元の位置に戻す。
そろそろヴォックスに連絡をしてやるべきだろう。メッセージを送るとすぐに既読が付き、迎えに行くと返信があった。住所を送りさてこれからどうしようかと思ってファルガーの方を見る。
「ヴォックス、迎えに来るって。」
「ああ、連絡してくれたのか?すまん。家からここまで大体二十分くらいはかかるな。どうする?せっかくだしスマブラでもするか?」
「そうしよっか。」
再びコントローラーを手に取り、ファルガーにも手渡した。
ゲームに熱中している時の二十分などあっという間で、インタホーンの音が鳴る。玄関までファルガーと一緒に行き、ドアを開けた。
「ああ、ファルガー。本当に探したんだぞ。無事で良かった。」
深夜に突然家を飛び出したのに、怒るわけでもなくむしろ心配の声をかけファルガーを抱きしめる。ファルガーも控えめに抱きしめ返した。これを愛と言わずして何と言うのか、この愛が失われる日がいつか来るのだろうか。アルバーンは二人を見ながら思った。
「世話になったな、アルバーン。」
ヴォックスがファルガーを抱きしめながら目線をアルバーンに向けて言う。
「いや別に、お互い様ってやつだよ。」
ファルガーもアルバーンに礼を言い、二人は家へと帰っていった。家には自分一人だが、ひとりぼっちな気持ちではなかった。
例えいつの日かその日が来ても、自分はひとりぼっちではない。
安心感と呼んでいいのかわからない薄暗い気持ちが広がっていく。明日はサニーに電話をしてみようかな。愛の言葉を求めるのではなく、ただ純粋に話をする為に。そんな事を思いながら、アルバーンは大きな欠伸をし、寝る為に寝室へと向かった。