鈴鳴でおやすみ「来馬先輩の住んでるとこってどんなとこですか?」
今日あった学校のことや、防衛任務のあれこれ会話しながら鈴鳴第一の隊員で夕食を囲んでいると、太一が不意に質問してきた。鈴鳴支部のリビングルームにあるテレビは、とある地方で初冠雪があったニュースを流している。
「そう言えば、どこに住んでるかわからないわよね」
今も興味があるようで太一に同調した。隊のメンバーである村上と今、太一は県外からスカウトされてボーダーに入隊してきた。なので、当初は本部で生活していたが支部創設にあたりここに移った。隊長の来馬だけが三門市出身であり、三門市立大学と鈴鳴支部のちょうど中間に当たる場所のマンションに住んでいるが、ほぼ支部に入り浸っている。今日もこうして隊のみんなと今の手料理をありがたく頂いているので、来馬は自宅に招く発想が浮かばなかった。
「住所はわかっても、先輩に何かあったら実際の場所を知らないとオレたちも困りますよね」
村上の表情からは来馬の住んでいる所に関心があるのかどうか判らないが、意見は至極ごもっともだった。今は近界民と戦争中で、ボーダー本部の警戒区域内に敵を引き寄せる装置があるとは言え、先日の大規模侵攻のようにいつ市街地を襲って来るかわからない。ましてやボーダー隊員ならば所在を明らかにしておく必要があるだろう。
「そっか、そうだよね。今度、案内がてら皆んなで遊びにくるかい?」
「えっ⁉︎いいんですか!やった!」
たいした所じゃないけどと来馬が提案すると、今や村上もまんざらではない嬉しそうな表情だったが、太一がはしゃいだ拍子に腕が食器にぶつかってしまった。がちゃんとご飯茶碗がテーブルの上を転がり、隣に座っていた村上がナイスなキャッチする。幸い中身はなくなっていたので被害はなかったが。気を付けなさいよといつもどおり今が太一を嗜めつつ、みんなで明るく笑いあった。
隊の防衛任務が入っていない、みんなが都合のつく休日に来馬の住んでいるマンションに遊びに行くということで、今日がその日である。日頃の行いがいいのか朝から良く晴れている。朝食を済ませ、前の日支部に泊まった来馬と一緒に歩いて、道すじを案内されながら途中鈴鳴商店街を通り抜ける。更に歩いて大通りから一本路地に入ると一棟のマンションが姿を現した。
「ここだよ」
「うひょ〜!でっかいマンションですね!」
鈴鳴支部から徒歩で約20分という所に来馬の住んでいるというマンションが建っていた。太一が建物を見上げて素直な感想を漏らし、村上と今も太一と同じような驚いた顔付きをしている。エントランスに続くアプローチには、ガーデン系の針葉樹の植え込みが整然と手入れされ、マンションの銘板が設置されていた。
「さぁ、こっちだよ」
来馬に続いて自動ドアを過ぎ三人はまず風除室に入った。向かって左側に管理人室があり、窓から覗く初老の管理人さんに軽く会釈する。来馬がポケットの財布からカードキーを抜き出し、右側の壁際に設置されている集合玄関機にかざすと、玄関扉のオートロックが解除された。そこを通ってエントランスホールに入る。ホールにはテーブルと1人掛け、3人掛けのソファが配置してあり、目隠し用の観葉植物が置かれ柔らかな暖色系の照明で利用者の居心地が良くなるよう配慮されている。まるで有名ホテルに来たようだ。ホールを過ぎてエレベータに乗り込むと来馬は3階のボタンを押した。
スムーズに3階に到着し、幅広い廊下を渡った一番東側の角部屋が来馬の部屋だった。そして来馬がもう一度カードキーをかざすとガチャリと重厚そうな玄関ドアが開いた。
「さぁ、どうぞ」
「おじゃましま〜す」
来馬に続いて三人が玄関に入ると、このためにわざわざ揃えられたような新品のスリッパが用意されていた。玄関の右手に扉があり、開くとクロゼットになっていて来馬は自分と三人の脱いだコートをハンガーに掛けた。
「このスリッパ履いて中に入って。そうしたら、じゃあまず手を洗って来てくれるかな」
