煌火の花雷、轟け一切『今日花火大会あるみたいなんで』
『出店飯で軽く一杯しませんか?』
業務用パソコンの画面右下で展開されているチャットに子気味よくぽんぽんとメッセージが表示されていく。
送り主は大体予想がつくが念のため名前が表示される大きさまでウィンドウを拡大すると案の定『経理部 斎藤一』とタブが表示された。
おおかた飲みの誘いだろうと予測をつけ内容を確認すると予想は的中する。まったく⋯、いつものことながら飲みに誘うことが当日突然を極めすぎている。
(もう少し前に言えばいいものを⋯)
そう思いつつも自分も当日に約束を取り付けることばかりだったなと己を省みた。
どれほど当日に誘っても残業で合流できないことを除けば断られることなどなかったため失念していた。
格段趣味もない、恋人もいない独身男性の週末の予定など余程のことない限り埋まることもなく、断る理由もないためそういった配慮にはよりこと欠いていた。
『場所は?』
何度もやり取りをしたメッセージの最後に新たに加わる自身のメッセージ。
ふと気になり今までのやり取りをスクロールすれば、容易く始まりになど到達でいないほどで。
それに対して何か思う前に新しいメッセージの受信に思わず癖でリロードをしてしまった。瞬く間にスクロールした画面はその軌跡すらなかったかのように一瞬で元の最新メッセージの画面まで戻る。
『〇〇川の河川敷で出店が出てて』
『で、ちょっと見れる花火は小さくなるけど』
『ちょうどいい感じの欄干で食べながら観れる橋があるんですよ』
『わかった』
『俺は定時で上がれるがそちらは?』
『珍しく定時を勝ち取れそうなんで』
『下で待っててください』
テンポよく打ち出される会話の最後に『了解』と返答すると先ほどまでのやり取りが嘘のように静かに止まった。
本日の業務配分と進捗を照らし合わせて申し分ない進捗ではあるが、今一度気を引き締めて中断していた資料の完成をめざした。
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「いやー、危なかったですね…僕、ちょっとでも残業してたら激混みの中出店回るところでしたよ…」
「やはり分担したのが功を期したな」
「まあ花火の時間まで30分切ったら濁流みたいな人波になりますよね…」
斎藤のおすすめの花火ポイントなる場所に向かうため、喧騒の中から離れ少々小高い場所にいる自分たち。
先程までいた場所を見ると地面が見えないほど、人、ひと、人で覆い尽くされ道。
(あの中では気も落ち着かんな⋯)
そんなことを悠長に考えながら一時間ほど前のやり取りを思い出す。
業務後足早にエントランスに向かえば、珍しく彼が先にホールに設置されている来客用の椅子に腰掛けていた。
小走りで近づけばこちらに気が付いたようで、なんだ今座ったばかりなのに、とよく見る目尻を落として細める笑みと軽口を叩く。
出た言葉に反してそこには疲労や不快などは感じない。むしろ『今来たばかりで待たせてはいない』と暗に気を遣われた気配を察して痒い気持ちになった。
ここから大通りまで駅の方角に向かって行ってー、そこから南に歩いて十五分くらいの河川敷なんですけどー、と移動も併せて説明を受ける。
普段から通勤で利用している勝手知ったる道を少し先導される形で二人で歩く。
飲みに行く際は同様に隣を歩くことも少なくはないため最近ではあまり違和感も感じなくなっていた。
「いつもより外出る時間が早いから⋯すげー暑い⋯」
「また残業続きだったのか?」
「まぁ、6月の決算終わってから溜めてたやつ片付けてたらまぁ時間かかって⋯」
「相変わらず経理の仕事は忙しいな⋯」
「いや、営業関係だってめっちゃハードじゃないですか」
「やるべき時やることさえ出来ていればなんて事ない、まぁイレギュラー案件が入り込んでくることもあるが頻回ではないので⋯」
こともなさげに述べてしまいまた化け物を見るような目で見られてしまった。ふむ、慣れたものだ。
夏本番とまではいかないが容赦ない日差しを避けるため足は自然と地下に繋がる階段を降りていた。今地上を歩くのはあえて熱中症に罹りにいくような愚行だ。
外気を遮断する扉を開ければ一気に地下特有のひんやりとした空気が体に浸透し無意識に緊張していた体は弛緩した。
汗も落ち着いたかと言うところで横を歩いていた彼から声がかかる。
「渡辺さん残念なお知らせがあるんですよー」
「なんだ急に」
「地下に潜ってわりとすぐですが、なんとここから地上に出ます」
「⋯」
あまり表情を崩さないことで定評のある自身だが流石に顔に出てたのだろう、彼にふっと笑われたあと揶揄の言葉が入った。
「なに、そんな顔できるんだ~」
少し腹が立ったので肘で小突いてやった。
そのまま地上に出る階段を登り切れば街路樹が日陰を作り直射日光を遮っているが全身を覆うほどの熱気に眉をしかめる。
「いやー、こんだけ暑かったらビールめちゃくちゃうまいだろうなぁ⋯」
「その前に倒れるんじゃないのか?」
商売道具が入ったリュックと背の間で熱が籠る。