スリッパを借りて、先に来馬が洗面所に入り手を洗うと続いて三人も手を洗った。廊下を奥に進むと広くて明るいキッチンにダイニングテーブル、ソファ、オットマンがセッティングされ、さすが高級マンションと感心する。ソファの上には触り心地の良さそうなクッションと、可愛くデフォルトされたイルカとペンギンのぬいぐるみも乗っていた。ソファの脇は大きな窓になっていて、そこからバルコニーに出られるようだ。
「とりあえず、ソファに座って」
エアコンのスイッチを入れ、どうぞ、どうぞと来馬が三人を促す。なぜか敬語で失礼しますと口々に言いつつ、窓側から村上、太一、今の順に座った。
「すごく、広くてきれいですね……」
今があたりをぐるりと見渡しながら、感想を漏らす。村上と太一もそれぞれきょろきょろと見渡している。
「とりあえず、みんな歩いて喉乾いただろ。飲み物持ってくるけど何がいい?お茶とジュースにコーラがあるよ」
「私はお茶がいいです。あ、それとこれ後で食べてください」
今がこの日のために用意したお菓子が入ってる紙袋を来馬に渡した。
「わぁ、気を使ってくれてありがとう。じゃあ後で頂くね。太一と鋼は何にする?」
「来馬先輩、おれが自分で持って来ますよ!コーラはどこにありますか?来馬先輩は何にしますか?鋼さんは?あっ、おれみんなの分持って来ますよ!」
何か自分も来馬の手伝いしなくてはと太一が慌てて立ち上がる。今がいいから座ってろと言いたそうな表情で、太一の服の袖を引っ張った。
「ありがとう。でも太一は今日お客様だから座ってて。太一はコーラでいいかな」
「ははっ。オレはお茶でいいです」
みんなちょっと待っててねと受け取った紙袋をありがたく持ち来馬はキッチンの方へ向かう。しばらくすると、テーブルの上にコップと皿に盛られたクッキーや缶に入ったチョコレート、バスケットに入れられたスナック菓子が並べられた。
実家からもらったという高級そうなクッキーやスナック菓子をつまみながらおしゃべりしていると、太一が何やらそわそわしながら来馬に話しかけた。
「あの、来馬先輩、俺ほかの部屋も見てみたいです!いいですか?」
「えっ?特に何もないけど……いいよ」
来馬は立ち上がると三人を連れ立って、まずはキッチンから順番に浴室、トイレ、ゲストルームを案内する。特に今はキッチンに関心を持って念入りに見ていた。そして、リビングに近い最後の部屋の前で立ち止まりドアを開けた。
「えーと、ここが僕の部屋で寝室だよ」
ベージュとライトグレーのファブリックでまとめられたナチュラル系な大人の雰囲気がする部屋である。正面に窓があり、左の壁際のベットは掛け布団と毛布がきちんと畳まれ、シーツが剥ぎ取られて大きい横長の枕に存在感のあるチンアナゴの抱き枕が寝そべっていた。ベッドの脇には天然木の机と椅子があり、ノートパソコンと勉強道具が置かれている。窓の横の壁には鈴鳴支部の前で撮ったメンバーの写真が額に入って飾られていた。
「へぇ〜、来馬先輩はここで寝てるんですね!おれも寝てみたいです。ちょっとだけ寝てみていいですか?」
来馬と今、村上がギョッとするのもかかわらず、太一がいきなりぴょんとジャンプしてベットにダイブし、チンアナゴを抱きしめながら仰向けに寝転ぶ。
「こら、太一!やめなさい!」
太一の行動を見かねた今の怒声が飛ぶ。それに、いいよいいよと手を振って来馬が許す。
「はぁ〜…なんか、すげー気持ちいいっス…。ちょっと鋼さんも寝てみてくださいよ」
「いや……オレは……」
太一に誘われるが、さすがに村上は遠慮する。今の視線も痛い。
「なんかよく分からないけど、人間工学に基づいたベットらしいよ。母さんが一生のうち3分の1は睡眠時間だからって用意してくれてね」
鋼もよかったら寝ていいよと来馬が面白そうに促す。人間工学に基づいたなんて聞けば俄然興味が湧いてくる。村上は迷った末、失礼しますと言いつつ太一の横に寝転んだ。が、なんだこれは⁉︎と雷に打たれたような衝撃を受けた。背中を受け止めるスプリングが自分のベットと次元がまるで違った。しっくり身体にフィットする。枕もひとのだというのに硬さもベストで寝心地が抜群だ。しかも、ほんのり甘い香りの柔軟剤に混じって微かに香る来馬の体臭も嫌じゃなく、むしろ心地よく安心する。村上はこのまま目を閉じて寝てしまいたい誘惑に駆られたがここはグッと我慢した。後で何を言われるか分からない。