「あーもーホントあつー!」
「⋯」
激しく照りつける直射日光と灼熱の照り返しでお互い言葉も少ないまま歩みに集中したおかげで10分程で河川敷に到着し、手筈通り二手に分かれて、冒頭のようなやり取りを経た。
「それにしても、緩やかだが…長い坂だな…」
口に出しても距離が変わるわけではないのだが、噴き出る汗に思わず言葉が口をついて出た。
若かりし頃部活でしごかれた坂道に比べれば平地ともいえるような道だが、成人にもなればまず歩行することすらを避けるであろう坂道だ。
先程通った地上の道よりは木々も生い茂り上空を木漏れ日が漏れる程度の影を作ってはいる。
作ってはいるのだが⋯、まとわりつく空気の不快はさほど変わってはおらず全身から汗が吹き出ていた。着ているワイシャツも体に張り付いていて気持ちが悪い。
前を歩く彼はこちらを一瞥するとほんの少し申し訳なさそうな表情をし口を開く。
「あそこの木の間から空が見えるところ、あそこで終わりだから…」
がんばれ渡辺さんと、同じく流れる汗と紅色した顔で声援を送られれば年上の矜持が顔を覗かせてきて、歩幅を増やしてその隣まで肩を並べてやった。
下を見れば人などもう顔の識別も出来ないほど小さくなり、代わりに鳴く蝉の音が一層近く存在感を増していた。
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木々がひらけば傍を通る風が心地よくて思わず目を細めた。と同時に目的地にたどり着いたのを理解した。
ふと目線を上空へと向ければ落ち着いた群青から鮮やかな黄色へのグラデーションが目につく。群青の先はかなり陰りを見せていて周りの電灯がなければ視界的に不安を覚えるやもしれない。
「お!やっぱり誰もいないー」
「最近ペンキも塗り直したみたいでめっちゃキレー」
飛び出すようにして横から駆けていく彼は子供のような顔をして山の縁に沿ってかけられた真新しく見える橋に向かっていった。
着いていくようにしてそこまで行けば、なるほど、欄干の幅も広く買ってきたものを置くのにもちょうど良い場所だ。
「結構風が吹き抜けるから、少なくなったのとか食べ終わった容器は都度袋に入れなきゃいけないのが少し面倒なんですけどね」
嬉々と次々に出店で購入したであろう品物を出していく彼にほんの少し頬が緩んで、自身の方で購入した酒などを展開していく。
持ち歩くことを想定して入れてもらった保冷剤のお陰でビールはまだ冷たいままだった。
(泡は⋯ほとんど消えてるな⋯)
まぁそれでも飲む分には一応問題ないので改めては考えないことにした。
「どうぞ」
「あ、ビールありがとー!っわ!すみません!」
待ちきれないかと思うほど勢いよく出された手にぶつかったビールは蓋がなければ確実に溢れていた。
「ふっ、何してるんだ、ほら」
思わず零れた笑いは特段隠しもせず、ゆらぎのおさまったアルコールをゆっくりと彼の目の前に置いてやって自分の分も手元にも準備する。
こっそり様子を伺うと少々バツの悪そうな表情を浮かべていたので珍しいものを見たせいか得も知れぬ感覚が胸元に広がった。
自分の分も水滴で若干くたっているトレーから取り出して蓋を取り彼に向けた。さて
「じゃぁ渡辺さん乾杯」
「乾杯」
音など鳴らないはずのプラスチックのコップでグラスを合わせたような子気味いい音がした⋯気がする。
(まだ酔いも回っていないはずなのに⋯)
彼とはそれ程こういった場を共にしてるから、ということにしておこう。
一番手近かにあった焼き鳥を一口頬張ると思ったよりも味の濃いそれが汗をかいた体に染み渡る。
求められていたかのように普段よりも美味しく感じて思わず声が出る。
「美味いな」
「いやー、汗かいた後はやっぱりこれくらい塩分濃くないとねー」
はぁー、と購入したビールを一気に半分ほど飲み下してすでに2本目の焼き鳥を頬張っている。花火が始まる前に無くならないことを祈るばかりだ。
「この橋、向こうを抜けるとどこにたどり着くのだ?」
来た方とは反対を見て彼に問いかける。目線を向けても街灯が続くだけで先が全く予想できない。
「ああ、こっちの道少し歩いて抜けると飲み屋街に入るんですよ」
距離で言うと大通りから1駅分位の距離だから~、などと話してると突如小さめな轟音が響き渡る。
「お!花火始まった!」
彼の視線が向かう先に自分も目線を向けると赤、緑、黄と次々と小ぶりな花火が咲いていた。
「意外としっかり見えるな」
「でしょー」
少しの驚きを口にすると上機嫌に笑みを浮かべて今度はイカ焼きを頬張る彼につられて同じもの口に運んだ。
華やかな花火が次々と上がり感嘆の声をそれぞれ上げながら穏やかな時間が流れる。
トレーから最後の焼き鳥をつまみ上げそのままトレーはゴミ入れとしてリサイクルされた持ち運び用の袋にしまい込んだ。ふとその瞬間視線を感じてそちらへ視線を向けた。
じっとりと、まとわりつく琥珀の瞳がこちらを捉えている。こちらの視線に気付いたのか何事もないように目を離して再び空へと目線が戻る。
(たまたまか?)