「ちょっと、アンタたちいい加減にしなさいよ」
しばし男二人で無言で寝心地を満喫していたが、絵面的にも見苦しいわよと今が腕を組み呆れた声で嗜める。太一と村上はすかさず飛び起きてベッドから降りたが、村上はポケットから携帯端末を取り出すとベッドのメーカータグを何枚か写真に収めた。
その後、お昼に来馬が頼んでくれたピザをみんなでご馳走になり、テレビでネット配信している話題のアニメを見ながら感想を言いあったりして楽しく過ごした。来馬は大学の課題をするため支部に戻らないと言うので、暗くなる前に三人は帰ることにした。見送るために四人で下に降りる。玄関先に着くと三人は元気よく、ありがとうございましたとお礼を言う。
「気をつけて帰るんだよ。また明日」
来馬は笑顔で手を振って3人を見送った。だが、これが発端であんな騒ぎが起こるとは誰も想像できなかった。
来馬の家に遊びに行った数日後。明日は休日という日の午後、鋼や太一が居ないのを見計らって鈴鳴支部で書類整理している来馬に何か思い詰めた今が相談をした。
「どうしたの?今ちゃん」
「実はこの前、鋼くんが来馬先輩と同じベッドを買ったんですけど、届いた次の日から朝寝坊するようになっちゃったんです」
「えっ?そうなの?」
「はい。鋼くんにも何度か言ってみたんですが、本人もどうにもならないらしくて。なんとか、私も頑張って起こしてたんですが、太一は相変わらず起きてこないし。正直もう面倒くさくなってしまって……」
今がため息を深くついて来馬に語る。普段の村上は今が起きる前にジョギングに出かけ、朝食ができる頃戻ってくるので、食べるための準備や太一を起こしたりしてもらっていた。けれど、村上が来馬と同じベットを購入してから、あまりの寝心地の良さに時間どおり起きれなくなった。本人曰く、目を閉じた瞬間意識がなくなるそうだ。しかしながら、良い睡眠を得ているせいか村上のSEである強化睡眠記憶は冴えに冴えまくっていて、ボーダーにとっては有益なことかもしれないが、今にしてみれば、いい歳した男二人を相手に、毎朝四苦八苦起こすことが正直面倒くさくなってきていて、精神的にもイライラするようになってきたのだった。
「それは、僕の責任の一端でもあるね……」
まさか、来馬のベッドが原因で村上がそんなことになってるとは、今に聞くまで全くもって思わなかった。だが、今の負担になっていることであれば、隊長である自分が解決しなければならない。でも、それならば、太一に起こさせればいいのでは?と、ちらりと頭の隅で来馬は思ったが、今の良心を思って口に出さなかった。
「今ちゃん、ごめんね。今ちゃんの負担になってるとは思わなかったよ。鋼が朝起きれる方法を僕も考えてみるよ」
「ありがとうございます、来馬先輩」
来馬は早速、携帯端末からネットを検索し、しばらく独り言を言いながら思案していたが、なるほどねと呟くと今に作戦を告げた。
「人間の脳は歳を取ると音から忘れて、匂いの記憶は最後まで残るらしいんだって。だから声でだめなら鼻を刺激したらどうかな。鋼の好きなご飯を鼻に近づけて匂いを嗅がせれば、脳に刺激を受けてすぐ目覚めるかもしれないよ」
やってみようと来馬は今に伺いを立てる。寝てる村上に悪戯するようなことだったが、今はこの状況を変えられればと思い、やりましょうと賛成した。夕方には村上と太一は支部に帰って来たが、作戦については秘密にして彼等には伝えなかった。そして、来馬は作戦を遂行するため支部に泊まったのであった。
翌朝、作戦を決行するため来馬と今は村上の部屋に向かった。
来馬がむわりと湯気が立ち昇っている炊き立てのご飯を盛り付けた村上の茶碗をトレーに乗せて運ぶ。今は部屋のドアを3回ノックしたが、案の定返事がなかったのでそっと二人は部屋の中に入った。