こちらも視線を空へと戻し、離れた距離でも眼裏に焼き付くほどの菊星たちを視界に収めた。次々に色を変えて思わず童心に返りそうなほど目を楽しませた。
再び視線を感じて斎藤の方に目を向ければ、また視線が重なった──と思った矢先に、彼は何事もなかったかのように目線を逸らした。
さも何気ないふうに、ゆるやかその視線は逸れていく。
(⋯なんなのだ?)
そしてそれは二度、三度と繰り返された。
流石に愚鈍な俺でも故意に、はたまた無意識に視線が向けられているのだと気が付いた。
「⋯随分目が合うな」
「そぉですかぁ?」
「俺じゃなく花火を見てろ、何のためにこんな暑い中来た」
「あはは、ほんとですねぇ、暑い中頑張って来ましたよね」
昼の酷い暑さを思い出させるような会話
髪の隙間を抜けるような心地良い風が吹くのと同時に空きかけの焼き鳥の容器が流されそうになった。
「っ!」
「おっと!」
ほとんど反射で出た手は見事流され切れる前に焼き鳥の容器を掴んだ。ただし同時に出された彼の手は俺の手ごと。
アルコールのせいもあってか殊の外暖かい手が気持ちよくて、力強かった。
「渡辺さんナイスキャッチ~」
「⋯」
「⋯」
正面から見据えられた。琥珀の瞳に打ち上げられた花火が反射して綺麗だった。
おもわず何となく目線が外せなかった。
枝垂柳みたいな花火が自身の視線の端に映ったような気がしたがそのまま手と視線が離せず結局どんな種類の花火が上がったのか、分からなかった。
********
しばらくして一際輝く大輪を咲かせたあと空は長く暗闇に包まれた。
そうしてようやくこの一瞬の非日常が終わったのを理解した。
「あぁ~~~、花火終わっちゃったぁ」
「あっという間だったな」
「⋯意外とこういうのも良かったでしょう?」
「悪くないな⋯」
「ね?また来年も来ましょ?」
穏やかな会話、こうやって彼と語っている時間は割と心地良いと素直に受け入れている自身。その事実に違和感を覚えない程度にはこういった時間は過ごしたのだろう。
花火が終わったあとの特有の物悲しさも相まり思わず、⋯そうだな、などと来年の約束も取り付けてしまった。
花火の音が止んだせいか、彼の声がよく耳に残る。
花火を見終わるのと同じくしてつまむ物も飲み物も切りよくなくなってしまっていた。
しかしここで別れるのもなんだかまだそんな気分ではない。
僅かに葛藤する俺の心を知ってかそうでないのかは横で頬杖つい見ている彼は知る由もない。
はずなのに、いつもここ一番で欲しい言葉を寄越した。
「もう一件行きます?」
待ち望んでいたというには気恥ずかしい言葉に一陣の風が頬を撫でて抜けていく。
「⋯そうだな」
よーし!そうと決まれば!と手早く欄干の上の空きパックを片付ける彼を見ながら、趣味も週末の予定のない独身の自分に何故か賞賛を贈りたかった。
こうかのはならい、とどろけいっさい
○銀華の色彩、眼裏の残光(はじめ視点)
『ちゃんと花火を見ていろ』
目を奪われる度に指摘が入る。
思わず勘違いしそうなほど目が合う事実に気付くと酷く跳ね上がる心臓を抑えつけて目線を鮮やかな空へと戻した。
いつ何時見ても心奪われる花雷にじっと視線を送りつつも頭では横にいる彼に意識が移ろう。
ああ、この花火よりもあんたの方が綺麗だとかは絶対に言うつもりはないが⋯
強い閃光のように脳裏に焼き付いて消えることない姿を僕は忘れることなくこれからも一生を過ごすのだろう。
それで良いんだ、と伝えるつもりは微塵もない想いを手持ちのアルコールで流し込み程よく酒で色付いた頬が映える横顔を再び瞳に刻み込んだ。
ぎんかのしきさい、まなうらのざんこう
自覚はないんだけど結構はじめのことが好きなんじゃない?っていう綱と、バリバリに好きなんだけどひよってるはじめ