村上はベッドに仰向けに寝ていて、呼吸も規則正しく二人が近づいても全く起きる気配がない。来馬と今は顔を見合わせ頷き合うと、来馬がトレーを机に置いて茶碗を両手で捧げ持ち、村上の顔のそばへ近づけ、今は来馬の隣に立つとボーダー特製うちわを小刻みにパタパタ扇いで匂いを送った。イメージキャラクターの嵐山と佐鳥も扇られながら応援している。しばらくすると、鼻をひくつかせた村上の口元がむにゃむにゃ動いた。
「……魚沼産コシヒカリ」
村上はボソリと呟いて、眉間に皺を寄せつつも起きる気配を見せなかった。来馬は、匂いだけで産地を当てるなんてさすがだよ鋼!と感心するが、感心するとこそこ⁉︎と今は心の中で突っ込んだ。二人は鋼、起きて〜とついに声かけしながら作戦を実行していた、その時。
「鋼さん、起きましたぁ⁉︎」
今日に限ってなぜか早起きの太一がバタンと勢い良くドアを開けて部屋に入って来た瞬間、ドアの仕切りにつんのめって勢い余って今にぶつかり、今はそのまま隣の来馬に倒れこんだ。人間ドミノ倒し。衝撃で茶碗の中のご飯は、きれいにお椀型のまま村上の顔面にぱかりと落ちた。
「あっっつ!」
流石に己の分を弁えた武士も熱さには耐えられず、文字通り飛び起きた。
騒ぎの後、とりあえず身支度を整え、リビングルームにみんなが集まりいつものソファの席に座った。そして、静かに朝食を食べ終わりそれぞれ食後のお茶を飲む。
「すまなかった、今。明日からはちゃんと起きるよ。来馬先輩もお手を煩わせて申し訳ありませんでした」
村上は畏まって深々と頭を下げた。自分の甘さが招いた結果がこれである。
「ほんと、困るのよね。ちゃんとしてくれないと。今度寝坊することがあったら、太一に起こしてもらうことになるわよ」
「鋼さん!おれ、優しくしますよ!任せてください!」
太一が笑顔のウィンクと共に親指をサムズアップした。太一の、どの程度が優しい部類に入るのか分からず、村上の背に冷や汗が流れる。
「絶対起きるよ」
村上はこれ以上なく真剣な眼差しで今を見た。
「そうして」
今も村上に向かって頷いた。かくして鈴鳴支部に平和は訪れた。
「まぁまぁ、今ちゃん。鋼が火傷しなくて良かったよ。ごめんな鋼、僕も軽い気持ちでやってしまったから……」
「いえ、オレの自業自得ですから。でも、来馬先輩よくあのベットで普通に起きられますね」
村上が感心したように聞いた。
「実家にいた頃からあんな感じのベットを使ってたから、特に寝すぎることはないかなぁ」
のほほんと来馬が答える。普段から腰が低く傲慢なところがない、庶民的であるがゆえ忘れがちであるが彼はいいとこの坊ちゃんなのであった。敷板がベニヤ板でできているような簡易ベットでなんか寝たことなどないであろう。そんな来馬がとても良いことを思いついたように提案してきた。
「あのさ、ベットのことなんだけど……」
「いりません!」
今と太一が声を揃えて言い放った。
「えっ?まだ何も言ってないけど……」
「来馬先輩の心遣いはありがたいですけど、私は起きれなくなると大変なので」
今がピシャリと断る。
「おれは布団派なので、ベットはいりません!」
「あれっ?太一はお布団なの?」
「はい。おれ、なんか小さい頃一度ベットから落ちて救急車騒ぎになったとかで、母ちゃんにお前はベットで寝ちゃダメって言われるんです。全然覚えてないんですけどね!」
太一は元気に答えるが、心配でおちおち寝てられなかった太一のお母さんの気持ちがよくわかった。
「そうなんだ……。じゃあ、みんなに掛け布団はどうかな?」
実は家に電話したら、使ってない羽毛布団があってねと嬉しそうに話す。来馬のこの行動力は一体どこからくるのだろうか。来馬のおかげで実家にいた頃よりも、今と村上と太一の生活の質がどんどん向上し、もう庶民の生活に戻れなくなりそうである。
善も悪も表裏一体、実は人のために動くことが自然にできる来馬と太一は案外と似ているのではと思う村上と今であった。